酒と土鍋とパンツ。


 騒動は内々に済ませるには大き過ぎた。
 土方は真選組に復帰できる気がしなかった。
 自分が妖刀に乗っ取られたりしなければ、死なずに済んだ隊士があまりに多かった。総悟は大半をその手に掛けたにもかかわらず、どこか割り切って飄々と通常業務に戻っている。きっといつもよりは真面目に隊務をこなしているに違いない。自分の代わりに。

 近藤には尤もらしいことを言ってみたものの、彼らの恨みつらみを背負うのに、真選組副長でいる必要はあるのだろうか。自分が腹を切って詫びるという方法も、あるではないか。
 前の刀は戻ってきたが、村麻紗を手放すことは到底不可能だった。あらゆる神社仏閣に行ったというのは嘘ではない。いっそ腕ごと斬り落とそうかと思ったが、妖刀はそれさえ許さなかった。
 あの忠実な部下さえ、死んだらしい。
 看取ってやるのは何となく自分だと思っていたせいか、山崎の訃報は堪えた。

「あれ。サボり?」

 屯所にも居られなかった。だから人目につかないようひっそりと、街中に出てきたのに。
 よりによってこの男に、見つかってしまった。

「やっぱ再就職先探してやろうか」

 銀髪の男は、初めはふざけていたがやがて眉を寄せて土方の顔を覗き込んだ。
 心底放っておいて欲しかった。武州にいた頃のように、日々軒先を探して眠り、誰にも知られずにひとり、

「ちょっと飲もうか、土方くん」

 目を合わせるのも嫌なのに、万事屋はそっと寄り添う。近すぎず、遠すぎず、ちょうど土方が彼を振り切りにくい距離で、ゆっくり返事を待っている。
 もう何もかも嫌で、自分で物事を決めるのも嫌で、万事屋の言葉を否定するのも嫌で、
 土方は黙ってついて行った。


 連れて来られたのは小さな飲み屋で、人前に顔を出すことに臆した土方は入り口で足を止めた。
 あの男に構わず帰ってしまおうと思った。しかし銀時はすぐに戻ってきて、土方の手首を掴む。

「大丈夫。座敷、空いてたぜ」

 そして酔客から土方を隠すように背中に庇って、個室にするりと押し込んだ。
ちょっと待ってろ、と言い残してまた席を立つ。ぼんやりとされるがままに任せていると、しばらくして熱燗と料理を盆に乗せて戻ってきた。

「しばらくこれで保つだろ。足りなくなったらまた持ってくっから」

 どうやら店の主にも顔を合わせたくないらしい土方を気遣ったのだとうっすら理解した。
 どうしてわかったのだろう。
 一瞬疑問に思ったがすぐにどうでもよくなった。
 物が喉を通る気がしない。
 無理に連れてきたのに銀時も大したことは言わない。ただ、まめに料理を取り分けたり箸を取ってくれたり、マヨネーズは持ってないのかと尋ねたりしきりと世話を焼いた。それに対して土方は、頭を縦に振ったり横に振ったりするだけで、ろくに返事もできなかった。

 「食え。土方」

 不意に坂田の口調が強まった。
 土方はのろのろと顔を上げた。いつになく深刻な表情で、坂田が見つめていた。
 半ば無理やり箸を握らされ、皿を左手に押し込まれて、やっとほんの少し、口に入れた。味はわからなかった。だが、反射的に顎が動いて、咀嚼していた。

「お前が生き残って、飯を食うことは悪いことじゃねえ」

 真剣に、慎重に言葉を選んでいるのがわかる。

「味なんかわかんなくていい。とにかく、食え」
「……」
「弱ってちゃァいいことなんか思いつかねえよ」

 その通りかもしれない。
 でも、『いいこと』に思いを巡らせ、命を維持する行動を起こすことを、土方の身体が拒否していた。ひと口を飲み込むのに苦労する土方を見て、銀時はわずかに眉を寄せた。
 酒は、やめといたほうがいいかな。
 さり気なく土方の手元から杯を引き寄せ、また『無理に食わなくていいけど、食えそうなら食えよ』と念を押して銀時は席を立ち、今度はすぐ戻ってきた。香ばしい茶を一杯、手のひらに温めながら。
 それは土方の身体にたちまち染み入り、生き返らせた。

「オメーはこれからもそうやって、飯食って茶ァ飲んで、元気ンなったら酒飲んでマヨネーズぶっかけて食うんだ」

 正面から見つめる銀時の目は少しも笑っていなくて、心の底からそう思っているとわかる。でも、その強い意志に相対することができない。答えようにもとても今の自分を説明できる気がしなくて、諦めてまた口を噤み、俯く。

