習ったら、実践 山崎から飲み会の案内メールが来た。 ちょっと考えて断ることにした。返信しようとしたら総悟から電話がきて、坂本が留学するから送別会するんでそっちに合流するかもと言われた。断ったらさんざんイジられたがいつものことだから放っといた。 銀時も行っただろうか。 合宿バイトから帰ってきた日にメールした。翌日電話がきて、来たそうだったのに断ってしまった。それ以来音沙汰がない。 どうしてるだろう。 会いたい。声が聞きたい。 でも、俺にはやらねばならないことがあった。 合宿バイトから帰って二週間、俺はようやく銀時に電話する決心をした。銀時が好きだと言ってくれてからこっち、こんなに長く会わなかったことはない。なんとなく緊張する。 『もしもしっ』 「あ、の……俺だけど」 あれ、銀時といつもどうやって話してたっけ。心臓がどくどく脈打って耳の中まで響いている。緊張で上手く息ができない。 『わかってる。どうした』 「え? あ……都合悪、かったら、その、掛け直」 『悪くねえよ。そうじゃなくて、どうしてたの』 「や、別に、なんにも」 これは嘘。 俺にとってはいろいろあった。でももう大丈夫。たぶん。大丈夫だと思うから電話したんだ。 『なんにもねえの?』 「え、ああ、特には」 今は言えない。それに、銀時にとってはたいしたことじゃない。 銀時は電話の向こうで黙り込む。機嫌を損ねたのだろうか。久しぶり過ぎて判断がつかない。 「あの、」 『なに』 「今日……じゃなくてもいいんだが、その、」 来てほしい。 俺の部屋に。 (もう俺に興味なんてなかったら) 今さらその可能性に思い当たり、愕然とする。 俺にとってはほんの少しの時間だったけど、銀時には、交友関係の広い銀時にとっては、他に心を移すには充分な時間だったかもしれない。そうだったらこの電話など、銀時にとっては迷惑以外の何物でもない。 そう思ったら声が上手く出なくなって、慣れない誘いの言葉は尻すぼみに消えていく。 銀時が笑った気配がした。 『なーに。今日じゃなくてもいいから、何』 口調が和らいだ。それだけでほっとしてしまう自分の女々しいこと。 「その……ぎ、んときの、都合は」 『俺? 今日はもうバイト終わった。明日は夕方から』 「え、そんな時間だったか……悪ィ遅くに、寝てた、か?」 『寝てねーよ。すぐ出たでしょ』 「あ、そ、そうか、そうだな、えと、」 『ちゃんと言って』 耳元で囁かれるような錯覚。くらり、と脳が揺れる。よかった、まだ傍にいられるみたいだ。 そう理解した途端に頬に血が上るのが鏡を見なくてもわかった。 『十四郎。電話、待ってた』 「ぁ……」 『用事があったんじゃねえの。なーに、言って』 「ぎん、とき……」 会いたい。今すぐ会いたい。おこがましいかもしれないけれど。 「今、から……来られる、か」 どくどく、どくどく、と心臓から血管から何から何まで、煩いくらいに鳴り続けて頭がくらくらする。ぎんとき。 ふう、と電話口からため息が聞こえて、全身が一瞬で凍りつく。迷惑だっただろうか。もう他の誰かと。 (いやだ) 『行く。すぐ出る――はあぁ、よかった』 「え、」 なに、どうして。なにが? 『誘ってくんねえかと思った。どんだけ待たせンだよ十四郎クンは』 「え? なん、で」 『ちょっと掛かるけど絶対行くから。あ、泊まっていい?』 「それはいいけど、なん」 『行く。待ってろ』 電話は突然切れた。 来る、らしい。ほんとに。 銀時が来る。また会える。 なんだ。会わなくても、また会えるんだ。尻込みしないでもっと早く電話すればよかった。ここに呼ぶわけにはいかなかったけれど、外で会うとか――短い時間なら。 しばらく放心してたらしい。ハッと正気に返って、俺は銀時を迎える準備のために慌ただしく外出準備をした。 「よう、お邪魔しま――あれ?」 銀時は部屋に上がりながら首を傾げた。 「いい匂い。何してんの」 「……飯は、食ったか」 「まだだけど。え、作ってんの?」 「……ッ、」 「うっそ、ちょ、言えよ! 俺作ったのに」 「いいんだ」 銀時に喜んでほしい。 何をしたら喜んでもらえるのか、俺にはわからない。松陽先生に直接聞くことは恐ろしくてできないが、一緒に生活したら何かがわかるのではないかと思った。幼馴染の桂から何か聞けるのではないかとも。 そして考えた末の結論がこれだ。 初まりのあの日、俺にフレンチトーストを焼かせて笑ってくれた銀時。 松陽先生が生徒に自炊させるなら、きっと銀時も料理なんてできて当たり前なんだろう。