汚れたヒーロー(3Z)


 一年の授業をしていたら、突然男子生徒がぶっ倒れた。プリントを集める最中に机に足を引っ掛けたらしい。支えに入ったけど間に合わなくて、その子は机におでこを思っきりぶつけた。デコが切れて派手に出血し、教室は騒然となった。
 自分の出血量を見て驚いたんだろう、真っ青になっちまった。俺がヤンチャしてた頃の経験から言えば出血量は大したことないが、頭打ってるから少し心配だ。白衣を脱いでとりあえず止血のために押さえてやりながら、月詠を呼びに別の生徒を走らせた。
 保険医ともなると出血くらいじゃ動揺しない。ましてや月詠先生は顔縫ったこともある猛者だ。半泣きの男子に喝を入れて、病院に連れて行くから後始末は主らに任せるでありんすとかなんとか言いながらあっという間に出て行った。
 この際だから床に散った血は白衣でざっと拭き取って、キャアキャア騒いでる女子を宥め、比較的落ち着いた奴に雑巾掛けをさせ……なんてやってたら、授業終わっちまった。まあいいけど。

 校長に報告もした。担任にも伝えた……ところで躓いた。
 若い女の先生は、泣きそうな顔で俺に訴えるんだ。

「あの子のお母さん、怖いんです」

 あーいるいる。モンスターなんとかってヤツ。困るんだよねアレ。俺はスルーしてるけど。経験の浅い先生だと辛いのはわかる。てゆうか、真面目な先生ほど辛いだろう、俺はいちいち真に受けないから平気だけど。

「怪我させたなんて言ったら……」
「ちょ、俺なんもしてないからね? 自分で転んだんだからね」
「わかってます、でも」
「月詠先生が家まで送るって言ってたし、アノ先生はイチャモンなんて倍返ししてくるだろ。大丈夫、」

 じゃねーな。
 月詠に言い負かされた分、担任にキレて難癖つけてくるだろう。この先生が泣きそうなのは、だいたいその後の展開が見えてるからだ。
 かと言って俺は担任じゃないし、自分で転んだって事実は動かないから訊かれれば『お宅の息子さんが自爆しました』としか言えないし、助けになるとは思えない。
 親御さんには早めに連絡入れといたほうがいいですよ、と至極真っ当な意見を述べたら遂にその先生は泣き出した。オイオイ教室でも女子に騒がれるし職員室でも女の先生に泣かれるし、今日の運勢何位だったの俺。テレビの占い見てくれば良かった。

 坂田先生見てたんでしょう、お母さんに説明するとき電話代わってもらっていいですか。
 うん、アナタそんな弱気だから言いたい放題言われるんだよ。ガツンと言ってやれよ『息子さんの責任です』って。と言いたいところだが、生徒が職員室にチョロチョロ出入りして、あー銀八先生が泣かしてるぅとか囃すし同僚は見て見ぬふりだし、じゃあ拗れたら代わりますけど基本アンタの担当する生徒なんだから、あんま口出しませんよと釘を刺してから電話に立ち会った。
 案の定、女の先生はいきなり『申し訳ありません』から始めちまった。イヤ俺は悪くない。事情を話そうとしてるらしいんだが途中で話を遮られるし、その度に謝ってる。コレ俺が出たら余計心証悪いんじゃねーの。その上月詠が追い討ちかけたらヤバイんじゃねーの。
 途中で校長が来て、坂田先生はいいから後日親が押しかけてきたらご協力お願いします、と耳打ちして電話を代わってやってた。そこで俺は、今日のところはお役御免になったわけだ。


 俺なんかした?
 そりゃ支えてあげたかったな、くらいは思うよ。けど教師だってスーパーマンじゃあるまいし、教室の端っこから端っこまでコンマ何秒で移動出来るわけない。あの子だってふざけてて転んだ訳じゃないし、机の主だって特に列を乱してたわけでもない。純粋に不幸が重なった上での事故だ。
 悪いけど俺は白衣の処分のほうが悩ましい。結構なスプラッタだ。月詠がバスタオル持ってくるまでずっと押さえてたからしょうがないけど。これ、落ちるかな。手洗いとか面倒だし。

