2016/10/18 01:26

ナツキスバルがそこにいるのは単純な話だ。異世界トリップしたらチンピラに絡まれ、しかしチート能力で逆にチンピラをぼこぼこにし、都合よくスバル好みのヒロインに出会ったり召還師の女の子に出会ったり――などするわけもなく、有り金も何もかも全部奪われて襤褸雑巾のように路地裏の端っこで転がっていたスバルを拾ったのがその主人であったという、そして何もかもなくしたスバルが縋れたのはその手しかなかったという、ただそれだけの話だった。

「22番」
「うぇーい」
「返事ははいだろうが」
「はぁーい」

やれやれ、とこのあと待ち受けるだろうことを思うと途端に重くなる足を引きずりながら札を受け取る。首に嵌った赤い革の首輪が気道をじわじわと締め付けているような気分にもなる。実際はその首輪は憎たらしいほどにぴったりとスバル専用に誂えてあるのだから、そんなこともないのだが。

「お客様の前ではそんな態度をとるんじゃないぞ」
「はいはい、わかってますって。俺がこんな舐め腐った態度をとるのもあんただけですって。特別だよ特別」

この現実感のない会話も何度交わしたことか。ひらひらと手を振って脱がしやすいように薄い布で出来た服を身に纏いながらゆらゆら歩く。女の子が履くようなかわいらしい下着はどうも、何度身に着けてもなれない。具体的には息子のポジショニングが悪い。しかし手を入れて治すわけにもいかないのが問題である。そんなところを見られたらたぶん鞭打ち10回では済まないからだ。

「あーあ・・・」

どうせならもうちょっとこう、肉体労働は肉体労働でもこう・・・。ガチで職人さんとか大工さんとかそういうのがよかった。なんで性的な肉体労働を異世界で行わなければならないのか。それも同性相手にだ。

憂鬱な気分になりながら、札に書かれた番号がついている部屋の前で立ち止まる。今日の客はどんな客だろうか。変なプレイとか求められないといいな、と思うと少し目から汗が出てきた。拾われた直後にさっそく客を取らされて、それがまたド変態にもほどがあるやつで、大量の金を積まれた代わりに変な薬をバカスカ打たれて慣らしてもいない後孔を突かれながら盛大に絶頂したことは記憶に新しい。多分水魔法とかいうヒール的な魔法の使い手がいなかったら死んでたと思う。てか一回死んだような気がする。

しかし、まぁ、少なくともあれ以上の何かでなければスバルの心は一応耐えられる。たとえそれがいい歳こいたおじさんで、丁度いい感じに罵られながら自分の穴をスバルのナニで掘ってほしいとかいう変態だったとしても。あっまた目から汗出てきた。

「うっぐすっ死にてぇ・・・」

嗚呼地球のお父さんお母さん。あなたたちの引きこもりだった息子は何故か理由もなく異世界トリップして、主に同性に性的な消費を受けて今日も元気に心が死んでいます。





「尻が爆発しそうだ助けてくれエレノアさん・・・!」
「あっおバカさんがまた来たぁ」

今日の客はスバルを掘る側だった。こんな目つきが悪くて顔もそこまで良くなければ体つきもあんまりよくない自分の何がそんなにいいのかわからないが、一応スバルは売れっ子なほうである。異世界でモテ(?)ることがこんなにうれしくないことだったとはさすがにスバルも想像していなかったことだった。

ちなみに一日に取る客の数は平均2人、多くて4人。それで休みは週に二日。今日の客は幸いなことに3人で打ち止めだった。ひりひりする尻を抱えながら飛び込んだのは娼館一の癒しキャラにして癒しの魔法である水魔法の適性を持つ獣人の控室だ。狐の耳と尻尾を持つ彼の名前はエレノア。客を取るわけでもないのに、切れ長の目じりに薄く刷いた赤が今日もとっても麗しい。本人は娼館で働くのだから、と魔法の才を買われているのに毎日化粧を欠かさない謎の感覚を持っている。

「慣らしてから行けばいいっていっつもいってるでしょぉ。というか拡張すればいいんだよぉ。そうすればもっと負担が減るよぉ」
「これ以上自分の体を作り替えたくねぇよ・・・」
「そお?でもそしたらスバルの負担はへるよぉ・・・僕に頼ることもなくなるでしょ。それとも、まだここから出るつもりでいるのぉ?」
「・・・・・無理って言いたいのか?」
「そりゃあねぇ。君の維持にだってそこそこお金がかかってるからねぇ」

それに売れっ子を手放すわけがないでしょ、とあきれたように言うエレノアにスバルはぐ、と息を詰まらせた。しかし売れなければ出れるのか、というとそれは違う。ただ処分されるだけだ。酷い客に売られて壊されて、スラムのもっともっと奥に捨てられるか、もしくは性奴隷として競りに出されるか。無一文で拾われて、その後はすべての面倒をここで見てもらっているスバルの運命はそのどっちかになる。

「・・・・・っ、もう、いやだ・・・」
「泣かないでくれないかなぁ、スバルはまだましなんだよぉ。売れない子は悲惨なんだからさぁ・・・もう・・・」

ふわふわの尻尾をモフりながらぐすぐす鼻を鳴らすと、それでも面倒見のいいエレノアはスバルの背中をなだめるように撫でてくれる。本来ならば尻尾を触らせる獣人などなかなかいないのだが、モフリストとして国家資格の一級認定を持つスバルのテクニックにかかれば許可はすぐに下りた。たとえここが異世界でスバルが働いている場所が男性メインの娼館であろうと、モフは正義、モフは正義なのであった。

「はぁい、治療おわったよぉ」
「・・・・・さんきゅ、エレノアさんいなかったらたぶん俺は死んでいた」
「また変な言葉使ってるぅ。まぁお仕事だからねぇ、・・・スバル、また痛いところがあったらくるんだよぉ」
「エレノアさんめっちゃ優しい!くそっ!俺が金を持ってたらすぐにでもエレノアさんをこの変態どものすくつ、何故か変換できないから救い出してやるのに!」
「残念だけど立場が逆だよねぇ。あと治療する人数が多いほど僕の給料が増えるんだよねぇ。ある意味スバルは僕にお金を落としてくれる金払いのいい常連さんだねぇ」
「辛辣っ・・・!エレノアさん辛辣っ・・・!」

EMS(エレノアさん・マジ・辛辣)と嘆きながら尻の痛みは完治、心の痛みもほんの少しだけなくなったスバルは名残惜しくモフから離れた。もう今日はベッドに倒れこんで、泥のように眠らなくては明日に響く。残念だからスバルの休日は明後日、つまり明日までは客から逃げられないのだ。

