砂漠のひと粒 そんなことはずっと前から知っていたと沖田は鼻で笑った。 「旦那は女が好きだったみてえなんで、黙っててあげたんでさ。とうとう絡めとられたようですが」 「絡め……って、別にそんなんじゃねえし」 「じゃあなんです。今の話だと、土方さんとつき合う前日まで女とよろしくやってたわけでしょう」 「そういう言い方すると、アレだ、なんか俺が節操ナシに聞こえるけど」 「節操ナシじゃねえなら土方が怨念募らせてアンタを絡めとったとしか言いようがねえ」 「そんなんじゃねえもん」 「じゃあアンタが節操ナシなんですかィ」 俺の隣で十四郎は居心地悪そうに俯いている。沖田の隣で近藤は俺と沖田を見比べるのに忙しいし、地味な山なんとかクンは俺たちにお構いなしにビールグビグビ飲んでる。 十四郎を恋人として友人に紹介しようと決めてから、さて相手は誰にしようかとしばらく俺は思い悩んだ。高杉やヅラも一度は考えた。奴らは俺から十四郎について話したことがある。少しは軟着陸できるんじゃないか、少なくとも初耳で仰天させる相手よりマシじゃないかとも考えた。でも、やめた。十四郎と面識もあるし、遠い関係でもないとはいえ奴らはもともと俺の友達だ。十四郎にとってはやっぱりアウェイ感があるんじゃないだろうか。 それで十四郎と仲がいい近藤たちにしようと決心したのは、十四郎を人に紹介すると宣言してからすでに二か月も経ったときのことだった。 近藤たちと飲みに行ってもいいかと遠慮がちに俺に尋ねる十四郎に、俺は一緒に行きたいと頼んだ。少し驚いたようだったけど、十四郎はすぐに許してくれた。で、旧剣道部の飲み会に俺も紛れることになって今ここにいる。 俺たちつき合ってるんだ、と切り出したら一瞬沈黙があって、近藤が『知ってるよ』と答えつつ目が泳いだのを俺は見てしまった。こいつはいつも十四郎と一緒に行動してたから、十四郎に救いの手を差し伸べようとしたものの躊躇いはあったんだろう――男と男の恋愛関係を認めることに。そこに思うところはあっても、少なくとも正面切って反対しないでくれたことは有り難かった。このゴリラがやたら十四郎に構うことへの苛立ちを差っ引いてもお釣りがくるくらいには感謝した。 だが沖田の言う『知っていた』とはそのことじゃなかった。つき合ってることじゃなくて、十四郎がずっと俺を好きだったってことを、こいつは知ってたらしい。そして俺が十四郎の恋愛感情に絆されただけだと言いたいわけだ。 「節操は……まあ、反省してマス」 「カノジョ切らしてませんでしたもんね、旦那って」 「切らしてたことのほうが多いだろ。つーかジミーくん、お前が俺の何を知ってるってーの」 「ジミーってなんだ地味だからか!?」 「うん」 「なんですかそれ、何年アンタと顔合わせてると……もういいや。あー、旦那のことは特に何にも知りませんけど、カノジョはけっこういましたよね」 「おめーはたましかいねえもんな! それに比べたらけっこういたけどね! でも高杉より品行方正デス」 「一人いれば充分じゃん、俺なんかお妙さんに結局振り向いてもらえなかったのに!」 「まだ付き纏ってるってぱっつぁんが嘆いてるぞ」 「一途ってのはそういうことだろ」 「違いますが!?」 そこで料理が来て、話は一旦中断した。 剣道部はこいつらが抜けてから弱体化する一方で、今の部長である志村新八が黄金時代のOBたちに練習参加を依頼して来たらしい。今日はその相談って名目の飲み会だ。お前も練習に来いよ、と近藤はあっさり言うけど俺剣道部じゃないからね。 「近藤さん行くのか。もう志村も引退だろう」 「引退する前に昔の練習を見せたいんだろ。まあ俺も卒業以来稽古できてねえし、たまにはおもっきり竹刀振りたいし」 「近藤さんが行くなら……」 と十四郎は言いかけて俺のほうにチラリと視線を送る。可愛いな、なんだろうとぼんやり見返してたら沖田が舌打ちした。 