乙男の意地。 「新八、私来週からダイエット道場に行くヨ」 ある日神楽にそう宣言された新八は、深々とため息をついた。 今朝姉に同じことを言われたばかりだったからだ。 『新ちゃん、私も少しダイエットしたほうがいいと思うの。おうちにいるとつい食べ過ぎちゃうでしょ? だから泊りがけの合宿にいくことにしたわ』 どうやったらあの可哀想な卵を食べ過ぎてそんなに太れるのか、とツッコミたかったが止めておいたのは言うまでもない。 「うん。姉上に聞いたよ」 そこで雇い主が不自然にこちらを窺っているのに気づいたが、何も言わないので神楽に向き直る。 「どうしてそんなになるまで気づかなかったのか知らないけど……無理なダイエットは身体壊すから気をつけてね」 「あいさー」 「それで銀さん、姉上から伝言なんですけど。ウチは僕一人になるんで、光熱費の無駄だし食事も一人分だと高くつくんで、合宿の間は僕も万事屋に泊め……」 新八は言葉を飲み込まざるを得なかった。 いい歳をした雇い主は、自分の足元に物凄い勢いでスライディングしてきて土下座の形できちんと止まったのだ。 ああ、こっちも土方さんとお泊まり会かよコノヤロー。 けれど新八にも言い分はある。 ここに通い始めて何年になると思うのだ。給料はろくに払わないし自分はパチンコだの甘味だのに使っているようだし、そもそも自分だってここに居座る権利はあるはずだ。恋人ができたからって家族(もどき)を邪険に追い出していいとでも思うのか。 それやこれやを言ってやろうとしたとき、 「お願いしまっすーー! 屯所に泊まってくださァァァい!」 話を聞くとこうだった。 神楽が合宿に行くと聞いて、一応保護者なので少し心配になった銀時は、女の悩みは女に聞くのがよかろうとお妙に電話をした。するとお妙も行くという。それどころか柳生の御曹司も行くらしい。 ならば大丈夫かと、一旦は納得したもののやはり気になる。超がつく猛者が二人もいるし、本人も桁違いの戦闘力なのだから、要らぬ心配とは思いつつ気になってしかたない。 そのもやもやを、恋人はいち早く察したらしい。飲みに誘われ、どうした、と緊張気味に尋ねてくれた。 真選組だって町内のいざこざを知ってるかもしれない。試しに聞いてみよう、と銀時は思い、道場について何か知っているかと聞いた。 『ああ……なんか近藤さんが言ってた。お妙が行くらしいって』 『柳生のぼっちゃまも行くみたいだぜ』 『あと、おまえに絡むあの眼鏡っ子もらしいぞ。とっつぁんがいってた』 とんでもないヤツがもう一人いた。とはいえヤツも遣い手だ。何かあっても子ども一人護れない面々ではないだろう。 事件に巻き込まれる心配より、事件を巻き起こす心配をしたほうがいいかもしれない。 『成功したヤツはいないらしい。プログラムの途中で全員脱落だとよ』 少なくとも薬物などで無理な痩身をさせられるわけではなさそうだ。普通の女が逃げられるくらいなら、あの化け物集団が手こずるはずもない。 やっと安心した銀時は早いピッチで飲み始めた。土方が無口なのは今に始まったことじゃないので気にしなかった。彼が『いつから行くんだ』と小さな声で尋ねるまで。 『来週の月曜日だとさ』 『何日……?』 『五泊くらいって言ってた』 『ふーん』 『新八でも呼ばねえと』 『!? なんで』 『飯食わしてやんねーとお妙がたぶんキレ……って、どうしたァァァ!?』 土方は突然テーブルに突っ伏して、泣き始めた…… 「何なんですか?」 「うーん……、あの、ヤキモチ、っての?」 「疑問形?」 「あ、イヤ。ヤキモチ」 「言い切ったよコノヤロー!?」 「それから刀抜いてさ。やっぱりメガネ属性なのかとか淫行条例とか浮気する気かとか大騒ぎで」 「オイィィィ!? 人でどんな妄想繰り広げてくれちゃってんの!? 何なのあの人、ホントに警察!?」 「でもよぉ、それ居酒屋でやられたんだぜ? 