キラキラ 銀時が忙しく立ち働いている。俺はそれをただ眺めるばかり。 「二番テーブル、カルボナーラとアイミティ各一、飲み物一緒で」 オーダーを通す銀時の声。それに応える知らない声。薄紫色の髪をした女が銀時を追うように奥に入っていく。銀さんっ私もオーダー取ってきたわよ。うるせえさっさと通せ、とこれは銀時の声。 銀時のバイト先で、俺は銀時の仕事が終わるのを待っている。目の前にはかつてアイスコーヒーが入っていたグラスが、今は溶けた氷でぼやけた薄茶色になって、みすぼらしく置き去りになっている。今の俺みたいだな、とチラッと思って、そんな女々しい感想を慌てて打ち消した。 夏休みになったらバイトすると言っていた銀時は、夏休み前から大学のそばの喫茶店兼飯屋で働き始めた。学生が足繁く通うので売り上げはいいし、従って時給もいいんだと銀時は言っていた。それに賄いも付くし、金貯めるにはちょうどいいんだと。 この前突然一泊旅行に行けたのは、お盆前で休みが取りやすかったかららしい。俺が宛てにしていたバイトはあまり日数が入れず、暇な日が多かった。 「暇ならさ、俺の仕事上がるの待っててよ。一緒に十四郎の部屋に帰ろ。明日は仕事昼からだし」 「……少しなら」 「時間通りに上がれた試しねえんだけど、いい? ちょっと待たしちゃうかも」 その代わり俺が十四郎のオーダー作るからさ、限界までサービスするわと拝むように請われて、なんとなく来た。が、少し後悔している。 薄紫色の髪の女は明らかに銀時に好意を持っていた。くるくると忙しそうに出入りしながら銀時と漫才みたいな掛け合いをしている。銀さん、と呼ぶ声に隠しようのない切実さが滲み出る。気持ちはよくわかる。きっと俺も、二人きりのときはあんな色の声で銀時を呼んでいるに違いない。 「十四郎、アイスコーヒーお代わりする?」 「いい。構うな」 持っていた本に目を落として、俺は極力素っ気ない声を作る。あの女のように好意を素直に表すには、俺は場違いすぎた。 ここに来たのは二度目だ。さっちゃんと呼ばれているあの女を見るのも二度目だ。そしてもう一人。 金色の髪。顔に傷があるのを差し引いても綺麗な女が、俺が来る前から店の隅でコーヒーを飲んでいた。やはり本を読んでいる。銀時に声をかけることは少ないが、そのテーブルの辺りを銀時が通ると目を上げる。たまに銀時が声をかけ、それに対して顔を赤らめてまた下を向く。 あの女も二度目だ。さっちゃんのほうは俺とも話すことがあるが、その女は客なので俺と接触はない。ないからこそわかる。銀時の姿を見に、ここへ来ているのだと。 「あと三十分てとこかな。悪い、思ってたより忙しかったわ」 「いいから。気にすんな」 「なんか食う? プリンならあるよ。型崩れしてて出せなかったんだ」 「いいって」 結局型崩れしたプリンは、さっちゃんが金髪の女に出していた。こっちも友達らしい。同じ男に惚れたのにケンカにならないんだろうか。俺はあの女たちと仲良くしろって言われても無理だ。心が狭いのは自覚している。 三十分を大幅に回ったころ、やっと店は仕舞いになった。 「銀さんっ今日こそアフターにつき合いなさいよ」 「キャバクラかよ。俺は枕はしねえんだよ、離れろメスブタ」 「ああッもっと罵りなさいっホラ!もっと蔑むがいいわ」 「キモッ! 寄るな変態」 諦めないからね!と楽しげに笑ってさっちゃんは帰っていった。なんだかキラキラして見える。あんなに罵られたのにどんだけポジティブなんだ。俺なら立ち直れない。 金髪の女はそのやり取りを見ていただろうに、さっちゃんに控えめに手を振った。別々に帰るのはこの前と一緒だ。 金髪がレジの前で銀時に声をかける。 「銀時、このあと予定はあるか」 「あいつ待たせてるから」 「そうか。気をつけて帰りなんし」 寂しそうではあるが、銀時に微笑む姿は俺でも綺麗だと思った。さっちゃんとは別の輝きがある。ずいぶん長いこと待ってたんだろうに。好きな男の体を思いやれる、優しいひと。 