らっしゃい、と店主は陽気に声をかけた。土方は思わず頷いたようだが、黙ってそのままくるりと後ろ向きになった。

「旦那、空いてますぜ。銀さんちょっと詰めてくんな」
「いいよ。俺もう出るわ」

 マヨ野郎の頑なな拒否にこっちも白けた。今日の分の飲み代はちゃんと支払い(ツケはまた今度にしようっと)、立ち上がる。マヨ王子はまだ暖簾の外に居た。
 目がバッチリ合った。マヨはまじまじと俺を見ていた。居心地悪いわボケ。

「空いたぜ。入れば」
「……」
「じゃあな」
「昼間のこと」
「あン?」
「酷い野郎だと思ったか」
「なにが」
「トボけんじゃねえ。あれは向こうが一方的に勘違いして」
「わかってんよ。だから別れさせてやったじゃん。もっとも最後のほうはテメーも満更でもねえのかなァなんて」
「だからそれだ。違うから」
「?」
「一切ない。惚れた腫れたの感情なんぞ俺には……微塵も残ってねえ」


 その言葉よりも、マヨ王子の態度に俺は違和感を覚えたんだ。


「なんで俺に言うの。なんで俺がそれを知っとかなきゃいけないワケ?」


 おめーは俺なんぞ眼中にあるんだかないんだか、一応入れとくけど仕方なくってヤツだろ。
 だったら俺がお前の事情なんぞ気にかける必要はねえだろ。俺がお前のことどう思おうと、お前には関係も関心もないはずだ。
 それともアレか。お前は俺に関心ないけど、お前に関心のない俺は嫌だからひと通り知っとけってか。酷すぎね。

 考えれば考えるほどイライラしてくる。なんなのコイツ。人を苛立たせるために現れて話しかけてんの。ほんとヤなヤツだ。
 振り返らずに立ち去ろうとした。後ろでへっとかうっとか、ヘンな声がしたが気にするのはやめた。


 俺には関係ない。
 そう言ったのはあいつだ。だからこれでいいはずだ。
 なのに関係ないと自分に言い聞かせれば聞かせるほどイライラして、腹が立つ。あんなニコチンコでマヨラーな王子は、俺には関係ないのだ。むしろオマワリの類いは嫌いだ。
 いつの間にか土方はいなくなっていて、俺は万事屋への道とは関係ないところまで流れ着いていた。

「銀さん、ヒドい顔」

 無意識に色街へ向かっていたらしい。馴染みの女の子が俺を見つけて、近寄ってきた。

「フラれたの」
「ンなわけねーだろ。銀さんよ?」
「あはは。じゃあさ、今日は私とつき合ってよ」
「しょうがねえな。今日だけだかんな」
「こないだもそう言ってたよねぇ」
「細けーこたいいんだよ」


 その日は万事屋に帰らなかった。新八と神楽には外泊命令を食らってたし、

(おめーにゃ関係ねえから)

 土方にどう思われようと、俺には関係ないと思ったから。






 暖簾をくぐったら奴がいた。親父に見つかって思わず頷いたが、俺は店を変えるべくそのままくるりと後ろ向きになった。
 親父の引き止める声は聞こえたが、奴に詰めろと促すのも聞こえた。後手に扉を閉めて、どこにしようかと考えた。どこでもいいと思うと逆に特定できなくてしばらく突っ立っていたのかもしれない。

 がら、と後ろで扉が開く音がして、ああここに突っ立ってたら邪魔だなと思い詫びようとすると……銀髪野郎とバッチリ目が合った。

「空いたぜ。入れば」
「……」
「じゃあな」

 奴はそのまま俺の横をすり抜けた。今日の出来事など何もなかったかのように、顔色ひとつ変えずに。

 なぜ責めない。

 不実な男と思っただろう。
 その通りだが今日のは違う。自力できっぱり断れなかったという点では不実ではあったが、社会的地位ってモンが邪魔することはあるのだ。そして今回は確実にそれだった。俺はむしろああいうオコサマは苦手なんだマヨ丼だけは評価するがあれだけ空気読めないんじゃ男でも女でも願い下げだ。

 なのにミツバを差し置いて上司の娘の勘違いに丸一日つき合ってやる俺を、万事屋はどう思っただろう。それだけは確かめておきたかった。
 ところがあの男の答えは簡単だった。


