ビーウィズミー・ベイビー2【閑話休題】 『治す。絶対治すから。やめろ』 「だーかーらー! 誰も治らねえとは言ってねえだろ。ゆっくり休まないと、おまえの体がだな、」 『気合で治す。やれば出来る子よ? 俺』 「テメーの気合なんざ当てにしてねえっつの。疲れてたんだよ、従って休めという至極穏当な意見を、」 『インフルじゃなかったかんな! 言っとくけども! 二回も検査したかんな!?』 「おう……」 熱で頭イかれちまったんだろうか。金時に日本語が全然通じなくなった。 託児所、というものを見学させてもらった。婆さん先生によると、前もって登録し、さらに事前予約すれば、(その上空いてれば)頼めるようだった。実際行ってみると、 (うわぁ、すげーテンション……) ガキンチョどもの熱気というか、生気というか、ただ座ってるだけで俺はヘトヘトだったんだが 「おまえは楽しそうだったなぁ」 「あぶー」 「踏みつぶされんなよ? あとオメー人のおもちゃ取りすぎ」 「うあ?」 「泣いてたじゃねーか、あの立って歩いてた子……え、俺見て泣いた!?」 「ばー」 マイペースなのだった。 見知った顔がそばにいるから安心して遊べるんですよ、と保育士さんたちが言ってた。確かに物珍しいおもちゃ分捕っては俺のほう見て得意げだった……ような気がする。 困ったのは保険証と、名前と、 「そもそも親じゃないからなあ」 「あぶ。ぶぅー」 「手続きができねーかもだと。書類ってそんな大事かねえ」 「んな、なうーぷ」 金時は一週間出禁食らわしてやった。大学にベイビーを連れていってからどういう経路か、地元の総悟や近藤さんにまで連絡が回ったようで、超不機嫌な総悟から電話がかかってきた。 『姉ちゃんがそっち行こうかって言ってまさァ』 「断る」 『自分で言いなせェ』 「おまえが伝えてくれ」 『けっ、ヘタレが』 総悟の姉、ミツバは俺や金時と同級生で、当時俺は密かに好きだった。でもあいつは地元の大学に行くって早い段階で(総悟の馬鹿経由で)わかっていたし、俺はどうしてもこっちの大学じゃないとダメだったので、言わなかった。言えなかった。 言わないの?と金時が静かに笑っていて、夕陽が金色の髪に差し込んで天使みたいだったのは忘れない。 「ふざけんな。こっちでも誰の子合戦で被害者出てんだ。絶対来させるな」 『アンタがそう言いなせェよ。俺ァアンタが責任さえ取ってくれりゃ、姉ちゃんの幸せを願いまさァ』 「姉ちゃん『だけ』な」 冗談じゃない。 こんな都会の馬鹿女どもにミツバが混じったら、混じったら、 「うわあぁぁあぁぁぁあ!?」 『残念でした。姉貴はもう別の彼氏とつき合ってました〜』 「えっ……」 『というのは嘘でした〜』 「テメッ、やっぱ死ね!」 「あうーきゃ」 「おー、ごめんなおまえじゃねえよ。総悟のバカだ」 『……ちゃんと保護者やってんですねィ』 まだ高校生の総悟には、ピンと来ないのかもしれない。俺だってつい先月まではピンともカンとも来なかった。 『旦那が倒れたって聞いたんでねィ』 総悟の本題はそっちらしかった。 一瞬、どこから聞いたのかとか、おまえに関係あるかとか、あまり穏やかでない言葉が浮かんだのを噛み殺して心の奥底にしまった。 『姉ちゃんは旦那に差し入れしようかって言ってましたぜ。もちろん食いますよねィ?』 「いや、食わないんじゃないかな」 『マヨラーは食えねえでしょうが甘党は辛党と表裏一体でさァ』 「……」 『にっぶいなァ。つまり、旦那を助けることでアンタを援護射撃しようって魂胆ですよ。ありがたく思いやがれ』 「……それ、決めるのは金時だろ?」 くらくらする。 体調は悪くない。シスコンの総悟が嫌味連発したせいでもない。 眩暈がするほどイヤだったのだ。 何が? ミツバが金時の部屋に行くのが? 金時はミツバを誘惑したりしない。そんなことはわかってる。ミツバだって金時の寝込みを襲うような女じゃない。 昔好きだった女が友達の部屋に、そいつの看病に行く。 俺がまだ女に未練があるなら、どこがイヤか明白だ。 でも、俺は他の女ともつき合ってて、ミツバのことは完全に吹っ切ってて、なのになんで…… 「んまんま、」 「お、美味いか? 進歩しただろ俺も」 「んぱっ、あー」 「これは俺の『マ・ヨ・ネ・ー・ズ』だ、早く食えるようになれよー」 「んま、んま」 「んまいぞ。