「旦那に聞かねえとテメーの行動も決めらンねえのかよ、キモっ」 「キモってなんだ!? おおお俺は、そんなんじゃなくてただ、……」 「ただ? なんです」 「ただ……ぎ、さ、さ、かたの、予定が、その」 「え? 俺も行くことになってんの?」 「行かねえのか?」 十四郎は瞬きして俺をきょとんと見つめた。あれ、俺も行くって思い込んでたみたい。 「俺ァ剣道部じゃねえしおめーらの練習メニューとか知らねえし。新八はおめーの鬼っぷりを持ち込みてえんだろ」 「でも、強えのに」 「そりゃ一年のときの話。あれっきりろくに稽古してねえし、もうカラダ動かねえって」 「そりゃ俺たちも一緒だって。坂田は公式戦負けなしだったよな」 「あ? ゴリラのくせによく覚えてんな。言っとくけど俺だけじゃねえから。ヅラも公式戦は負けてねえぞ、練習試合は負けてたけどな」 「旦那ぁ一回俺とやりやしょーぜ。結局一回もやれねえうちに来なくなっちまって」 「そら部員足りたら俺たちゃ用無しだろ、オメーとは当たんなくてよかったわ」 「沖田さんと旦那の試合、一度見てみたいですね」 十四郎を横目で見たら、黙々と自分の皿にマヨネーズぶちまけてた。腹減ってたのかな。マヨネーズは単体で食うもんじゃないと思うけど。マヨ絞りに夢中で話に入ってこないのは如何なものか。キミが中心になって練習メニュー組んでたんでしょうが。 「旦那が来て俺とやり合うのは願ってもねえことですが、土方さんも来るんですかィ」 「……え? ああ、まあ……」 十四郎は中途半端に目を上げて、もごもごと答えにならない答えを呟きながらまた俺をチラリと見た。十四郎は行かなきゃならないメンツだろうに、はっきりしたことも言わずまたマヨ絞りに精を出している。 「トシが来ねえとイマイチ締まらねえからなぁ。予定は合わせるから来てくれよ」 「……うん………そうだけど……」 「土方さん忙しいんですか」 「や、そんなことも……ねえ、けど」 と言って十四郎はまたもや俺をチラ見する。 沖田が盛大にため息を吐いた。 「旦那、土方のヤローはアンタの許可がねえと身動き取れねえようですぜ」 「えっそんなことねえだろ。な、十四郎」 「と、とうしろう……」 ジミーがボソッとなんか言ったが気にしない。それより十四郎だ。肝心の本人はマヨ山盛りの皿を見つめて黙り込んでいる。 「ぶっちゃけトシが来てくんねえと俺、何やらせていいかわかんねーや」 「……でも」 「チッ、もう旦那の顔色窺ってばっかのヤローなんざほっときやしょうぜ。メニューは俺が考えるんで。取り敢えず現役ども残らずブチのめす方向で」 「そんなことしちゃダメだからね。総悟は大人しくしてなさい。で、トシは? 行くよな?」 「や、あの……」 ここに至ってやっと俺は、十四郎がほんとに俺の返事を待っていることに気づいた。ちょっと優越感に浸りながら十四郎のほうをしっかり向いて、言葉で背中を押してやる。 「十四郎の好きにすればいいよ。俺のことは気にしないで」 「ほんとにいいのか」 「当たり前だろ」 「ッ、そうか……なら、部活に間に合う時間が空いてんのは、」 ホッとしたのか十四郎はスマホを弄って自分のスケジュールを確認し始めた。そしてさっきのグダグダさは何処へやら、一変してテキパキと候補日を上げていく。なんなのこの変わりよう。びっくりするわ。 驚いたのは俺だけじゃなかった。ジミーが恐る恐る口を挟む。 「えっと、旦那? あの、あんまり束縛するのもどうかと……ていうか土方さんてそういうキャラでしたっけ」 「あ? キャラってなんだテキトー言ってっとブン殴んぞ山崎のくせに」 「あだッもうブン殴んの!? ほら! 土方さんてそういう、口より先に手が出るキャ、イダイイダイごべんなざい」 「カレシの前じゃ猫被ってんでしょうが無駄でさ。アンタの本性なんざ俺たちがキッチリ把握してますから後でコッテリ旦那にバラしときまさァ」 「俺の本性てなんだァァア!? 