2016/11/07 11:20

砂漠に入り、竜車で共に寝るようになってから知ったことだった。夜、吹き付ける風の音だけではない何かに目を覚ましたユリウスの耳に飛び込んできたのはスバルの唸り声で、もしや何かあったのかと思わず掛け布を跳ねのけた。

「・・・・・スバル?」

彼の名前を読んでも返事はなかった。仕方なく手元に置かれたランタンに手を伸ばす。具合が悪いのだろうか、それとも自分が気づかぬ間に何かがあったのだろうか。焦りながらもヒューマを唱えて小さな火種を作り、穂口に押し付けてようやくランタンが淡いあかりをともす。柔らかな光源に照らされた竜車の中には異常は見当たらない。自分の隣でねむる青年の顔にランタンをそっと寄せて、その顔色が悪いわけでも何か異常があったわけでもないことにひとまずはほっとする。ユリウス自身、現在は少なからずスバルに依存している事はわかっているが、今はその感情を止める気は起きなかった。

「君こそ、あのホットミルクが必要なのではないか」

眠るスバルの額には皺が寄っている。口元からは意味をなさない唸り声。これを見ればユリウスにもわかる、ただ彼は悪夢を見ているのだろうと。ぎゅうぎゅう握りしめられているせいで掛け布が前に移動してしまって、背中がむき出しになっている。誰かを抱きしめるようにしているのは、毎晩共に寝ていたという契約精霊、ベアトリスのぬくもりを求めてのことだろうか。自分が随伴したばかりに、と眠る際は離れ離れになってしまった彼らのことを思うと申し訳なくなった。かといって、ユリウスが女性陣の竜車に入る、というわけにもいかないのだが。

「・・・すば、る?」

せめて布を治してやろうと、伸ばした手が握りしめられる。縋るようにこちらの手を握る熱い手に思わずユリウスの動きが止まる。起きてしまったのだろうか、と声をかけても返事は帰ってこない。ただ、その表情だけが僅かに変わっただろうか。人肌のぬくもりを得て、少しばかり安堵したような顔つきをしたスバルにユリウスはかけようとした言葉を切った。自分よりも3歳ほど年下の青年は、こうして前髪を下ろして眠りについていると随分と幼い顔つきをしているのだなと思って思わずその表情をまじまじと見つめる。

「・・・・俺の故郷ではまだ成人じゃない、か」

ホットミルクを差し出されたときに言われた言葉がよみがえる。20年生きてようやく成人と認められるような国だ、きっと平和なのだろう。体が出来上がる15歳になれば大人の仲間入りをするのではなく、更に5年の猶予が認められる様な場所だ。きっとそれはルグニカよりも、そして彼を取り巻く現状にくらべたらとても甘くて優しくて、きっとあの温められたミルクのような、そんな場所ではないのだろうか。それを思うとあの時の王選での彼の幼さや、過ちも分からなくはないような気がした。体は大人でも、まだその心は子供に近かったのだろう。もっとも今はその幼さもなくなって、ずいぶんと騎士らしくなったように感じる。白鯨討伐から始まったスバルの感嘆すべき功績の数々。プリステラでの演説も、行動も、もはや誰も彼のことを愚かな子供だと笑えはしまい。

握られていないほうの手で、ルグニカでは珍しい黒髪を撫でる。彼の故郷はどこなのだろうか。少なくとも20歳まで子供であることを許されるような国をユリウスは知らない。この世界はそんなに甘くはない。

「・・・・・ん、」

子供がむずがるような甘えの混じった声をあげて、スバルが身をよじった。その拍子にさらに手をぎゅうと握りしめられて、少々焦る。これでは穏便に引き抜くこともできなさそうだ。きっと恐らく起こしてしまう。そうしたらやはり、彼は不機嫌になるだろう。ユリウスに弱みを見られることを、スバルは一番嫌がっているようだったから。

髪を撫でる手を止めて、どうしようかと逡巡した。ぽかぽかとつながった手は暖かく、スバルの悪夢も架橋は通り越したようだ。先ほどに比べれば穏やかになった表情と、額によっていた皺がなくなったのを見て、ため息をつく。ベアトリスが最後まで、スバルのそばを離れることに渋っていた理由がわかってしまう気がした。いや、わかってしまった。

「起きているときは誰にも頼らないくせに、寝ているときは素直なのはどういうわけなんだ。君は・・・」

皆の気も知らないで、と嘆息したユリウスの気持ちなど知らぬと言わんばかりに、今度は何の夢を見始めたのだろうか。手に入れたぬくもりにすがるように頬を寄せて、スバルはとても幸せそうな顔をして笑った。