ビーウィズミー・ベイビー【閑話休題】 泣いてたって朝はくる。 だいたい金時がいなくて泣き暮らしてたなんて、あのヤローに言えるか。恥ずかしい。俺は気を取り直してベイビーを風呂に入れ、俺のベッドに入れてやって少し寝た。 ――で、スッキリ切り替えたわけではない。 むしろ問題を先送りにして寝ちまっただけだ。昨日からわかってた。 (オイィィ今日必修入ってんだけどォォォ!) 英語のばあさん先生だ。出席重視、一回でも休むと評価が下がるってウワサだ。 (どうすんだ、これ) いい気持ちで眠ってるベイビーを起こすには忍びないが、とにかく飯を食わさないといけない。 つかこの時間いつもなにしてたっけ。金時が飯作ってくれて、ミルクだのオムツだのはひと通り俺がやって、出掛けるんだったよな。 その後は? 金時との連絡帳みたいなのは一応作ってたから、改めてよく読んだ。 「おまえ、なんでこんな小刻みに寝るんだよ」 それほどでもないんだろうけど。中には大人と同じサイクルになるって子もいるはずだ。サイトによると。俺は当然そうなるもんだと思ってたから、気にもしなかったけど。 どうしよう。代返とか利かねえし、ああ一個くらい落としてもいいか、イヤイヤいかんだろ、英語なんぞ落としたらヤバイに決まってる。 テンパった挙句、もうどうせばれてるんだし、と開き直った俺は大学にベイビーを連れてくことにしてしまった。 「子ども連れで授業に?」 ばあさん先生は俺を見て、ベイビーを見て、それからまた俺を穴の開くほどじっと見た。 「お願いします」 「預け先は?」 「ないです」 「……あなたのお子さん?」 「違います!」 これまでの経緯と姪であることを殊更に訴えると、ばあさんはしばらくじっと聞いていたが、 「それは姪御さんではありませんね」 「な!? 断じて自分の子では……」 「いいえ。従妹さんでしょう」 「……」 今さら続柄なんてどうでもいいだろう。姪にしといたほうがめんどくさくなくていい。今日の授業は? いろんな言葉が駆け巡る。が、相変わらず口からは出なかった。 「事情はわかりました。授業の妨げにならなければ、今日は特別に許可します」 ちっ、出席扱いにしてくれりゃいいのに。クソババア。 「しかし来週はどうします? ご友人がもしもインフルエンザなどだったら、来週も難しいと思いますよ」 だから融通利かせろ。300円あげるから。イヤ献上します。 「そもそも長期化するならば、若い男性二人では難しいでしょう。託児所などの利用予定は?」 「は?」 「その見通しがないなら、今期の授業は私だけでなく出席は厳しいと思いますよ。従って留年にもなります」 「え?」 「休学するか、託児所を探すか。どちらかをお勧めします」 「ちょっ、」 「あなたが優秀な学生なだけに残念です」 ババア足下見やがってぜってー許さねえ。上等だ、 「奨学金があるんで、休学は困ります。なんとかお願いします」 頭下げてやらァ! 俺が頭下げりゃこいつの居場所が確保できる。そんなら安いもんだ。 ババアはもう一度俺を見た。 「子育てはそんなに甘いものではありません。あなた一人が頑張っても、お子さんのためになりませんよ」 「……」 「本学はあなたにとって幸運にも、託児所が併設されています。職員向けですが。空き状況を聞いてみます。週末のこの時間に、この部屋で」 「ありがとうございます」 ババアなんて言ってすいませんでした。 超いい人だったこの先生。絶対単位取ります。 結局授業中にベイビーはぐずり出し、俺は退出を命じられたのだが。 学食に行ったらどいつもこいつも遠巻きにじろじろ見やがった。ベビーカーがそんなに珍しいか。街中に溢れかえっとるわ。ほっとけ。 「いよう。