そんなはずじゃ、 『あー、帰ってました? 土方も一緒ですかィ。言い忘れたことがありましてねィ』 沖田は電話の向こうで淡々と言う。 『土方の野郎ですが、泣き上戸なんでさァ。しかも酒に弱いモンだから、ケロッと忘れちまうん……』 銀時は全部聞く前に黒電話を置いた。 血の気が下がる思いとはこのことだ。 自分は半裸。 土方に至っては何も身につけず、ソファですうすう眠っている。 ――覚えてないだと? どうしよう。 とにかく、タオルと、なにか着せる物を……、 土方がもぞもぞと身動いだ。 慌ててソファから落ちるのを阻止したものの、しっとり汗ばむ肌にドキドキと心臓が鳴る。 あれから、万事屋に連れ立って来た。なんだか妙に照れくさかったのが遠い過去のようだ。 神楽がいなかったのには驚いた。夕食は作っていったはずなのに、メモによると新八に呼ばれて恒道館で鍋らしい。 ならばと土方に声を掛けると、夕食抜きだという。 いきなり酒もどうかと思い、神楽の残り――といっても成人男子の三人前はありそうだったが――を温めて出した。料理ができるとは思っても見なかったのだろう、土方は目を丸くして銀時の手元を見つめた。 それから、俺だってやればできるからなッと捨てゼリフを述べつつ箸を付けた。 美味かったらしい。 ますます目が丸くなった。次にぎゅう、と眉が寄った。悔しいのだろう。 「必要に迫られてってヤツだから。飯くらい穏やかに食え」 簡単に味噌汁を作って出してやると、今度はもじもじし始めた。 アレだろうな。 好きなだけかければいいんじゃね、と言ったらぱっと目を輝かせて、まるっと1本かけてしまったのにはかなり驚いたが。 そんなふうに、比較的穏やかに飲み始めたのだ。 確かにいろいろなことがあって、自分も含めて口数も少なかったのは認めよう。 だからといって、刺々しい雰囲気ではなかった。少なくとも、万事屋の少ない食材をすべて客人に出してやろうと思うくらいには。 途中で箸が止まり、飲み一方になったのにも気づいたが、こんなものだろうと思った。 ぽつぽつと語る口調も嫌いではなかった。むしろ銀時の飲み友達のように、ハメを外さないのが好ましかった。 だから、話題に失敗したのは自分だったと銀時は思ったのだ。 「おめーホント帰んなくて大丈夫なの」 帰る気がないなら客用布団を出そうかと算段しただけだったのに。 ボロボロッと土方の目から涙が零れたのだ。いきなり。 「ちょ、どうしたァァァ!?」 「迷惑なら連れてくんなァァァ!!」 そしてまたいきなり、ローテーブルを飛び越えて体当たりしてきた。それは身軽に。 慌てて銀時は受け身の態勢を取ったが、投げ飛ばされることはなかった。代わりに暖かいものが胸の中に収まって、ぐずぐずと鼻を鳴らしていた。 「ひじかたくん!?」 声が裏返ったのは致し方ない。 必要に迫られてとはいえ、今日は何度もこの男を抱きしめた。最後は追い詰められたせいが1回、銀時の確信犯で1回、唇まで合わせた。 てっきり警戒されていると思ったのに、万事屋についてきた。 そして、帰れとはなんだと怒っているようなのだ。泣きながら。 「や、迷惑じゃないって! 落ち着け、アレだ、風呂は!?」 「もう嫌だ。朝でいい」 目付きは相変わらず悪いものの、顎を突き出して銀時の顔を覗き込む様子が案外幼い。 「おめーがいいならそれでいいよ! とにかく、」 「テメーさっきもそう言ったな」 土方は銀時の襟首を両手で掴んだ。顔が余計に近くなる。 「もういいよそれでって。俺は傷ついた」 「ごめんってば! でも今のは言わせろ、俺は想定外だったんだよ!」 「テメーはそうやっていつも……俺の言葉尻を捕まえて、ぐずっ、あーだこーだと、」 「イヤイヤイヤそうじゃなくて! なんとなくオメーは風呂入んねえと布団入らねえみたいな、綺麗好きな印象があったんだよごめん! 先入観でモノ語って!」 