眩しいひと 「で、銀ちゃんはぶっちゃけいつからマヨラーにホレたって自覚したネ」 神楽は相変わらずもっちゃもっちゃ酢昆布食いながら俺に言う。すぐそばで稽古は素振りをやっと終え、掛かり稽古に移っていた。 「…………見舞いに来た日、だな」 認めたくないが認めざるを得なかった。神楽はフフンと鼻を鳴らした。 少し離れたところで十四郎が現役と打ち合っていた。あっという間に面を取って、高校生が態勢を崩したところにさらに強烈な面を浴びせる。守りに入る隙さえ与えない。これを三年間やり続けたらそりゃあ鬼だなんだと言われるのは納得の、容赦ない追撃っぷりだ。 「アレがカワイく見えるって目が腐ってるアル」 「腐ってねえもん」 「まだダメガネのほうが可愛げあるヨ」 「メガネ掛け器に興味はねえ」 「それなりにホレてるのは間違いなさそうアルけど」 俺を見る神楽の目は冷ややかだ。さっき『キモい』とも言ってたし、歓迎はされてないのはわかる。 「私がマヨラーでも、そりゃ銀ちゃんが心底ホレてるのかアヤシイと思うヨ」 約束の木曜日、十四郎は一緒に行かないのかと控えめに聞いてきた。その日はバイト先の店長が別れた奥さんと久しぶりに会えるとかで浮かれてて店を休みやがったんで、バイトが急遽なくなって暇は暇だった。竹刀を貸すからと言う十四郎の、いつになくキラキラした瞳にやられてとうとう頷いてしまった。でも竹刀はいらない、練習には出ないって言ったらしゅん、てなった。すげえがっかりして、いつもなら隠そうとするのに落胆が目に見えてちょっと焦った。 そうは言っても新八の希望は、近藤たちの代の厳しい練習風景を下級生に体験させることだ。俺みたいに仮入部しちゃ辞めてを繰り返し、とうとう入部もせずろくに練習にも出なかったヤツは居たらいけないと十四郎を説き伏せ、見学だけにとどめてもらった。来てみたら同じく見学という名の野次馬で神楽が来てて、揃って道場の隅っこでダベることになった。新八にくっついて来た神楽を見て沖田が嫌な顔をしたのは言うまでもない。 「それはいいんだよ。信じてもらえるように努力するから。これから大事にするから――それより」 神楽は女というカテゴリに入れるのを躊躇するような、がさつ食欲魔人で腕っぷしにモノ言わせるとハンパない奴だが案外見るとこは見てるように思う。俺が十四郎と一緒に来て練習前に少し二人で立ち話したところを見ただけで、何があったと俺に尋ねてきた。だからつき合ってると言ったら今までのいきさつを根掘り葉掘り聞いてきて、この前の近藤たちとの飲み会で何となく違和感があったことまで聞き出されてしまった。 「なんかこう……自然に言葉が出てこねえっつーか。あれ、俺いつも十四郎とどうやってしゃべってたっけっていちいち考えちまうっつーか」 「お前らのイチャイチャっぷりなんかどうでもいいヨ、そんなの見せられても迷惑なだけネ」 「イチャイチャできねえんだってば」 「だから言ってるアル。マヨラーは銀ちゃんと長くつき合うつもりなんかないネ」 十四郎たちOBは指導のほうに回ることにしたらしい。近藤はゴリラのくせにこういうときだけはエラそうに全体を眺めて、こいつはと思った奴におもむろに手本なんか見せてやってるけれど、十四郎はクソ真面目に端から回ってちょっとでも打ち込みが甘いとたちどころに呼び止めて竹刀で小突きながらあれこれ指摘している。かと思えば待たされている相手に自分が相手になって、キレイな一本を決めて見せる。 「マヨラーは昔からああいう奴ネ」 と神楽は十四郎のほうを顎でしゃくって、新しい酢昆布の箱を取り出した。 「部活のときだけじゃなかったアル。私にもいろいろ文句言ってきてうるさかったヨ」 「ああ……風紀委員な」 「言いたいこと我慢するタイプじゃないと思ってたヨ。