――なんで俺に言うの。なんで俺がそれを知っとかなきゃいけないワケ


 俺なんぞ眼中にないと言いたいのか。
 そうだったな。お前は俺に関心なんぞひとつも持たなかった。ただお前の正しさを以って俺を貶めれば気が済み、それ以外に用事はなかったな。だが今日なんざ絶好のチャンスじゃないのか。さぞかし嗤ったことだろう。
 こき下ろすにはいい機会なのに、万事屋は怪訝そうにそう言い残して、どこかへ消えていった。
 俺は、とんでもない思い違いをしていたのではないか。


 あの男は完全に俺に無関心だったのか。
 俺だけが何か勘違いをして、たまには構ってやらないと向こうから嫌がらせをしてくるから、なんて思い込んでいたけれど、俺が放っておけばあの男は俺に一切関わってはこなかったのではないか。
 最初のうちは確かに俺に説教でもするつもりだったかもしれない。見下して嗤うつもりも少しはあっただろう。だが初めに飲んだときに逃げ出した俺を、奴は問い詰めなかった。不覚にも酔いつぶれたときも、何か説教じみたことを言ったのに俺が聞いちゃいなかったために嫌味も込めて『淋しい』と表現しただけで、それ以上でもそれ以下でもない。独り言が独り言でないと知れば誰でも気恥ずかしいだろうし、何よりも、奴は俺とミツバの間に何があったか知らないはずだ(粗筋は総悟や山崎がペラペラ喋ってるだろうが、俺とミツバが……いや、俺が、どう思っていたか知ることはない)。

 万事屋は俺なんぞ眼中にあるんだかないんだか、一応入れとくけど仕方なくってヤツだったのだ。
 だから奴は俺の事情を気にかける必要はない。俺があの男のことどう思おうと、道理で関係も関心もないはずだ。
 そう考えれば考えるほど愕然とする。なんなんだ俺は。ただ自意識過剰の、ほんとヤなヤツだ。
 立ち去る万事屋に何か言おうとして声を出そうとしたが、へっとかうっとかヘンな声しか出なかった。


 奴には関係ない。
 そう言ったのは俺だ。だからこれでいいはずだ。
 なのに関係ないと自分に言い聞かせれば聞かせるほどイライラして、腹が立つ。あんな糖尿寸前で万年貧乏なマダオが、俺との関係を切り捨てるのだ。この俺が、切り捨てられるのだ。その結果は有難いけれども。

 そうだ。有難いことではないか。あんな如何にも怪しい癖に何度探らせても一向に尻尾を出さない、それこそが怪しい男と縁が切れて上等ではないか。
 一人でいる気になれず、馴染みの芸妓と差しつ差されつといくか、と決めた。

「土方はん、浮かないお顔」

 気がつくとぼんやりと万事屋のことを考えていた。悪かったな、と笑ってやって、でも他に何をすればいいのか思い浮かばなくなっていた。

「今夜はお泊まりに?」
「ああ……呼び出されなきゃな」
「あらいややわ。電源切っておしまいやす」
「そういう訳にゃいかねえが」
「局長はんに、掛けてきぃへんようお願いしはったら」
「はは、逆効果だな」


 その日は屯所に帰らなかった。非番だったし、女を抱くのは武州のときと同じように嫌悪感なんて一切なかった。それに、万事屋に俺がどう映るか、そんな心配はもうしなくていいんだ。
 だが翌朝、茶屋を出たときの衝撃。
 これは、なんだ。


 ――銀さん、またね
 ――今日だけっつってんの
 ――こないだも言ってたってば
 ――細けえ女


 明らかに朝帰り。
 腕に女を絡ませて、文句を言いながらも柔らかく笑う男の顔。
 馴染みだとすぐにわかる会話。

 いいじゃねえか、万事屋も男だ。そういうこともあらァな。真面目につき合ってンのか、遊びなのか……遊びに見えるが案外あの男は義理堅いから。
 心臓が煩い。頭の中がフル回転するのに、体が動かない。
 万事屋と女は二人で笑い合いながらこちらに向かって来た。女がまず俺に気づき、その女の視線を辿って万事屋が俺を見た。


「……土方、」


 初めは驚きで丸かったその目が、みるみる不機嫌さに釣り上るのを俺は、ただじっと見ていた。




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