嫉妬と望み


 この世には自分の想像の及ばないことがたくさんある。
 今日当たり前だったことが、明日には平気でひっくり返ることだってある。
 今日十四郎は俺が嫌いになるわけがないと信じているとしても、明日は俺より大切な相手に出会うかもしれない。
 今日俺のためにしてくれたこのいじらしい努力を、明日は他の誰かに注がないとどうして言えるのか。



「銀時……ッ」

 十四郎が俺の身体の下でもがく。力で抑え込もうにも、相手は俺と同じ体格の男だから容易じゃない。それでも床に押し付ける。

「ぎんとき、」
「ぎゅってして」
「は……?」
「ぎゅってして。してくんないと離さない」
「……どうしたんだよ、」

 言われるがままに十四郎は俺の腰に腕を回した。言われるがままに。
 どうして自分から抱きついてくれないんだろう。俺が抱く、それからしばらくして意を決したようにそろそろと腕を回す。いつもそうだ。十四郎からくっついてきたことはない。ましてや抱きつくことも。

「……ほんとに好き?」
「当たり前だって言っただろ!」
「なんで? なんで俺だったの」
「なんで、って……気づいたら」

 目を真っ直ぐ見つめたら、十四郎はふと視線を逸らした。

「気づいたら、もう……好きだった」
「なんで? だって男だぞ、お前今までだって他にいろんな女」
「……やっぱり男は、嫌か」

 腕が離れていく。戻ってきた視線は絶望の一色に染まっている。

「むしろ俺が聞きたいよ。男だぞ。お前はずっと――女とつき合ってきたじゃねえか」
「そうじゃねえよ俺が言いたいのは! なんで俺だったんだ、男だってゴリラとか、高杉とかいるだろ、そうじゃなくてなんで俺だったんだ」
「お前は『こいつを好きになろう』と思って好きになれるのか。こいつは好きにならねえどこうって、意志でなんとかなんのか」

 見上げる目が真っ直ぐ俺を見つめる。そこには今や恐怖さえ浮かんでいるように見える。

「俺のことも……無理に、つき合ってるのか」
「違うってば!」
「じゃあなんだ。今までつき合っ……いや、言っても仕方ねえな」

 退いてくれ、と十四郎は呟いた。
 逆に抱きしめて、顔も見えないくらいぎゅうぎゅうに抱きしめた。腕の中で息を飲むのが聞こえた。

「ずっとここに閉じ込めときたい」
「……」
「他の誰かに取られるくらいなら。俺にしか会わなくて済むように、ずっとここで」
「……」
「でも、見せたい。こいつが俺のこと好きだって言うんだって、言って回りたい」
「……ぎんとき」
「どうしていいかわかんねえ。どうしたらいいんだ。なんでこんな好きになっちゃったんだ」
「後悔、してるなら」
「してない。する暇がない」
「……」
「どうしよう。好き過ぎておかしくなりそう」

 十四郎の腕が、そろりと戻ってきた。今度は背中に回って、あやすように柔らかく叩く。その暖かさにますます腕に力が籠る。

「俺がここに閉じこもってればいいのか」

 くぐもった声がする。

「お前がそうしろって言うなら……」
「なんでしちゃうの。そんなの駄目に決まってんだろ」
「……そう、だな」
「お前どんだけ俺の言うこと聞くの。俺が首輪付けてここに繋いどくって言ったらほんとに繋がれちまうの。俺の言うことなんでも聞いちゃうの」

 十四郎の手が止まった。背中から離れはしないけど、止まってしまった。

「お前が望むなら、繋がれてもいいと思うのはほんとだ」

 きゅう、と服を握られた。

「でも先に言われちまっちゃ、ダメ、だな」
「?」
「俺は……お前がどうしてほしいか、自分で考えたい、から」
「?」
「気に入られたい。がっかりされたくない。なんだこんなモンかって……いつかお前が思う日が来る」
「来ねえよそんなん!」
「来る。その日までは、傍にいたいと思うから……お前がどうしてほしいのか、お前が思うより先に俺がわかれば、いいのに」