銀ちゃんには言いたいことも言えないんじゃ、長くなんか続かないネ」 「続けるもん」 「だからマヨラーは続けるつもりないアル」 「なんでだよ」 「続けたいとは思ってるかもしれないけど、続くと思ってないヨ」 「だ、か、ら! なんでそう言い切れるんだっつの」 「今日誘ったのってマヨラーからアルか」 「そうだけど」 「記念にツーショット、ってとこヨ。卒業式でありがちネ、『センパーイ記念に一枚撮らせてくださーい、あと好きでしたーテヘ』ってヤツ」 「?」 「最後だからちょっと思い切っちゃった、テヘ☆みたいな」 「最後だから……?」 「そんで四月には別のオトコとつき合ってるネ」 「はあ!?」 沖田の前に高校生が並んで立合いの順番を待ってる。それを一人一撃、立ち合って数秒で片付けていく向こうでは、痺れを切らしたらしい十四郎が一人を突きで吹っ飛ばしていた。可哀想に。相手が。 「記念に一緒のお出掛けしたかったんじゃないかって言ってるネ――いつ銀ちゃんと別れてもいいように」 ホントは一緒にケンドーしたかったんじゃないのかと鼻で笑われて、竹刀を貸すからと食い下がった十四郎を思い出す。 『もう全然手入れしてねーし。ささくれてんだろうし、弦だって切れてても……』 『持ってきたら俺が手入れする。俺ので良ければ貸すし』 『竹刀だけあってもなあ』 『道着も貸せるし! 防具は……部室に予備がある、はず』 『ヤダよ部室に置きっぱの小手なんてクッセーじゃん』 『じゃあ、それは俺が使うから俺の使って、』 『そうじゃなくて。新八はおめーらの練習が見てえんだろ。俺じゃなくて』 そう言ったら十四郎は遂に黙って、泣き出しそうな目で俺を見てたっけ。 「記念に、ねえ……」 「明日銀ちゃんに『やっぱり女とやり直すことにしたから』って言われてもいいように、オモイデ作りってとこアルよ。絶対」 「……」 「だいたいマヨラーが好きならなんで今までカノジョばっか作ってたアルか。そんなんだから信じてもらえないアル」 「つき合うなら女かなって……高杉のバカにカノジョいんのになんで俺にいねーんだって腹立つし……」 「最低ネ」 「……そうだな」 「高杉とつき合えば? そんなに気になるならヨ」 「ないわ。たとえ話でもないわ」 「なんでいっつも一緒にいた高杉じゃなくて全然一緒にいなかったマヨラーなんだかわかんないヨ」 神楽にわからなくたって俺には白と黒くらい違いがハッキリしてる。十四郎とキスするのは気持ちいいけど、バカ杉なんざ想像さえしたくない。ついでに言うといくら生物学的に神楽が女だからって、神楽も高杉レベルで想像したくない。 「男でも女でも、十四郎以外考えらんねえんだけどなぁ……なんであんなに不安そうなんだろ」 「急に『好きだった』って言われても。どっから湧いて出たかわかんないモン信じろって言うほうが無茶ネ」 「……俺は信じられたけど。あいつに言われたとき」 「言われたわけじゃないのに?」 「は、」 「いないほうがいい、って言ったってさっき自分で言ってたネ。帰りたがったって」 「……ああ、」 そもそもの始まりの日、十四郎は俺に好きだとは言わなかった。俺はいないほうがいい、長居しすぎた、と言った。帰る、と。 その言葉こそが、俺に十四郎の本心を確信させた。言葉と態度の食い違いに、いや、態度も俺を拒絶していたけれど、その態度も含めて。 手を伸ばせば簡単に届くと思っていた、あの時は。そして届いたと信じていた。 「――俺に好かれるはずねえから、離れようとした、のか」 何度もそう言ってたじゃないか。恋人になってからも、まるで十四郎の片想いみたいな言葉がいくつもあったじゃないか。 「私もそう思うヨ。銀ちゃんがマヨラーのこと好きなはずないネ」 マヨラーちっとも嬉しそうじゃないもの、と神楽は言った。 「さっき話してたときも。マヨラー、片想いしてるジョシコーセーみたいな顔してたネ」 「あいつってさ……あんまそういうの、顔に出ねえよな、いつもは」 「ホラ。