「……悪ィけど、俺も何人か殺ったよ」

 銀時は静かに言った。
 ああ、この男にも責を負わせてしまった。その傷みを詫びるべきだろうと思ったが、今の土方にそれを受け止めるだけの余裕はない。

「さすが、腐っても真選組だからな。本気でいかねえとこっちもマズかった」

 わかっていた。土方がそれを責める立場にないことも。
 発端は、土方だった。
 刀匠の話を、最後まで聞かなかった。
そのせいで局長の求心力をなくしてしまった。自分を重用してくれた、そのことが理由となって。
 もしも刀匠の言葉に耳を傾けていたら。
 局長にもう少し強く進言できていたら。
 なのに自分は生き延びて、性懲り無く生き永らえようとしている。
 図々しく心臓は動いているし、喉を潤した液体は胃に辿り着き、身体を温める。
 それが、辛い。

「ここはシメようぜ。疲れたんじゃねーの、ウチで寝てけ」

 銀時の声がする。重い空気など彼には何でもないような、緩い声が。
 土方がわずかに頷いたのを確認して、銀時はまた出て行った。戻ってもすぐには腰を上げず、残りの料理をつついているようだったが、しばらくすると、出よう、と言った。
 普段ならこの男の都合に引き回されるなど耐えられないのに、と土方はぼんやり考えた。今は勝手に『次』を決められて、事を進められるのにも腹は立たない。嬉しくもないけれど、辛くはなかった。
 座敷を出るときも抵抗があったがふと気づいた。ほとんど客がいない。ああ、頃合を見図らうために料理をつついて時間を潰していたのか。
 それでも銀時は、今度は土方を前に押しやって姿を隠しているようだった。主にのんびり声をかけて、土方を押し出すようにして後ろ手で扉を閉める。

「少し歩くけど、いいよな」

 土方は目を伏せた。
 いいのか悪いのか、それは土方にもわからない。ただ、動くのが億劫だと思った。
 銀時は構わず歩き出し、思いついたように土方の手首をまた掴んだ。ゆら、と土方の身体が傾いだがそんなことには構わず、銀時は足を進める。宣言どおり、かなり歩いた。深夜を回ったころ、やっと万事屋についた。
 神楽のやつ鍵締めとけっつったのに、などと独り言のように呟きながら引き戸を開ける。中は真っ暗だった。

「神楽、寝てんだわ。こっちだと起こしちまうから、奥でいい?」

 返事をするまえに、奥の部屋に通された。銀時はついてこない。冷蔵庫を開け閉めする音がする。そういえば、残りの料理は包んで持ち帰ったようだった。明日、あの娘にも食べさせるのかもしれない。
 万年床と思しき布団の前に、土方は座り込んだ。睡魔が襲ってくる。もう、何も考えずに眠りたかった。

「寝る前に食うのってよくないけど、これくらいなら大丈夫だろ」

 すっ、と襖の開く音がして、銀時が戻ってきた。一人用の土鍋に雑炊が仕込んであった。銀時は土方の前に座って、茶碗に少しだけよそって差し出した。

「大丈夫だって。銀さん料理上手いぜ」
「……」
「食ってみ」

 土方くん、全然食わないんだもの。最初からウチ連れてくればよかった、とまた独り言とも話しかけているともつかない言葉を呟きながら、自分用の茶碗にもよそって掻き込み出す。銀時の姿に押されるように、そっとひと口啜ってみた。

「少しは食えるだろ」

 美味い、と思った。久しくまともな食べ物を口にしていないことを思い出させる、優しい味がした。
 だが同時に湧き上がる罪悪感が土方を押し潰す。

「いいんだよ。美味かったらもっと食えばいい。胃にもたれンだったらテメーの身体を労ればいい」

 ずるずると音を立てて掻き込みながら銀時は淡々と言うのだ。
 土方にはそう思えない。でも、胃は確実に『もっと欲しい』と訴えている。土方の思いを裏切るように。

「眠れそう? 風呂入れば?」

 たぶん神楽の残り湯がまだあったかいと思うぜ、と言いながらまた土方の返事は待たず、さっと立ち上がって姿を消す。きっと風呂の様子を見に言ったのだろう。
 その隙に、土方は土鍋からひと掬い、自分でよそった。啜りながら、浅ましいと思った。生きようとする、自分の身体が。
 もう止めようという気持ちと、あと少しだけという気持ちがせめぎ合う。いや、せめぎ合ってはいない。食べたいのだ。
 それをはっきり自覚して、土方は絶望した。そっと箸を置いたとき、銀時が顔を出した。

「用意してあんよ。パンツは、俺ので我慢しろや」

 見られたのかと思うほどのタイミングに、土方は怯えた。すでに散々醜態を晒しているのに、あの第二の人格を見られるより恥じ入った。
 なのに銀髪の男は無遠慮に土方を見下ろして、待っている。自分が風呂場の場所も知らないのだから当たり前なのだろう、この男にとっては。
 放っておいてくれと言うのも面倒だった。なぜだと言われたら、説明できる気がしない。
 銀時は待ち続ける。土方は重い腰を上げた。

