こんなはずじゃ、2


(すっかり忘れてたァァァ!!)

 涙なんか引っ込んでしまった。
 無線のスイッチをONにしっぱなしだったのだ。
 最後に沖田に呼び掛け、呪ったあと。
 無線そのものと縁を切った気になっていた。
 どこから聞いていたんだこの悪魔の子は。

『土方さん? ひーじーかーたーさん』

 身内でもない坂田でさえ本名を呼ぶわけにいかないと庇ってくれたというのに、このクソガキは。

『ウチの副長は色ボケちまって役に立たねえみてーでさァ。オイ野郎ども、色ボケ土方の後始末に行くぜィ、しょうがねえから』
「しょうがねえのはテメーだァァァ……」

 土方の怒りの咆哮は、坂田の口の中に吸い込まれた。

「総一郎くん? 場所わかる?」
『だいたいですがね』
「じゃあ教えてやる。さっさと来いよ」



 坂田は土方に口付けたまま、ニィッと笑った。
 なんで気づかなかったんだろう。
 そもそも自分が真選組にタレ込むなどと考えたときから、おかしかったのだ何もかもが。
 全くもって良好な関係ではない万事屋と真選組の間柄から考えるまでもなく、いつもの坂田なら、かぶき町のことは自分の手で始末をつけようとしたはずだった。
 思えば問題の男を追ってきたのが、他ならぬ土方だったことに安堵していなかったか。
 そのくせ下手くそな尾行っぷりに慌てたのは何故か。犯罪者が野放しにされることよりもこの男の危なっかしさにハラハラさせられたのではないか。
 意地っ張りなこの男が、誰の入れ知恵か知らないが微笑ましい努力をして姿を偽り、けれど実はその心の有りようが素直に表れているせいでまったく隠せていないのも知らずに堂々と歩いていくのが誇らしいやら心配やらで、つい、余計な手を出した。
 あまりの自覚のなさに泣きたくもなった。もっと自分の身を案じてほしかった。
 強く言ったら思いのほか堪えてしまったらしいのが痛々しくて、なんだってあんなことを言い募ったのかと後悔した。
 後悔したから、その後の仕事はきっちりこなそうと思った。謝礼なんて口ばっかりだ。たぶん、現物を出されたら恥ずかしくて消え入りたくなるだろう。
 悪ふざけは確かにいけなかった。


 悪ふざけでなかったら?


 という言葉が頭に浮かんだときにはもう、坂田の脳内は疑問系には留まっていなかった。結論として認識されていた。
 沖田が絡んでいるなら、ちょうどいい。

「早く帰えりてえんだけど」
『土方は今どんなカッコしてんですか、結局』
「教えねーよ」
『こっちじゃ、帯を返すの返さないのって言ってたんでパンイチに一票なヤツと、もう真っパで旦那に食われちまったに一票なヤツらと、ニーハイとか生足とかほざいてたんでミニに女モノの帯に一票なヤツで喧嘩してるんでィ』
「……暇だね、キミたち」
『俺たちが着くまであんたらゆっくり話なんかできやせんぜ』
「はい!ミニにニーハイ!」
「アホかァァァァ!?」



 坂田は店長に耳打ちして、もうじき真選組が改めに来ること、すでに内部に一人が潜り込んでいることを伝えた。
 本当は土方の仕事なのになんて、もう気にならない。
 土方は戸惑いながらも坂田のしたいようにさせた。いざというときは煌めくんだなぁと、場違いな感想に浸りながら。
 もう仕事なんて冷静に出来そうになかったのに、坂田はグイグイ手を引いて、問題の男たちに近いテーブルを占領する。

(おい、俺ァまだ女装なんだけど)

 坂田に目で抗議すると、口元がニンマリ緩んだ。

(ちょうどいいだろ)

 肩を抱き寄せられ、耳元で囁かれて、またもや土方は絶叫しそうになった。が、坂田の優しげな手付きに捕まり、肩に凭れるはめになる。
 気持ちいいかも……なんて思うと声を荒げる気もなくなった。

(後ろ。会話聞いてる?)

