あなたの隣


 講義が長引いた。銀時と学食で待ち合わせていたので、俺は内心焦っていた。銀時を待たせたくない。しかし学生の本分を疎かにするのもどうかと思う。じりじりしながら最後まで話を聞き、急いで学食に行ったら銀時は女と話していた。自分の顔が強張るのがハッキリとわかった。
 銀時は決して楽しそうではない。それに対して女は気安く銀時に笑いかけ、あまつさえ銀時の肩まで叩いた。銀時は煩そうに首を横に振った。
 ついこの前まで、銀時の交際相手は女だった。男は俺が初めてだと銀時も言っていたし、俺もそれはよく知っている。銀時はもともとゲイではない。女とつき合うのが自然なはずだ。
 そんなことはわかっているのに、俺のこころは簡単に嫉妬に燃えてしまう。みっともない。銀時にこんな気持ちは知られたくない。俺はそっと引き返そうとした。こんな顔を銀時に見せたくなかったのだ。
 が、銀時は目敏く俺を見つけた。

「どこ行くの」

 すぐに近寄ってきた銀時は俺の腕を捕らえた。上手い言い訳が思いつかない。銀時の顔も見られない。

「声くれえかけろよ。待ってたのに」

 銀時の声は決して穏やかではない。そりゃそうだ、待たされた挙句その相手が黙って逃げ出そうとするところを見たら誰だって怒るだろう。

「十四郎?」
「……すまねえ、忘れ物した」
「教室? なら俺も行く」
「いや、先に食っててくれ。教室になかったら、が、学務課行くし」
「そんなに? 何忘れたの」
「……財布」
「え、ヤバイじゃん俺も行くって」
「いい。大丈夫だから」
「俺が行きてえの」

 腕を掴んだ手に力が篭る。財布はカバンに入っている。困った。銀時はじっと俺の顔を見ている。

「俺が行くとマズイことでもあんの」
「……」
「十四郎」
「……」
「わかった。行ってこいよ、ここで待ってるから」

 パッと手が離れていく。見放されたような気がしてくる。情けなくも振り返ると、銀時は不機嫌そのものの顔をしていた。
 そそくさと銀時から離れながら、今日は銀時との昼食は諦めようと思った。今日は? そもそも俺は本当に銀時と毎日を過ごしていいのだろうか。
 銀時は俺を好きだと言ってくれた。一時の気の迷いではないと、これまで態度で示してくれた。俺はそれに甘えていないだろうか。今は銀時の気持ちが俺にあるとしても、明日は変わるかもしれない。人の心は変わるのだ。女である無しに関わらず、銀時が俺以外の人間に心移りしない訳はない。そしてそれを俺が咎める権利などあるはずがないのだ。
 銀時にメールする。時間がかかるので今日は行けそうにないと。このまま次の講義に行くから、今日はこれで、と。銀時から返信はあったが俺は碌に読まないまま放置した。後ろめたくてとても読めなかった。そして一日が終わった。

 翌日は休講が多かった。長期休暇前の課題はすでに告示されていたから、俺は図書館でレポートと戦うことにした。他のことに熱中していれば銀時のことを忘れられるだろうと思ったが浅はかだった。本を読んでも頭に入らない。レポートのプロットすら思い浮かばない。俺はノートパソコンの画面をぼんやり見つめて、銀時の不機嫌な顔を思い出しては身を切られる思いをしていた。
 嘘を吐いたのは自分だ。銀時の顔を見られないような真似をしたのは自分なのだ。この痛みは当然の報いだ。銀時の肩を叩く女の笑顔を思い出す。俺は銀時にあんな屈託のない顔を見せたことがあっただろうか。銀時はそれでいいのか。本来なら楽しめるはずの時間を、銀時は無駄にしているのではないか。俺のせいで。
 図書館に入る前にケータイの電源は落とした。図書館だから仕方ないと自分に言い聞かせ、銀時との連絡手段を絶った。俺は丸一日図書館から動けなかった。レポートは全く進まない。ひと文字も打てない。にも関わらず、本を読む振りをして自分を誤魔化し、問題を先送りにする。
 なんて狡いんだろう、俺は。

 それから三日間、俺は銀時と一切連絡を取らなかった。三日目の夜、レポートの締切を確認するために止むを得ずケータイの電源を入れた。銀時からの着信に溢れた画面を見て、申し訳ないと思うと同時にまだ見捨てられていないと安堵する。酷い奴だ、俺は。銀時にしてみれば理由もわからず、どうなっているのか知りたいだろう。心配、しているもしれない。
 いや、既に呆れて、もう連絡してくるなと言いたいがための連絡ではないか。そのほうがしっくりくる。俺は、もともと銀時の横にいられる人間ではなかったのだ。

 レポートの提出日は週末だった。
 銀時は昨日の夜、とうとう連絡してこなかった。
 このまま自然消滅なんだろう。
 発端は、俺のつまらない嫉妬だった。だがそれは発端に過ぎない。もともと俺は銀時に相応しくない人間だったのだ。それだけだ。あの女のように屈託なく銀時に笑いかけることもできず、銀時と楽しげに話すだけで嫉妬する俺は、銀時に相応しくない。わかり切ったことだ。だから今日こそレポートを仕上げよう。俺にできるのはそれくらいだ。

「あ、土方くん」

 図書館に入ろうとしたら女に呼び止められた。あの日銀時の肩を叩いて笑っていた女だった。険悪な表情になるのを無理に抑え、我ながら不自然に凝り固まった顔のまま女を眺める。
 女は特に気にした様子もなく、親しげに近寄ってきた。

