だんしょーす
2016/10/26 14:53

目が覚める。清潔そうなクリーム色の天井が見える。何度も見たあの優男の顔はない。血の匂いもしない。嗅覚と視覚でそれを確かめて、やわらかなベッドの上から起き上がる。どこかもわからないこじんまりとした個室、そこにスバルは寝かせられていた。どうやらようやく、あの悪夢のループから抜け出せたようだ、と安堵の息をつく。

「あ、いて……」

ズキリと痛む脇腹には包帯が巻かれていた。しかし痛みは随分和らいでいる。包帯に血はほとんど滲んでおらず、ただ、傷口が開かないように巻いてあるだけのようだった。

「……スバル、起きたのぉ?」
「エレノアさん!」

かつ、かつ、と靴の音がして開けっ放しになっていたドアからひょこりと狐の耳が覗いた。柔らかなバター色の毛並みと特徴的な語尾。エレノアだ。つい先日ぶりだというのに随分と久しぶりに出会った気がして思わずベッドから駆け下りようとする。

「イテッ!えっ!?やばいめっちゃ痛い!めっちゃ脇腹痛い!!」
「あっこら、だめでしょぉスバルは一応まだ絶対安静なんだよぉ」

途端にズキリと走った脇腹の痛みに思わずもんどり打つ。床で無様に転がったスバルの元に慌ててエレノアが駆け寄ってきた。心配そうにこちらを見る彼の体に何も傷がないことを確認して安心する。非戦闘員だと言われていたのだ。もし何かがあったら、と気がきではなかった。

「エレノアさん!怪我してないか?!大丈夫か?!」
「なんで元死にかけに僕が心配されてるんだろうねぇ。自分で自分のことがわかっていないのかねぇ」
「いつもの辛辣ありがとうございます!」

ふぅ、と悩ましい息をついてエレノアがじっとスバルのことを見つめた。その責めるような視線におとなしくベッドの上に戻る。正座をするとハァ、とため息を吐かれたのでおとなしく横たわってシーツを自分の上にかぶせた。そこまでしてようやく、視線の質が元に戻る。

「・・・半死半生で連れてこられたときはびっくりしたよぉ。なんであの人を付けたのにそういうことになるのかなぁ。まぁ、娼館じゃなくて、別の場所に証拠があると思ってそっちを蔑ろにした僕らの爪が甘かったってことだよねぇ」
「あの人?」
「スバルと一緒にいた騎士さまだよぉ。名前、本人から聞くんでしょぉ?」
「あ、うん」

頷くとエレノアはにっこりと笑った。獣人が笑うと少し凶悪なことになるのをスバルはこの時初めて知った。肉食獣の牙が丸見えである。しかしそんなエレノアさんも大好きだ。何故かってツンのなかにしっかり感じ取れる微かな優しさがあるからだ。

「今は忙しくしてるんだよぉ。だからあとでよんでくるからねぇ」
「あ、うん。わかった・・・・あのさ、なんでエレノアさんは」
「うん?」
「なんで・・・俺にあの人をつけてくれたの?俺なんか、正直普通の男娼だろ。エレノアさんにそこまで心配される要素がよくわかんなくてさ」

そう恐る恐る尋ねると、エレノアはうーんと唸った。じろじろとスバルの顔を眺めて困惑げな顔をされるのに逆に困惑する。何か自分の顔についているのだろうか。それとも誰かに似ているとかだろうか。スバルが自分の顔について何か思うのは目つきが悪いことぐらいだが、こんな目つきに似ている誰かも相当かわいそうだな、と適当なことを思った。

「・・・・スバルは、ここじゃない国から来たんだよねぇ」
「・・・・うん」
「物価も分からないんだよねぇ。少なくともリンガの値段でいろんなものの価値を測ってるよねぇ」
「う、うん」
「話してるとわかるんだけど、文字も読めない常識もない、なのに教養はある程度あるでしょぉ。いつのまにかルグニカにきてたっていってたねぇ。おまけに自分の価値もよくわかってないから交渉しないで、あんだけ客をしっかり取って一人当たり貰えるお金がリンガがたったの10個分でぇ」

エレノアがそこで言葉を切って、部屋に沈黙が落ちる。

「・・・この子、死ぬなって思ったんだよねぇ。文無しのところを拾われた、んだっけ?だからって一人につきリンガ10個ぶんってそんなはした金、あそこの持ち主もスバルも馬鹿じゃないのって思ったんだよねぇ。そんなの、ちょっとお使いすればもらえるぐらいの値段だよぉ。だから、出かけるときに財布にお金入れてさぁ、あとで渡そうと思ったらスリに合うしスバルはのこのこ戻ってくるし、あの時はいっそ僕が殺してやろうかと思ったねぇ」
「う、そ、それは」

少々恨みがましい物が混じった言葉に思わずたじたじとなる。しかしやっぱりもらうお金はかなり安かったらしい。なんかハチャメチャだな値段設定が、と思いながらもらっていたがどうやら交渉もできたらしい。いろんなチャンスを逃していたのでは?と思いながらエレノアからのお小言をおとなしく聞く。