「・・・・たぶん、また明日も来ると思う・・・」
「・・・いいよぉスバル。いつでもおいで、僕はずっとここにいるからねぇ」
「うん、なぁエレノアさん。明後日、ちょっと外が見たいんだけど、また連れていってくれない?」
「いいよぉ。前にも言ったけど、スバルが僕にお金をはらえるんならぁ。いくらでも連れていってあげるよぉ」
「うん、うん、大丈夫だ。それは貯めてあるから。ETT(エレノアさんの・ための・貯金)は今日もがっぽり稼いだぜ」
「がっぽりっていうかしっぽりやって貯めたってことねぇ」
「洒落にならないぜエレノアさん!?」

のおおと頭を抱えるスバルにエレノアは笑って、もうお帰りとドアを指さした。それに一旦動きを止めて、しぶしぶとドアに向かうスバルに笑いを含んだ声がかけられる。

「どうもしょぼくれてるみたいだから5割引きでエスコートしてあげようねぇ」
「えっ・・・」
「娼婦がつぶれないようなカウンセリングも僕の仕事さねぇ」
「エレノアさんーーーー!!台無しだからーー!!」
「出血大サービスだよぉ。さぁ、お休みスバル」
「・・・・・うん」

良い夢を、と優しい言葉をかけてくれるこの獣人にスバルはどれだけ助けられたことだろうか。秋の日光、溶けたバター、そんな印象を受けるやわらかい色の毛並みを名残惜しく振り返りながら部屋を出た。なんだかいい匂いのするエレノアの部屋とちがって、外の空気は重いし臭い。香の甘い匂いでも隠し切れない性の匂いがする。それが自分から漂っているのか、それとも娼館に染みついた匂いなのか、スバルにはもうわからないが。

「くっせ・・・」

すん、と鼻を鳴らしながら速足で自分の部屋に向かう。エレノア以外は夜の眠りだけが、スバルを癒してくれる唯一のものだった。




スバルは外に出れない。この娼館は商品の脱出を防ぐために護衛だって山のようにいる。しかし金を払えばその護衛が見張り、という形で外に出ることを許されている。首輪はついたままなので、つまり自分が娼婦であることを、住人に知らしめる形となるが。

「っしゃー!久しぶりの外だーー!」
「ごきげんだねぇ、スバル」
「そりゃそうだよエレノアさん!やっとあそこのおもっ苦しくて爛れてる以外の空気が吸えるぜー!」

ひゃっほー!と辺りを考えなしに駆けまわってスバルは息を切らした。運動不足の体が恨めしい。客に抱きつぶされて、気が付いたら尻とかは処理してあるけどいつの間にか朝、というのもスバルにとっては珍しくない。もちろん筋トレとかは続けているが、持久力などは確実に落ちている。

「エレノアさん!リンガ食べようリンガ!」
「いいよぉ。今の時期のリンガはおいしいものねぇ」

脱走防止、ということでエレノアに手を取られながら、きょろきょろと辺りを見回しながらスバルはある果物店を指さした。店主は随分いかついがああいうところに何か掘り出し物があるかもしれない。例えばリンガが超絶美味いとか。

「こんちは!そこのリンガ4つくれ」
「あいよっ、占めて512銅貨だ。12はおまけしとくから500でいいぜ」
「まじかっ!おっさんありがとな!」

なんでもない会話がこんなにも楽しい。りんごを丁寧に紙袋に入れてもらったスバルが笑顔を浮かべると、顔がいかつい店主も凶悪な笑顔を浮かべた。そうだ、これが日常だ。間違っても男の性器を受け入れたり、奉仕したりする日々は日常とは呼べない。

「エレノアさん。食べよう」
「いいよぉ。僕も久しぶりに色々見て回りたいしねぇ」
「・・・・・うん!」

する、と手を離される。途端に自由になった体に逃げ出したい、という欲望にかられるが、そうすれば罰を受けるのはエレノアだ。恩のある彼にそんなことは出来ない。最も彼はきっと、スバルが逃げても見逃してくれるのだ。それがわかっているから尚更できない。ずるい、と思いながらスバルは紙袋からリンガを一つ出して、エレノアに手渡した。服の端で軽く表面を拭いてからかじると、爽やかな酸味と甘みが口の中に広がる。日本のものに比べれば甘味は少ないが、それでも美味いものは美味い。

「あっエレノアさん。あれも美味そうだぜ!なんて書いてあるんだ?」
「野兎の串焼きってかいてあるよぉ」
「へぇ!ウサギ!そんなのも売ってるんだなぁ・・・」
「・・・結構当たり前のお肉なのに?」
「うん、俺、このせか・・・国のこと何も知らないんだ」

しゃく、とリンガをかじる。名前も味も一見りんごに似ている果実。それすらスバルにはわからない。どこでとれるのか、どうやって成っているのか、この世界ではどんな用途があるのか、どんなつづりを書くのか、何も知らない。あの娼館はそれを教えてくれるような環境ではなかった。

「おっと、ごめんよー」
「気を付けてぇ」

とん、と誰かがエレノアの肩にぶつかった。きれいな金髪が目の端っこに移る。その手がエレノアの財布、と思わしきものをするりと懐にいれるのを見てスバルは思わず声を上げた。

「エレノアさん!財布!」
「え?あっ」
「やべ、バレた」
「っ!スバルッ!」

スバルの上げた声にエレノアが慌てて懐に手をやる。そこに何もない、と見てスバルは人混みに紛れようとする金髪を追いかけた。何も考えずに追いかけた。エレノアが伸ばした手を見てみぬふりをして、追いかけた。






「いっ、いい加減に観念しやがれこの盗人野郎っ!」
「・・・・・にいちゃんしつこいなぁ」

ひーひー息を切らしながらも、どうにかこうにかスバルはスリを追いつめた。土地勘がかけらもないスバルにとってはここはどこあたしは誰状態ではあるが、とりあえず追いつめたことに達成感は得ている。もうだめ、倒れちゃうと思いながらじりじり、女の子とはいえ立派な盗人に詰め寄る。きれいな金髪をしたかわいらしい少女はそれにハァと息をついて、懐からエレノアの財布を取り出した。

「わーったよ。これはあんたに返す」
「・・・・いいのか?」
「いいに決まってんじゃん。てか、それで逃げなよ。あたしの目利きだと2か月は暮らせる量の金が入ってるね」
「は?」
「首輪、あんた男娼なんだろ?あたしがサイフ摺った獣人の男は監視役ってところか」

指摘されて思わず首を抑える。顔から血の気が引いていく音がする。そうだ、今のスバルは人間ではないのだ、首輪を嵌められた商品だ。それを異性から指摘されて、途端に足元が崩れていくような気持になった。がく、とよろめいたスバルを少女がいぶかしそうに見て、ぽんとサイフをほおった。なんとかそれを受け止めて、スリの少女の顔を見る。