孕ませ男」 不吉な低音が上から降ってきた。 「誰が孕ませ男だ。俺の子じゃねえっつってんだ」 「初耳だな」 片目の小男がデカイ態度で勝手に俺の隣に座る。 「テメーに報告する義理はねえ」 「知りたくもねえしな」 高杉という、大学に入ってからの友人にも関わらず実は金時とも知り合いだったっていう、ちょっと得体のしれないヤツだ。あんま慣れ慣れしく話したことはないが、金時繋がりで極稀に顔を合わせることがある。 「テメェの元カノがエラく騒いでたぜ。テメェに兄弟はいねえはずだって」 「あ、」 「姪っ子なんぞ出来ようがねえな、土方クン」 「あー……それ」 さっき英語教師と話したことを繰り返すと、高杉は腹を抱えて笑い出した。 「テメェ面白いな。馬鹿なのか」 「面白くねえし馬鹿でもねえ」 「続柄もわかんねえくせに」 それから大声で、親の兄弟姉妹の子どもは従兄弟姉妹であって、甥姪は自分の兄弟の子どもの話だと叫んで改めて爆笑した。さらに、 「もしもし万斉か? ちょっと学食来いや物凄い馬鹿が見られるから。いい歳して従姉妹と姪の区別もつかねえ大馬鹿がよォ」 「ちょ、いい加減にしろ」 「あ? 3分で来い」 「待て、」 「あ、来島か? 飯は? 姪と従姉妹の区別がつかない馬鹿な土方クンが昼飯奢ってくれるとよ。学食来いや」 「おい!」 「武市? テメェの親の妹の子どもは何に当たる? だよな、ここに『姪だ』なんぞとほざいてる馬鹿がいるんだけどよ。見物に来ねえか。学食だ」 「テメーふざけんなもうヤメ、」 「伊東。テメェの大好きで大嫌いな土方が馬鹿だったんで連絡してやったぜ。自分の従妹を姪だって言い張るんだが。あァ? ノリの悪い野郎だ、だから一人ぼっちなんじゃねェのか」 「待てェェェ!?」 「佐々木か? メールよりこっちのほうが早いだろ。ちょっと馬鹿見に来ねえか? 土方っていう、自分の親戚関係も把握してねえ馬鹿なんだが」 「じょじょじょ上等だ、」 「あァ? ミスド? そいつァ残念だ。今井にも聞いてくれ。テメェの親の兄弟の子は? 女……だろ? 姪じゃねえよなァ」 「おおお、表に出、」 「岡田、40秒で学食来い。愚図は嫌ェだ」 「えええェェェ!?」 遠巻きに眺めてたギャラリーがざわめき始める。テメーなにしてくれてんだ。うちの……アレ、べ、ベイビーは見世モンじゃねえ!? と、内心雄叫びを上げつつ黙々とベイビーに飯を食わせる。今日は流石に作ってやれず、昼休みに家に帰って作ろうと思っていたのだがさっきの婆さん先生に『離乳食は売っている』と教わって愕然とした。薬局に行ったらホントに売ってた。ビビった。なんかジャムみてえなんだが、これ食い物か? としつこく店員に聞いて不審がられた。恐る恐る食わせてみたら、キョトンとしてたがまあ食った。口元がモゴモゴ動くのが相変わらず可愛い。 高杉の招集により、こいつがいつも連んでるアホどもがすげえ早さで集まった。 「これッスか? 馬鹿は」 「これでござろうな。赤子も気の毒に」 「これは……女の子ですか!? 勿体ない。馬鹿の手にあるとは実に勿体ない」 「晋ちゃん焼きそばパン買ってきたよ」 「一人変なの混じってるんだけどォォォ!?」 「突っ込みが甘ェな土方」 高杉は偉そうにフン、と鼻を鳴らした。 「テメェ、午後はどうする気だ? キャンパス中の噂になってるぜ、とうとう開き直って子ども連れてきたって」 「実子じゃねえことを除けば合ってる」 「午後は講義ねえのか。まあ、なら俺ァテメェを笑えて楽しかったぜ」 「はぁ!?」 「晋助は、午後の講義があるなら誰かその間は面倒見ておく、と言いたいのでござるよ」 河上が尤もらしく解説した。 「今のが!? どう聞くとそうなんだよ!?」 