だから余計に堪えたのは、帰り際にチラリと俺を見た目にわずかながら敵意があるのを見てしまったからだ。その視線は小さな火傷のように、俺の胸をチリチリと焼いた。 「なんか買ってこっか。マヨネーズ以外で」 「足りてるからいい」 「あっマヨでいい! マヨでもいいから買ってく!」 「だからいらねえって」 待たせたお詫びに、と銀時は仕切りと何か埋め合わせようとする。そういうのはいらない。物が欲しい訳じゃない。 「バイト終わったら普通に俺んとこ来ていいから」 「ん?」 「だから……店で待ち合わせんの、やめよう」 「待たされんのやだ?」 「そういうんじゃない」 一緒にバイトしようと誘われたことがあった。どんなかんじか見においで、と言われて来たのが一度目だ。銀時と同じ職場で働く気は初めからなかった。だが、働く銀時が見たくて行ってみた。そして、自分と銀時との違いに愕然とした。 俺には銀時みたいに臨機応変に立ち振る舞うことはできない。知らない人に愛想よく笑いかけることもできない。銀時と同じ土俵に立ったらまったくの無能だと、ひと目見て思い知った。一人暮らしなのに料理もろくにできない。ここで働いても、俺はなんの利益もこの店にもたらせない。 そんな無様な姿を、銀時に晒せなかった。 だから別のバイトを入れようとしたのに上手くいかない。俺は何をやらせても下手で、銀時のように誰かの役に立てない。客として来てさえ、別の客の不興を買うのだ。本当にどうしようもない。 自分が惨めになるからもう行きたくない。 本心はそれなのに、銀時にそのまま伝える勇気もなかった。 「さっちゃんやかましいけど、俺ちゃんと言ってあるから。好きな奴いるって」 「……へえ、」 「諦めないわっ! て盛り上がってたけど、アイツそういうプレイがしてえだけだから。気にすんな」 「……」 「俺のカレシは十四郎だから」 ハッキリ言い切って、街中でも構わずに俺の手を握る銀時。男同士手を繋いで、周りから変に思われるのもまるで気にしない銀時。 嬉しい反面、この男に俺はふさわしくないのでは、という後ろめたさが沸いて出て、打ち消しても打ち消しても消えてくれない。 「だから十四郎はさ、胸張ってコーヒー飲んでりゃいいよ」 「……」 「ね。二人っきりで会うのも嬉しいけど、俺も自慢してえんだよ。こいつが俺の恋人だ!って」 「自慢、て。んなの」 「そんなのって言わないの」 銀時は俺を睨んで見せた。キラキラと輝く瞳は、確かに俺が好きだと言ってくれている。 「俺の自慢の恋人なんだから。堂々としてりゃいい」 そう言われれば言われるほど、俺は俯くしかない。 銀時は俺の何をそんなに買ってくれるんだろう。俺のどこが良かったんだろう。さっちゃんも金髪の女も、俺よりずっと綺麗でキラキラしているのに。 それっきり、俺は銀時の店に行くのをやめた。 ――頼みがある 銀時からメールだ。夜十時過ぎ。バイトの終わる頃合い。 どうした、と返すとすぐに返信が来た。 『キャッシュカードがイカれた。金下ろせない』 『定期は?』 『切れてる。チャージも切れてる』 『迎えに行こうか』 『ごめん。頼む』 銀時の家は遠い。バイトして引っ越し代を貯めるんだと言うわりには俺と遊びに行くから、なかなか貯まらないのかも知れなくて心が痛い。俺がいなければ今ごろ一人暮らしできたんじゃないのか。 遠いから電車賃も馬鹿にならない。俺はそれを避けて一人暮らしをしてしまったが、銀時は未だに家から通っているから、財布に現金がないと帰るのもひと苦労だろう。俺にヘルプコールが来るということは今日は自宅に帰るんだろうと見当をつけて、俺は財布をポケットにねじ込んで家を出た。 店に入るつもりはない。でもよく考えたら、飲食店で働くアルバイトを待つのに他の店で時間を潰すのも失礼ではないだろうか。時間的にこの前見たところでは閉店までまだ時間がある。銀時に頼られたのが嬉しくて飛び出してきたけれど、考えなしだったかもしれなくて、こんなところまで俺はダメだな、と苦い思いが広がる。なるべくゆっくり行こう。銀時の邪魔にならないように。 