「スッゲー顔色してるよ、兄ちゃん」
「・・・・・・俺、戻らなきゃ」
「は?何言って・・・」
「戻らなきゃっ!なんで俺・・・いやだ!エレノアさんが、エレノアさんが俺の代わりに、」
「おい兄ちゃん!落ちつけ!落ちつけって!」

足に力が入らない。財布を胸に抱きながら、壁伝いに歩こうとして崩れ落ちる。少女を追いかける寸前にちらりと見えた、こちらに伸ばされた獣人の細い手が脳裏によみがえる。どうして追ってこなかったんだ。そんなことは知っている。何故2か月も暮らせるような金を財布に入れていたのか、理由だってわかる。リンガを食べるためと言って離された手。いつだってあの獣人はスバルに優しい。

「戻ってどうするんだよっ!!おいっ!!」
「あ、」
「あ、わりぃ」

肩をつかまれて叱責される。少女の燃えるような赤い瞳が怒りに染まっている。それに怯えるような反応をしたスバルを見て、少女が肩から手を放した。手から落ちそうになった財布を慌てて抱きかかえる。その財布は軽い。軽いが、少女によると大金がその中に入っている。エレノアが用意をした、スバルのための金が入っている。そう思うと重さがずんとました気がした。

「あの、獣人の人は、優しいんだ。すごく優しい人なんだ」
「・・・・別に、兄ちゃんがそうしたいならすればいいよ。あたしだったら逃げるけどな」
「へへ、そうだよな。俺も逃げてぇよ」

でも恩があるのだ。この異世界に来てそう月日は経っていないが、それでも数え切れないほどの恩が。それを考えたらスバルには逃げることなどできなかった。ずっと後悔し続けるだろうことが、自分でわかっていたからだ。

「あの人に誰かが鞭をふるうのは世界が許しても俺が許さねぇ」
「・・・・・自分が代わりになっても?」
「寝てれば治るだろ」
「ふぅん」

スバルの言葉に少女は少し考えるそぶりをした。すこしして、にかっと元気よく笑ってスバルの瞳を覗き込む。紅く燃える瞳が眩しい。自分の死んだような瞳とは違う、生の色だとスバルは思った。

「兄ちゃん、名前はなんていうんだ?」
「・・・あ?俺?俺は、・・・ナツキ、スバル」
「あたしはフェルトって言うんだ。兄ちゃん、もし逃げ出せたらスラムに来なよ。あたしの名前を出せばちょっとはどうにかしてやれるよ」

手を差し出される。思わずその手を握る。スバルよりも小さいのに力がある少女に引っ張られて、スバルは立ちあがった。自分よりも大きなスバルを仰ぐように見て、また少女は、フェルトは、太陽のように笑った。





「っ、ぐ、い、いてぇっすエレノアさん」
「僕はねぇいまスバルのバカさ加減に呆れてるところだよぉ」

背中と内臓がめちゃくちゃ痛い。エレノアの財布を握りしめながら娼館に帰ってきたスバルをまっていたのは20回の鞭打ちだった。明日からは毎日4人は客を取らせられるな、と思いながらエレノアの治療を受ける。特に鞭で打たれた後も、暴力を振るわれた様子もなかった獣人の男は、護衛に担がれて部屋まで運ばれてきた満身創痍のスバルに息を飲んだ。

「・・・・・なんで戻ってきたの?」
「え、エレノアさんがボコにされると思っ、て」
「あのねぇスバル、僕は男娼じゃないよぉ。ここで、しっかりお金をもらって雇われてるんだよぉ」

だからスバルのぶん、お金を払えばおしまいだったのさぁとエレノアが言った。

「馬鹿だなぁ、スバル。世間知らずで常識もなくて、本当に逃げられないよぉ」
「・・・・いい、俺は金を貯めて、それで堂々とここから出てやるんだから」
「それはなかなか難しいねぇ、じゃあ僕とのお出かけもしばらくはお預けかなぁ」
「いやっちょっとそれは俺の心の清涼剤っていうかエレノアさんとお出かけ出来ないと俺の心がブロークンハートしちゃうっていうか!?」

そんなことを言われて診療台として使われているベッドから上半身を起こす。まだ治療は終わってないと言われてしぶしぶ体勢を元に戻したが、月に一度ほどしか出来ないお出かけをなし、と言われるのはきつかった。エレノア以外に特に仲良くしている人間もいないスバルである。同僚と一緒になんてのは出来ないし、そこらへんの護衛と一緒に出掛けても全然楽しめないまま戻ることになるのはわかりきった話だ。

「はいはい、まぁ、次はたぶん僕と一緒には出掛けられないねぇ。スバルを一度は逃がしちゃったからねぇ」
「う・・・・」
「我慢してねぇ、スバル。ここでは我慢することしか君にできることはないんだよぉ」

さらり、と言われた言葉が胸に突き刺さった。何も言えずに黙ったスバルの背中をエレノアが優しくなでる。マナ、と呼ばれるそれがエレノアの掌を介して体のなかを巡るのは最初はどうも慣れなかったが、今ではもうその妙な感覚にも慣れたものだ。じわじわと取れていく体の痛みに安堵の息をつきながら、シーツに頬を押し付ける。出すはずじゃなかった涙がぽたりと垂れた。

「スバル」
「・・・ぅ、う、うう・・・」
「ごめんねぇ、泣かすつもりじゃなかったんだよぉ・・・」
「な、泣いてなんかない。これは心の汗ですっ・・・」
「泣いてるよねぇ、ごめんねぇスバル」

君はどうしてこんなところにいるんだろうねぇ、とエレノアがつぶやいた。スバルにもそれはわからない。ただ、何もかもを無くしたスバルを拾ったのがこの娼館の主人で、拾われたのがスバルだった。ただそれだけだ。それだけでスバルはずっと、ここに囚われている。

「帰りたい、帰りたいよエレノアさん」
「・・・・スバルはどこからルグニカにきたのぉ?」
「わからない。気づいたら、この国にいて、拾われて、ここに来た。だから、なんにもわからないんだ、俺・・・・」

いつの間にか外は暗くなっていた。ちち、と小さな音を立てて甘いにおいがするろうそくが燃える。むき出しの背中に触れる優しい指を感じながら、スバルはぽつぽつと、そんなことを語った。エレノアは黙ってそれを聞いていた。いつもなら帰れと言われる時間になっても何も言わないことも、いつもならすぐに直してしまう怪我をゆっくりと直してくれることも、全てが優しくて、またスバルはこっそりと泣いた。