銀ちゃんアイツのどこ見てたアルか」 「え、」 「ドSとギャアギャアやってるとこ見たことないアルか。キレて地味顔ぶん殴ってるとこ、忘れたアルか」 「……」 言われてみれば、そうだ。 この前も沖田とはやり合ってたしジミーは八つ当たりされてて、俺はそれを見て確かに懐かしいと思った。 でも同時に珍しかったんだ。俺の隣でクルクルと表情を変える十四郎が。そういう十四郎はいつも俺から少し離れたところにいて、俺はその頃高杉やヅラなんかとギャアギャアやってたから。表情豊かな十四郎は、『俺に関係ないその他大勢』だったんだ。 だから違和感があったのか。間近に見た、いつもと違う十四郎に。 「俺には遠慮してる……?」 「そんなの私が知るわけないネ。ホントにつき合ってるならマヨラーに聞いたらいいアル」 「……」 「私から見たら銀ちゃんが今日練習に出ないのは当たり前ネ。銀ちゃんとマヨラーってこんなかんじじゃね?」 「こんな、って」 「一緒にいたことないネ。ニホンゴでなんてーの? ノリマキ?」 「おめーワザとだろ!」 遠巻きな、と直してやりながらもう一度遠く離れた十四郎を見る。生き生きと、近藤と沖田に並んで声を張る十四郎を。 俺はその場にいたことがなかった。彼らとそれなりに親しくはしたけれど、俺のホームグラウンドはやっぱり高杉やヅラや、辰馬たちだった。 練習が終わりに近い。 そばにいた誰かに声を掛けて、OBの坂田だと名乗る。一年生らしいそいつは、俺が正規の部員じゃなかったことも知らないだろう。 「ちょっと悪ィんだけど、頼みがあんだわ」 神楽は立ち上がった俺を黙って見上げた。目が合うと、およそ女とは思えないようなオッサンくさい笑い方をした。 「志村。残り時間は」 「あと三十分はないです」 「なら今から模範試合をする。俺たちでひとチームとして、現役から三人……」 「それじゃァ現役クンに不利じゃねーの」 「は、おま」 「現役クン、俺がおめーらのほうについてやっからおめーらは自力で一勝しな」 「お前、」 「あ? 三人制なら二本先取だろ。俺が一人片付けてやっからよ。現役クンは一人倒せば、おめーらの勝ちだぜ」 「……坂田」 十四郎の口から久々にその呼び方を聞いた。この場にはいかにもそれがふさわしいと思った。 上から下まで一式全部借り物だがさすがにわかったらしい。小手に手ェ突っ込むときはかなり躊躇したけどつけちまえばもう手に馴染み始めている。 「俺も混ぜろ。俺は土方クンがいい」 「……対戦相手先に言っちゃ………まあいい」 面を小脇に抱えて十四郎はニヤリと笑った。 そんな顔、初めて見た。いつもの遠慮がちな表情はどこにもない。そしてそれは思った以上に心地よい。 沖田の相手は一年が、大将戦は新八が出ることになった。沖田には勝てないと踏んで、一年生に経験を積ませるつもりだろう。チームの戦略なんざ俺の知ったこっちゃない。 沖田対一年は予想通り呆気なく沖田の圧勝に終わった。十四郎は――土方は、もう面をつけて準備万端だ。顔は見えなくても闘志が身体全体から立ち上って見える。 そして俺たちは向き合った。 「俺とやってくれりゃァいいのになあ。土方さんばっかずりィや」 「おめーとやったら時間かかってしゃーねえでしょうが。俺ァ長い試合嫌ェなの」 「やっぱ強えな! 公式戦負け無しは伊達じゃねえな」 「うっせー黙れゴリラ。一年しか公式戦出てねっつの」 「銀さんが……話には聞いてましたけど土方さん負かしちゃうとは……」 「ダメガネのセンパイに手ェ抜くわけにいかねーだろ」 十四郎は黙ったまま近藤の隣を歩いている。俺はその背中を見ながら少し離れた後ろを歩く。何となく沖田が俺の隣に並び、その向こう側には神楽が、そして半歩遅れて新八が続く。 