 さっきの感じだとあの子の親は絶対押し掛けてくるだろう。そん時は俺も立ち会うんだろう。そこでコレ見せて、ちゃんと処置はしたよって言おうかな。いや、そーいう奴は白衣の汚れにまでケチつけるだろうな。こんなキタナイ物でムスコちゃんの傷に触るなんて!って。ほっといたらほっといたで文句言うくせに。死なねっつの、あれくらいの血で。それより中身のほうが心配だっつの。

 とかなんとか、国語科準備室に篭って血塗れの白衣を広げながら考えてたら、今度は机に置いといたマグを倒しちまった。しかもそれがブックスタンドにモロにぶつかって割れ、倒れるのを阻止しようとした俺の手をザックリ切りやがった。もう、なんなの。今日は厄日なの。あーやだ、帰りてえ。
 と思ったところに、カラカラと扉が開く音がした。イラッとしてたから声も尖ってしまった。

「ノックぐらいしろ!」

 八つ当たり気味に侵入者を睨んだ。それはウチのクラスの土方くんだった。

「あっ……すいませんッ」

 と言って、なぜか土方くんは部屋に入って後ろ手に扉を閉めた。

「入っていいかとか聞けよ。人の都合を」
「すいません……」

 土方くんは青い顔で謝る。なんなのホント。今日は青い顔と謝るのと女が泣くのに難アリとかなの。もう勘弁して。

「俺、手伝うよ」
「は?」

 土方は泣かなかった。当たり前だけど。泣く要素がないけど。何を手伝ってくれるんだ?

「それ……隠すんだろ」
「え?」
「それに先生、血が出てる。俺がやったことにしていいから」
「何を?」
「何をって……じゃあ、俺が先生を殴ろうとした、とかどうですか」
「へ?」
「反撃したら手ェ切って、白衣で押さえてたから血が付いたとか! あっ、それだと俺も少しは怪我してたほうが、」
「ちょ、待てって!? 何言ってんの、全然わかんないんだけど!?」
「一年の奴、殴っちまったんだろ」

 土方くんは冗談の通じない子だ。今も真剣な顔で俺をじっと見ている。
 でもちょっと待て、どうしてそんな話になった。しかも土方は三年だろ、なんでそんなトコまで話が(金魚並みの尾ひれに手足まで生えて全力疾走で)伝わってんだ。どんなグロい話だソレ。

「えーっと、その話だと俺、一年の子ブッ殺したとかになってる?」
「うん。月詠先生が半狂乱で救急車に同乗してったって」
「じゃあ、なんでココに来ちゃったの。お前も危ないじゃん」
「そうだけど……学校に銀八いなくなるの嫌だ。ずっといて欲しいから、証拠隠せば大丈夫かなって思ったんだ」
「証拠って?」
「先生が一年殴った証拠。その、血の痕とか」
「俺がやったのは決まりなの?」
「総悟が見たって言ってた」
「……」

 ああそう。君はお勉強は出来るけど、少し、いやものっそいバカなんじゃないかなってずっと思ってたんだけど、やっぱりそうなんだな。
 どんな中二設定だよ。
 沖田くんは何人いるの。お前あのとき授業中だっただろ。沖田も一緒にいただろ。じゃあ見られないじゃん、俺が殴ってるとこ。
 俺はついさっきまで現実と向き合って嫌気が差してたんだけど、キミの脳内の俺はとんでもねえ冒険をしてる訳だ。今なら俺、ヤンキーが十人掛かってきても勝てる気がする。

 土方は真顔で、心配そうに俺を見てる。ほんっとバカだなぁ。
 バカな子ほどカワイイってのも、ホントなんだな。

「じゃあさ、月詠先生に、ガーゼと包帯貰ってきてくんない?」

 できるだけ俺が怪我したって言わないでね。
 声を潜めて念を押すと、土方は重々しく頷いた。
 無理に決まってる。月詠はまだ帰っていないだろうし、代わりに誰かが居たとしても生徒が備品を持ち出すのに理由を聞かないわけがない。土方は嘘を吐き通せないだろう、根が真面目だから。
 誰かが種明かしをしたら、土方は怒って帰ってしまうだろうか。


 密命を帯びた気になって急いで準備室を出て行く後ろ姿に、微笑ましい以上に愛おしいと思っている自分に気づいたけど、なんとなく『土方なら』って納得した。


 今日の運勢、そう悪くなかったかも。土方が戻ってきたらだけど。


 戻ってきたらお礼に、まずはご飯に誘おうかな。そんで、少し身の危険を感じる練習をしてもらわないと。







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