ごう、と音がする。何もかもが燃えていく。背中に背負った男の、か細い息が首筋にわずかにかかることだけが、それだけが彼が生きていることの証だった。

「死ぬなっ、死ぬなよ!絶対に助ける、絶対にっ・・・!」

ガラガラと壁が崩れる音がする。黒い煙にゲホゲホと咳き込んで、顔から鼻水や涙をたらしながら必死に足を前に進めた。今日、スバルが割り当てられた部屋は娼館の出口から遠く離れていた。元から自分の運が良いとは思っていなかったが、こういう時に限ってその悪さを発揮しなくてもいいだろう。

「ま、まだ名前も聞いてねぇんだ。エレノアさんがいれば必ず助かるから、なぁ・・・」

背中に背負う男は何も答えない。煙に焼かれた喉が痛い、酸素が足りなくて息苦しい。はぁはぁと荒い息を吐きながら、スバルは前に進んだ。外からは悲鳴が聞こえる。燃える娼館の周りにきっと沢山野次馬がいるのだろう。恐らくこのルグニカという国の警邏も来ているだろう。そうすればこの男は助かる。助かることが出来るはずだ。

「絶対に、助けるからっ・・・!」

あろうことかスバルをかばった男の腹はじんわりと赤いもので濡れている。スバルの手を伝わって、ぽたぽたと垂れる命のしずくが、その生暖かさが恐ろしい。

ガラガラと何かが崩れる音がする。絶対に死なせない、と、そう叫んだスバルの上に、炎に焼けて大きく崩れ落ちた天井が落ちた。




最近やけに娼館の中がピリピリしているな、とは思っていた。護衛は妙に増えたし、客も選ばれしもの、みたいなやつが増えてきた。具体的に言えば育ちがよさそうだが人には言えない趣味を持つドスケベとか、やけに傲慢で偉そうな客とか、成金とか、そういうやつだ。

「・・・・エレノアさん、なんか最近この店おかしくねぇ?」
「僕にはわからないかなぁ、ただ雇われてるだけだしねぇ」
「そう、か?護衛っつーかなんつーかボディーガード兼裏家業もやってますみたいなやつらも増えたし客もなんか・・・」
「スバルが言うならそうなのかもねぇ。金はねぇ、持ってる奴ほど頭がおかしいからねぇ、気を付けたほうがいいよぉ」

今日も今日とて後孔の治療をしてもらいながらスバルはエレノアにそう愚痴をこぼした。未遂の脱走劇の後からエレノアはなんだかスバルに対してちょっぴり優しい。ブラックコーヒーに小指の先ほど砂糖を入れた、ぐらいの違いだが、以前に比べれば世間話(?)にも付き合ってくれるようになったと思う。

「・・・そうかも、この前もなんか変な薬打たれそうになったし」
「打たれそうになってたんじゃなくて打たれてたんだよぉ。前後不覚になったスバルの治療をしたのは僕さぁ。2日間たっぷり寝てたから疲れも取れたでしょぉ」
「まさかの!?ってことは俺の体感時間と現実の時間にめちゃくちゃずれがある!?」
「そうだねぇ丸々二日分あるだろうねぇ」
「おかしいなエレノアさん、それだと本来俺がもらうはずの休みが消えてる。どうしてだろう」
「二日間寝てたのが休みになっちゃったんだねぇ」
「なんというブラック会社・・・!知ってたけどっ・・・!」

まさかの事実に思わずうなだれる。道理で休日出勤させられたはずだ。本来ならばゆっくりごろごろ部屋で腐っていられた時間がまさかの形で消費されていたとは夢にも思わなかった。一体何を打たれたんだ、と少々不気味に思いながらまだ注射痕の残る腕をさする。そうだ、最近は何かがおかしい。以前はこんなことはなかったのだ。

「・・・なんか、怖いな」
「うん、気を付けるに越したことはないからねぇ。本当に、気をつけなさい、スバル」
「・・・・・エレノアさんが言うと余計怖い」
「ひどいなぁ、これは善意の忠告だよぉ」

肩をすくめたエレノアに冗談だと笑いを返してスバルは彼の部屋から出た。甘い香の匂いと饐えた性の匂いが混ざった嫌な空気。それとともに以前は聞こえなかった悲鳴が聞こえる。嫌、やめて、と泣いている声には聞き覚えがある。何度か言葉を交わしたこともある、スバルと同じ男娼の声だ。

「っ・・・」

どこかがおかしい、何かがおかしい。以前は客にそんなことをさせなかった。まるで、まるで娼婦を使いつぶすような、ここはそんな場所ではなかった。自由はなかったが人権はあった。商品だから、とよほどの大金を積まれない限りは傷つけさせもしなかったし、薬を打つこともしなかった。エレノアの治療を受けながら、それでも二日眠り続けるような代物だ。スバルの体質に合わなかったのかもしれないが、ろくなものじゃないことはわかっている。

嫌な予感がする。引きこもりだったときの話だが、誰にも出会うことのない気楽な夜中の散歩中、あちらこちらで待ち受ける職質を潜り抜けてきた勘は伊達ではないはずだ。鳥肌が立ちはじめた腕を抱いて足早に廊下を通り抜ける。ようやく自分の部屋に戻っても、その悪寒は止まることがなかった。



その客に出会ったのはエレノアと会話をしたその次の日だ。22番、と番号を呼ばれて仕方がなく札を受け取る。以前と変わって必ず言われる文句、決して粗相の無いように、を聞き流して憂鬱なため息をつきながら部屋まで向かう。

「・・・・こんにちは、お客様。御指名いただきました、ナツキスバルです」

適当な文句を口にしても、何故かスバルは怒られたことが無い。スバル本人にはよくわからないが、それがウリらしいのだ。ちょっとぶっきらぼうなところがいいらしい。だからスバルもしっかり使えない敬語は使わないようにしている。なんせそれで貰える金が増えるなら、わざわざ使う必要もない。

「君が、ナツキスバルか」

部屋の中でスバルを待っていたのは美しい紫色の髪をした美丈夫だった。君が、ということは誰かに紹介でもされたのだろうか。椅子に座りながらじろじろこちらを品定めするように見られてすこし落ち着かない。しかし美形だった。美しいものや可愛いものが大好きだと、自他ともに認める面食いのスバルにとってはかなり目の保養だった。こういう場所に来る美形というものはなかなか珍しい。何故なら美しいと相手が寄ってくるからだ。けっ。

心の中で唾を吐きながら、男のそばに近寄る。ベッドではなく椅子に座っているのはそこで奉仕をしろってことだろうか。椅子に座って待っていた客、というのはあんまりいないのでどうすればいいかわからなかった。大体はベッドで待ってるから、スバルは服をポイポイ脱いで一緒にベッドインすればそれで事足りたのだ。

