小説
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十年物の恋慕は一晩では飲み干せない




いつもの居酒屋で生ビールを二杯、炒飯と軟骨の唐揚げを頼む。
学生時代から腐れ縁の彼と毎週金曜日にこうして二人で呑むのが習慣となって、もうどれくらい経つだろうか。

「あー、もう疲れた。働きたくない」
「仕事おつかれー。OLは大変ですなあ」
「なに? 喧嘩売ってんなら買うよニート」
「やだー、こっわあい」

自分の身体を両腕で抱きしめ怯えたふりをするおそ松を尻目に、ビールを喉に流し込む。あー、幸せ。この一杯のために生きてる。ビール最高。
勤労後のビールの味が分からないなんて、おそ松は可哀想だねと皮肉れば、働かずに人の金で食う飯の美味さが理解できねえなんて残念な舌だなと返された。ほんとクズだなこいつ。

「お前さあ、毎週毎週俺と飲んでるけど、他に友達いないの?」
「はあ? いるよ別に。でもあんたと飲んでる方が遠慮とかいらないし楽しいんだからいいでしょ」
「……そうやって急に可愛いこと言うのやめてくんない?」
「何よ、気色悪いって?」
「あー、うん、そう。名前がそんないじらしいこと言うとか怖い。槍でも降りそう」
「うるっさいな」

から揚げの最後の一つをかっさらう。お前食べ過ぎなんて言う声は右から左に聞こえないふりだ。うるさい、伝票は私に押し付けるくせに文句言うんじゃない。炒飯で腹を膨らましてろ。

  ◇

飲んで食べて愚痴って笑いとばして早二時間。アルコールが身体を温め、気分を高揚させ、脳の回転を鈍くする。机に残った枝豆を黙々と消費して、ビールで流し込んだ。ちょっと塩ききすぎじゃない、これ。
おそ松は日本酒――利き酒セット980円――を店員に注文していた。人の金だと思って遠慮がないな、ていうかまだ飲むんだ。
おそ松は泥酔しない。多分、酒の飲み方が上手いのかもしれない。いくら飲んでも酩酊したりせず、ほろ酔い状態をずっと保っていられるのは素直に羨ましい。

「あんたってさあ、酒で酔いつぶれたり吐いたりしたことないよね」
「はあ? 当たり前じゃん、好きなやつの前でそんな姿見せるわけ、」
「えっ?」
「あっ」

私とおそ松、私たち二人の個室だけが静まり返る。すだれの向こうから聞こえてくる喧騒が、やけに頭に響いた。

「なに、おそ松って私のこと好きだったの?」
「あっ、あ、あー……」

やっちまった。そう呟いて、おそ松はべたついた机の上に突っ伏した。そこ汚いと思うけどいいの。さっきソース垂らしてなかったっけ。
ちょっとびっくりした。急に黙るから、好きってそういうことかと思っちゃったじゃないか。大丈夫だよ、べつに勘違いしないって。俺たち本当仲良しだよな、これからも一緒に馬鹿やろうぜ、大好き!とか、そういうことでしょ。恥ずかしがらなくたっていいよ。

「いや、まあ私もあんたのこと好きだよ。嫌いだったら卒業してからも週1で呑む仲になったりしないしね」
「……そういうあれじゃないんだけど」
「……え?」
「そういうあれじゃなくて、俺はお前が、そういう意味で、好きって、いうか……」

そういうあれじゃなくてそういう意味で好きって、おそ松日本語不自由過ぎない? 本当に愛の告白とか、そういうことなの。本当にそうなんだとしたら、あんたずいっぶん間抜けなことしたね。酔った勢いで、しかも話の流れで口を滑らせてだなんて。いっそ可哀想になるくらい間抜けだ。

「あー、もうはいはい好きだよ。すきすきだいすきちょー愛してるー」
「あ、なに、冗談だったの?」
「……本気だっつーの。茶化してないと恥ずかしすぎて死んじゃう俺の心境わかってよ」

おそ松が棒読みで言うものだから、なんだ冗談だったかと思ってしまったが、どうやらやっぱり本気らしい。もしや弟たちと罰ゲームでもしているのか、なんて邪推してしまった自分が、少し申し訳なく思えてくる。
顔を伏せているから分かりにくかったけれど、絞り出すような声を出すおそ松の耳は、真っ赤に染まっていた。