「……別に怒ってるわけじゃないんだよぉ?結局スバルのおかげで、告発出来たんだからねぇ・・・あの薬は、本当に危ないから」
「うん……あの、ほかの、働いてた奴らは?」
「保護できてるよぉ。あの人が入り口ふっ飛ばしてくれたからねぇ。中で殺されてたのが多かったけど、なんとか助かった子も……本当に、ここらへんは僕らのミスだねぇ……」

あの娼館は2つの館に分かれているのだ。商品と用心棒のいるところ、それから護衛とその主がいるところ。エレノアによると、彼らは後者を襲ったらしい。そこに重要な証拠があると踏んで。

「簡単な書類はあったけど肝心の物がないとねぇ。流石にこちらも動けなくて、……ウルヒューマがばんばん別棟の入り口に飛ばされたときはやられた!って思ったよぉ」
「それってまずいのか?水をかければよかったんじゃ?」
「そこからなのぉ?……魔力で作った火は中々消し止められないんだよぉ。スバルって本当に不思議、まるで記憶がないみたいだねぇ」

頭でも打ったとか?と心配そうに頭に向けられた視線に思わず肩をすくめる。記憶は全てあるがこの世界に関する知識はない。地球のことを話した際に頭がおかしいと思われた記憶があるのでスバルはもう話さないことに決めている。どうやらこの世界には「異世界」という概念が無いようなのだ。つまり概念がないので、どう説明しても酸素欠乏症かもしくは頭のおかしいやつ扱いされる。持ってきたものが何もかもチンピラに奪われて、特に証拠もないのも問題だ。

「記憶喪失、いいね。これからその設定で行こうかな俺」
「……教えてくれる気はないのかなぁ」
「もうちょっと、待っててもらっていいかな。事情話したら嘘言うなってボコボコに殴られたことあるんだよね。だからまだ言いたくない」
「ああ……うん。わかったよぉ……」

しょうがないねぇと肩を落とすエレノアに頭を下げる。自分の事情は話さない。どうせ信じてもらえないからだ。そのかわりにどうしても礼が言いたかった。きっと彼がいなければ、スバルはあのまま使い潰されて死んでいたのだ。自分のことはだいたいわかる。あの場所に順応など出来はしなかっただろう。きっとその前に心が擦り切れていた。

「本当にありがとう、エレノアさん」
「………」
「ありがとう、ありがとう俺を助けようとしてくれて…っ、」
「……打算がなかったわけじゃないよぉ、スバルは、僕にたくさん有益な話をしてくれたからねぇ…それで、好きで娼館にいた訳じゃないならどうにかあそこから助けてあげたくて……だからそう泣かないでよぉ。僕はスバルを泣かしてばかりだねぇ」

目から涙が溢れる。エレノアの前で、あの男の前で、本当に最近泣いてばかりだと思う。涙腺がガバガバだ。でも、それもこれもみんな優しいからだ。何も返せないスバルにこんなにも優しい。しゃくりあげながらわんわん泣くスバルの肩にそっとエレノアの腕が回される。その体に思わずしがみついて泣くと幼い子供にされるように背中をぽんぽん叩かれて、頑張ったねぇと慰められて、脇腹の痛みも気にならないほど、涙を流した。これまでの全てをそうして流してしまうように。





「もう、絶対泣かないことに決めた」
「ほんとうにぃ?」
「うん。家に帰るまでは絶対泣かない。もう一生分泣いたんだよ俺は」

ぐすぐす鼻を鳴らしながらぽつぽつとエレノアと話をする。ふかふかのしっぽがぱたん、ぱたんと床をリズムよく叩く音が心地よい。ただの音なのだが、それが心臓のリズムによく似ていてまるで子守唄のようだ。泣いてぼんやりする頭の中で、エレノアがそっと脇腹の傷に触れたのを自覚する。滑らかな水魔法で、じわじわと痛みが取れていく。

「強い子だねぇスバルは」
「・・・・俺なんか、よわっちいよ。ただのガキだ」
「強くない子はこんな怪我は負えないねぇ。隣にあーんなに強い人間がいて、それでも自分の身を挺して何かを守ることなんてさぁ、なかなかできるものじゃないよぉ」

頑張ったね、と労わられて、また涙がこぼれそうになった。そうだスバルは頑張った。何故かわからないが何度も死んだはずなのに生き帰って、最後の最後でどうにか死に体ながらも脱出することが出来た。そこはスバル自身も、自分を褒めてもいいと思う。

「・・・・あ、そうだエレノアさん」
「うん?」
「あのさ、俺、娼館の中でへんなことになったんだ。なんか、なんて説明したらいいかわからないけど・・・」

信じてくれるだろうか、それとも頭がおかしい奴だと思われるだろうか。でも、この獣人ならばある程度は信用してくれる気がして、あの不可解な出来事を打ち明けようとする。なんと伝えれば良いのだろう。死んで、でもある一定の場所に戻る。そうだ、あれはセーブポイント、初見殺しの死に戻りだ。

「俺は「死に戻り」を・・・・っ!?」

カチン、と時が止まったように思えた。エレノアの表情も、ぱたん、ぱたんと床を叩いていた尻尾も何もかもが止まる。とまって、スバルだけが動いている。いや動いているのはスバルの体の中だ。そこに何かがいる。何かがそこにいて、スバルの胎内でうごめいている。

「っが、ぁ!?」

する、とその何かが心臓を撫でる。