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惚れた欲目に敵わない




ランク戦ブースの一角で項垂れている苗字の正面に無言で立ち、つむじを親指で強く押す。びくりと揺れる身体と、可愛くない悲鳴。

「い"ぃっ……た! なに!?」
「お前、また太刀川さんにボロ負けしてたろ」
「落ち込んでる友だちへの第一声がそれってひどくない?」
「だからやめとけって言ったじゃん」

攻撃手に転向するのも、太刀川さんの弟子になるのも。
お前はあの人にはなれないんだって。
俺だって何も鬼じゃないし、絶望を突きつけてやりたいわけじゃない。ただ、人には向き不向きってものがあるし、こいつに太刀川さんのような戦闘が出来ないことは、門外漢のおれにだって分かる。
おれの発言への抗議のつもりか、差し出したオレンジジュースの紙パックは無言で受け取られた。彼女がストローの先を不機嫌そうにかじりながら中身を吸っているのを、横に腰かけ同じジュースを飲みながら横目で眺める。

「苗字、センス悪くなかったんだし、今からでも射手に戻ったらいいじゃん。おれが教えてやろうか?」
「いい。攻撃手がいいもん」
「なんで」
「一番かっこいい」
「お前、この俺を前にして射手はかっこよくねーってか」
「そうじゃないけど」

けどなんだよ。攻撃手に比べたらかっこよくないって言ってんのに変わりはねえだろ。
惚れた欲目を抜きにしても、苗字の射手としての実力は高かった。とんとん拍子にポイントを稼いであっという間にマスターランクに到達したくせに、ある日いきなりなんの未練もない様子で攻撃手に転向して行った彼女は、変わり者だと思う。おれも槍バカもそう思ってるし、太刀川さんも「あいつ変わってるな」って言ってたし、二宮さんだって理解できないって顔をしていた。満場一致で変わり者認定だ。
せっかく優秀な射手だったってのに、万能手を目指すわけでもなく一から攻撃手をやり直し。弧月はまだ6000ポイントに届いてないから、マスターランクどころか万能手にもなれてない。やりたいことと出来ることは、必ずしも一致しないんだっての。
どうでもいいやつに、おれはこんなアドバイスをしたりしない。ああバカなやつだなあって遠目から思うだけだ。でも、好きな子が明らかに間違えた道を進もうとしているのは、誰だって止めてやりたいだろ。だって、報われてほしいじゃないか。努力は叶ってほしいじゃないか。

「そもそもさ、攻撃手はともかく、弧月の二刀流向いてないんだって、お前。両手持ちでいいじゃん。熊谷とかみたいにさ」
「やだ」
「なんで」
「だって太刀川さんの二刀流が一番かっこいい」
「……あっそ」

思わず険のある言い方になってしまった。
分かってるよ、分かってたよ。こいつの中じゃ、かっこいいのはいつだって太刀川さんで、俺はこいつにとって、ただのクラスメイトの一人だ。

同じクラスのちょっと気になる女子に、真剣な顔で「あのね、すごく身の程知らずなのは分かってるんだけど、聞いてほしいことがあって」「出水じゃなきゃだめなの」って言われたときには、そりゃあ期待した。高校生男子がそう言われて期待しない方がおかしいだろ。それなのにまさか、太刀川さんの弟子になりたいから紹介してほしいなんて言われたものだから、一週間くらい立ち直れなかったのは至極当然のことだと思う。あのときの俺の落胆の様子といったら、あの米屋でさえ同情して昼飯を奢ってくれたほどだった。落ち込み果てたおれはそれから思い直し、師匠のとこの隊員って立場を活かし接触を増やした甲斐あって、今のところこいつの中で一番よく話す異性くらいの仲にはなれたと思っている。
それでも、それ以上の存在にはなれなくて、こいつの目には今までも現在も、太刀川さんしか写っていない。それが恋とかじゃないことは分かっているけど、だからって能天気に静観してられるはずもなかった。

「弧月の二刀流なんてやってるやつ、太刀川さんくらいじゃん。だれでも出来ることじゃねえんだって」

強くなりたいんなら、方法はいくらでもある。射手じゃなくてどうしても攻撃手がいいなら、それでもいい。おれはなんにも教えてやれないけど、まあいいよ。自分に合ったトリガーを探すでもいい、自分に合った戦闘スタイルを模索するでもいい。他の選択肢はいくらでもある。
けれどそれら全てから目を逸らして、見た目のかっこよさに憧れて太刀川さんの動きの真似をしようとするのは、いくら努力を重ねようと徒労に過ぎないし、ただの愚か者のすることだ。その愚か者に惚れてるバカがおれだけど。本当にバカ。救いようもないバカ。もうやめたい。やめらんねーから困ってんだわ。
幾度太刀川さんに子犬みたいに転がされても、挫けず折れず何度でもNo.1に挑むその姿を、目で追ってしまう。底抜けに一直線で、こうと決めたら梃子でも曲げない愚直さを、愛しいと思ってしまう。
彼女が横でズコー、という間抜けな音を立ててジュースを飲み切ろうとしている今だって、何かを考え込むような伏し目がちな表情が好きだなあと思っている。

「ね、出水。ちょっと手ぇ貸して」
「は?」

横顔を眺めていたら、彼女が不意にこちらを向いて口を開く。急になんだと思いながらも、しぶしぶ手のひらを上に向けて差し出した。

「違う、こっち」

手首を掴まれ、苗字にかざすような形でおれの手は宙に固定された。掴まれた手首の感触に驚いていると、そのままもう片方の彼女の手のひらがぴたりと合わせられる。重なる体温に、思考が止まった。

