小説
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俺のことだけ分かってればいいんだよ



松野一松は私の唯一の友人である。彼は六つ子だが、生憎私には彼の兄弟の見分けがつかないので、一松とそのドッペルゲンガー5人と認識している。


もう数え切れないほどお邪魔した松野家に、無言で上がり込む。インターホンだって鳴らさないし、お邪魔しますの声も上げない。遊びにいくことを一松に伝えてすらいない。

玄関から真っ直ぐに居間へ向かい、無言で襖を開けた。青いのと黄色いのがギターを囲んで何かしている。違う。
再び無言で襖をぴしゃりと閉めた。

「い、今のは……?」
「一松兄さんの彼女!」
「! 一松ガールか!なるほど、あいつも隅に置けないな」

中から戸惑うような嬉しそうな声が漏れてきた。違う、彼女じゃない。一松ガールとかいうよく分からない存在でもない。でも訂正するためにもう一度襖を開けるのも面倒くさい。放っておこう。

2階への階段を上る。その途中、ピンクに会った。

「あっ、久しぶり。この間もうちに来てたよね?」
「一松は」
「一松兄さん?一松兄さんなら今野良猫に餌あげに行ってるよ。待ってるならその間、僕とおしゃべりしない?」
「あいつが帰ったら上で寝てるって伝えて」

相変わらずドッペルゲンガーが多くて怖い家だ。足を止めることなく階段を上る。
一松とそのドッペルゲンガーたちの部屋をのぞくと、赤いのとスーツが2人、言い争いをしていた。うるさい。

「おそ松兄さんにはさあ、働こうって意思が見られないよね、ちゃんと考えてるの?」
「えー、別に良くない?俺にはこの扶養選抜お墨付きの養ってあげたいオーラがあるしさ」
「寝るから黙って」

一言告げて、肘掛けに頭をゆだね、緑のソファに寝転ぶ。猫の毛が落ちていた。さっき一松が座っていたのかもしれない。白い猫の毛を指先で拾って、ふうっと息で吹き飛ばす。宙へ浮いてひらひらと床に落ちた。

「何なに、急にやって来て黙れってひどくなーい?」
「あ、あー、ええと、苗字さんだっけ。一松ならもうしばらく帰ってこないと思うよ」
「だから寝るんでしょ、うるさいな」
「ああもー、女の子がそんな仏頂面しちゃダメだって。いいじゃん、少しくらいおしゃべりしようよ」
「黙って」
「いいじゃんおそ松兄さん、もう寝かせてあげようよ」

このスーツの言う通りだ。勝手にやってきて勝手にソファで寝始める面倒な女が来たってことで放っておいてくれ。

「んでさあ、結局一松とはどうなの、どこまで行ったの」
「兄さん……。知らないよ、あとで一松に怒られたって」

無視して目を閉じていると、どうやらスーツは部屋を出て行ったらしい。話していた内容と服装からして、ハローワークにでも行ったのかもしれない。興味ない。
一松はどこまで餌をあげに行ったんだろう。早く帰ってきてほしい。別に空気を読むなんて芸当は私にはできないけれど、それでもこの煩いのと二人きりは居心地が悪いのだ。


「ねえねえ、苗字さんさぁ、一松のどこが好きなの」

「あいつこの間寝てるときにくっせえ屁こいてさ、思わず全員飛び起きて換気したんだよね、うけるでしょ」

「苗字さんコーヒー牛乳好き?今度おそ松クイズ参加しない?一松の当てられたら特別に奢ってあげるよ」

うるさい。頼むから黙ってくれないかな。他の奴らは無愛想な態度を取っていれば勝手に諦めてくれるのに、なぜかこの家にやってくると毎回絡んでくるのが一人いる。ずっと無視していると、勝手に拗ねて「さーびーしーいー」って部屋の隅でちらちらアピールしてくるので、ウザったくて仕方ない。

「頼むから放っておいてもらえる?一松以外と仲良くする気ないの」
「おっ、起きた!で、どうなの」
「どうってなにが。ていうかあんたどれ」

あんたら全部同じに見えるの。一松を呼び捨てにしてるってことは上の兄弟なんだろうけど。ということは長男か次男か三男か。三択だと難しいな。

「一松と最近どうなの」
「どうって、別に普通だけど。特になにもないから家来てるんでしょ」

喧嘩してたら家に来て寝て待ったりしない。

「そういう意味じゃないって。進展した?あいつあんなんで割と真面目ちゃんだからなー。手出すの遅そう」
「私と一松はべつにそういう関係じゃないから」
「えー、そういうこと言って、いつも家に来たらいちゃいちゃしてるじゃーん」
「別にしてない」
「えー、じゃあ俺ともああいうことできる?」
「一松は友達だけどあんたは他人でしょ。そもそも私あんたがどれかも知らないし」
「さっきも思ったけど、『どれ』ってひどくない?せめて『だれ』にしてよー。お兄ちゃん寂しいなー」

やっぱり兄3人のどれかだったみたいだ。
一松が「面倒くさいのは長男、クソなのが次男、真面目な振りしてるのが三男」と教えてくれたのを思い出す。多分さっきのスーツが三男だから、これはクソか面倒くさいののどっちかだ。

