4 土方、キレる


 卒園式。
 友達になった高杉や、そのまた友達でいつの間にか銀時と遊ぶようになった桂や坂本とも、今日でお別れ……ではない。

 小学校も一緒だ。

 桂は妙なペンギンお化けが家族らしかった。というかだったら銀時の髪や目の色なんて揶揄う意味がないのではないかというほど、異彩を放っているのだがもう皆慣れた。主に高杉が睨みを効かせているので、誰も桂のオカン(だと思う)にケチはつけない。

 坂本のオカンはとても美人で、なのに坂本はしょっちゅうケンカしていた。『陸奥』と坂本が呼ぶ美人のオカンは、確かに土方ばりにおっかなかったけれど。

 高杉のうちは両親が揃って出席するらしい。黒ツンツン河上も来る。
 晋助のオカンは金髪にミニスカで、やたら晋助を構い倒す人だ。オトンは何やらキョロキョロして、女の子を見つけてはデレデレしては金髪のオカンに引っ叩かれているのが常だった。

 卒園証書は両親と一緒に貰いに行く。
 
 せんせいのところまで、いっしょにあるいていって、しょうしょはりょうてでうけとって、おじぎをしたらうしろをむいて、しょうらいのゆめをいうんだ。

 銀時の頭には段取りがしっかり入っている。だが問題は『両親』のところだった。

 「ダメだ」

 土方はにべもなく言うのだ。

「それは俺の役目じゃねぇ。綾乃さんだ」
「だって! ババアは幼稚園なんか来たことないだろ!」
「ババアとはなんだ。文句あンならテメーで稼いで雨露凌げ」
「ぅ……、かあちゃん、は! 幼稚園、来たことないし……」
「アホか。何度も行ってるわ。だいたいなんでテメーがあの幼稚園に行けたと思ってんだ」

 確かに、銀時の幼稚園は所謂『いいところ』だった。だからこそ晋助にも黒ツンツンがついているし、桂はよくわからないが坂本なんか毎日黒塗りの車で送り迎えだ。以前は銀時もそうだったけれど、坂本んちはオカンがちゃんと迎えにくる。時間内に。
 銀時はひとりぼっちだったのだ、土方が来るまでは。そういうものだと思っていたのは昔のこと。土方が毎日一緒に来て、決まった時間に迎えに来てくれたから、ひとりはさみしいと知ってしまった。

 銀時がボンボンな周りに馴染んだのは、土方が来たからだったのに。別にボンボン扱いしてほしかったわけじゃない、と銀時は腹を立てた。
 だが、土方も怒っていた。湧き出る珈琲が驚いて、うっかりソーサーに零れてしまうほど。

「綾乃さんが駆けずり回ってあそこ探して、テメーが毎日通えるようにいろんな紙にいろんなこと書いて、『保護者会』にゃ忙しい中全部出てンだ。俺の出る幕じゃねえ」

 一気に言い終えると土方は、まだ収まらないというようにふう、と荒い息を吐き出した。でも、カップに『ありがとう、気にすんな』というのは忘れなかった。ジェントルマンだ。
 この件についてはもう言うことはない、というように土方は銀時との間に新聞を広げた。チッ、と舌打ちの音が聞こえて、銀時は目の前がじわじわ滲んでくるのを必死で堪えた。

 卒園証書は土方ともらいたい、と言った。
 もちろん、養母に悪いとも思った。でも、謝れば許してくれるだろうとも思っていた。現に彼女は土方が信頼できると知ってからは、銀時とほとんどすれ違いの生活をしている。寝ていることもしばしばある。友達の親とは全然違う。

 きっと、しごとよりはたいせつじゃないんだろう。おれをひきとってくれただけ、ありがたいんだ。

 だから、めいわくをかけないようにした。そつえんしきは、ひるまだ。しごとのじかんだ。こられないだろう。それにおれは、ひじかたとでたい。

「もう、今日は寝ろ。頭冷やせ」

 土方は大きな溜め息をついた。そして新聞を畳み、宙に放り投げる。いつもどおり、計ったようにマガジンラックに収まった。
 銀時は俯いた。涙が溢れかけているのを、見せたくなかった。土方が銀時を叱るのはいつものことだったが、こんなに怒るのは初めてだった。
 銀時はこれ以上怒った土方を見たくなかった。だから、黙って土方の言うとおり寝る支度を始めた。
 土方が唇を噛みしめてその後ろ姿を見送っているのを、知りもせずに。

 寝室に入っても、銀時は土方に着替えを手伝わせなかった。一人で着替え、一人でベッドに入った。そして頭から掛け布団を被った。
 土方の手が、頭を撫でるのが布団越しにわかった。ここで許してやれば仲直りできると思うのに、口が動かない。布団の中だったら少しくらい泣いてもわからないだろう。銀時は泣いた。土方の手が優しければ優しいほど、声を噛み殺して泣いた。
 それでもだんだん眠くなり、ああ寝てしまうとぼんやり思ったころ、息苦しかった掛け布団がそっと掛け直された。

