真夜中の万事屋は初めてだ。
辺りは場所柄、灯りが消える様子もない。だが万事屋はすでに真っ暗で、中に人がいるとしても寝静まっているようだった。
イヤイヤイヤ。
女連れで帰ったのにか?
全身が耳になった気分で聴覚を研ぎ澄ます。そのことに罪悪感と、他には……罪悪感しかなかった。まるで覗きだ。近藤さんを窘められない、これでは俺は変質者だ。近藤さんはただのストーカーだ。
インターフォンを鳴らしてみる。
住宅街なら時間帯を考慮して控えめに押すが、ここはそれが通用するだろうか。騒音に掻き消されやしないだろうか。不安に思いつつ押したボタンは、想像以上にデカい音を立てたので、俺の心臓が活発に活動し始めた。びっくりしてねえから。ビビってもいねえから、当然。
しばらく間があって、もう一度押すか押すまいか迷い始めた頃、
「今何時だと思ってんだそして俺が何してたと思ってん……!?」
モサモサの、銀髪頭。
見慣れない甚平姿。
なんとなく全身が怠そうに、着衣も緩く、目だけはハッと見開いて俺を見つめるバカ。
「……ひじかた」
も、し、か、して、俺は、
「あ、イヤ、その……悪かったなこんな時間に、客なら俺は帰るから」
とんでもねえタイミングで―――!?
そそそそんなん普通女優先するだろ、イザってときに来客があったからって律儀に出んなこんな時間に、テメェが言ったんだぞこんな時間て!
「あ? 客はおめーだろ、帰るってなんだ。嫌がらせか」
「いやいや、先客があんだろ悪かったなお前にもつつ、都合ってモンが」
「そりゃありますよ。でも先客はいねーし客は今んとこおめーだけだ」
「……女は?」
「は、」
「たまたま、見ただけだっ……テメェ夕方に、女と買い物してただろうが。だから今日は女連れかと」
「……」
「わ、訳アリならいい。俺はここに来なかったし何にも見なかった。テメェとも会ってねえから」
「……」
「じ、邪魔したな」
万事屋の纏う空気が読めない。いつもと違うことだけはわかる。見開いた目で俺の言い訳を黙って聞き、何度か瞬きし、次に眉を寄せた。
「わざわざ確かめに来たってこと? 俺が月詠連れ込んでねえかって」
つくよ、というのかあの女は。
呼び捨てにするほどの仲、なんだろう。
何を望んできたんだ俺は。万事屋に恋人が出来て、俺に世迷言を吐かなくなる。喜ばしいことじゃないか。
「残念だな。月詠は吉原だ。神楽もな」
「……ッ、」
「おめーが見た食料の山は神楽用。あいつが夏祭りの帰りに向こうに泊まりてえって言うから、てめーの食い扶持くらい持ってけって持たしたヤツ」
「……そう、か」
「そうかって。テメーな、」
万事屋はいきなり俺の腕を引いた。あまりに不意打ちで思わずよろめくと、俺の後ろでぴしゃりと扉が閉まり――カチ、と鍵のかかる音がした。
「テメッ、何すん」
「俺が何してたと思う?」
思いの外近い、万事屋の声と体温。
「AV鑑賞。黒髪でキツめの顔したナースがイジメられて感じちゃうヤツ」
「て、テメーの趣味なんぞ、」
「勃たなくてよ。愕然としてたんだよね。大好きなシリーズなのに」
「だったら……勝手に、続きを」
「なのにさ、ビビって震えてる土方くん見たら何これ。ちんぽ痛えくらい勃ってんの」
「……!?」
「ホラ」
「ひ、」
確かに、当たる。
覚えのある箇所に、覚えのある熱が。硬さが。そして、耳元の熱い吐息が。
「このまんま、ヤっちゃっていい?」
「……ぁ」
「震えてんの。怖い?」
「ちが……」
「じゃあ、気持ち悪ィ? だろうな。おめーは俺の必死の告白、なんだと思ってやがったんだ」
どくどく、どくどく、と何処かで静かに音を立てるものがある。俺の心臓とは別物だ。
万事屋――坂田の、左胸から、
「早くお前だけの幸せを願えるように、顔見ねえで、おめーの周りから消えようって……! なんでノコノコ来んだよ、おめーは俺なんぞ見向きもしねえのに、俺は他の奴とメシ食ってもいけねえのかよ! おめーを忘れようって、努力もさしてくんねえのか!? 俺がどうすりゃおめーは満足なんだ!?」
気づけば玄関先で坂田に押し倒され、浴衣は乱され、
(あ、そんなイヤじゃねえ、かも)
坂田の唇を受け入れていた。
柔らかくはなかったけれど今までしたどのキスよりも気持ちよくて、ずっとこうしていたいと思った。
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