12-1


 坂本辰馬が地球に来る。
 その知らせを受け取ったのは偶然だった。万事屋に手紙を届けようとした配達人が、たまたま今の部屋の地域も担当していて、たまたま俺が顔を出したのを見つけて声を掛けてくれたのだ。
 ホントは規則でダメなんですけど、とぶつくさ文句は言われたが、そうやって俺は住所違いの郵便物を手に入れた。
 相変わらずヒトの名前は間違っているし用件は最後の行まで出てこねえし、読みにくいことこの上ない文章ではあったがなんとか読み下した。そして、快援隊が近く地球に立ち寄ること、辰馬が夕方まではターミナルにいることを知った。
 昔、辰馬が宇宙を目指したとき、俺も誘われたことがある。
 あの誘いは未だ有効だろうか。

 ――もし有効だったら、いっそ宇宙に行ってしまおうか。

 そろそろいい加減にしなければならない。
 とはいえこの街で何でも屋はできない。
 では場所を移して、具体的には新八たちが手を拡げていない場所で何でも屋を始めようか、と考え、屋号はどうしようかと思い巡らし、まったく気が乗らないことに気づいた。
 万事屋以外に何があるというのか。
 何もすることがないからなんでもしよう、と、始まりこそいい加減な理由だった。手離して惜しいものではないと思っていた。
 だが今、一から新しい屋号、新しい相棒を揃えて同じことができない。同じ熱量を傾けることができない。そこに愛着を持てる気が、これっぽっちもしないのだ。
 俺にとっての何でも屋は、かぶき町のすなっくお登勢の二階にある、あの万事屋だけなのだ。そして万事屋と言えば、新八と神楽、定春でなければならない。
 あの万事屋しか、俺は万事屋と認められない。
 その万事屋に戻る気がない以上、もう土地を変えようが国を変えようが、何でも屋自体が受け入れられないってことじゃないか。
 それなら、いっそ。



 躓いたのは当日の朝だった。
 最近の土方の定時連絡は、ほぼメールだった。肉声を介さなければ、隠し事など造作もない。たとえ相手が尋問に長けた土方であったとしても、冷たいカラクリの上で文字をやり取りする中で、情報の一部を伏せるなど簡単なことだった。まあ俺の行儀と性格がその点よろしくないことは認めよう。とにかく俺は、隠しおおせたのだ。
 ところが当日の朝、まさに出かけようというその時に限って、土方は電話をしてきた。

 とぼければ良かったのかもしれない。だが土方相手に、嘘を吐き通せなかった。

 飯は食ったか、と相変わらず心配ばかりする土方に、なんでもないフリを貫けなかった。案の定土方は何かに勘付いた。にもかかわらず、知らぬフリをしてくれようとさえした。
 白状する以外に手がなかった。
 出かけること、遅くなることを告げると、土方は息を飲んだ。それで思わず、『ちゃんと帰るから』なんて余計なひと言を付け加えて、その場限りの安寧を得ようとした。でも、よく考えてみれば土方がそこまで俺に心を砕くだろうか。好きにしろよとあっさり言われたら肩透かしもいいところだ。だから最後にもう一つ、余計なことを追加した。

『ガキじゃあるめーし心配とか、しねえよな?』

 黙り込んでしまった電話の向こうに、俺は土方が間違いなく俺に心を砕いていたことを知った。長い沈黙の後、やっと小さく『わかった』という返事があって、電話は切れた。土方の受けた衝撃が、決して小さくないことを充分に伝える弱々しさだった。
 あろうことか、俺は満足したのだ。土方の動揺っぷりに。
 あの男のこころの中に、まだ俺の居場所がある。そのことを確認して、ホッとしたのだ。
 身勝手な安堵を抱いたまま、俺は久しぶりに表に出た。
 元の部屋から離れた住所とはいえ屯所のそばだ。俺の顔見知りなど山ほどいる街を、ふらりと歩く。
 不思議なことに、あれほど俺を構い倒してきた連中が、まったく反応しない。透明人間になった訳ではない。よう銀さん久しぶりだね、なんて声は掛けられる。でも、それに続く『ちょっと寄って行きなよ』はない。サラッと挨拶をして終わる。初めこそ過剰に構われるのではと身構えていたが、そのうちそんなことを気にしていたことさえ俺が忘れている始末。
 ああ、この感覚は知っている。
 この街も、俺はよく知っている。
 だがこの街とももうすぐおさらばだ。
 そう思ったら、急に何もかもが惜しくなった。
 本当に、路地一本分を歩く時間さえも。その間にたばこ屋の婆さんが面倒くさそうに俺に手を上げ、隣の駄菓子屋から飛び出してきたガキが菓子を一つ落とし、通りがかった犬の散歩、走り去ったバイク、顔を出した野良猫……その一つひとつの光景が、もう二度と見られないと思えば惜しくて、俺はなんと多くのものを手離そうとしているのかと思い知らされ、身動きが取れなくなった。
 ターミナルに着いたのは、昼もとうに回った頃だった。
 俺の顔を見るなり辰馬は馬鹿デカい声で笑ったのだった。

「あっはっは、未練タラタラのツラじゃ。こんなん宙に連れてったら大事故の元じゃき、今回は置いてくぜよ」

 まだ行くとは言ってねえだろ。相変わらずヒトの話聞いてねえよ。あれ、今回は一周回って話が早かったかな?



 ターミナルから江戸の街を眺めているうちに日が暮れた。
 ここは、松陽と二度目の別れをしたところであり、高杉と永遠に別れた場所だ。
 来島また子が龍脈を巡っていると辰馬から聞いた。ヅラ情報らしい。
 あの娘には悪いが、高杉の中の虚の血は、高杉を再現するにはあまりに薄いだろうと俺は思っている。薄かったからこそ、虚があの体の乗っ取りを図ったにもかかわらず、高杉は自身の意識を失わずにいられたのだ。だが同時にその薄さゆえに、アルタナの力を以ってしても高杉をもう一度生み出すことはできない。それに、俺にとっての高杉晋助は、俺とともにガキの時代を過ごし長じてからは本気で殺し合った、あの高杉だけだ。
 だから高杉とは二度と会えない。二人とも、文字通りこの地に一体となり、意識があるのかないのか知らないが今も俺のすぐそばにいるのだろう。
 消えゆく松陽に見せたかった万事屋は、俺自身がたった今、消そうとしている。『今まで通り』ではないから。新八はいつまでも子供ではなくなったし、神楽も押し入れに収まる大きさではなくなった。定春だけは元通りかもしれないが、あいつだって中身はどうなったことか。
 それは、輝かしい変化だとわかっている。
 あの戦で死に別れた者たちは、元には戻れない。戦とはそういうものだ。元のかぶき町には戻れない。元の万事屋にも戻れない。
 知っていたつもりだったが、俺が知っていたのはそこまでだ。
 輝かしい変化もあるのだと、俺は知らなかった。亡くしたことを嘆くのは当然だ。だが、瓦礫の中から新しい生命が、生活が、生まれ出でることを俺は知らなかった。目の前でその新しい息吹を見せつけられて、その輝かしさに俺は目がくらみ、新しい一歩が踏み出せなくなったのだ。
 松陽が、背中を押してくれたのかもしれない。
 帰ろう、と不意に思った。
 土方に、帰ると約束したじゃないか。
 ずいぶん遅くなってしまった。辰馬はとっくに出立したし、ターミナルも深夜営業に入っている。時間はかかったけれど、心は決まった。



 帰ったら、土方が泣いていた。泣きながら魘されていた。
 起こしたらしがみついてきた。そして、『抱いてくれ』と言った。




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