「土方くんもレポート?」
「……まあ、」
「一緒にやらない?」
「は?」
「あれでしょ、月曜日の四限の。私も取ってるんだ」
「……一人でやれる」
「私よく聞いてなかったんだよね。あの教授すぐ話脱線するし、講義時間延ばすし。土方くん真面目に出てたから、教えてよ」

 穏やかならぬ波が心に湧き起こる。この女、あのとき俺より先に銀時の元に行っていたのは、俺が堪えたあの時間をあっさり投げ出して授業を抜け出したからか。俺より先に銀時のところに行った癖に、その穴埋めを俺にさせる気か。

「……自分でやれ」

 まともに話したら余計なことをたくさん言ってしまいそうだった。やっとそれだけ言って離れようとすると、女は銀時にしたのと同じように俺の肩を叩いた。

「あれ、坂田くんから聞いてない?」
「……ッ!」
「なーんだ坂田くん、やっぱり言ってくれなかったんだ」

 パフェ奢らなかったからかなあと女は笑った。
 俺は少しも笑えない。どういうことだ。この女は銀時の新しい――恋人、なのか。聞きたくない。やめてくれ。今は、聞きたくない。


「土方くんと、二人でゆっくり話したいから言っといてって頼んだの。坂田くん、土方くんと仲いいでしょ」
「……なん、」
「やだって言ってたけど、なんやかんやで坂田くん面倒見いいから言っといてくれると思ったんだけどなあ。ダメか」
「……」
「あのね、よかったら私とつき合ってくれないかなって。土方くん今フリーみたいだし、考えてくれない?」
「……いや、悪いけど」

 思考が追いつかないまま、俺はこれまでこういう場面に遭遇した時のお決まりの言葉を口にしていた。起こった出来事の数々が頭の中で渦巻く。この女はあのとき、銀時に声をかけたのではなく、銀時に俺との間を取り持てと頼んでいたのか。ああ、銀時はあのときあからさまに不機嫌だった。そして首を横に振っていたではないか。

 残念、でも気が変わったら声かけてね、と女は言って離れていった。
 とてもバカなことをしたような気がする。
 俺は銀時を、そのつもりはなくても、疑ってしまったのか。
 俺ではない他の誰かと恋をするなら身を引こうと思った。銀時のためを思ったつもりだった。けれどそれは俺の自己満足でしかなく、銀時の俺への気持ちを疑っただけだ。もっと言えば自己満足でさえない。俺は自分が傷つくのが嫌で、真っ先に逃げ出したのだ。
 どんな俺でも好きだと言ってくれた言葉を、俺はまだ受け止められていなかった。
 どうしよう。どうすればいいんだ。
 そんなの決まってる。

 昨日再び切ってしまったケータイの電源を入れた。『坂田銀時』の着歴が目に飛び込んでくる。坂田銀時、六十七件。こんなに俺を探してくれたのに。俺は、なんてことを。
 勇気は要ったが銀時の番号に触れる。詫びるには小さすぎる機械を耳に当て、呼び出し音を聞く。心臓が痛い。ぎんとき。

『……ッ、もしもしっ』
「ぎんとき……」
『今どこ。すぐ行く』
「俺が行く。どこにいる」
『いいから! どこにいんの!?』

 図書館の前だと告げると慌ただしく電話は切れ、十分もせずに息を切らした銀時が駆けつけてきた。銀時の綺麗な緋色の瞳が涙で潤んでいる。

「ごめん、ぎんと」
「なんで電話出ないのっ、もう会えねえのかと思っ……何やってんだよお前!」
「ごめん」
「何が。何がごめんなの。なあッ」

 じっと俺の目を見る銀時。怯えにも似た色が浮かぶ目。

「……あの子に会っちまったんだって?」
「? ああ……お前としゃべってた女」
「仲取り持てって言われて断ったんだ。会わせねえようにお前に言っとこうと思ったのに、いなくなっちまうし。あ、財布あった?」
「ああ、あれは……会わせねえように? なんで」
「なんでって、あいつお前に惚れてんだぞ!? 会わせるわけねえだろ、っつーか十四郎今までだってめっちゃモテてただろ! 今までは、黙って見てるしかねえししょうがねえって思ってたけどもうダメだ。女も男もダメだ。俺の恋人だろ!?」

 銀時は地団駄踏んで叫ぶ。周りが振り向くのも目に入っていない。そして目を見開いて、震える声で俺を問い詰める。

「なあ、あの子と……どうなった?」
「断った。当たり前だろ、」

 お前以外好きになんてなれない。わかってくれているはずだと思っていたのに、銀時の目は不安でいっぱいだ。

「じゃあなんで電話出ねえんだよ。メールも! 全然返事ねえし!」
「悪かった。今から時間あるか?」

 わかってくれてはいなかったのかと落胆する気持ち。これはきっと、銀時も持っている落胆に違いないと今ならわかる。そして落胆したからといって銀時への気持ちがなくなるはずもない。もっと理解してほしい。どんなに俺がお前に恋い焦がれているか。どれほどお前の隣を切望しているか。それだけでいっぱいだ。
 それにはまず懺悔するべきだ。俺は銀時を騙し、銀時を疑った。懺悔するにはここは開放的すぎて落ち着かない。場所を移そうと言った俺に、銀時は息を飲んだ。

「俺、フられるの……?」

 銀時の思い違いに俺こそが驚き、急いで否定すると、いきなり銀時が抱きついてきた。人目が痛い。
 そんなことあるわけがない。もう一度はっきり伝えよう。銀時の不安がなくなるまで、何度でも。



「お前でもフられるとか心配すんだな」
「当たり前だろ!? 俺をなんだと思ってんの! もうホント勘弁して。ちゃんとそばにいて!」
「……お前、も、いてくれるか」
「決まってんだろ。離してたまるか」


 ごめんな。
 そして、
 ――ありがとう。





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