 坂田の囁きも心地よい。時折遠慮がちに髪を撫でていく指も。

(寝ちゃダメだって、起きろ)

 坂田が必死で囁いていることに、土方は気づかない。耳たぶをひっぱられ、たぶん坂田の顎で頭を小突かれるのも心地よくて、瞼が重くなる。
 仕方なく坂田は、土方の代わりに隣の会話に耳を傾けることになった。




「女装して、コトに及んで、疲れて寝ちまったと。やれやれ、仕事熱心ですねィ」

 間もなく沖田の一番隊が到着し、一味は漏れなく捕らえられた。
 残されたのは坂田と、

「元はといやぁテメーのせいだろうがァァァ!?」

 帯を坂田に預けっぱなしの土方。

「テメーが仕事してりゃあ、俺はこんなにヘトヘトにならねーで済んだんだボケェェェ!?」
「そんなに旦那は激しいんで?」
「バッ、坂田は関係ねえわァァァ!?」
「ふーん、『坂田』ねィ」

 沖田の笑みがどんどん黒さを深めていくことに、もちろん土方は気づかない。気づいて注意してやるべき坂田は、別のところにいた。

「え……気づかなかったの!?」
「そうよぉ。銀さんが思わせぶりなこと言って連れてくるから、私たちてっきり、ねえ?」
「『てっきり』なんだ!?」
「銀さんのカレシだと思って」
「……マジでか」
「こっちのセリフよー、土方さんだってわかってたらフリーにしなかったのに!」
「ほんとに気づいてなかったの?」
「さすが副長さんね、いつもと感じがちがったもの! 変装も可愛かったし」

 坂田は今さら自分の思い込みに気づき、衝撃を受けていた。
 今まで街中で土方を周りの視線から隠してきたのは、全部意味のないことだったのだ。
 キャバクラで働く女が人を見間違えるはずがない。そして彼女たちは真選組の副長なら知っているというのに、今夜連れられてきた男の正体がわからなかったと言う。
 つまりどういうことだ。
 坂田は必死で考える。
 あの男の正体にいち早く気づいたのは、自分だということ。それは認めてもいい。
 でも、いつ見破られるかとハラハラしていたのは、自分だけだったということか。
 そりゃそうだ、あんなにしょんぼりしてる男が土方だなんて思う奴はいない。刀も差してないしタバコも吸ってない、眼光も鋭くない男が土方十四郎だなんて。

(じゃあ俺はなんで見つけられたんだ)

 なんだ、キスした勢いじゃなかったんだ。
 俺は最初からあの子が。
 人混みを掻き分けて、土方を探す。
 彼のひとは、年下の悪魔の子に怒鳴り散らしていた。



「脱ぎゃアいいんだろ。オイ誰か、帯」
「うわあ自意識過剰でさァ。俺ァアンタのストリップなんて見たくねえんで」
「ストリップじゃねーよ!? 帯変えるだけだっつの!?」
「視覚の暴力でさぁ。なんですかその足は」
「これはだなァ……坂田が」
「坂田、が?」
「坂田に履かされたんだ! 俺の趣味じゃねえからな!」
「旦那の趣味ってことですねィ。土方さんは大人しく従った、と」
「ななな、何言ってんだ……!?」
「アンタの話を総合するとそうなりやすぜ」

 沖田はひとつひとつ数え上げてみせた。
 帯を返すの返さないのと言い争っていたこと。
 大人しくミニ丈に着付けられ、ソックスまで履かされたこと。本気で嫌がったとは思えない。
 キスしたことは明白。
 そして、

「万事屋って呼ばなくなりやしたね」

 沖田は人差し指を突きつけて、ニンマリ笑った。

「これが、動かぬ証拠です」
「違う! これは、ホシのそばで本名は言えねえからって坂田が、」
「……」
「よ、万事屋が」

 万事屋。
 呼び慣れた屋号のはずが、なぜか土方の舌に馴染まない。
 あの男は身元が割れてはいけないと気遣って、偽名まで確認してくれた。
 嬉しかった。
 その前に『扱いづらくて仕方ない』と吐き捨てられた分、余計に。

「……坂田は、どうした」

 自然とその呼び方が口から零れた。
 万事屋とは呼ばないでくれ、周りに迷惑が掛かるから、と言われたのだ。だから坂田と呼ぶのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 きっと、この捕物が終わったと知ったら、坂田とは呼べなくなる。
 それが残念だと思うのは、なぜだろう。


