不思議なことに、ミツバさんへの淡い想いが薄れていくのと共にマヨラーへの罪悪感も消えていった。
道端で会うと気まずかったのが『挨拶くらい普通でいいよな』に変わり、『少しは話してもいいだろ』と思い始め、思ったより向こうが会話を繋いでくるんでまた少しホッとして……と繰り返していたら、元に戻っていた。
もちろん全くナカッタコトになった訳じゃないんだけど。
なんつーか、思えば所詮俺の気持ちなんて恋心ってより憧れみたいなもんだったのかもしれない。
それでもあの人に会ったことを後悔したりしないし、成り行きとはいえ俺を指名した総一郎くんには素直に感謝してる。
何よりニコチン野郎が俺を責めず、何事もなかったように振舞うのに救われた。
ムカつくなんて思うことさえ憚られた当初に比べて、前と同じように腹立ててみたり、張り合ってみたりしてみて、『ああこれが普通だよな』って思えるようになったことが有難かった。
有難いと思うこと自体が前とは違う訳だが、まるっきり同じはあり得ない。
だが仕方ないのだ。何かが起きれば、人と人の関係は変わる。好むと好まざるとに関わらずだ。今までとまるっきり同じはあり得ない。
今も昔も変わらない。
誰かが死んでも、生き残ったヤツには普通の日々が帰ってくる。
好むと好まざるとに関わらず。
自分の行ないに悔いがあっても、生きてる限り『次』はくるんだ。イヤになろうが『今』に縋ろうが、それは避けられないんだ。
自分のことは後でゆっくり悔いる暇がある。そんな暇は欲しくなくても、そこに厳然とある。生き残るってのはそういうことだ。
自分はそれで仕方ねえが他のヤツには出来るだけ『イヤな未来』を過ごして欲しくないだろ?
まあ、自分のためでもある。もちろん。互いの顔見るたびに更に後悔するのは、正直しんどい。
だったら自分のぶんだけ後悔して、野郎のは野郎にさせるってのが筋だと思うわけよ。
ニコチンコがそう思ってるかどうか、そんなこた知らねえが少なくともあいつはあの件に関して、一切語らなかった。
そして俺は、それがなんだか有難かった。
糖尿野郎がだんだん馴れ馴れしくなってくると、どういうわけか俺はムカつくよりいたたまれなくなってきた。
コイツにだけは文句言われたくねえと思ってたしそれは『テメーに関係ねえだろ』っていう意味で腹立つからでもあったが、あの野郎に責められたら返す言葉がないのもわかっていたからだと思う。
総悟を筆頭に、近藤さんや武州時代から一緒だった連中は、何か誤解してる。
確かに惚れてたけど……そんな褒められたモンじゃねえんだ。俺の気持ちは。
あいつに触るのはなんだか躊躇われて、顔だってまともに見られなかったくらいガキだった。
その割りには他の女は全然イけた、つーか寄ってきたのは拒まなかった。結構泣かれたし、女が鉢合わせて気まずくなったこともある。
俺の分類では、ミツバと『その他』だったんだ。
あの頃のことを思い出すと夜中に一人で布団の上を転げ回ってあああああ!って叫びたくなる。黒歴史だ。そりゃ総悟も姉貴をそんな男にやりたかねえだろう。しかもミツバ本人とは碌に口も利けないのに、『その他』の前だとミツバを……あああああ! やっぱ思い出すのも恥ずかしい、
そんな、綺麗なモンじゃなかったんだ。俺の気持ちは。
だからますます申し訳なくなって、彼女の顔が見られなくなった。一緒に来たいと言われたときに、我に返ったんだ。
あり得ない、と。
いっときでもおまえに関わって、申し訳なかったと。
たぶん万事屋は純粋にミツバを喜ばせようとしたんだろう。病とも聞かされず、ただ普通に江戸見物の先導を引き受け、何処を回ったら若い女が楽しめるか考え抜いて、ミツバのためだけに半日を費やしたのだろう。それを苦に思うこともなく。
そんな天パが俺に向かって『どうして大事にしてやらなかったのか』と責めたとしたら、
純粋にミツバのためだけを思えなかった俺は、何と言えばいいのか。
蔵場を討ちに行ったのは、本当にミツバのためだったのか。
幸せにならないと、誰が決めたのか。
俺のモノサシで測るに、彼女は俺の思うようなシアワセに辿り着けなかった。だから邪魔した。
そんだけ、じゃないのか。
そんなこんなにあの糖尿野郎が一切触れず、何事もなかったように振舞うのがいたたまれなかった。
ムカついたのは初めのころだけで、だんだん『こいつのほうがミツバに相応しかったんじゃないか』という、今となってはどうでもいい迷いが生まれ、前と同じように腹立てたくても、張り合おうとしても『ホントに俺にその資格があるか』って思うようになって、いっそ詫びたくなってきた。
いきなり詫びられても野郎にゃ意味もわかんねえだろうし、言わないと知ったら適当な理由つけて首でも取ったみたいな顔で揶揄ってくるだろうことは予測できる。今までならそれに腹立てて、ストレートに怒りをぶつければよかった。
でも、今は?
今はそれを、できる気がしない。
野郎があの件に絡みさえしなければ、もしかしたら以前と同じような態度で居られたのかもしれないけれど。
だが仕方ないのだ。何かが起きれば、人と人の関係は変わる。好むと好まざるとに関わらずだ。今までとまるっきり同じはあり得ない。
今も昔も変わらない。
誰かが死んでも、生き残ったヤツには普通の日々が帰ってくる。
たとえそれを拒絶したとしても。
自分の行ないを悔いる暇もなく『次』の瞬間はやってくる。イヤになろうが『次』に進みたくないと駄々を捏ねようが、それは避けられない。
初めは突然訪れた死が受け入れられなくて、とにかく自分を納得させるのに手いっぱいだったのが、だんだん受け入れざるを得なくなってくる。受け入れた途端、後悔は生まれる。嫌が応でも悔いる気持ちはそこに厳然とある。生き残るってのはそういうことだ。
俺の後悔には俺が向き合うしかない。
だが、俺の後悔にクソ天パを巻き込むこたぁねえだろう?
野郎の顔見るたびに『ミツバだってこいつと居たほうが笑っていられたんじゃないか』なんて考えるのはどうかと思うしそんなのはミツバにしかわからないんだから生き残った俺があれこれ考えても全く何も始まらない。すでに終わったことなんだ。そのモヤモヤを野郎にぶつけるのは間違ってる。これは俺の後悔だからだ。
自分の分だけ後悔して、ヤツを巻き込んじゃならない。なのに俺は未だに野郎が憎たらしいし、隙あらばこの苛立ちをぶつけそうになる。
そしてそれが、後ろめたくていたたまれない。
腐れ天パがそれに気づいてるかどうか、そんなこた知らねえが少なくともあいつはあの件に関して、一切俺を責めなかった。
そして俺は、それがなんだか余計にいたたまれなかった。
「なあ……、あのよ」
「なんだ」
クルクル天パが珍しく歯切れ悪く言い淀む。俺の胸中は相変わらず忙しい。さっさと世間話を終わらせて、一人になりたい。
「その、飲み、行かね?」
「は?」
「……うん。そうなるよな。悪ィなんでも、」
「何が悪いんだ」
「え、そりゃぁ」
「テメーに詫びられる筋合いはねえ」
「……ソコそんなに喰いつかなくても」
「上等だ、飲みに行ってやらァ。金はあんだろな」
「え? ええ? あ、金はあるけど、でも」
「何処に何時だ。ハッキリしやがれ」
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