余計なこと言うんじゃねえぞ!?」 やっと懐かしいノリになってきた。高校のとき、十四郎はこいつらといつもこんな感じでツッコみツッコまれてやってたのを見ていた。でも、違和感があるのは否めない。なんだろう。なんだか落ち着かない。 「まあまあ。沖田くんにはあとで個別に話聞くから」 「ぎ……、」 「じゃあここ出たら二人で飲み直しましょうや」 「お前の奢りな」 「情報提供料として旦那でしょ」 「金ねえんだけど」 「じゃあ諦めなせえ」 「……」 「トシ?」 「……」 十四郎の目が俺を通って、また皿に戻っていった。そしてせっかく開いた口を閉ざし、もう何度目かのマヨネーズをもりもり盛る作業に戻る。 俺が会話に加わると十四郎が黙ってしまう。十四郎が加わると、 (俺はどの立ち位置にいりゃいいんだ) これだ。違和感の元は。 こいつらと、十四郎と、俺。そのそれぞれのポジションがあったはずだ。三者が上手いこと噛み合うやり方が。 でも今、それが思い出せない。 高校のとき、近藤たちともそれなりに交流はあった。その中にはもちろん十四郎もいて、複数でこうしてダベったことも何度もあったはずだ。なのにそのときみたいに今、こいつらと十四郎と、両方と上手いこと関われる方法が掴めないんだ。 「十四郎?」 「……なに、」 「どしたの」 「なにが」 「……いや、なんか」 「じゃあトシ、来週の木曜日でいいか。そこなら俺も時間取れるわ」 「おう、いいぞ。総悟と山崎も来んのか」 「俺はちょっと。バイトが立て込んでて当分ムリなんで、今回はパスします」 「今回はって、次回はねえぞ多分」 「志村も引退ですからねィ。二度と呼ばれねーなら徹底的に潰してやらァ」 「テメーは趣旨を毎日百回音読してから来やがれクソが」 「ついでに土方さんも潰してあげまさァ、楽しみだな」 「んだとゴラァァア!?」 俺がいることなんか忘れたように沖田とやり合う十四郎の姿は見覚えがある。こいつ昔もよくこんなふうにムキになってたよな、と思い出す。特に沖田にはとことん揶揄い倒されて、その度に全力で立ち向かうのがますます沖田のドS心に火をつけるのがわからないらしい。 (俺にはこんなにムキにならないよなぁ) この怒声を浴びせられたことが、俺はない。高校のときも、大学に入っても、つき合うようになってさえ、十四郎は俺に感情を剥き出しにしたことはない。俺に責められて思わずホロリと本心を溢したことはあっても、こんなに自由気ままに怒鳴りあげられたことがない。 ――あれ、なんでないんだろう 「旦那はいつから土方さんが好きになったんですか」 十四郎と沖田の小競り合いに慣れきったジミーは我関せずとビールをぐびぐびやりながら俺に話を振る。俺は内心考え込む。 (いつからって、そんなの) 「気づいたら好きだった、かな」 「旦那って昔から来るもの拒まずでしたもんね」 「そういうわけじゃ……女はそうだけど」 「土方さんのケースは珍しいですよね」 「何が」 「フリーじゃないのにわざわざ前カノと別れて土方さんとつき合ったんなら、旦那にしちゃ珍しいかなって」 「んだよ、俺の恋愛パターン把握してマス!ってツラしてよぉ! なんなの」 「でも間違ってないでしょ」 「どこがだよ間違っ……てない? あれ? なんの話だっけ?」 「フリーならつき合う、フリーじゃないと断るってのがパターンでしょう、つーか本命は誰だったんです」 「……今は、こいつだけ」 本命という言葉は当てはまらない気がする。十四郎以外あり得ないから。数あるうちの一人ではなく、十四郎しかいないことが本当に理解されているんだろうか。 現にジミーは半信半疑って顔をして憚らない。過去の行状があまり芳しくないので強く抗議はできないが、十四郎への気持ちまでいい加減と思われるのは悔しい。 ジミーは首を傾げて言い募る。 