でも卵食べても大丈夫なのに、金時兄ちゃんはアホだなー甘いのばっか食ってなぁ?」 「うま、んま」 「虫歯になるからアレは食っちゃダメだぞ?」 つか俺は今、目の前のちっこい女にいいように振り回されてる。 過去の女を引き摺ってる暇がない。マジで。ミツバ許せ。俺の中では終わったんだ。確かに。 お袋の申告が正しければ、ベイビーはもう九か月になった。歯茎が固くなってきて、おもちゃをしょっちゅう噛む。そして食べ物も少し形状が変わった。 ――全部保育士さんに教わった。 その間金時は出入り禁止にしてたから面白くないだろう。 託児所の話をしたら、黙り込んで、そして反対した。 それはそれは、冷えた声で。 『俺はすぐ治る』 「そこは疑ってねえよ」 『オメーは平気なのか。あの子を他人に預けて。赤の他人だぜ?』 「……そりゃ、」 『俺はイヤだ。絶対に嫌だ』 「けど、実際プロの手借りて俺もいろいろ教わったんだぜ? 所詮素人だろ俺たちは」 『誰だってそうだ。女だって』 知ってる。 金時がこんなに依怙地になって反対する理由は。 でも金時、俺たちは違うって言えないか? 「ウチのお袋が戸籍追ってるよ。追い詰めんだろ、いずれ」 『それまでしかいないんだぞ! なんで手離すんだ!?』 「金時兄ちゃんはアホだなー」 「ま、ま、んま」 「絶対迎えに行くっつの。なあ?」 「んーあー、ぶー」 「こんな可愛いのに」 金時のセリフが移ってきた。でも、今は素直に言える。 「オマワリにだってカノジョにだって触らせてやんねーよ。な?」 「んなっぷ」 いつか帰ってしまう。今、目の前にいるのに。 「返してくれって言われてもなァ」 「んーあー、むふ」 「そりゃァねえんじゃねーの……っておま! 屁こいたな俺の目の前で! 向こうでやれ」 「うきゃー! きゃっきゃ」 「喜んでんじゃねーの! ダメ! 人の顔の前で屁こいたら!」 「んま、んん、んぅー」 「わー! うんこすんなー!!」 この気持ちを書類に出来たら、誰がこいつを放ったらかしにすると思うだろうか。 『違うよ。十四郎』 固い声で金時は言うのだ。 『もし、迎えに行きたくても行けなくなったら? 俺もお前も、どっちもベイビーと会えなくなったら?』 それこそ、絶対に行く。何があっても。あいつの風邪より確実じゃないのか。風邪は対外的な対策が必要だけど、こっちは俺のやりようで、 『じゃあ……こんなこと、言いたくねえけど、じゃ、俺が迎えの番で、途中で俺が死んだら?』 「……なに、言ってんだ」 『そんでお前とも連絡つかなかったら? やっぱり捨てたって思われるよ。お前がやっと迎えに行っても、ベイビーはいなくて』 「やめろ、」 『いくら書類辿っても行方がわかんなくて』 「もう、いい」 『お前はそんときどうする? 姪だか従妹だか、今の段階で証明も出来ないのに! 出生届だって怪しいのに!!』 「きんとき、」 金時の両親が本当の両親じゃないことは、高校のとき偶然知った。確か髪の色のことで、相手は褒めたつもりだったんだろうけど金時は傷つくだろうな、という言い方を、女子の誰かがしたときだった。 にっこり笑って見せた金時が悲しくて、でも本人が笑ってるのに代わりに怒るわけにもいかなくて、 『黒く染めちまえ!』 金時はルビーみたいな瞳をまん丸に開いて、大笑いしたのだった。 『俺の愛すべき同士なんだよコノヤロー!!』 特別変異なのか、そもそも日本人なのか、何もわからないんだ。 そんなん、わかんなくてもいっかなって。最近思うから、このまんまでいい。 あのときも陽射しが強くて、金時の顔が眩しくてよく見えなかった。 綺麗なものを素直に綺麗と言えたらいいのに。 そうしたら愛していると、証明できるのに。 「ほーら、心配性の金時兄ちゃんが来たぞー? 風邪なんか持ち込まないように、全身洗ってこいって言おうな」 「ひっどーい! 久しぶりのベイビーちゃんなのに!! 金さんだよ、覚えてるよね〜?」 「ふ、ふ、ふぇ」 「えええええ!?」 「オラ金時兄ちゃん! さっさと風呂入って、てめーの荷物解きやがれ! ベイビーの遊ぶスペースが少なくて困ってんだよ!」 「と、十四郎っ」 「あん?」 「ベイビーが、」 「えっ、」 「膝立ちしてる!!」 前へ/次へ 目次TOPへ |