「本気、なんだ」

まじか。10年間彼とともに過ごしてきたけれど、そんな感情を持たれていたとは知らなんだ。そっか。そうだったんだ。ふーん。へえ。なるほど。

「そうだよ10年間ベタ惚れだよ笑えよ」
「いや、笑わないけどさ」
「笑わないんなら何? 付き合ってくれんの?」
「えっ、えー? いや、それは」
「好きだよ」

突然真顔になって囁くの、やめてくれないかな。自分が良い声してる自覚のあるやつはこれだから困る。
反応に迷っていると、おそ松はまた机に突っ伏す。いやだからそこ汚いって。取り皿の上で渡し箸をしていた割り箸が、その衝撃でころりと机に転がった。

「あーあー、ていうかさあ、こんなとこで告白する予定なかったんだけど。酔った勢いでこんなこと言うはずじゃなかったんだけど。こんっな色気のねえ居酒屋じゃなくて、もっとムードあるとこで演出とかばっちり決めて外堀埋めて吊り橋効果だろうとストックホルム症候群だろうとなんだって使って俺に惚れさせてから言うつもりだったんだけど」

怪しげな単語が聞こえた気がするけれど、ここで水を差してはいけないということは、私だって理解できる。

「なあ、こんなとこで強制終了させられた俺の10年間の可愛くていじらしい片思い、どうしてくれんの」
「どうしてくれんのって……」

そんなこと言われても。おそ松が勝手に酔って勝手に口走って勝手に自爆しただけなのに。
酔っぱらいの戯言なんて知ったことじゃないと言って、ここで彼を置いて一人家に逃げ帰るのは容易いことだった。だけどそれを実行に移せるほど私は酔っぱらっていないし、素面でもない。彼を放っておけない程度には、酔いが冷めていたし、酔っぱらってもいた。もう私何言ってんだろ。訳がわからない。自覚ないけど大分酔ってるのかもしれない。

「名前ー」
「……なに」
「すきだよ。だいすき」

緩み切った声で彼はそう言って私の手をつかむ。握られた右手はひどく熱を持っていた。こんなに熱くなっちゃって、果たしてどちらの体温だろうか。私の手の甲の熱と、おそ松の掌の熱が、混ざり合って溶け合って、同一になる。

「返事、聞かせてくれないの」
「……え」
「返事だよ、返事。俺は苗字名前が好きだよ。付き合いたいし手を繋ぎたいしキスしたいしセックスだってしたい。でも名前が俺とそんなことしたいって思ったことないの知ってる。だからさ、名前はそれに、付き合ってくれるの」

矢継ぎ早にそう言われて、思考が止まる。キス、セックス。そんな単語が彼との会話で出てきたことは今までなかったわけじゃないけれど。自分と目の前の彼がそんなことをする場面を想像したことは、彼の言う通り今まで一度もなかった。

「そんなの……。そんなの、今すぐ答えられることじゃない。だっておそ松は私のこと10年想ってたんでしょ。それに対して、『分かりましたはい付き合いましょう』なんて、軽々しく言えるわけないじゃん」
「……そうやってさあ、前向きに考える姿勢見せるのってずるくない? 俺そんなこと言われたら期待しちゃうじゃん。可能性0じゃねえんだって思っちゃうじゃん」

言われたことを耳に通して頭で噛み砕いて、理解して。それから、顔が赤くなった。私、今おそ松を振ることなんて、全く考えてなかった。彼を拒否する自分が想像できなかった。

「そんな真っ赤な顔すんなって。……なあ、期待して、待ってていいの」

嬉しそうに彼は笑む。ごくりと息を飲んで、目を逸らす。大切なものを見つめるような、愛し気な視線に耐えられなかった。

「私、おそ松が望む答え出せるか、わかんないよ」
「俺が欲しい答えくれるまでずっと待ってやるよ。持久戦は10年選手だ」

おそ松はそれはそれは幸せそうに笑う。まるで私がたった今告白を受け入れたみたいな顔して、浮かれて笑う。
まだ、いいよって言ってないのに、気が早いよ。そう考えている自分の口元が、彼と同じくらいゆるんでいるのに気が付かないでいた。



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