「・・・・舐めさせてもらっても?」
「ん?あ、ああ。どうぞ」

いやどうぞじゃねぇだろどうぞじゃ。明らかに全然娼館慣れしていない男は何のためにここに来たのか。自分からは一切動こうとしない男にじれて、ズボンに手をかける。下履きをゆっくりずり降ろすと全く反応していない性器が待ち受けていた。いままではこう、頬にべしっと当たったり鼻に直撃して悶えたりとそういう事例がなかったわけではないのでスバルは少し拍子抜けした。まさかぴくりとも動いていないとは思わなかったのだ。

まぁ明らかに付き合いっぽいしなぁと思いながら男の性器をゆっくり口に含む。萎えていてもそれなりの大きさを持っていたので一気に咥えることはせずに、まずは亀頭へ刺激を与える。どっちにしたって立ってくれなきゃスバルもどうしようもない。

「・・・・、ぅ」
「ん、んんん・・・・」

ふ、と男が息を飲んだ音がした。それと同時に口の中で大きさを増した性器に心の中で笑みを浮かべながらゆっくりと竿の部分を飲み込んでいく。勝った。何にとは言わないがスバルだって男の子なのでどこが気持ちいいとかは大体わかっているつもりだ。しかしどんどん上を向き始めたそれに口蓋を擦られるのがちょっと気持ちよくて悔しい。つるつるした亀頭がそこをざらざら押すたびに鼻にかかった声が漏れる。ここに来るまでは知らなかったし、永久に知りたくなかったことなのだが、残念ながらナツキスバルのそこは性感帯だった。

男の下半身に顔をうずめたスバルの頭を抱くように男が背中を丸めた。後頭部に男の熱い手と荒い息を感じながら、飲み込めない竿を手で擦って、先端を喉奥に押し込む。もう吐かないようにするテクニックも身に着けた。どう考えても世界で一番身につけたくないテクなことは間違いない、こういう時は自分の器用さを恨む。

「・・・そのままで、いいから、聞いてくれ。合っていたときは、少し声を、出して、くれれば・・・・その、こういった行為を君がするとき、護衛は、外で、待機しているのだろうか」
「・・・・・ぅ、」

は、は、と男の息がスバルの耳にかかった。やめてくれ、俺は耳も弱いんだ、と思いながらそう耳打ちされた言葉に思わず手を止める。進めて、とささやかれてまた手と舌と口を動かし始めたが、心はそこにあらずだ。今この男は何て言った?という気持ちがスバルの心の大半を占めていた。

「・・・・・ん、」
「そう、か。最近、この、娼館では、薬を、つかうことが、増えてはいない、か?」
「・・・・んん、っ!」

なんで知っているのだ、とスバルが目を見開いたその隙に男の腰が動いて、がちがちに膨らんだ性器が一気に奥まで突きこまれた。あ、出すんだなと思って抵抗せずに喉奥に精液が出されるのを甘受する。髪の毛をつかんだ腕の力が抜けたのを確認してから、萎み始めた性器をじゅ、と吸って尿道の中に残ったものも全て吸い出す。それにびくりと体を震わせた男が面白かった。

「んん、ん、けほっ」
「す、すまない」
「いえ別に、仕事なんで」
「・・・・・・・それも、そうか。そうだったな」

随分といろっぽい表情をしながらはぁ、とため息をついた男がズボンをあげた。もうしないのだろうか、と思っているとひょいと体を抱き上げられて、ベッドの上に落とされる。どうやらこういうところは初めてでも、そしてその目的が恐らくだが娼婦を抱くわけじゃなくとも、出された膳はしっかりいただくタイプらしい。安堵なんだかなんなんだかよくわからない気持ちを胸に抱えながら、男の手が太腿をゆっくりと撫で上げて、自分の下半身に触れるのを、スバルはどこかぼんやりしながら見ていた。





頑張れば引きちぎれそうな薄い服も、女ものの下着も、今は皆ベッドの下でかわいそうなぐらいぐしゃぐしゃになっている。何故か全く脱ごうとしない男と比べてスバルは真っ裸だ。あまりにも滑稽すぎる、と思いながら自分の性器をぬるぬると擦っている男を見る。なんだか目の前の男があまりにも美形すぎるのと、あまりにも優しすぎるので現実感がいまいちない。別にスバルに抱かれたい、という雰囲気でもないのでおそらくスバルは抱かれる側なのだろうか、それにしては全く攻めてこない。攻めあぐねている、と言ったほうが正しいだろうか。

「・・・・あっ、いやだ、そこ、やめ、・・・ぅ」

まるで先ほどのフェラのお返し、とでも言うようにぐりぐりと亀頭を擦られる。恐らくノンケな彼に、男の喘ぎ声を聞かせるのは忍びなかったが出てしまうのは仕方がない。いや、スバルもノンケなのだが今はちょっと娼館に毒されている。さっきの男の痴態は正直今まで見てきたどんな男の表情よりもエロかった。ベストオブおかずの上位に食い込むぐらいだ。

びくびくと体を跳ねさせるスバルを見た男が荒い息をつく、ちらりとその股間を見るとゆるく勃ち始めているのが見て取れた。しかし服を脱がないのが地味に腹が立つ。勃ってんなら出せ、やるならやれ、そんで早く俺を解放しろ。そう思いながらそっと足を延ばしてぐりぐりとそこを押した。

「・・・・っ、何を」
「ふく、脱がないんすか」
「・・・・ああ、少し事情があってね」

馬鹿真面目に言われた言葉にぽかんとする。スバルの顔を見てバツが悪そうに顔をしかめたのを見て、思わず笑い声が漏れた。つまり別に自分を抱く気はないのだ、そんなに股間を膨らませて、一応欲情してくれているというのに!こいつ馬鹿だ、と思いながら足に当たったままのふくらみをまたぐりぐり責める。ぐ、と息を漏らした男がとがめるようにスバルを見た。

「・・・・顔、寄せてください」
「・・・・?」

訝し気な顔をしながらもこちらにその麗しいご尊顔を寄せてきてくれた男の頬をそっと両手で覆う。男の髪がすこし眺めで助かった。おそらくこちらを監視してるだろう護衛をごまかすために、キスをしているふりをする。すべらかな頬に唇を押し当てて、見られているから、といえば手首を優しくつかまれた。

「・・・・なんの目的でここに来たのかは知らない、でも、しないのは、おかしいです。服を、着たままなのは百歩譲るとして」
「そう、か」
「別に俺にいれなくってもいい・・・後ろから、太ももで挟めば、してるように見えるから」
「・・・・すまない」
「いや、俺も、最近ここはおかしいと思ってたんで・・・それを解決してくれるなら、全然協力しますわ」

にや、と笑ったスバルに驚いたように男が目を見開いた。次いでその目が緩く細められる。明らかに機嫌よく笑った男はやっぱり美形だった。それもドのつく上玉だ。畜生イケメンは何をしても似合うぜ、と思っていたら不意打ちで耳を軽く噛まれて不覚にもスバルはまた嬌声を上げた。