「土方さんがほんとに前から旦那のこと好きだったとしても、旦那は前から土方さんのこと好きとかそういうのはないですよね」 「……気づかなかっただけだ」 「そうですかね。だいたい旦那って、土方さんとあんまり接点なかったと思うんですけど」 「え、」 「俺たちとはいろいろつるみましたけど、そこに土方さんがいないことのほうが多かったでしょう」 「……」 そうだろうか。 カノジョがいるときは距離を置いていたと十四郎に聞いたことがある。高校時代、この地味顔が言うほど俺はカノジョを切らせたことがないわけじゃないが、それなりにいたのは確かだ。それを理由に十四郎は俺を避けていたのかもしれない。 だから今、距離感が掴めないのだろうか。 同じ席にいながらなんとなくチグハグな交流は、居酒屋の時間制限によって終わりになった。 十四郎はちゃんと近藤たちと約束ができたし、俺は当初の目的通り『十四郎のカレシ』として同席できたし、これでいいはずなのになんだか消化不良でモヤモヤする。 ぞろぞろと駅へ向かい、それぞれの住処へと散らばる前に沖田が俺に絡んできた。 「で、旦那は二軒目行くんで? 行くんなら俺も行きやすが」 「えー金ねえんだけど」 「家近えだろィ。電車代かかんねえんだからその分飲みやしょうぜ」 「うーん……」 見るともなしに十四郎に目をやると、じっと俺を見つめている。心なしか眉間に皺が寄っている。あれ、沖田とサシ飲みは嫌なのかな。 「やっぱ今日はやめとく。また今度な」 「チッ」 沖田はわざとらしくしかめっ面を作って見せて、俺ではなく十四郎を睨んだ。 「せいぜい往生際悪く旦那にしがみついてなせィ。フラれんのも時間の問題でさァ」 「……」 「俺は十四郎と別れたりしないよ」 照れ臭いのを堪えてそう言うと、ああ俺はこいつの恋人なんだなって今さらのように実感が湧いてくる。そして今までの違和感が薄れる。 「今日は……家に帰んのか」 十四郎が俺の後ろで小さく呟く。それを見た沖田がやってらんねえやと言い捨てて手をひらひらさせながら改札に消えていく。 「こっからなら近えからなぁ。ま、ちょっと酔い冷ましてから帰るかな」 「……帰んねえとダメか」 「? 別にダメじゃねえけど」 「松陽先生が待ってるなら、引き止めたら悪ィから」 「松陽? 待ってねえよありえねーわ」 「でも今日」 「?」 十四郎の視線が俺に辿り着き、すぐにフラフラと離れていく。今日何度見たことか。 「どったの。今日変だぞ」 「その」 「うん」 「お前はそういうの、き、気にしねえのかもしんねえが」 「うん?」 「……誕生日だろ、今日」 誰の、と聞こうとして、一応スマホの画面を見て、十日なことを確認して、 「――俺のか」 スマホの先で十四郎がこっくりと頷くのが見えた。 「もしかして、そんでずっと緊張してたの? それ言おうとして?」 「それ、っつーか……帰んねえと、いけねえのかなって」 「もう。ハッキリ言えよ帰んねえで欲しいんだろ?」 途端に困ったように十四郎の口許が歪み、とうとう目を伏せてしまった。俺は笑い出しそうになる。 「十四郎クンからお誘いもらうの、三回目かな」 「な……っ、」 「バイトの帰りと、カレーんときと、今日」 「あ……迷惑なら、」 「迷惑なわけねえじゃんなに言ってんの」 十四郎の手を握り、俺は改札に向かった。沖田なんかとっくに電車に乗ってるだろう。ここからは俺と十四郎、二人っきりだ。 「せっかく誕生日なんだからさ。泊まりに行っていい?」 「忘れてたくせに……」 「テメーの誕生日なんざいちいち気にしてねっつーの。気にしてくれる人がいなきゃ、なんの意味もねえだろ」 二人きりならいつも通り。 十四郎の言葉は少ないけれど、想いは痛いほど伝わってくる。 愛されてるのと同じだけ、俺の気持ちも伝わっていてほしい。 そう願って、俺は十四郎の手を改めて握り直した。 そして今日、友人達との席で持ち続けた違和感も、忘れてしまった。 前へ/次へ 目次TOPへ |