「ふろ? そんなもん、ひぐっ、入らなくたって、死にゃしねーわ」 そんならいいよと言いそうになって、銀時は言葉を噛み殺した。だが何か喋っていないと気がおかしくなりそうだ。 「ひじかたくん、とりあえず退いて……」 「邪魔なら連れてくんなこのくるくる、ひぐっ、くるくる、」 「天パな!? そうじゃねえよ、聞き分けろ!」 涙で言葉が詰まるくらいなら、悪態なんぞ吐かなければいいのに。 銀時は恨めしく思った。 間近で見る目は意外と透明感があって、藍色がかっているところが深海を思わせる。 そこからほろほろと溢れ出す涙も、心なしか他人より輝いている気がする。 ああ、惚れてしまったんだな。 今日一日の行動を改めて思い返し、銀時は苦く笑った。 「なあホント、なんにもしないからって約束しただろ。守れなくなっちまったら困るから」 何をされたか思い出せ。 そして今の状況がどれほど危険か思い出したら、きっとお前は自分から帰るだろう。 それで、いい。 お友達から始めるのが順当だと言い聞かせたばかりなのに、俺は、 (お前に触りたい) 「おれが行きたいっていったんら!」 土方が吼えた。涙を零しながら。 「てめーはっ、んな、ぬるい覚悟でッ、ひぐっ、おれをっ、連れて、えぐっ、きたのかッ!?」 「ひじかた……?」 「さかた。さかた」 銀時はただされるがままに、土方を見守るしかなかった。 本当に、それしかできなかったのだ。名誉にかけて。 「さかた、」 「はいはい」 「さかたぁ」 「うん」 「さーかーた、」 「……オイ飲み過ぎだろ。もう寝ろよ」 「ぎんとき、」 土方は目に涙を溜めて、俯き気味にそっと呟いた。そして、銀時の首に腕を回した。 もう、耐えられない。 「ひじかた、そういうことするとどうなるか、わかってんのか」 「うん、」 「いいのかテメーは、昨日まで ツラ合わせりゃ喧嘩してた相手と」 「うん、」 「後に引けなくなるぜ」 「うん」 「いいんだな」 土方の腰を引き寄せて、ソファに押し倒した。土方は驚くほど従順で、初な反応をするくせに快楽には弱かった。 触れるだけ、と固く心に誓っていたはずなのに銀時は、あっという間にそんな誓いは守れないことを認め、土方の躯を奥深くまで堪能した。 ――してしまった。 (アレが全部、酒癖だとォォォ!?) 土方の胎内を探り、自分がいかに容赦しなかったかをまざまざと知る。 (コイツ絶対初めてだったのに) 身体を拭き清めても、目を覚まさないことに酔いの深さを知る。 (なんで酔っ払ってできるかなァ) 有り合わせの自分の着流しを着せて帯を締めてやり、隣の部屋の布団に運ぶのはひと苦労だった。成人男子の、酔い潰れて力の抜け切った身体なのだ。 その身体に。 今度こそ顔は見られなかった。布団に寝かしつけてから銀時はリビングに残り、情交の跡を片付けた。 (明日、自分が惨めになるから) それから、少しでも忘れるために、ソファに寝転んで目を閉じた。 翌朝、どうしても顔を見る気になれなくて、銀時は土方が目を覚ます前に万事屋を出た。 新八と神楽が帰ってきたら驚くだろうと、簡単なメモは残した。土方と宅飲みしたこと、土方が酔い潰れたので寝かせていること、まだ眠っていたら目覚めるまで寝かしてやってほしいこと。 自分は少し足を伸ばして、最近ご無沙汰している甘味処にでも行こうと思った。 あんなに可愛く鳴いていたのに。 覚えていないだろう。 けれど、身体の異変にはきっと気づく。そこから導かれる結論は、 (俺が襲ったことに、なってるよな) もうそれでいい。 土方が傷つかずにいられるなら、どんな不名誉も蒙ろうと思った。 少し、いやかなり、こちらの心も傷むけれど。 店の主に無沙汰を詫び、団子と茶を頼みながらふと、財布の中味を頭の中で確認した。 ――あるわ。死ぬほど食えらァ それがどういう経路で銀時の手に入ったかを思い出して、思わずため息が出た。