クリスマス再び 「Merry Christmass!」 「まだ早いけどな。英語できるようになったな、去年はカタカナ……」 「そりゃね!! 勉強したしね!」 坂田はニヤリと笑ってみせた。 その顔は憎たらしいんだけど、やっぱり安心する。 これが見られないと辛い、なんて俺はどんだけこいつに惚れちまったんだろう。 ずい分長いことこれを見てなかった。胸が痛くて仕方ないのに、その痛みに慣れすぎて何も感じなくなるほど俺のこころは冷えきってた。あっためてくれたのは、やっぱり坂田だった。 二学期の中間テストでそれは起きた。 坂田が五教科合計で俺を追い抜いたんだ。 去年のこの時期はまるで離れていて、坂田はよく俺に教わりたがった。俺も教えながら基礎の整理ができたし、お互いにいいことづくめだった。それに、二人でやると……さぼらないし。カッコ悪いとこ見せたくないだろ。その辺は二人とも負けず嫌いなのが上手く噛み合ったんだと思う。 坂田は今までまるで勉強してなかったらしい。全く、何の勉強もしなかったらしい。そんで提出物なんかは高杉や桂に写させてもらって出してて、『写した時覚えるからいいんだ』とか豪語してたらしい。 でも高杉はカレシができて坂田……いや、銀時に構わなくなった。困って桂に写させてくれって頼んだら、ウンチク垂れるから面倒くさくなったそうだ。写しもしなくなったから成績は当然下がる一方。 その上本人曰く――俺が言ったんじゃないからな――『土方が好きになっちゃって気になって気になって、勉強どこじゃなかった』らしく、しばらくはつき合えたことに浮かれてて勉強なんてやろうとも思わなかったけど、あんまり成績悪いとカッコ悪いから始めたんだと。 それが、去年の冬の話。 俺だって坂田にキスされて、どさくさに紛れてつき合うことになって浮かれてたっつーの。でも俺は最低限の勉強はやったぞ。総悟に絡まれると面倒くさいし、近藤さんが写させてくれっていつも騒ぐし……山崎にも地味にノート貸してる気がするし。 なんやかんやでやっといた方が楽だったんで、俺はノートくらい作っといたし当たりそうなときは予習しといたし、次当たりそうになってもわかんなくならない程度には毎日予復習はしといた。その習慣の中に、銀時が入ってきただけだった。 最初は銀時もノート写してたような気がする。曖昧なのは、近藤さんや総悟みたいにこれはどうしてこうなるんだとか、そもそもなんでこんなキマリがあるんだとか、この単位はなんだこれはなんて読むんだそもそも俺は何がわからないんだ……とか延々と質問されることがなかったからだ。 銀時は大人しかった。俺たちは黙って差し向かいでそれぞれのことをしていた。 覚えてるのは、春ごろからだな。 関係代名詞はwhatの代わりにthatを使ってもいいのか、いつでもいい訳じゃないらしいがその法則はなんだ、と聞かれたんだ。 え、と思った。 近藤さんは相変わらず『何』とか『アレ』とか言ってる段階だったし、総悟は総悟で『省略できるんなら覚えなくていーや』って悪賢いこと考えついてたし、バカばっかでそんな真っ当な質問されたことなかった。 一応答えられたと思う。 けど、その辺からだんだん怪しくなった。 銀時の質問レベルが日に日に高度になるからだ。 夏頃(俺に起こされて登校するのはアレ以来半々になった。アイツのせいだからな!し、しょうがねえだろ!)には、坂田は日々の予習復習に追いついていた。つい半年前まで中学生レベルだったのがウソみたいだった。 それから俺は自分がバカなんじゃないかと疑うことが多くなった。 銀時の質問の、意味がわかんないんだ。 銀時は俺が質問の意図を理解するまで説明してくれる。そこで初めて俺は、そんな疑問を持つ余地があったのだと気づく。もちろん、答えはわからないから調べる。銀時も調べる。 『あ、わかったわ。ありがと』 『え、俺がわかんねえ』 『俺の勘違いだった。ここさ、』 そんなやりとりが増えた。 その時から俺は恐れていたんだ。 いつか坂田が、俺の助けなんかいらなくなることを。 坂田は誰の課題も写さなくなった。高杉はつまらなそうな顔をした。