「は、あっ、ぁあああ・・・・、」

過ぎたる快楽は拷問だ。そんなことをスバルはここに来て初めて思った。初体験が薬をキメてのある意味拷問処女開通だったことはさておき、男はやけに丁寧だった。丁寧すぎて死ぬかと思うぐらいだ。今は、入れなくても慣らさないのはおかしいと言ったスバルの言葉を受けてこれでもかと後孔を慣らしてくれている。処女じゃねーんだぞと思いながら、2本の指が中に潤滑油を塗りこめていくのをただひたすら耐える。時折ぐちゅ、だのちゅぷ、だの粘着質な水音が聞こえるのがもう本当に恥ずかしい。

「ゃ、もういいっ、もういいからっ・・・」
「・・・そうか?」
「そ、それで平気だからっ!」

ぐ、と前立腺らしきところを押されてひにゃーっと猫のように鳴いてしまってからようやく我に返った。やばい、蕩ける。セックスの上手い男はこんなにやばいものなのか。顔も良ければ前戯もうまい。ちんぽもでかい。これは娼館慣れしてなくて当たり前だ。

ゆっくりと引き抜かれる指が、それすら気持ちがいい。出そうになる声を必死に耐えながら突っ込まれたらもっとやばいんだろうなぁと思って、一瞬で血の気が引いた。毒されすぎてとうとう頭がおかしくなってしまったらしい。俺が好きなのは女の子!俺が好きなのは女の子!と首をぶんぶん振ったスバルを訝し気に見ながら、男が窮屈そうなズボンの前をくつろげた。

「すこし、動かすぞ」
「ぁう」

腰に甘い痺れがたまっている。もっと何かされたら砕けてしまいそうだと思いながら重い体を動かしてうつ伏せになった。必然的に男に尻を向ける形になるのがめちゃくちゃ恥ずかしいことに気が付いてスバルは赤面した。しかしここでやめるわけにはいかない。正常位だと挿入していないことがばれそうだからだ。何が目的か知らないが、娼館の何かを探っているらしい男にスバルは協力がしたかった。商品をしっかりと商品として扱う店に戻ってほしかった。もちろんここからは出ていきたいが、それとこれとはまた違う。ここにはちゃんと、体を売ることを生業として働いている者もたくさんいるのだ。

「っ、」

太腿に熱いものが当てられる。ひく、と期待するかのように自分の穴が動くのがわかってもう泣きそうだった。やばい、絶対見られてる。今すぐ後ろの優男の頭をぶん殴って記憶を無くしたい。いや、それをしたらやばい。あと射精しそう。我慢だ、我慢だナツキスバル。エレノアさんだって言ってたじゃないか。男だろう。

頑張れ頑張れ耐えろ耐えろやればできるがんばれ俺はやればできる子だ。心の中で念仏のようにそう唱えるスバルを裏切るように、すごく熱くて固くて太いもので自分の性器が上下にぬるぬるされたので結局秒で出した。頭は真っ白になるわ体がびくびく跳ねるわちんこはびりびりするわでいろいろとだめだった。この絶頂がいろいろとだめなタイプの絶頂だったことはスバルのバカになった頭でもわかった。

「っんぐ、う、ううぁ、は、ぁっ、あ、・・・・・」
「・・・・だ、大丈夫か?」
「こ、これがだいじょぶに見えるんらったらそうなんだろぉよ」

思わず涙目になる。回らない呂律で憎まれ口をたたきながら男をにらみつけるとなぜかごくりと生唾を飲まれた。おまけに太腿で挟んだそれが途端に質量を増した。

「ひゃ、う、なんで大きくなって…」
「……すまない、すぐに終わらせる」
「あっ、まっ、まって、あっ、あっ、あ、」

達したばかりなのに性器を手で擦られて変な声が出た。孔と睾丸の間を突かれるとそこが甘くしびれてまた変な気分になる。

「なっ、で、そこ、やめっ…!」

やだ、と首をふっても聞き入れてもらえなかった。なにもないはずのそこが気持ちいいのも変だ。また達しそうになる思考の中で、あ、女だったらそこにまんこがあるじゃんと思って、執拗にそこをガツガツ突いていっぱい出したこの男もそうだけどそれに興奮してイッた自分自身が、なんかちょっと嫌だなと、スバルはそんなことを思った。



「……結局出しましたけど、なんか支障とかは」
「いや、支障はない。元々の目的は君に挿入せずに終わらせることだったから」

終わったらピロートーク、とばかりにキスやらなんやらをする素振りをしつつ、熱もなんにもない会話を交わす。そこでさらっとそんなことを言った男に思わずスバルは目が点になった。

「……は?」
「エレノア、という獣人がいただろう?」
「え、あ、はい」
「彼と私は知り合いでね。頼まれたんだ。君の腰が砕けてちゃ計画に支障が生じると」
「さ、左様で、……どんな計画か、聞いても?」

まさかの名前が出てきたことにスバルは驚いた。しかし昨日、彼には珍しくこちらを気遣うような発言をしていたなと思って少し納得する。善意の忠告がまわりまわってこうしてこの男がスバルの元に来たわけだ。ただの男娼、として見るのではなくちゃんと気にかけてくれていたらしい獣人に感謝をしながら男に目的を尋ねた。

「君が打たれたらしい薬。それはルグニカでは違法とされているものでね」
「ああ……」
「君がここでこうして生きてるのはエレノアの御蔭と言ってもいいだろう」
「げ、そんなん打たれたのか俺」
「あとで彼に感謝するといい・・・私たちの目的はただ一つ、この娼館を解体することだ」
「へ、」

男の眼光が途端に鋭さを帯びる。使われた薬はそれほどにやばいものだったらしい。自分の腕に残った注射跡をさすりながらスバルはふるりと震えた。何気に命の危機を救われていたとは思わなかった。これでスバルがあの獣人に命を救われたのは2度めになる。ちなみに一度目はキメセクの後に心臓が止まりかけていたスバルをどうにかこうにか現世に呼び戻してくれた時である。

「恐らく、護衛が増えたのは薬を使っていることを秘匿するためだ。エレノアからはこの娼館を利用する人間も厳選され始めていると、それを教えてくれたのはナツキスバル、君だと聞いた」
「あ、ああ・・・・」
「だから、この場を占拠する前に君だけは確保しておきたかった。君は大事な生き証人だ」

そう耳元でささやかれた後にぎゅっと体を抱きしめられた。ひえ、と声を出したスバルに微笑んだ男が体を離す。

「そうだ。万が一のことも考えて、君の一日は私が買わせてもらった」
「えっ」
「君はなかなか人気があるようだね。予想していたよりも随分と多い金額を言われた。今にして思えば妥当な金額であったが」
「へ?買うってそんなん・・・」