「……なっ、なに、お前」
「うーん、やっぱり出水の方が大きいな……」

この馬鹿はおれの動揺なんかまるで気がついてないようで、もう片方の手で顎に触れながらも、おれと自分の手のひらをじっと見比べている。心臓の音はばくばくとうるさくて、そばにいる苗字にまで聞こえてしまうんじゃないかと心配になった。

「太刀川さんと出水って手の大きさおんなじくらい? 出水くらいの大きさになれば、私も楽に弧月片手で握れるようになるかな」
「……っ、馬鹿かよ。手の大きさとか、そういう話じゃなくて」

馬鹿と言いながらも、振り解くことができない。動けないのに、頭だけはしっかりと自分の手のひらに集中している。顔には流石に出てないと思いたいが、それも時間の問題かもしれない。おれ、手に汗吹き出てないだろうな。

「ピアノやってたから指は長いんだけどなあ」
「……ピアノやってたとか関係なくね?」

ぶっきらぼうにそう返しながらも、その言葉に細い指の感触を意識せずにはいられない。長く細い指。小さい手のひら。かわいい。やわらかい。あたたかい。それが、自分に触れている。

「あっいずみん先輩、苗字ちゃんも! 今さ、よねやん先輩と2対2しようって話してたんだけどー!」

目の前の彼女に思考を囚われて呆然としていたところに、突然上から声をかけられて思わず身体が跳ねる。

「緑川くん! 苗字先輩って呼んでって言ってるでしょ!」
「でも苗字ちゃんオレより弱いじゃん」

頭上の声に反応して、苗字の手はおれの手からするりと離れる。そのまま彼女が緑川の方を見上げながら立ち上がったので、距離を空けて同じ椅子に座っていたおれの身体は少しだけソファに沈みこんだ。おれは間抜けな面でひとり、手のひらを宙に残したままだ。

「ね、出水、行こう! 今日こそ緑川くん見返すよ!」
「……いや、見返さなきゃなんねーのお前だけだろ」

振り向いた彼女に見られないよう、間抜けに宙ぶらりんしていた腕を咄嗟に下ろす。
呆れた声を絞り出しながらも、おれと組むのが当然と思われていることに喜んでしまう。米屋でもなく、おれを選んでくれることに浮かれてしまう。

「……勝ちたいならせめてトリガーに通常弾セットしろよ」
「無理だよ、全部埋まってるもん」
「グラスホッパーと入れ替えとけって」
「うー……」

はいはい、太刀川さんと一緒のトリガーセットなんだよな。だからいじりたくないんだよな。知ってるっつーの。飽きるほど聞いたし。浮かれたり、不機嫌になったり、こいつのそばにいると振り回されて忙しい。
がしがしと頭の後ろをかきながら、苗字に急かされるままにソファから立ち上がる。同時に、槍バカからの内部通話が飛んできた。

『あー……、悪い。邪魔した?』
『……いや、助かった』

少し気まずそうな米屋の声にそう答える。
あのまま声をかけられていなかったら、思わず衝動のままに指を絡めてしまいそうだったなんて、言えるはずがないけれど。今だけは、空気の読めない緑川に感謝せずにはいられなかった。

血気盛んな様子でブースへ入っていく苗字の隣へ入る。『がんばろうね』と能天気な声が脳に響いた。

『お前が一番弱いんだから、ちゃんと考えて動けよ』
『わかってるって。それに出水と一緒なんだから、そこまで心配しなくて大丈夫でしょ』
『人任せかよ』
『違うってば、信頼してるの。弧月の援護させたら、出水の右に出る者はいないでしょ?』

好きな子にそんなことを言われて嬉しくないわけがない。誰も見ていないのに、自然にゆるむ口元を咄嗟に腕で隠した。

『ったく、おれに援護させといて負けるとかありえねーからな』
『はーい。…………あとね。さっき、ありがとう』
『ああ、ジュース? そんくらいいいけど』
『それもだけど。落ち込んでたからわざと焚き付けてくれたんでしょ?』
『……べつにそういうんじゃねーよ』

そういうんじゃない。その否定の言葉は照れ隠しでもなんでもなく、単なる事実だった。いつだって、今だって、射手に戻ってこいと思ってるし、二刀流なんかさっさとやめちまえばいいと思っている。彼女の愚直さが好きと言えど、そこは別の話だ。

『誰でも出来ることじゃないからこそ憧れるし、出来るようになりたいって思うんだ。だからやっぱり私、がんばるね。ありがとう』

的外れな感謝の言葉を最後に、それきり何も聞こえなくなった。どうやら彼女の中では、それで会話はおしまいらしい。

「……こっちの気持ちも知らないで、言いたいだけ言いやがって」

そんなことを言われたら、あまりに無謀で果てしない彼女の努力を応援してやりたくなってしまう。
照れるでもなく、大真面目にあんなことを言ってのける彼女の愚直なところが憎らしくて、けれどやっぱり愛おしいと感じてしまう。
恋は盲目、痘痕もえくぼ。我ながら呆れるくらい、彼女に惚れこんでしまっている。

ああもう畜生、絶対お前を勝たせてやるよ。
深い深いため息をついて、仮想空間へ身を投げ出した。



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