沖田が飲みに行きたがり、新八が『僕たち高校生はこれで』と言いながらつい神楽を見てしまって沖田に睨まれる。当の神楽は沖田に向かって舌を出し、掴み合いが始まる。 「今日は解散! 新八くんもお妙さんが心配するし。なっ」 「近藤さん連れて帰って来なきゃ大丈夫かと……いや何でもないです」 「俺が新八くん送るから、総悟はチャイナさん送ってきなさい。トシは、」 と言って近藤は少し笑って十四郎の顔を覗き込んだ。 「俺が送ってく。手ェ出すなゴリラ」 「ゴリラじゃないもん! なっトシ」 「……」 「トシ?」 俺は近藤を押し退けて、十四郎の横に並ぶ。空いたほうの手を握り、指の間に指をねじ込んで手のひらを合わせる。十四郎が驚いて顔を上げる。 「十四郎は俺と帰りマス」 「さかっ……ぎ、ん」 「二人っきりで反省会するから! 邪魔すんな」 「おいっ」 「ぱっつぁん! 上手いことゴリラ撒けよ! じゃあな」 新八は仕方なさそうに笑って手を挙げた。沖田と神楽はまだ掴み合ってる。十四郎の手を引いて引き寄せると、頬は染めたままマジマジと俺を見つめていた。 「反省会って、」 「とうしろクンが納得いくまで、素振りでも何でも付き合ってやるよ」 「ホントか……!」 十四郎の目がキラキラ輝いている。 ああ、神楽の言う通りだ。 このひとの、本来の姿はこうだった。 ひたむきで一途な、それ故に人を寄せ付けにくい雰囲気を纏ってしまうひと。 その姿がいい加減な俺には眩しすぎて、近寄ることが躊躇われた。俺みたいな俗物が触れていいひととは思えなかったから。遠くにいて眺めていられればそれで良かったのだ。 試合ごとに呼ばれたとはいえ正規の部員ではなかった俺には、そのひとを眺める機会は多くなかった。凛として竹刀を振る眩しい姿を、日常的に見ることがなかった。それ故にかえって、真向かいに立ちながらどこか遠いひとだ思い、理想化していたのかもしれない。神楽が言うところの『遠巻き』に眺めているように見えたし、ジミーの言葉で言えば『あんまり接点なかった』ような態度になったのだろう。 それが『恋』だったのかと問われれば、当時の気持ちに自信はない。今が『恋』であることは断言できるけれど、あの時の気持ちは恋には至らない、憧れのようなものだったかもしれないとも思う。 「付き合ってやる、んじゃねーな」 そう呟くと俺の隣で十四郎はたちまち顔を曇らせた。握り込んだ指でその手の甲をそっと撫で、良からぬ想像をしたらしい恋人に、そうじゃないんだと伝える。 「俺はさ、ちゃんと練習したことねえんだ。だからお前のやり方教えて」 「?……でも今日の反省か、」 「俺は俺の反省する。お前に教えるなんてできねーけど、俺のやり方でなんか……お前の足しになるんなら。真似してくれてもいいし、どうやってんのかって聞いてくれれば答える」 「おう……でも、」 「俺は自己流なんだよ。基礎とか知らねえし、練習のやり方だってあんなの知らなかった。だから、教えて」 「……なんかよくわかんねーけど、お前がそう言うなら」 納得したようなしないような、中途半端な顔で十四郎は曖昧に頷いた。 今さら真面目に稽古してみようと思ったわけではない。十四郎が生き生きと竹刀を振っていた姿が目蓋の裏に焼き付いて、あれがもう一度見たかっただけだ。 昔、高校生だった頃も確かにこの気持ちを抱いていた。負けても負けても一人竹刀を振り続ける姿が、そして次に見たときには必ず前よりもっと輝く真摯な姿勢が、眩しいと思った。 あの時と変わらない気持ちを抱いた俺は今、あのときとは違ってその眩しいひとの真隣を歩き、その手を握っている。愛しいと思っている。 このひとに恥ずかしくない人間でありたいと願っている。 「まずはこっからだろ」 また独り言が口から溢れて、十四郎は不思議そうに俺の顔を見た。キスしたいのを堪えて、俺はただ黙って微笑んで見せた。 前へ/次へ 目次TOPへ |