 不安になって顔が見ようと腕を緩めたら、十四郎のほうからしがみついてきた。俺の胸に顔を埋めて、深呼吸をひとつ。


「消えろって言われるより繋がれるほうがずっといい。でも……きっといつか、お前は飽きる」


 十四郎の声は落ち着いていて、まるで筋書きを読み上げているみたいだった。諦めなのだろうか。そんなの悲しすぎる。

「そのときが来るのを、一秒でもいい。遅らせたい、だろ」
「……」
「だからお前がまだ考えてないことを、俺が探したいんだ。お前が俺に、してほしいこと」
「……」
「それが余計な世話だって言われちゃ、もうどうしようもないけど」
「とおしろ、」

 もう一度愛しいひとを腕に閉じ込めた。深く息を吸い込むと、十四郎の匂いで肺がいっぱいになった。俺の体のすみずみまで十四郎が行き渡ったような気がした。
 それは、この上なく幸せな気分だった。

「もうそんなこと考えなくていい」

 と言ったら十四郎の腕が強張った。

「そんなこと考えなくても、好きだから」

 信じてもらえないのではない。納得がいかないのだろう。
 今までどうやったって無理だと思ってたことが急に上手くいって、その原因がわかんないから不安になるんだ。今自分がしてることは正しいのか。偶然上手くいってるだけなのか。
 猿飛や月詠に見せたかったのは事実だ。そしてたまたま二人は十四郎に心惹かれなかった。だが他はどうだ。高杉は本当に揶揄うだけなのか。陸奥は。それだけじゃない、今俺が知らない世界中の誰かが十四郎を好きになって、どうにかして十四郎を自分のものにしようとするかもしれない。いや、確実に誰かは試みるだろう。現にこの前十四郎を紹介しろという女がいたじゃないか。これまでだって、何人も十四郎に告白してたじゃないか。

「俺、ちょっとだけわかった」

 そういうことだ。今まで一人ぼっちだった十四郎が、俄かに俺との未来を信じられるはずがない。いつか突然断たれる幸せに、怯えないわけがない。
 その日が来ても、俺を憎めないと知っているから。

「あのね。俺、十四郎が他の人好きになっても」

 抗議するように十四郎の腕に力が籠ったけれど、俺は十四郎の滑らかな髪に指を通しながら、これだけは言わなきゃいけないと強く願った。

「俺なんか嫌いだって十四郎が思っても」
「そ、」
「十四郎が好き。絶対報われないって決まっても。好きだ」
「……」
「きっとお前はずっとこんな気持ちでいたんだろ、」

 それは辛い一方通行ではある。
 でも、辛いだけじゃない。
 大好きな人の幸せを願えるのは、幸せなことじゃないだろうか。
 そこに痛みが伴うもしても、そしてそれは耐え難い痛さでもう二度と目を開けたくないと叫びたくなっても。愛した人の幸せがあれば、苦しむ価値があるんじゃないか。少なくとも十四郎のために苦しむなら俺はそれを厭わないと思えるのだ。
 十四郎が動かなくなった。ときどき小さく息をつくのだけが聞こえた。

「今度はさ、友達に紹介するよ。俺の恋人だって」

 俺が焦がれている人が他の誰かに向いていても、それを理由に俺はそのひとを憎むことはできないと今、わかった。俺のために何かをしようと考えて考えて、何日も努力してくれたひとに俺は憎しみや恨みや、それから俺には漠然としか想像しかできない昏い負の感情を、ぶつけることはできないだろう。
 嫉妬はするに違いない。でも嫉妬とは、好きになってくれたらいいのにという望みに似ている。好きで堪らないからこそ、その感情を自分に向けてくれないことへの苦しみとか悲しみとか、そういう気持ちの総称なんじゃないかと思うのだ。
 それはつまり、好きだということ。

 十四郎がやっと顔を上げた。戸惑いで探るように俺を見上げる。

「好きだから。一緒にいろんなものを見よう」

 そして一緒にいろんなことを感じよう。
 同じ体験をしても君は俺と違う感じ方をするだろう。
 君の見た物を、感じたことを、俺にも教えて欲しい。そして俺のも聞いてほしい。


 驚いて不安の色を浮かべるひとに俺の想いを伝えるべく、まずはゆっくりと深いキスをした。
 

 


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