足元を見ると、微かに滲んでいる。 好きだと自覚した。大切にしようと思った。その日のうちに、無体を強いた。 酷い男だ。 その上、たった今その男から巻き上げた金で物を食べようとしている。 さすがの甘味も喉を通る気がしない。 主に詫びて帰ろうとしたとき、隣に黒い陰がスッ、と腰を下ろした。 「遠すぎる」 ムスッと、土方の声はそれだけ言った。 銀時は顔が上げられない。 土方も何も言わない。 沈黙が続いて、いたたまれなくなったとき、銀時の団子が運ばれてきた。 「みたらし」 と土方は言った。 そして、団子の皿をそっと銀時のほうに押しやった。 「あのな、見縊んなよ」 ライターを擦る音がした。ふんわりと煙草の香りが流れてくる。 「総悟が余計なこと言ったってな」 「……」 「帰ったらアイツ、締めるわ」 「……」 「俺が泣き上戸で飲むと記憶なくすだ? んなわけあるか」 「……っ、」 「そしたら今まで、どんだけヤられてっかわかんねえよ」 「……え、」 「ちゃんと覚えてる」 やっと銀時は、のろのろと顔を上げた。上げざるを得なかった。 この男が記憶をなくしていなくても、酔った勢いに乗じたのは自分だ。 でも、恐る恐る盗み見た土方の顔は至極穏やかで、微笑んですらいた。 「酔っ払ってヤられちまうほどボケてねえぞコラ」 ほんのり頬を染めて、視線を泳がせながら土方は低く呟く。 「誰と寝たかくらい、覚えてるわボケ」 「……腹ァ立たないのかよ」 「はぁ? なんで」 「騙したようなモンだろ」 「馬鹿だなあテメーは」 「……そうだよ」 「もうそんでいいとか、言うなよ」 銀時は眉を顰めた。 土方は笑っている。 「傷ついたっつったろ」 「……」 「俺の言うことなんざ、軽くあしらえば済む程度のことか? 今も?」 「そんなこた……」 「じゃあンな湿気たツラすんな」 藍色の目が銀時に笑いかけている。 「テメーんちについてったときは素面じゃなかったか? 昨日の、あの流れでテメーんちに行ったらどうなるか、いい歳してわからねえとでも思ったか?」 「……わかってたのか、全部」 「わかってたんじゃねえ。望んでたんだ」 土方の笑みが消える。 「ああなりたかった。そう言っても、信じねえか」 「……でもっ、」 「そういう時は『そんでいいわもう』って言わないんだな」 土方の目の中に、昨日の夜と同じ色が浮かぶ。 『てめーはっ、んな、ぬるい覚悟でッ、ひぐっ、おれをっ、連れて、えぐっ、きたのかッ!?』 『さかた。さかた』 『……ぎんとき』 「ほんとに……?」 「もう重々確かめただろ。それでも失敗だったと思うんなら……」 「思わない」 昨日、もう万事屋と呼んで差し支えない状況になっても、沖田に散々揶揄われても、この男は『坂田』と呼び続けた。酒の力を借りて、『ぎんとき』とまで。 転がり落ちてきた幸運を、もう疑ってはいけない。 「思わねえよ、土方」 「違う。昨日はそうじゃなかった」 たちまち土方はへそを曲げた。 「テメーのほうが忘れてんじゃねーか。昨日は……」 「はいはい。わかったよ十四郎」 肌を合わせている間、自分たちは何度も甘く呼びあったではないか。 『ぎんとき』 『とおしろー、』 『……ぎんときぃッ』 『十四郎っ、』 『銀時、ん、あっ』 『十四郎。きれいだ』 土方の皿が遠慮がちに運ばれてきた。藍色の瞳が、銀時に無言で問いかける。 「まあ……いいんじゃねえの。好きにかけたら」 途端にぱっと目を輝かせて、 土方はみたらしにマヨネーズをこんもり振りかけた。 そんな悪食さえも微笑ましく見守れる自分が、今なら許せる。 何も起こらない、ただ時間が過ぎていくだけの空間が心地よかった。 これからも、こうして過ごせるとわかったから。 「もう一日休むかなァ」 鬼の副長が隣でのんびり呟く、そんな幸せなひととき。 目次TOPへ TOPへ |