「呼んだ?」

 間延びした男の声が、真後ろから聞こえた。
 ああ、もう成り行き上仕方なく抱き寄せられたり……キスされたりすることはないんだな。
 淋しさが募って仕方ない。
 この男の手は大きくて、暖かかった。何より、安心できた。自分が情けなく思えるほど、この男はしっかりと前を見据え、自分の手を引いてくれた。
 もう、芝居は終わりだ。

「いや、無事なら……」
「心配だった?」
「……そうじゃねえ」
「よかったな。仕事、無事片付いて」
「無事っつうかなんつうか、」
「とにかく、終わったんだよな?」
「終わりましたぜィ」

 沖田が答えた。そして、手のひらを差し出した。

「連中は俺たちがしょっぴきまさァ。近藤さんに報告もしときやす。アンタがなんで帰って来ねえのか、そこんとこも上手く誤魔化してやらァ。てわけで、口止め料寄越せ土方」

 ニヤニヤ笑うその顔が、誰かに似ているような気がした。
 背中で坂田が慌てる気配がした。

「ちょっ、今これしか持ってねーのよ! これで手ェ打てよ、な?」

 差し出されたのは、最初の最初に土方が渡した、一万円札。
 なんだかムカムカしてきた。

「テメーが払ってんじゃねえ、貧乏人のくせに」

 土方は自分の財布を取り出すと、沖田の手のひらに叩きつけた。

「近藤さんに、明日まで帰らねえっつっとけ!」

 そして沖田の嫌味に耳は貸さないとばかりに土方は、銀髪の侍に手を取られてふわふわと歩いて行く。それ自体が沖田にとっては後日土方をいびる大きなネタになる訳だが、そんなことに今の土方は思い至らなかった。





 また、坂田に手を引かれている。
 もう仕事は、終わったのに。
 坂田は無言で、土方を見ようとはしない。ただ、しきりと手を握り直してくるのだけが、今までと違う。
 これが最後だと土方は思う。
 今日はずっと、坂田に任せきりだった。
 だから、最後くらい。
 土方はこっそり、手を握り返した。
 坂田が物凄い勢いで振り返ったのがわかったけれど、顔は見られなかった。

「……土方くん、さ」

 坂田はしどろもどろに問いかける。

「明日まで帰らないって、どうするつもりなの」
「……」
「イヤ、変な意味じゃなくて!! っても信じらんねえよな……けど、もうしねえから! イヤじゃなければ、銀さんと飲みに行かねえ……?」
「……」
「つ、疲れたんならアレ、ウチでもいいし! 絶対もうしねえから! つか、俺ソファでも寝られるし!」
「……」
「やっぱ、嫌?……だよな、はは……」
 
 二人きりなんて、警戒するなと言う方が無理だ。
 何しろキスしてしまったし。
 少し、気持ちよかったなんて思ってる時点で自分はあまり安全ではないし。
 でも、手を握り返してくれた。
 少しは、期待しても、

「別に。嫌じゃねーし」

 俯いたせいで、長い髪が肩から落ちて胸元を隠す。
 綺麗だな、と素直に坂田は思う。
 いや、それよりも今なんて?

「マジで!?」

 俯いたまま、こく、と頷くのを信じられない思いで見守った。

「どこ行くよ。俺ァ……」

 もごもごと口篭るのも、不貞腐れているように見えるのも、実は照れ隠しだと今ならわかる。

「この辺、よく知らねえぞ」
「そうだったよな、うん」
「テメーんちでいいだろ。眠いし」
「うん。……え?」

 土方は不満そうに口を尖らせ、顔を上げた。
 テメーが言ったんだろ、と言わんばかりに坂田を睨んでいる。
 土方がどんどん話を進めていくのに、ついていくのが精一杯だ。

(何にもしねえって言っちゃったしなぁ……)

 久しぶりに胸がドキドキ高鳴るのを、坂田は自覚した。

(お友達から始めるのが、順当なんだろうなあ)




 坂田は万事屋まで手を離さなかった。土方も時折きゅっと握り返してきたから、まんざらでもなかったはずだ。
 事件現場となったキャバクラと、手を取り合って歩く二人の姿、さらに沖田のメガホンによって、この男たちがすでに出来上がってるとかぶき町中に言い触れらされるのは、もう少しあと。










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