桂もウザい文句を言わなくなった。とてもいいことなのに、俺はモヤモヤした。 そしてある小テストの前日、俺と坂田はいつも通り一緒に勉強した。同じところがわかんなくて、一緒に調べた。やっぱり坂田が先に理解し、俺は坂田に教わってやっとわかった、つもりだった。 理解できてなかったんだ、俺は。 全問正解者の中に坂田は入ってたけど俺は入ってなかった。模範解答を見て、やっとわかったって有様。総悟は煽ってくるし(『旦那にアッチばかりか知能まで吸い取られましたかィざまあ』)、近藤さんは相変わらずだし(『ちょ、全部書いたのに0点てどーいうこと!? ねえトシ!』)、気は紛れたけど忘れられる訳がなかった。 坂田の成績が上がるのはいいことなのに、素直に喜べなかった。いつも俺のほうが優位だったのがいとも簡単に逆転されて、悔しかった。 そして気づいてしまった。悔しいと思うのは今だけじゃないって。 一緒に調べて坂田が先に理解して、坂田は俺に教えてくれたのに俺はまだわからなくて、 悔しかったからわかったふりをした。 考えてみればここ最近、ずっとそうだった。坂田のほうが早く理解し、俺は疑問を持つことすら坂田から遅れを取り、しかも説明されても理解できないことなんて、何度もあったんだ。悔しくて、坂田の賢さが妬ましくて、気づかないふりをした。 俺は、こんなに醜い。 しかも坂田は俺の名前が上がらなかったのに気づいて、ハッとした。それから一瞬俺に目をやって、逸らしたんだ。 それも不愉快だったし、何よりそんなこと気にする自分が嫌だった。 その日、偶然俺は剣道部に呼ばれて新部長と副部長に引き継ぎをすることになった。坂田との勉強会は、たまたまナシになった。ほんとに偶然だった。 でも、一日やらないともうダメだった。 坂田との時間が、憂鬱になった。そして俺は、情けなくも逃げ出したんだ。 「よう。傷心の土方クン」 ひと月くらいしてからだろうか。 高杉に呼び止められた。ヤツは薄く笑って、銀時とは別れるのか、と聞いた。 「誰がンなこと、」 「銀時さ」 高杉はきっぱり断言した。 「ここんとこずーっと、愚痴ばっかだぜ。鬱陶しいからヤツに次ィ紹介してもいいか」 「……俺に聞くな」 「悪いが俺ァ万斉と遊ぶ時間が欲しくてな。銀時が絡んでくると迷惑なんで、次宛てがうが悪く思うなよ」 「……別に」 「許可ァ取ったからな」 次に総悟が来た。 「旦那の株ァ急上昇ですぜ。そらアンタと違ってコミュ力ありやすし、ベンキョー教えて〜って言われたら親切に教えてるようですしモテるでしょうねィ」 「だからなんだ」 「いーえ。まあ早晩掻っ攫われまさァ、ああ楽しみ」 「うっせえよ!?」 神楽まで来たのには驚いた。 「銀ちゃんほっといていいアルか。今日なんか女子が弁当作ってきたアルよ」 「食いたきゃ食うだろ」 「銀ちゃん案外貧乏性だし優柔不断ヨ。ブツ見せられたら断れないネ」 「……そうか」 わかってる。 アイツはいい男だし、成績悪いのも愛嬌みたいなもんだったし、そもそも頭が悪い訳じゃなくて手間を惜しんでただけだ。理解力は俺よりずっと優れてる。 そんなことわかってたのに、誰よりも早くそれに気づいたのは俺なのに、いざ現実になったらプライドが邪魔して素直に喜べなかった。だから悪いのは俺だ。 だってこんなに坂田に会いたくない。 会ってなんて言えばいいかわからない。よかったなって、心から言えないどころか畜生上手いことやりやがってなんて思ってる醜い俺を、見せたくない。 知ってるんだ。 あれから坂田が俺に話しかけようとして、何度も視線を送ってきたこと。傍を通ったとき、触れようとしてくれたこと。 全部気づかないふりをした。 忙しそうなふりしたり、近藤さんに教えるふりをしたり、山崎がノート写すの止めるふりをしたり。その度に坂田が困ったような、苦しいような、複雑な顔をするのも全部。 全部なかったことにした。 だから坂田は俺との間のことも、なかったことにするだろう。その権利はあるんだ。正当な理由が。 そうやって、二学期の期末が終わった。坂田はとうとう総合点で俺を追い抜いた。 