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思い出の話


――それは、慶長七年のことでした。

出羽国久保田藩に新しい殿様がやって来た。殿様の名前は佐竹様。常陸国の殿様だった佐竹様は、いつも「常陸は美しい」と言っていた。
そんな殿様の話を聞くのが好きだった。今まで国許を離れたことも無かったし、御伽草子を聞いているみたいで楽しかった。

「殿様の話聞いてると、常陸は天国みてぇな所だ」
「いかにも。常陸は美しい所だ」

人の一生は短い。常陸国からやって来た殿様もお隠れになった。その後の殿様達は常陸を知らないはずなのに、皆一様に「常陸は美しい」と言う。
父がそう言っていたから、祖父がそう言っていたから、先祖代々そう伝えられてきたから。――それはまるで、伝承の如く続いていった。
少しずつ細部が変わっていく話を聞きながら、いつしか心は常陸国に飛んでいた。殿様の話す常陸が大好きだった。

だが、この身に全ての記憶を留めておくことは出来ない。時が経つにつれ、残るのは漠然とした記憶のみ。

寒い寒い貧乏だと言いながらも、国の開墾に心血を注いだ殿様。
絵画をこよなく愛し、かの秋田蘭画を生み出した殿様。
欠点ばかりが目立ったけれど、どこか憎むことの出来なかった殿様。

どの殿様も大好きだった。そして、殿様が代わる度に思う。

“常陸の国を見てみたい。”

いつか再び常陸の地を。そう言っていた殿様の代わりにおらが常陸を見て、この目にしかと焼き付けてこよう。それが何よりの供養だから。

しかし、その夢はなかなか叶わなかった。直線距離にして、370キロメートル。常陸の地はあまりにも遠すぎた。
冬は雪に閉ざされて身動きがとれなくなるし、国の分身である以上、易々と国元を離れるわけにいかない。
殿様が自慢していた常陸さんこと、常陸国水戸藩を体現する水戸さんも、この地に来ることはなかった。

それでも、いつか常陸を見てみたいという気持ちが薄れることは無かった。
おらが必ず連れて行ってあげるから。仏壇の殿様達に手を合わせる度、そう語りかけていた。


――初めて常陸国改め、茨城県に足を踏み入れることが出来たのは、近代に入ってからだった。


「ここが、常陸…殿様の生まれ故郷…」

直道(ひたみち)の義、衣袖漬(ころもでひたち)の国、常世の国、常陸。250年の時を経て、ついに殿様の夢を叶えることが出来たのだ。
殿様、見ていますか?ここがあなた様の愛した地、常陸なんですね。


「…秋田さんですか?」

感慨に浸っていると、不意に名前を呼ばれた。振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。
国の男性や岩手や青森といった身内以外の男性に話しかけられたことなんて滅多になかったから、思わず身構えてしまう。

「初めまして、というのもおかしな話ですが」

茨城です。

その人は、少し険しい顔でぶっきらぼうに名乗った。



――それが、常陸さんこと水戸さん改め、茨城さんとの出会いだった。

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