自分の価値をスバルはしらない。ただ、一人客をとったらだいたいリンガ10個分ぐらいの金がもらえることはわかっていた。ちなみにエレノアとのお出かけ代は、基本エレノアが3割だの4割だの5割だの気分で引いてくれるので、正確な値段はわからないがリンガ300個分ほどである。つまり30人と寝ればエレノアと一回はお出かけできる寸法だ。

「それは、ありがたいけど・・・・なぁ、俺の値段、リンガ何個分ですか?」

それは単純な疑問だった。恐らく結構な量がピンハネされてることは知っているが、スバルのもらう給料はスバルが唯一知っているリンガの価値が基準だ。そもそもまだ片手で数えられるほどしか外に出ていないのだから、他の果物がどういう値段なのかすらも知らない。ただエレノアが最初にスバルに買い与えてくれて、それから自分が初めて自分の金で買ったのがリンガだった。だからその値段だけは、スバルはしっかりと覚えていた。

「リンガ?リンガだったら、それはもう数え切れないほど」
「・・・・・あんたが、両手から先の数が数えられないとかじゃなくて?あ、いや、バカにしてるわけじゃねぇよ。ただ俺がいっつも誰かと寝るだろ、お金もらうだろ。だいたいリンガ10個分なんだよね」

へぇー数え切れないぐらいかぁーと笑うスバルの頭の中には300個のリンガに埋もれている自分がいた。エレノアとお出かけできる値段分のリンガである。そしたらエレノアとも休日のたびにお出かけして字だの生きるすべだのなんだの教えてもらえるな、と思いながらにまにましていると、ふと、目の前の男の顔が怖くなっていることに気が付いた。

「え、なに、どしたんですか」
「リンガ10個分、だと?スバル、私が君と一度寝るために払ったのはリンガにすれば3000個、いや、一日分支払ったのだからもっと買えるだろうか。それが、リンガ、10個分?」
「なにそれ怖い」

すっぱりさっぱりケタが違った。まぁそれはともかく、この娼館を取り壊す理由がまた一つ出来た、とばかりに憤る男の顔がやけに恐ろしくてスバルはガクガクと震えた。美形が怒るとすごみがあってこわい、それがナツキスバルが新しく知った真実の一つだった。





それから男は外で待機している護衛に何かを話しに行った。スバルはそこで待っていてくれと言われたので遠慮なく全裸のままベッドでごろごろした。多少体液で湿っている部分もあるが、それを無しにしたってこの部屋のベッドは質がいい。枕だってふかふかだ。

「こういう部屋に住めたら最高だよな……永住したいぜ」

スバルに割り振られた部屋はここを20倍狭くしてベッドの質を20倍悪くしたような場所だ。それでも寝床があるだけマシと言ってもいい。くすくす笑いながら端から端まで転がっていると、いつの間にか男が帰ってきていた。手に持っている紙袋は…パンだろうか。それから何かの飲み物。焼きたてなのだろうパンの匂いを嗅いだらお腹がきゅうと鳴って、スバルは思わず自分の腹を抑えた。

「その様子を見ると空腹なようだね。無駄にならずに済んでよかった」
「えっ、くれるんですか?」
「もちろん、そのために頼んだようなものだ」

上半身を起こして、差し出されたパンと飲み物をありがたく受け取る。紙袋に包まれたそれの匂いを嗅ぐと幸せな気持ちになった。焼きたてのパンなんて、食べるのは随分と久しぶりだ。

「ルグニカでも人気のパン屋の商品だ。この娼館の近くに店がある」
「ふえっ、そんらんぜんぜんしらんかった」
「落ち着いて食べてくれないか。君を見ているとなんだか喉に詰まらせそうで心配だ」

紙袋の中から出てきたのはサンドイッチだった。ハムとレタスっぽい野菜と、マスタードが挟まれている。かぶりつくとパリッと焼かれた耳の部分としゃくしゃくしたレタス、スモークされているのか香りが良いハムの味が口の中で天国の一部を見せてくれた。マヨラーなスバルとしてはここにマヨネーズが入っていないことがすこしばかり惜しいが、そんなことは些細なことだと思ってしまうぐらいにはそのサンドイッチは美味かった。男に母親のような心配をされながらあっという間にそれを食べきる。もらった飲み物は何かの果汁をしぼったものだった。甘酸っぱいそれが喘いでからからになった喉を癒してくれるのがわかる。

「し、染みわたる・・・・」
「それはよかった」

ベッドのスプリングが二人分の体重を受けてギシと軋む。隣に男が座って、スバルと同じように飲み物を飲んだ。男が飲み物を飲み終わったのを見計らって、かすかにこぼれたパン屑をベッドの下へと払い落としてから、こそ、とその耳にささやき声を落とし込む。先ほど聞いて、少し疑問に思ったことだ。

「・・・・・なぁ、この娼館ぶっ壊すって言ってたけど、娼婦とか男娼、殺さないよな?」
「・・・・もちろんだとも。私たちが捕らえるのはここの主人だけだよ」
「そか、よかった。あいつらただ働いてるだけだからさ」

それを聞いて安心した、とばかりにスバルはベッドに寝っ転がった。腹も満たされたし、水分も取ったし、この客は結構スバルを自由にしてくれるっぽいし、あとは寝るだけ、とばかりに体を丸める。キングサイズなのだ、スバルがどこに寝たって男が寝る場所を邪魔することはない。

「おっと、寝る前に下着を履かなくては」
「いやだよそれ、女の子の下着だぜ・・・息子の収まりが悪いんだよ・・・」

床から下着を拾い上げた男が、スバルの言葉を聞いて確かに、とうなずいた。共感してくれるということは着たこと、あるのだろうか。この優男が、女の下着。なんだかんだで似合ってしまいそうだ。それがすこし面白くてスバルはくすくすわらった。

「まぁいいだろう。今は、寝て体力を回復してくれるとこちらも助かる」
「・・・・うぃ、了解っす」
「決行は、夜を予定している。いいね」
「・・・・あい、よるに、はじめる、わかった・・・」

男がスバルの髪を撫でた。とたんに不思議と強くなった睡魔に疑問を感じながらも素直にその欲求に従う。まどろみながらささやかれた言葉を口の中で反芻して、そのままスバルはゆっくりと眠りについた。



久しぶりに質の良い睡眠を取ったスバルの機嫌は上々だった。途中で起こされてセックスの真似事のようなことを再度された時には唸った記憶もあるが、どうにかこうにか宥めすかされて確か一回は出した気がする。てかまた素股された。男がスバルの頭に触れるとなぜかすとんと眠くなって寝てしまうので、体力自体は回復しているが・・・・。