去年は下から数えたほうが早かったのに、今年は教科によってはトップ10だ。凄い奴だ。本当に。 喜びたいのに。すごいなお前って言いたいのに。やっぱり俺が惚れたヤツだって、思うのに。 最後にやってきたのは、河上だった。 「土方、それでいいのか」 「それってどれだ」 「坂田のことに決まってるでござろう。それ以外主と拙者、関係ないし」 「そういやそうだな! 足怪我したときも仕組んでやがったしな!」 「主、最近坂田の顔見たことあるか」 「……」 「晋助らは面白半分イジッてくるであろうが拙者は真面目に晋助との時間を取りたいのでござるよ」 「ふん。邪魔はしてねーだろ」 「飛んでもなく邪魔でござる」 「……はっ?」 「坂田が落ち込んでるとなぜか晋助の幼馴染特権意識だかなんだか、拙者は知らないし知りたくもないものが湧き出てくるようで、やたら坂田を構うのだ」 「……だろうな」 「坂田もいつもなら主に関する泣き言は晋助に垂れ流しなのだが……今回はダンマリでござるし」 「相談もしてねーんなら、迷惑掛けようがねえだろ……高杉止めりゃ、」 「わかっておらぬな土方は」 「……?」 「坂田は主を待ってるでござるよ。主のひと言を」 「……」 「ホラ、この時期だしメリクリとか言っとけばよかろう? 坂田が欲しいのは、主からのきっかけでござるし」 「……」 「まあ所詮他人の口出しゆえ、主がこれっきりにするつもりなら放っておくのも手かもしれぬ」 「……」 「主の気持ちはわかるつもりでござるよ。拙者もう何回も同じ目に遭った」 「……え、」 「主、晋助がそろばん塾行ってると本気で思うたか? 嘘に決まってるでござろう。拙者と一緒にお勉強会!したのだ。えっち抜きで」 「は……っ!?」 「数学は拙者の功績でござるな! 微積の辺りから」 「なん、」 「拙者が教えたトコなのに拙者より点がいいんでござるよ! 悔しいけど慣れたし晋助のほうがアタマいいのはわかってたでござるし」 「おまえ、それで、」 「今度は拙者が教わればいっかなーと思うことにした。そのほうが拙者らの仲はよりハイパースペシャルLOVEら……」 「そうか、よかったな」 マジウザいから遮ったけど、河上こそすげえと思う。俺にはそう思える自信がない。その上俺から話しかけるなんて。今さらなんて言えばいいか、思いつきもしない。 でも、たったひとつ思いついたことがある。 坂田がもし、まだ俺に何か言ってくれる気があるのならば。 河上の言葉どおり、俺と話すきっかけをまだ待っていてくれるのならば。 その日HRが終わったとき、いつものように坂田は俺に視線を投げてきた。 ずっと知ってた、その感覚。これを見ない『ふり』してはいけないのだ。 俺は息を思いっきり吸って、唾を飲み込んで……坂田を見ようとした。 一瞬しか目を合わせられなかったけど。 その一瞬で俺の目に映った坂田は、泣きそうな顔で、でもじっと俺しか見てなくて、ぐっと口元が引き締まって男らしくて、それに何より、俺の大好きな真紅の瞳と銀色のふわふわな髪で、 「とうしろう」 教室の中なのに坂田は……銀時は、俺をそう呼んだ。 「十四郎。嬉しい」 大好きな甘い声。どれだけ長いこと聞いてなかっただろう。いや、聞いてた。聞いてたけれど、この声が俺に向かなくなってどれくらい経つだろう。すべては俺の、ひん曲がった根性のせいで。 凄く勇気がいったけど、銀時に視線を戻した。銀時の目を見ただけで、泣きそうになった。 「一緒に帰ろ。十四郎」 銀時は恐る恐る、囁くようにそう言った。頷けば済むことだったけど、それじゃ足りないと思った。 クラスメイトが俺に注目してるのがわかる。 「おう……銀時んち? 俺んち?」 「オイどーゆうことアルか。教室ん中でイチャつくの酷くなったアルよ」 「つーか誰でィ。クリスマスまで別居させる作戦台無しにしやがったのァ」 「誰だろうなァ。そのまんま別れさせて上位トップ10の二人を引きずり下ろすはずが大誤算だ。なぁ万斉」 「主らあの二人に協力したいんならもっと性根を叩き直すでござるよ。拙者通訳させられた上に文句言われるの、もうイヤでござるからな」 前へ/次へ 目次TOPへ |