宥めすかさなきゃ別の大惨事だろ。とはいえおめーに一人暮らしなんぞさせたら今度はお妙に殺されるし。だから真選組で……」 「嫌です!」 新八は激怒した。 必ずや彼の鬼副長に鉄槌を下さなければならないと決意した。メロスばりに。 いつもならビビるところだがこれはないだろう。恋人だからといって、弟分の自分との生活まで脅かしにくるとは許すまじ。 真選組屯所へいつになく堂々と訪ねていった。 「土方さんはいますか」 居ないという門前の隊士に食い下がる。 「じゃあ近藤さんは?」 隊士はしぶしぶ通してくれた。絶対居留守だ、鬼副長は。 案の定、新八を笑顔で迎えた近藤に頼むと土方を連れてきてくれた。近藤が空気を読まないのが幸いした、新八にとっては。 この期に及んで土方は知らん顔を通そうと決めたようだった。いつもの無愛想顔で『なんだ』と聞く。真顔だ。許すまじ。 「近藤さんからも聞いてると思いますけど、姉上がダイエット道場に行くんです」 「そうか」 「そうかって、銀さんにも聞いてますよね」 土方は一瞬黙ったが、だからなんだと問い直した。真選組の、それも副長ともなると感情を表に出さないのが当たり前になるのかなと新八は少し感心した。 そりゃあ、いちいち顔に出してたら尋問もままなるまい。斬り込みに行くにも要である指揮官が動揺してはならないだろうから、こんなのは当たり前なんだろう。新八は改めて鬼の二つ名は伊達ではないと思い知る。これとそれとは、話は別だけれども。 「じゃあわかりますよね。ウチは家計が苦しいんです。姉上が留守の間は、ぼ!く!が! 万事屋に泊まりますから」 そこから新八は、口をあんぐり開けて変わりゆく土方の顔を正面から見守った。 まず目元がみるみる染まっていった。唇がむぅっ突き出される様は拗ねた子どものようだった。切れ上がった眦が売りの目が真ん丸に開かれ、でもすぐに眉間に皺を寄せたせいで元の形に近づいたものの目尻の辺りに力がない。おまけに視線が泳いでいて、そして最後には新八から目を逸らした。 「いいけど。別に俺は何も言ってないし。どうせ万事屋があることないこと言ったんだろ。お前を泊めて何する気だとかなんとか俺が言ったとか言わないとか」 「……」 「俺は全然気にしてないし? むしろ万事屋はテメーんちみたいなもんだろ。泊まれば? 俺が口出すことじゃないのはわかってるし?」 「……」 「ただアノヤローがどうしてもってんなら、たまたま非番が重なってるし、あのバカ一人寝なんぞ案外できねえヘタレだから、泊まりに行ってやらねえでもねえとは思ったけど? や、非番だってたまたまだし。わざわざ合わせたわけじゃないし? お前が泊まるんなら俺が行く必要もないし? むしろこっちで仕事できて助かるし」 「……」 「何も俺にメンチ切りに来るこたァな……!?」 「……」 「……」 土方は唐突に口を閉じた。そして口許をぷるぷる震わせると、「俺は全然気にしてないからなッ!」と叫んで、涙目で逃走した。 茫然とする新八に、近藤が明るく追い討ちを掛けた。 「まったく、あいつ照れ屋でさぁ。非番だっていそいそ取ってたくせに。それも珍しく連休で」 「……」 新八は万事屋に帰ってきた。 銀時がやけに優しくおかえり、と迎えてくれて、お茶まで淹れてくれた。 「新八くん? ボコボコにされたりしなかった? つか、ゴリラ一緒にいてくれた?」 「ええ、まあ」 「ぱっつあんが泊まることになった? 大丈夫だった?」 「ひとつも大丈夫な要素ないんですけどォォォ!?」 家で普通にしてたほうが気が楽だ。 それがいい。そのほうがあの案外脳内乙女な鬼も、以後少しは遠慮というものを知るだろう。 損はしない。 今回はツッコミどころあり過ぎて真選組ではなんにも言えなかった。でも存在がツッコミだったし、あのボケ副長に釘を刺せただろうと新八は思い、満足することにした。 目次TOPへ TOPへ |