「拙者と晋助の仲ゆえ」 「あっそ……」 「私が預かりましょう、手抜かりなく大事にしてあげま、」 「お前気持ち悪い。触るな」 「俺ァごめんだぜ」 「頼まねえよ!!」 「拙者は次の講義があるのでござるが」 「奇遇だな、俺もだ」 「焼きそばパン食べるかい?」 「食わせんな! 近寄るな!」 「アタシは午後空いてるッスよ?」 「……」 ありがたいがこいつもなんか怪しい。それに、 「テメーも女だろう。変な噂立てられちゃ面倒だから、やめとけ」 「なァ? 馬鹿だと思わねえか?」 高杉がまたケタケタ笑い出した。 「アンタ阿呆ッスか。アンタの元カノ、『姪』って言われたから言いふらしたんスよ」 「……そりゃ、俺が間違えたから、」 「いーえ。わかってないッスねえ。先々代への牽制ッスよ。先々代はアンタの家族構成知らないそうッスね」 「ああ……、機会もなかったしな」 「自分のほうが知ってるって自慢したかったッスよ、阿呆ッスか」 「……」 「もう大丈夫でしょう。姪御さんではなく従妹さん、しかもあなたの勘違いということはだいぶ知れ渡ったでしょうからね」 「え、」 「ああ、女子はたくさんたむろしておったでござるからな。今頃どんな噂になっていることやら」 「……」 「『馬鹿』以外になんかあんのか? クククッ」 「……」 この野郎。 わざとやりやがったのか。 訊いても答えはしないだろうが、確信犯で騒ぎやがったんだろう。 畜生。礼なんか言わねえからな一生。 「おい、金髪女。オムツは今替えてくから」 「来島ッス! 失礼な男ッスね」 「来島……噂は止めようがねえ、おまえの子疑惑が出回ったら、」 「晋助さまとの子ってことにしていいッスか?」 「ダメでござる」 「アンタには聞いてないッス!」 なんか、力抜けた。 こいつらは、根も葉もない噂なんぞヘッチャラなんだな。 考えてみれば気にしてたのは俺だけだ。 いや、先々代の元カノには平謝りしたが、今メールで『高杉gj! ありがとって言っといて』ってきたからもう大丈夫だろう。 金時だって何にも気にしてない。 「まあ、この猪女だけでは不安でしょうから私が補佐しますよ」 「余計不安だわ! 引っ込んでろ」 妙な目の輝かせ方をしてるキモ男は思い切りお断りして、この中では比較的マトモそうな来島と、 「仕方ねえ。が、俺は触らねえぜ」 高杉に見張りを頼んだ。 一人じゃなくなっただけで、こんなに気が軽くなるものだ。 「こんにちはッス。しばらく一緒にいるッスよ〜?」 早速抱き上げて話しかける来島、少し離れて興味なさそうに、でも胸ポケットの煙草は出さない高杉。 「そういや、こいつの名前は?」 「ベイビーって呼べ」 一斉に全員が吹き出した。 「いやァ悪いなベイビー、テメェを笑ったんじゃねェぜ? このカッコつけ馬鹿をだな、」 「お父ちゃんは自意識過剰ッチュね〜?」 「誰が父ちゃんだ!?」 「主にはがっかりでござるな」 「すっ、素晴らしいナイスガイっぷりでしたが……ぷーっくくく」 「ベイビーって、誰のだィ?」 「テメーは引っ込め」 訳のわからない奴らだと思ってたことを心の中で反省しようと思ったが、やめた。 やっぱりこのちびは俺のところに居てほしい。 ――そのために、他人が協力してくれるなら頼んでもいいじゃないか。 さっさとこいつらからウチのベイビーを取り戻すべく、俺は急いで次の講義に向かった。 なぜか足取りも軽いような気がした。 「ブスくれるな万斉。金時の頼みだからなァ……貸しは作っといて損はねえだろうが」 「フン。終わったらすぐ迎えにくるゆえ待ってるでござるよ!」 「バカップルッスねえ、やれやれ」 「晋ちゃん、俺どうすればいい?」 ------------ 強引な軌道修正と、不安分子一気登場! 前へ/次へ 目次TOPへ |