願い ※「痛い」銀時視点 土方の唇から、血の塊がごぼっ、と溢れる。次から次へと。 知ってる。こうなったら人は助からない。土方の目はもう俺を見ていないし、弱々しく俺の袂を掴んだ指も、解けていく。 でも、頼むから。 こいつだけは勘弁してくれ。 人の生き死にが俺たちの知らないところで決められてて、覆らないんだとしても。 こいつである必要はあるのか。 俺じゃいけない理由が、本当にあるのか。 昼から翌日一杯は非番だから、とぶっきらぼうに告げられた。 見廻りの途中で、わざわざ俺に近寄ってきて。舌打ちのおまけ付きで。 関心のない振りをしたら途端に慌て出したのが愛おしかった。それでもカッコ付けなもんだから、ヒマじゃねーなら別にいいし、なんて吐き捨てて急いで踵を返そうとしたんだ。 「うそ。嬉しい」 そう言ったら顔を真っ赤にして、微妙に視線を泳がせた。そして俯いて小さく、おう、と言った。 土方も楽しみにしていると確かめたかったんだ。ただそれだけ。 真選組の、しかも副長なんて役目を担っているあいつが予定通りに休みを取れるとは思わない。ただ、休みの予定があって、その時間を俺と過ごしたいと願ってくれたのが嬉しかった。 本当に、嬉しかった。 だから、約束の時間に現れない男を責めるつもりは微塵もなかった。連絡も寄越せないほどの緊急事態であれば、ただ無事を願って帰りを待とうと思った。黙っていってしまう奴じゃない。連絡を待てばいい、と。 辺りが暗くなり、神楽が欠伸を始めて『出掛けるなら鍵閉めろヨ』なんて意味深に笑いながら寝床に入るころ、こんな遅くまで休日返上で仕事なんて、どんだけワーカホリックなんだよって苦笑いが浮かんだ。 そうだ。たまには迎えに行くのもアリじゃねえか。 屯所に入ろうとするとあいつはいつも怒った。ここから先は俺の仕事場だ。入ってくるな、なんて言って。硬いコト言うなよーって茶化したら瞳孔おっ広げて 『そうじゃねえ。俺が、ダメなんだ』 と言った。 屯所に帰ってもお前のことで頭が一杯なんだ。ここに入れたら俺は真選組でなくなっちまう。帰れ。 えらい剣幕で怒られたので、あまり屯所には近寄らないようにしていた。でも、門の前で待ってるのならいいんじゃないか? 今日くらいは。 とは言え、いきなりあの男のテリトリーに踏み込むのもよくないと思った。あいつが大切にしている真選組を、俺が浮かれた気分で汚したらいけない。 あいつのケータイを鳴らすのは日頃から遠慮していた。どんな場面で鳴っちまうかわからないからだ。もし潜伏中だったら。斬り合いの最中だったら。俺の気まぐれで鳴らした音で、あいつの身に危険が及ぶのは真っ平だったから。 それで、俺は屯所に電話した。 知らない隊士が出て、しばらく待たされた後、沖田が出てきた。 『旦那ですかィ? どうしやした、土方コノヤローと喧嘩でもしたんで?』 「は? 人聞きの悪いこと言わないでくれる? あいつ、忙しい? 迎えに行こうかと思ってよォ」 『誤魔化しても無駄ですぜ。ヤローは昼っから休みでさァ。浮き浮き出掛けていきやがったから、どうせアンタのとこでしょ』 「え? 来てないけど。仕事してんじゃないの?」 『えっ? とっくに……』 「そんならアイツはどこだ」 旦那、と沖田は低い声で言った。 『ヤローは副長です。真選組全体の問題でさァ。俺ァ近藤さんに報告してきやすから、旦那は屯所前にいてください』 「ふざけんな。探しに行くッ」 『アンタ、頭に血が上っちまってますぜ。俺が一緒に回りやす』 土方が何時に屯所を出て、そこからどのルートを使って万事屋に来るか。別の道を辿るとしたらどこか。 真選組を挙げて夜中の捜索が始まった。 俺と沖田は別行動で、真選組とは全然違うところを片っ端から探した。夜中に民家を叩いて住人を起こし、目撃したかと尋ねて歩いた。 ――知らないよ。こんな夜中に、まったく真選組は非常識だ その真選組に護られて江戸は平和でいられるのに。 その真選組に、あいつは心血を注いできたのに。 「顔は見てないけど、侍が喧嘩してた」 夜更けにやっと手掛かりを見つけた。 「通報したけどね。奉行所が来たときには、もう全部いなくなってたから、あとは知らない」 現場を地図と見比べて沖田は言葉をなくした。 何度も聞き質してやっと口を割った。 「この近くに……平たく言うと幕府のエライさんが住んでやす」 「それで!?」 「気色悪ィ話ですけど、土方のこと気に入っててね。土方さんはめちゃめちゃ嫌ってたんですが」 「……」 「裏目に出たかもしれねェ。可愛さ余って、って奴で」 行きましょう、と沖田は呻いて、俺の腕を引っ張って先に進んだ。とっ捕まってンならいいんですが、と言った横顔が引き攣っていた。 そして俺たちは、半裸で血塗れの土方が倒れているのを見つけた…… お前を愛して、愛されて。 俺は覚悟していたはずだった。 けど、足りなかったんだな。 真選組にいるお前は別だなんて。どうしてそんな中途半端なことを。 お前が嫌がるから、なんて。嫌われたくなくて、物分かりのいい振りをしてただけだ。 昼に来なかったとき、ほんとはがっかりしたんだ。連絡もくれないのかって、恨めしかったんだよ。休みの日くらい真選組より俺を優先してくれればいいのにって、不貞腐れもした。 そんでも俺がお前の仕事に口を出したら、お前に嫌われそうで、言えなかった。 その結末が、これか。 「土方。目ェ開けろ……とにかく、帰ろ」 帰ろう。ひじかた。早く治して、また非番の日に逢おう。なあ、土方。謝るから、 「もっと早く気づけばよかった」 遅いのはオカシイと。愚痴や不満を燻らせてる暇があったら、考えればよかった。 「ごめんな。ちょっと触るぞ」 聞こえているのかいないのか。土方は動かない。冷たい体をそっと探るとぬるつく血のほかに、確かに、秘部から、ぬめる体液が、 「ひじかた……誰にやられた」 言わなくていい。俺がもっと早く気づいてたら、お前をこんな目に遭わせずに済んだんだ。 「救急車呼ぶぞ? いいか」 お前は嫌がるだろうけど。このままじゃ死んじまう。 「近藤にも、知らせねえと」 嫌だよな。見られたくないよな。ごめん。ごめんな、 俺が悪かった。だからお前は死ぬな。 「沖田くん、やっぱり二人にしてくんね」 沖田は黙って遠ざかった。おそらく近藤に連絡しているのだろう。救急車は呼んでいない。きっと……間に合わないとわかっているから。 「ひじかた」 血が流れ切って、顔は白を通り越して透明になってる。見たことがある、こうなった奴を。何人も。 「どうなったっていい。俺のこと忘れたっていい」 でも、どうか。 それがお前に当てはまりませんように。 「死ぬな、」 「げほっ、」 土方の唇から、血の塊がごぼっ、と溢れる。知ってる。知ってるんだ。こうなったら人は助からない。土方の目はもう俺を見ていないし、弱々しく俺の袂を掴んだ指も、解けていく。 それでも、諦められない。できるわけがない。 冷たくなっていく身体を抱き上げ、抱きしめ、 俺の背後に音もなく近寄る奴がいる。 「晴明様のお口添えにより、勝手に召喚されてきたでござんす」 この世の物に在らざる気配。 「葛葉姐さんを、連れてきやした」 外道に生まれし者は、そっと俺の背に小さな手を置いた。 「銀時様のお覚悟、しかと受け止めたでござんす」 沖田は遠くで顔を覆っている。彼らの存在に気づく気配がないのを確かめ、土方にはこれで最後かもしれない口づけを送って、俺は目を閉じた。 どうか、このひとを、助けて。 「死なせるか。見てろ、十四郎」 不意に、意識が遠のいた。 目次TOPへ TOPへ |