俺はあの日上手くできなくて、銀時は食べてくれたものの自分の拙さが恥ずかしかった。いろんな料理を作れる銀時に今すぐ俺が追いつくなんて到底できないけれど、まずはここから。 「バイト、行ってきた」 「え? うん」 「練習したけど、なかなか上手くなんなくて。時間、掛かっちまった」 ちゃんと銀時に料理を作りたかった。 銀時には遠く及ばないけれど。 恥ずかしくて顔が上げられない。 「でも多分今回は、なんとか食、食える、と思う」 桂が包丁で剥けって言ってたのに、まだピーラーじゃないと芋は剥けない。人参の乱切りは、最初より形は揃ったと思う。最初よりは、だけど。 人に料理を出すのになんと言えばいいかわからない。思わずいつも総悟に言うようなぞんざいな口調になる。 「飯だ。座れ」 「とおしろ」 ふわっと銀時の匂いが近づいて、あっと思う間もなく抱きしめられていた。ああ、銀時だ。ぎんとき。 「練習してたの?」 「……ぅ、」 「松陽にやらされたんだろ。大丈夫だった?」 「や、……」 「ヅラ、邪魔しなかった? 夜ちゃんと寝られた?」 「あ、」 「帰ってきてからずっと練習してたの。俺に食わせるために?」 恥ずかし過ぎて声も出ない。やっとの思いで頷いてみせると、ますます強く抱き竦められた。 銀時がなかなか動かなくて、俺も離れたくなくて、しばらく二人でぐずぐずしてからやっと銀時は腕を緩めた。カレーだよな、いい匂い、と銀時は笑って鍋を開けに行った。 「わ、焦げてねえ」 「!」 「イヤごめんごめん、卵割れねえレベルからここまで……あ、」 銀時が鍋から顔を上げる。 「もしかしてお前、帰ってきてからずっとカレー食ってたの?」 げ。バレた。 「ちょっと。そんでずっと連絡してこなかったのか」 「……ごめ、」 「謝んな。喜んでんの。でも十四郎が大変だっただろってこと」 「?」 「毎日カレー食ってたの? カレー三昧? これのために?」 「違……肉、じゃが、とか」 「ったく松陽のヤツ余計なことを」 俺も作らされたわ、と銀時は苦笑した。 そうか。銀時も通った道なんだな。 不恰好だけど同じ道を俺も通れたことが嬉しい。 桂は結局銀時のことを教えてくれなかったから不安だった。でも間違ってはいなかったようだ。 二人で食べたカレーは少し水っぽくて俺はがっかりだったが銀時は美味いと言ってお代わりもしてくれた。そして腹いっぱい食べたあと、銀時は俺を見つめてふわりと笑った。 「ほんと、変わんねえなお前は」 「……?」 「高校のときと、さ」 「そうか……?」 「でも、かわいい」 「!」 「誰がなんつったって、やっぱりかわいい」 「な、にを」 「会いたかった」 笑みが消え、見つめる目に力が籠ったような気がした。 「なあ……近藤と飲み会、あったんだろ」 「? ああ。結局一緒にできなかったって聞いたけど」 「え? 行かなかったの?」 「今回はパスした。行ったほうがよかったか?」 「そうじゃなくて。近藤と仲良かっただろ、なんで?」 「なんでって……あの、外で飯、食っちまうと、あれ、練習、」 「ええ!? 芋剥きの練習のために飲み会行かなかったの!?」 「芋剥きだけじゃない」 「似たような……や、そういう意味じゃない。一日くらいいいだろ、二週間もあったんだし」 「あ、二週間連絡しなくて悪かっ」 「そうじゃねえよ! それはいいの、ずっと練習してたってとこにびっくりしてんの!」 「……元が元だし。毎日やんねえと体が忘れるし、それに」 一日も早く上手くなってお前に会いたかったから。 とは押し付けがましくて言えなかった。 銀時がため息を吐く。背中がきゅっと縮む。何か間違っただろうか。 「剣道じゃねンだから」 銀時は困ったように小さく笑った。 「そんな根詰めてやることないのに――それに元が元って言うけど、最初っから上手いヤツなんかいねーよ、ヅラなんか未だに酷かったんじゃねーの」 「そんなことない」 「ええー調理実習ンときさァ、高杉と辰馬は端っから作る気ねえからある意味楽だったけどヅラが手ェ出してきてさ、それがマジ酷くてホント邪魔だったんだけどどうせあれから料理なんぞやってねーだろ、ヒッドイはずだぜ」 「そんなことない。たまねぎ切れるし」 「たまねぎ? え? なんでたまねぎ?」 「? 俺じゃできねえからだろ」 「ええ!? 別にどれ切ろうが一緒だろ、え? まさか野菜の種類で上級編とか入門編があると思っ……あのな、」 銀時が立ち上がる。皿くれえ洗うよ、と俺の皿も持ってキッチンに向かう。慌てて追いかけると、銀時はクツクツ笑いを堪えていた。 