「あんま覚えてないけど、もっかいする意味ありました?」
「せっかく一日を買ったというのに、君を堪能せずに不審に思われて計画が漏れてはまずい。こちらの都合で振り回して悪いとは思っているよ」
「あ、別に。ただ、めんどくさいだろ、男とするの」
「・・・いや?特には」
「え、そう?そんならいいんすけど」

舌を絡めながらひそひそとそんな会話をする。一々手で隠してキスをしているふりをするのもめんどくさくなったのだ。やべぇこいつキスもうまい。どこからばれたのか、上あごのところをべろりと舐められてひんひん声が漏れた。まさかとは思うが一回のフェラだけでスバルの弱点は把握されたのではないだろうか。

「・・・・君、何か薬を盛られているのでは?会った時から思っていたが反応が良すぎる」
「いやあんたの技術がすごいだけですからね!?俺いつもはマグロだよマグロ」
「まぐろ・・・?それはなんだ?」
「まな板の上のさかな」
「ああ・・・」

食べられるのを待つメインディッシュか、とかキザなことを言いながら舌を吸われた。畜生、気持ちいい。何もかもが上手い。やっぱり娼館に頻繁にくる奴とこない奴では差があるんだ。彼女がいるけどちょっとつまみ食いでソープにいくのと彼女がいないからソープに通い詰めるのとでは訳が違うんだ。そんな格差社会を身で持って感じ取ってしまい、思わずスバルの喉からは唸り声が出た。

「、どうした?」
「いやなんでもねっす・・・」

不思議そうにこちらを見つめてくる男に思わず目をそらした。童貞非処女のスバルと違って非童貞処女なんだろうなぁ。そんなところに妙な悲しさを覚えながらちらりと窓の外を見る。燃えるように赤い空をガラスのそとに認めて、もうそんな時間なのだなと思った。いつものスバルならここら辺でエレノアに泣きついている。2,3人の客を取りおわるのが、だいたい今頃の時間だ。

「・・・・・・、」

今日はやけに心も体も安らいでいる。相手をしたのが一人だけだということも、それから体内に性器を受け入れていないのも、美味しい昼飯をとったことも、ゆっくりと睡眠をとれたことも、その全てがなんだかスバルを癒してくれている。まだまだ現状自体は地球にいたころのスバルと比べれば非日常だが、それでもいつもとは全く違う一日だった。

「・・・・あれ、」

ぽろ、と目からあふれたそれが何なのか一瞬スバルには理解できなかった。あれ、いやだな、といいながら必死に目を擦ってもそれはなぜかぽろぽろ出てくる。泣くつもりなんてなかったのに、と困惑しながら男を見ると痛々しそうな目をしていたので、どうやらスバルは相当ひどい表情をしていたらしい。

「これは心の搾り汁なんで」
「・・・・・・」
「ちょっと目から実体化しちゃっただけなんで、その、あんまり見ないで・・・」

やばい、やばい、最中に泣く男娼がいるか。完全に怪しまれる。そう思って必死に顔を隠そうとした。その手を男に取られて、ひぐ、としゃくりあげそうになった声が全部男の唇に飲まれる。

「・・・・ふ、ぅ、」

啄むような軽いキスが優しい。漏れそうになった泣き声を全てどうにかしてくれて男はスバルをぎゅっと抱き締めてくれた。あと少しの辛抱だから、と苦しそうに囁かれた声が、どうにも耳に残った。




腫れた瞼は男が直してくれた。性格もそこそこよさそう、それから顔が良い、セックスが上手い、ちんぽがでかいと来て魔法が使える。俺が女だったら絶対逃がさねぇな・・・と思いながら瞼に触れられる指を受け入れる。すこし冷たく感じるのはヒール的な魔法が水魔法だからだ。エレノアにされる治療の時にも、ちょっとだけひんやりする。つまりいつもの感触だ。

「・・・・あんがと」
「なに、些細なことさ」

礼を言うと微笑まれた。ああこれは落ちる。女の子だったら100%落ちてた。残念ながらスバルは男の子なので落ちはしないが代わりに好感度があがった。俺の心の好感度バロメーターがぎゅんぎゅん上がっていくのを感じる……そんなことを思いながらスバルは息をついた。

「最近、泣いてばかりなんだ。俺、弱くなってるのかな」
「……そんなことはない。スバル、君は消耗しているんだよ。こんな場所にいては、仕方のないことだ」
「うん、…そうだなぁ、多分きっと、それもある。あんた今までとってきた客の中で一番優しいし」

久しぶりに幸せだった。満たされていた。客をとって、部屋に戻って、22番、と呼ばれることがないのがこんなにも安心することだとは思わなかった。休みの日でも、明日が来るのが怖かった。そこまで考えて、違うなと首を振った。幸せだと、そう思うのはこの娼館で迎えるはずの明日が今日で終わるからだ。

「帰りたいなぁ……」
「……君の、故郷はどこなんだ?」
「故郷?俺の故郷は、多分、もう帰れないとこにある」
「それは……」
「俺も、よくわからないけど、多分帰れない。それにこんな体にもなっちまったし、親に合わせる顔がないっつーかなんつーか」

異世界に行って風俗で働いてました!風俗から始まる異世界生活!しかもウリ専です!なんて言えるはずがなかった。あんたたちの息子は男にちんぽ突っ込まれてあへあへ喘いでました、とカミングアウトするようなもんだ。へへ、と笑うと肩を掴まれた。いつになく真剣な瞳がスバルを見つめる。

「そんなことはない」
「え……」
「そんなことはない、スバル、ご両親を見つけたら、必ず顔を見せるんだ。子供がいなくなったんだ、とても心配している」
「……うん」
「故郷に帰る道を見つけるために、私も協力しよう……傭兵のユーリが、君の力になると誓う」
「え、あんた傭兵なの」
「いや、偽名な上に傭兵でもない」
「なんなの?!」
「ここで本当の名前を呼ばれるわけには行かなくてね、すまない」
「あ、いや、謝らなくていいです。えと、ユーリさん」

元々男は上流階級の匂いしかしなかった。傭兵、と言われて驚くとやはり違って、しかも名乗ってくれた名前は偽名で、こりゃかなり上位の奴が出てきたぞ、とスバルは思った。多分腕も相当立つだろう。警察で言ったら警部とかそういう感じの立ち位置にいそうだ。

「……そろそろだ」

ユーリがスバルの腕に触れる。それを合図に下着は履かなかったが上着は身にまとった。まぁほぼシースルーなんだけど、着てないよりはマシだろうと二人で判断したのだ。

「合図が、来るはずだ。私は中から撹乱、仲間は外から攻める。君も共に」
「エレノアさんは?」
「彼はもう逃げ出してるよ。元々非戦闘員だからね。外で待機だ」