「……長男?」
「おっ、そうそう長男。苗字さん俺のこと覚えてくれたんだ。松野家長男、松野おそ松でーす」
「面倒くさいのは長男って一松が言ってた」
「はあ!?ちょっと一松、何教えてんだよー」

なるほど、こいつが長男。たしかに面倒くさい。多分家出たら忘れる。というか一松が帰ってきたらすぐ忘れる。一松以外に脳の容量を割く気はない。
早く一松帰ってこないかな。あんたの唯一の友人がてめえの兄貴のせいで困ってるぞ。ああもう面倒くさい、早く飽きてどっか行ってほしい。

「一松、どう?」
「だから、どうって」
「あいつ、不器用だろ」

先ほどまでとは声色が違う彼の言葉に耳を傾ける。目の前の男は、さっきまでずっとからかう口調だったくせに、今はすっかり慈しむような表情をしていた。

「友達は猫と苗字さんしかいないって断言してるし、その他にはいらないとも言ってるんだよ、あいつ」
「……だからなに」
「苗字さんは、ずっとあいつの味方でいてやってよ。無愛想だけど悪い奴じゃないんだ」
「……そんなのあんたに言われなくても」

知っている。彼が優しいことくらい、ずっと前から知っている。だからこんな無愛想と友人でいられるんだ。
それから、私から一松のもとを離れるようなことは絶対ないと断言できる。あちらから離れられたらどうしようもないけれど。

世界で一番知っているとも、一生離れないとも断言できないのがなんだか悔しい。目の前の男は、生まれたころから一松のことを知っているし、彼と別離することなど生涯ありはしないのだ。思わず能天気そうな彼を睨み付けてしまった。

「……何してんの、おそ松兄さん」

噂をすれば、ご本人様登場だ。遅い。あんたが待たせたせいで、こんな面倒くさい男に昼寝を邪魔されてしまったじゃないか。勝手に遊びに来たのは私だけど。

「お、おかえり。なんだよ、弟のお友だちとしゃべってただけじゃん、そんな睨むなって一松」

目の前の赤いのは、一松の肩を軽く叩きながら部屋を出ていく。早くあっちいけ。
一松がため息をつきながらこちらへ歩いてきた。全く、友人を待たせないでよね。

「おそ松兄さんと楽しそうになに喋ってたの」

あれが楽し気に見えたわけ?眼科行ったほうがいいんじゃないの。
一松がソファで寝ている私の腹の上に寝転ぶ。あんたは猫じゃないんだから、さすがに重いんだけど。腹が圧迫される。全体重かけるな苦しい。私より図体でかいんだから、乗ったらだめだなとか、その辺もうちょっと考えてくれ。お昼に食べた焼きそばが出てきそう。
ていうか何、拗ねてんの?唯一の友達が自分以外と仲良くしたからやきもち妬いてるんだ?かっわいいー。

一松のぼさっとした髪を撫でる。こいつ朝起きてから髪の毛梳かしてないな。外出る前に髪くらい整えなよ、せめてこの跳ねた寝癖くらい。見つけた寝癖を手で弄んでいると、「聞いてる?」と不機嫌そうな声が腹の方から聞こえてきた。聞いてる聞いてる。

「一松の話をしてた。あの子は不器用だけど悪い子じゃないから仲良くしてあげてねーって」
「何それ、余計なお世話」
「全くだよ、言われなくたってこれ以上ないくらい仲良しだっつーの」
「……それ、兄さんに言ったの?」
「いや、これは言ってないけど」
「……ふーん」

私の腹の上に置かれていた一松の頭が、ずりずりと首元までよじあがってきた。急に何。
首元に頭をこすりつけられる。ふわふわとした髪の毛に首がくすぐられて、少しくすぐったい。いや、本当に何なの。

「なに、くすぐったい」
「べつに。ただの求愛行動」
「猫か」

かわいいやつめ。思わず彼の頭を胸に抱く。鼻をぶつけたのか、「ん゛っ」といううめき声が聞こえた。愛しい友人は、私の胸の中でしばらく黙って、それから遠慮がちに私の背中に腕を回して抱きしめた。

不意に襖が開かれる音がして、顔をそちらへ向ける。赤いのが立っていた。

「あ、あー。……お邪魔しちゃった?」
赤いのは、襖を開けた姿勢で固まって、困ったように笑う。

「うん、すごく邪魔」
「どれ」
「はあー、2人揃って冷てえの。さっき名前教えたし」
「名前?なんだっけ」

一松が、私の胸を頭でぐりぐりとえぐる。胸が苦しい、物理的に。
そうかそうか、そんなに他の兄弟と仲良くして欲しくないか。かわいいなあ。一松以外眼中にないから気にするなよ。

「……名前、あれ誰か分かる?」
「いや、全然?」

満足そうに鼻で笑って、また頭を身体にこすりつけられる。だからお前は猫か。いつか一松、喉ごろごろ鳴らし始めちゃうんじゃないの。それはそれで見てみたいけれど。

わざとらしくため息を吐いて、ドッペルゲンガーは部屋を出て行った。一瞬、こちらを見て安堵したように微笑みながら。



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