無駄にコンビニで立ち読みをしたりして、着いたのは十時四十分過ぎ。すでにシャッターが閉まっていて、俺は焦った。 『遅くなった。どこにいる』 メールに返信はない。気づかないだけだろうか。そんなことあるか。財布が来るのを待ち構えてケータイと睨めっこしていないだろうか。 店に近づいてみる。影になった辺りから銀時の声がして、ほっとしてそちらに行こうとしたとき、もう一人の声が聞こえた。 あの金髪のひとの声だとすぐにわかった。 ザッ、と全身の毛が逆立った。 「……もだちから、もダメか」 「友達以上にはなれねえよ。そんでもいいの」 「今は……それでもいい」 「今もこれからも、月詠とは友達だけど」 「なぜじゃ。わっちは、主が」 声が途切れた。 告白、されてる。銀時が。 この前さっちゃんには『ちゃんと言ってある』と言ってた。でも、つくよと呼ばれたこの子のことは何も言っていなかった。さっちゃん(今さらだが本名は知らない)には、邪険に追い払われても笑って次を語れる強さがあった。だが『つくよ』は真剣だ。さっちゃんが不真面目な訳ではない。この子は笑い飛ばせない重さがある。俺も同じだから理解できる。この子は今日、勇気を出して銀時に想いを告げた。俺にはできなかったことを、この子はしたのだ。 (敵わない) 真っ先に思ったのはそれだった。 銀時に想いを汲んでもらってやっと生き残れた俺とは違う。つくよさんは、自分から銀時を求めた。逃げてばかりの俺とは違って。 そうか。キラキラして見えたのは、二人が堂々と愛を告げる勇気と自信を持っていたからだ。俺にはないものを、彼女たちはしっかり持っていたから。 「さっちゃんには言ったんだけど。俺さ、好きなひとがいるんだ」 銀時の声が、柔らかく響いた。 つくよさんが息を飲むのも聞こえた。 「すっごい綺麗で、男前で、でも可愛くて。なのにどうしてか自分に自信がなくて」 俺の、ことだ、 「自慢して歩きたいって言ったら黙りこんじゃうような、ときどき歯痒くてド突きたくなるんだけど」 やっぱり、イライラさせてたのか。当然だ、俺は、 「どうしようもなく好き。あいつがいないと俺、ダメになっちゃうと思う」 気のせいだよ。俺がいなくたってお前はダメなんかじゃない 「っていうとまたあいつ、そんなことないとかなんとか言うだろうけど――そういうとこも全部好き。自信持てよって俺は思うけど、自信ないとこも、すぐ引っ込んじゃうとこも。全部好きなんだ」 「それは、もしや」 「月詠も見たことある。さっちゃんが目障りだから来なくなっちゃったけど、二回来てくれた」 「……男、ではなかったか」 「うん。俺の恋人は男だけど、そんで俺、男とつき合うの初めてだけど。あいつ以外あり得ない」 少し間があって、つくよさんが笑うのが聞こえた。 「すまなかった――それほど惚れ込んだ相手がいるのならば諦めよう。幸せになりなんし」 つくよさんに見られないように、俺は身を隠した。が、多分見つかったと思う。ほんの少し足を止めて、幸せに、ともう一度つくよさんは言った。銀時は後から出てきたから、銀時に向かって言ったのではないと思う。 銀時は少し遅れて表に出てきてケータイを覗き、慌てて耳に当てた。俺のケータイが鳴り、俺の居場所を銀時に知らせる。 「え、十四郎?」 「……」 「げっ、聞いてた!?」 「何を」 「お? セーフ?」 「何がだ」 「いやいや。何でもない」 「なんだ。浮気でもしたか」 「ん?……浮気はしてません。十四郎ひと筋です」 「金貸してもいいけど、今日はうち来るか」 「え、いや今日は帰ろうかと思っ、や、でも、行く」 「そうか」 「珍しい」 「……」 「十四郎に誘われんの、珍しいな。いつも俺が押しかけるから」 「まあ、たまには」 疑問だらけな顔の銀時に向かって、できる限り笑ってみせる。そして銀時の手を取る。驚きに見開かれる銀時の目を見ながら、俺は不恰好に囁いた。 「好きだ。銀時」 今はこれが精いっぱいだけど。 いつかお前の横で、キラキラ輝けるようになりたい。 前へ/次へ 目次TOPへ |