坂田は夜中に戻ってきた。
どうやら眠っちまったらしい。スタッフがせーのでベッドに戻していた。どんだけ寝汚えんだ。
メガネの小僧は来なかった。看護師に止められたか、奴のほうについてったか、なんだか知らないがとにかく来なかった。だからなんだという訳ではないけれども。
耳を澄ますと人数分の寝息が聞こえる。
その中でも隣のは格別よく聞こえる。うるせえほどに。俺が窓側で、隣が一人しかいねえせいだろう。
規則正しい呼吸かどうか、無意識に数えていた。今のところ異変はないようだ。
なぜ俺を呼んでいたんだろう。
事の最中でさえ名前は呼ばれなかったのに。
奴の脳内で俺は何をされているのだろう。
途端に身体が震えてきた。
怖い。こわい。
――夜の病院だしな
そうじゃねえよ。たぶん。
でも背筋が意味不明にゾッとして、震えが止まらない。
え、ナイよなナイナイアレが出てたりしないよな? ととと取り憑かれたりしねえから俺、だいたい信じてねえし? ゆゆ、幽霊とかいねえし。
あれ? 震えが止まった。どういうこった。
「やべ。寝よ」
声に出したら余計怖くなったが特に震えたりはしなかった。や、怖くない。怖くないから別に。ちょっと枕が違うと寝付きにくいだけだから。怖くない怖くない怖く……
いつの間にか朝になってた。
坂田は相変わらず目を覚まさない。
なぜわかるかと言えば、飯が出てこないからだ。飯抜きの説明もないからだ。格別に問い質した訳じゃない、聞こえてくるんだから仕方ない。
――熱中症って言ってなかったか
そんなに意識不明が続くのか……?
そうだったらほんとに近藤さんに心配かけて悪かった。ベッドに移されたところで気が付いて、近藤さんが付き添っててくれて、あんま居られねえけどって言いながらだいぶ説教された。俺も凹んだ。二度目なんざバカかってんだ。
『しばらく入院しとけよ? 最近様子変だったから、もともと休暇出すつもりだったのに』
遅かった、と肩を落とす大将に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。総悟にチクチクやられないで済むのはありがたかったけど。
だが事情が変わった。ここじゃ俺は休養できない。誰か、ここから出してくれ。近藤さん。総悟でもこの際許す。山崎、原田、終、鉄……は無理そうだから、佐々木でもいいや。とっつぁんは要らない。ぃようトォシィ隣のベッドにマフィアが寝てるんだってぇ? 安心しろぅオジさんが始末してやるからしてぇ、いーち、とか言ってんのが目に浮かぶ。マフィアはお前。
いつ目ェ覚ますんだ。ビビってねえが、心積りってモンが必要だろうが。ていうか俺は知り合いでもなんでもねえ扱いになる訳だから、気にするほうがオカシイのか。
知り合いでもなんでもねえんだ、現実に。
きっと奴は目を覚ましても、俺なんざ忘れたように振る舞うだろう。俺はそこまできっぱり割り切れない。せいぜい奴の視界に入らないよう、俺の空間を壊されないために自衛するだけだ。声を聞いても、万が一顔が見えても、俺には関係ねえって自分に言い聞かせるくらいが精一杯だ。
早く、出よう。
そのためには禁煙(の振り)もするし、禁酒どころか禁コーヒーもする(出ちまえばこっちのモンだ)。だいたい飯にマヨネーズが掛かってないってあり得ねえんだから、長居は無用だ。
その日の夜も、寝付けなかった。
隣はまだ目を覚まさず、眠り込んでいた。ただ、ときどき言葉らしき音を口にする。
俺は例によって聞き耳を立てている。
「ご……」
今日は、声が湿っている。だいぶ水分が行き渡ったんじゃないか。昨日は声までカサッカサだったからな。
「ひ……た、ご……」
魘されているのか。意識が浮上しつつあるのかもしれない。明日は俺も覚悟しよう。
「ひじ……た、……めん」
え。
俺?
聞き耳を極限まで立てたがそれっきり声はない。
様子を見に、行ってもいいだろうか。
と思った途端に身体が震え出した。
行けない。動けない。
坂田が恐ろしい。
今さら謝んじゃねえよ手遅れなんだよ。どうしてくれる俺はテメェの姿見ようとすると身体に拒否反応出るようになっちまったじゃねえか。みっともねえ。あんなんなんでもねえしテメェが今さら謝ったって増えも減りもしねえンだ、何言ってんだクソ天パ。
カーテン捲ってテメェのツラ見てやりてぇのに身体が動かねえよ。助けて。助けてくれ。誰か助けてくれ。
もうとっつぁんでもいい。本当に誰でもいい。
地獄からの迎えでも。
それがいちばんいい。
ミツバも万事屋もいない世界へ。
誰か、手引きしてくれ。
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