「一緒に入るわ。風呂ん中でぶっ倒れそうだし」

 屯所なら野郎ども一緒くたに風呂使うんだろ。別に俺でもいいよな。
 さすがに抗議しようと、言葉を選んでいる隙に銀時はさっさと服を脱ぎ出した。突っ立ったままの土方に眉を顰めて、早くしろと目顔で促してくる。黙って銀時を睨み、拒否の意図を示したつもりだった。たが銀時には全く通用しなかったらしい。突然ぐい、と距離を詰められ、脱がされた。
 抵抗したが、近所迷惑だから静かにしろと低く唸られては言葉もない。結局最後の一枚まで剥がされ、風呂場に突き飛ばされた。
 問答無用で座らされ、頭から湯を浴びせられる。暖かいのが気持ちよかった。銀時は気の済むまで湯を掛け続けると、おもむろにシャンプーを手に取り、土方の髪を洗い始めた。
『目ェ瞑らないと沁みんぞ』というのが唯一の注意点だった。それからまた、シャンプーを流し、背中を擦り始めて、腕、首、胸と進み、

「あとは自分でやれ」

 ぱっ、と手放した。銀時が髪を洗う間に土方は急いで残りを洗い、逃げ出す準備にかかるが、

「湯船、狭いから先入って」
「……」

 出るきっかけを失った。
 逆らう理由ももうない。ちゃぷん、とひとり湯に浸かり、膝を抱いた。冷えた身体がじんわりと解れていく。気持ちいい、と思う。
 心地よさを感じる自分が許せない。温かいと喜ぶ身体が恥ずかしい。土方は顔を手で覆った。何も見たくなかった。

「土方。さっぱりして、あったかいだろ」

 湯船の縁に銀時は肘をついて、土方に語りかける。土方は顔を上げられなかったけれど。

「生き残っちまったら、腹も減るさ。人と口ィ利きたくねえと思っても、誰かが話しかけてくるしよ」
 わかっているなら放っておいてくれればいいのに。耳を塞ぎたい。
「生きるしかねえだろう。そのためにゃ、食って寝て、あったまって。必要なんだよ」
 嫌だ。そんなことしたくない。みっともなく生にしがみつきたくない。消えてしまいたい。




「なあ、死ぬことを許されるって、贅沢だと思わねえか」




 顔を上げると、銀時は土方を見ていなかった。何を見ているのか、土方にはわからなかったが口元は笑っているものの、泣きそうな顔だと思った。

「死んでいいって言われんのァ……死んだ後の面倒ごとの一切を、生き残ったやつが引き受けてくれるってことだろ」

 そんなふうに考えたことはなかった。確かに今まで、真選組の殉職者はすべて近藤と土方が一軒ずつ挨拶に回ったし、遺族は警察庁によって手厚く補償されていた。たとえそれが、切腹であっても。
 面罵されるのは大抵土方で、それが役目だと思っていた。だから、悼む気持ちと胸の傷みは当たり前だと思っていた。
所詮は他人事。どこか冷めた気持ちがあったのかもしれない。
 もし今、土方が死ねば近藤は責任を感じるだろうと想像はつく。総悟もああ見えて、引きずるかもしれない。少なくとも副長職を突然放り出されたら、真選組に多少なりとも混乱は生じるだろう。

 だからこそ、自ら命は断てなかった。

 腹を切ってしまえば、自分の盟友が同じように苦しむだろうと薄々わかっている以上、生きるしかなかった。でもそんなしがらみをすべて見なかったことにして、命を絶つことへの誘惑はいつでも隣にあった。

 「目が覚めたら……なかったことになってればいいと思ったんだ」

 湯の中で身体を小さく丸めて、土方は呟いた。
 銀時はきっと『この事件が』と理解するだろう。それでも言ってみたかった。たとえ理解されなくても。だが銀時はそっと答えたのだ。


「俺はテメーに会ってからこっちのこと、全部覚えてるよ」
「……?」
「最初に斬りつけられたときから。屋根から鉄骨落としたことも。ゴリラの落とし前つけに来たチンピラのことも」
「……ッ、」
「あんとき斬り合ってなきゃ、テメーの依頼なんざ受けなかった。どんだけ大事にしてるか知ってたから……切羽詰ってんのもわかった」
「……」
「腑抜けた面も見飽きたけど」


 銀時は笑おうとして失敗したらしかった。

「そんな、魂も抜けた面はよォ、」

 その後は、続かなかった。
 ゆっくり浸かってこいよ、と声を掛けて銀時は先に上がってしまった。俺は酒入ってっからもう上がるわ。言い訳のようなひと言まで添えて。
 後を追うように土方が上がると、白の浴衣とタオルと、いちご柄のパンツが丁寧に揃えられていた。



 「万事屋」

 すでにリビングに銀時の姿はなく、

 「よろずや、」

 隣の部屋に滑り込むと、銀時は布団にくるまっていた。
 その隣に、少し厚みのある布団が敷いてある。客用のをわざわざ出したのだろう。
 寝入っているはずはないのに、銀時から返事はない。その枕元に正座して、土方は声を掛けた。

 「ありがとよ」





 真選組屯所で警察庁長官の愛犬の葬儀が盛大に執り行われ、監察の遺影をついでに飾ったために実は死んでなかった本人が地味な復讐を誓うまで、あと一週間。







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