10年前に、猫を拾った。汚い、ずびずび鼻水垂らして、目がぐりって裏返ってるようなそんな猫。俺のチャリの傍でぴぃぴぃ鳴きながら震えてて、へたすると倒れそうになる体をチャリのタイヤに寄りかからせていた黒い猫。その時まだランドセルを背負ってあるいていた幼い俺は、そいつを一目見た瞬間に、チャリの前籠にランドセルの中身全部つっこんで、猫の首根っこをひっつかまえてランドセルの中に放り込んで家に向かって必死にチャリをこいだ。そしてがりがりにあばらを浮かせて、腹んなかと毛皮にたくさん小さな生物を飼っていたそいつは、一ヶ月もすると随分猫らしくなって、そんなことをまだ覚えている。お前の鋭い歯、よく遊んでいたレシートを丸めたボール、季節の変わり目にたくさんぬけおちた毛、ぐるぐると喉を鳴らすお前。10年は長い、だがとても短かった。最初は手の平に乗るほど小さかったお前が、両手でないと持ち上げられないぐらいに成長したのが1年目の後半。近所のボス猫と喧嘩をしたのが2年目の夏。そっくりな子供と一緒に外でひなたぼっこしてたのが3年目の春。俺のバックに入って学校にきたのが4年目の秋。翼を怪我した椋鳥を口にくわえて帰ってきたのが5年目の冬。一緒に椋鳥が外へ飛んでいくのを見送ったのが6年目の春。ストーブの前でよく寝るようになったのが7年目の冬。近所の若い雄猫に負けて帰ってきたのが8年目の夏。年老いてきたのがわかってしまったのが9年目の春。そしてお前は10年目の秋に、呆気なく死んだ。隣人の車に轢かれて死んだ。蒼白な顔で、服が汚れるのも気にしないで、お前を抱き抱えて謝る隣人を、俺は許した。だってどうしたってお前は帰ってこないのだ。冷たくなったお前を抱いて、俺はストーブの前に座った。ああ俺はまだ覚えているのだ。お前の曲がった後ろ足。なんだか萎んでちいさくなってしまったお前のからだ。ぽたりぽたりと膝の上に垂れる深紅の液体、くちからべろりと飛び出た舌。呆気なかった、実に呆気なかった。俺とお前の10年の月日はこうして、本当に唐突に終わりを告げた。俺の家族や親戚に、まだ不幸があった家庭はないけれど、きっと誰かが死んでしまったらこうして実に呆気ない、そんな気持ちになるに違いない。いやお前は俺の家族だった、だから俺はいまこんな気持ちになっている。くてりと脱力したお前を抱き締めながら俺は呆然としていた。ストーブの熱は、お前の体を少しも暖めてはくれなくて、俺はだんだんと冷えていくお前をどうしようかと思ったのだ。あんなにストーブがすきだったのに何も反応をしめさないお前を見てどうしようかと考えたのだ。具合がわるいんじゃないかとそんな馬鹿なことを考えたのだ。いつもぐるぐると機嫌良さそうにならしていた喉に手を当てても、そこはただ沈黙を保っていた。お前の翡翠のような目は、虚空をぼんやり見つめていて、ざらざらとした暖かいしたは外にとびでてしまったせいでひんやりとしていた。年のせいかすこし肥満気味だった腹も、何かが流れ出てしまったかのようにぺしょりとへこんでいた。何もかもが普段のお前ではなかった。段々と日が沈み、暗くなっていく部屋で一人、俺はお前を抱き抱えて泣いた。いつもなら慰めるようにざらりと頬を舐めてくれるのに、お前はずっとただ俺の腕の中に、その体を冷たく、小さくして少しも身動ぎせずに収まっていた。