「なに、俺なんか変なこと言ったか」 「いや。かわいすぎる」 ぷっ、と噴き出してしばらく笑ったあと、銀時は手を動かし始める。その手際のいいこと。惚れ惚れして魅入ってしまう。 「ヅラはうるせえからたまねぎ切らせて黙らしたんだろ。息止めとかねえと目に沁みるし」 「……止めるのか?」 「涙出たろ。ネギ系は目にクるからな」 「まあ……そういうモンかと」 「お前はちゃんと出来てるよ。最初はどうだったか俺は見てねえけど、自分じゃイマイチだと思ったんだろ?」 イマイチどころじゃない。桂には迷惑を掛けたと思うんだが、そう言えば言うほど銀時の笑いは深まるばかり。 笑いが収まると、銀時は手元から目を上げずに穏やかに言った。 「ほんと美味かった。ありがとーーもっと自信持っていいよ。少なくともヅラよりゃずっと上だぜ、たぶん」 「……」 「あいつ上手くなる気ねえもん。下手だって言ってやんねえと、やる気になんねえし」 「……」 「部活ンときだってそうだったろ?」 「……」 「あれ。十四郎的にはアレはアリなの? 負けたらまずは言い掛かりだったの覚えてねえ?」 「言い掛かりっつか……原因は解明したいだろうし。アリだと思う」 「ふふ、おめーから見るとそう映るんだ」 しゃべりながら手早く洗い物を済ませ、銀時は俺に向き直る。そしてまた慌ただしく抱き寄せられた。 「謙虚、なのかな。十四郎は」 「そんなんじゃ……」 「なんで連絡くれねえんだろって、ずっとハラハラしてた」 「……え?」 俺を抱く腕に力が籠る。銀時の息が、耳元に掛かる。 「俺には会わねえのに近藤とは会うのかな、とか。こっちの飲み会連れて来てあいつらに会わせんのヤダなとか」 「?」 「いろいろ考えて、わけわかんなくなってた。なんで連絡のひとつもくんねえのかなって、俺嫌われたかなとか」 「! そんなわけ、」 「お前はそんなわけないと思うのかもしんねえけど、俺はそんなのわかんねえよ。俺は十四郎じゃねえんだから」 「なんでッ、お前は……」 「俺のこと嫌いになるわけない?」 「当たり前だろ!」 何年好きだったと思ってるんだ。何年もお前だけ見て、お前が他の女とつき合うのをどんな想いで見てたと思ってるんだ。 銀時の指が、俺の髪を通る。 その指先が震えているのに気づく。 「ぎんとき……?」 「だから『謙虚』なのかなって」 「なん」 「お前が俺のこと嫌いになるわけないって思ってくれるのとおんなじ」 「おんなじ……?」 「俺も、お前しか好きじゃない」 「……」 「でも、とか思った?」 「ッ、」 「ずっと一人ぼっちにしてたせいかな」 「?」 「十四郎のこと。もっと早く気付けば良かった。お前が好きだって、もっと早く」 腕が緩む。銀時の顔が目の前に見えた、と思ってすぐに、唇に唇が触れた。銀時の目がすぐ近くにあって、じっと俺の目を覗き込む。 「フィルター通ってたっていいよ。お前はかわいい。誰がなんて言っても」 「フィルター、って?」 「好き。好き過ぎて辛い」 「?」 「誰にも取られたくない。俺だけのモンにしときたい」 「なに言っ」 「俺のために料理頑張ってくれるなんて、幸せ過ぎる」 「それは、」 「こんなに幸せなのに。好きでたまんないのに」 「ぎん?」 「怖い」 「え、」 再びきつく抱きしめられる。よくわからない。話が見えない。 怖い? 銀時が? 「誰かに持ってかれたらどうしよう、って」 こっそり息を吸い込むと、銀時の匂いが胸いっぱいに広がった。勇気を出して、銀時の腰に腕を回す。銀時の体温が、俺の体中に伝わる。 「どこにも――誰ンとこにも行かねえよ」 焦がれることさえ諦めていた。ただ見ていられればいいと思っていた。他の誰かのものになっている間は目にするのは辛かったけれど、見続けていればまた一人になったときに近寄れる。ほんの少しだけ。 ああ、確かに俺は一人だったかもしれない。 「俺も。十四郎だけのモンだ」 でも今は一人ではないのだ。遠くから見るだけだったひとが、今はこんなに近くにいる。 髪を撫でる優しい指も。背中を引き寄せる強い腕も。首筋を擽る柔らかい髪も。 注がれる言葉も。 (全部、俺のものなのか) いつかなくなってしまうとしても、今だけは俺のもの。 「いなくならないって、わからせて――十四郎」 どうして? 俺はずっといるのに。 お前がいいって言ってくれる間は、ずっといるのに。 どうしたらわかってもらえるというのか。 銀時を抱く腕に力を込めてみる。 不意に、その場に押し倒された。 前へ/次へ 目次TOPへ |