「綾乃さんのいねェ世界はさみしいぞ」

 土方の声がしたような気がした。



 「あたしゃ仕方なく引き取っただけだ。嫌がんのに無理に行こうとは思わないよ」

 養母は言うのだ。

「仕事の邪魔だしね。丁度いいよ」

 その言葉は銀時に向けられていた。
 ほら、やっぱり。
 そうだろうと思っていた。だから邪魔にならないように、言われたことは黙ってそのとおりにした。嫌われているとわかってもがっかりしないように、努めてぼんやりしていようと思った。
 『子どものくせに』『死んだ魚のような目だ』と言われてもなんともなかった。周りの子どもに気味悪がられても、なんにも感じないようにした。

 でも、この人に言われるとどうしてこんなに辛いんだろう。この人の冷たい目が痛いなんて、思いもしなかった。

「で、明日からどこへ行くんだい」
「え……、」
「もうウチには置かないよ。悪いけど」
「でも、」
「まあ親戚中断られたしね。施設にでもやるしかないか」

 もう、ここにはいられない。

 持っていっていい物はほんの少しだった。銀時の両親の遺産が記録された通帳と、遺品。
 これだけが、綾乃と銀時を結ぶ糸だった。
 銀時が初めてこの家に来たとき綾乃が買ってくれた、いちごのクッションも。
 七五三の写真も。
 手作りの服も。
 綾乃が読んでくれた絵本も、一緒に見たDVDも。

 銀時には何もなかった。

「かあちゃん……」

 滅多に呼ばない呼び方で、その人を呼ぶ。けれどもその人は皺の刻まれた手で、銀時を外に押し出すのだ。

「かあちゃん、ごめんなさい……ありがとう」

 銀時に言えたことといったら、それだけ

「忘れんじゃねェぞ」


 突然腕を引っ張られた。
 土方だった。
 銀時は目を見張った。でも、必死でしがみついた。

「銀時、心配すんな。これは夢だ」
「ゆ、め……?」
「ちょっと目ェ離しすぎた」

 今度こそ目が覚めた。
 青い顔をした土方が、両腕を掴んでいるところだった。

「悪かった。綾乃さんに呼ばれちまって」

 さっきの光景が目に浮かぶ。
 土方は銀時を乱暴に引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。

「そうじゃねえ。心配すんなっつったろうが」

 土方の心臓がドキドキしている。駆けっこのあとみたいだと銀時は思った。何と競争したんだろう。こんなになるまで走るなんて。

「綾乃さんに、卒園証書は遠慮してくれって言われたんだ」
「あ……、」
「テメーは嫌がるかもしんねェが、親らしいことがしてェって。当たり前だ」
「……うん、」
「ここまで見せるつもりじゃなかった。ごめんな」

 土方がいつも銀時の言いたいことを先回りするように、今は銀時にも土方の痛みがわかった。
 こんなに震えて、髪を撫でる手もそうっと、大切そうに。

「ううん、おれがわるいんだ。ごめん……それに、かあちゃんにも」

 土方の腕が、きゅう、とますます強く銀時を抱きしめた。



 卒園式には、綾乃が出席した。
 そこで銀時は初めて知った。綾乃もまた、銀時と同じようにいじめられる側であることを。
 誰も正面から言わないのに、誰もが綾乃を奇異の目で見た。水商売で財を成した女と。銀時にはそこまでわからなかったけれど、養母に向けられた敵意と、嘲りの感覚は感じ取った。

 銀時は綾乃の手を強く握った。綾乃もまた、握り返した。


「大きくなったねえ、銀時」

 養母は嬉しそうに言うのだ。

「言いたいヤツには言わしとけばいいんだよ。アンタが傷つくことはない」
「……」
「やり返してもいいんだけどね。こっちも痛い思いしたら、バカバカしいだろう? もっともお前はもう、それを知ってるようだがね」
「……?」
「いいベビーシッターだよ、あの男は」


 『 テメーが今思ってるようなことを、相手もやらかすからだ 』
 『殴られたら、痛ェぞ』


 教えてくれたのは土方だった。そしてこの人もまた、教えてくれた。
 なぜ拒んだりしたのだろう。
 銀時は小さな手で養母を導き、園長の前に進む。そして、共に卒園証書を受け取った。
 うしろをむいて、ゆめをいうんだ。

 会場の入り口が開いて、ひっそりと人影が滑り込んできた。
 黒スーツに身を包み、黒髪に鋭い瞳の。

 (きてくれたんだ……!)


 銀時は胸を張った。


 「ぼくのしょうらいのゆめは、」

 土方が緊張するのが見える。

 「ひじかたみたいな、カッコイイおとなになることです」


 大きく見開かれる濃紺の瞳を見たら、ちょっとだけ土方に近づいた気がした。


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