万事屋出奔 竜宮城って知ってるか。 居酒屋で偶然隣り合ってなんとなく二人で飲んでいたら、突然万事屋がそんなことを言い出した。 タイやヒラメが舞い踊るやつだろ、と返すと奴は苦笑して、『そうなるよな』と呟いた。 だが奴の言う竜宮城はそれではなく、実在する(『正確には「した」だけどな』と奴は言った)んだそうだ。そしてこいつはそこに行ってきたらしい。また性懲りもなく妙なトラブルに首を突っ込むヤツだ。 俺は竜宮城を見たことがない。だから奴の話に共感することはできない。奴の体験談をただ、そうだったのか、と聞き取って知識として蓄積するのが関の山だ。ちなみに荒唐無稽な話ではないことは理解している。実は立場上極秘なだけで、俺も竜宮城が実在することを知っている。ヤクザな上司がたまに接待に使っていることも。 確かにコイツらしばらく江戸にいなかった。どこへ行ったのかと思っていたのだが、そんな目に遭っていたとは。 そんな特殊な目に遭ったくせに、そして本人も特殊な場所に行った自覚はあって、だからこそ俺にその話をしようとしたに違いないのに、このバカときたら。 「とりあえず全力でカメハメ波の練習出来ると思うじゃん、無人島に一人しかいねえんだし」 「……」 「無人島だぜ? 滅多に行けねえだろ、部屋で一人とかじゃねえんだぜ。お天道様の下でよ、誰にも遠慮しねえでカメハメ波ァァァア!って叫べるんだぜ」 「……」 「あれ? あんまピンとこないかんじ? ああ、おめーはマガジン派だったな」 「そこじゃねえよ」 普通は難破したら、無人島をどうにか脱出しようとするものではないのか。せっかくだからカメハメ波の練習しよう、なんて思う奴はいない。たぶん。 もしも無人島に一人で流れ着いたら、というシチュエーションに夢があるのはわかる。ひとつだけ持って行けるとしたら、なんてたとえ話は古典的だし、何にするだろうかとあれこれ考えたことがないわけでもない。 だが、実際にそんな目に遭ったら呑気に夢を叶えている場合ではないだろう。 「嘘だと思ってる? 嘘っぽいけどガチだかんな、言っとくけど」 「……」 竜宮城が実在する以上、コイツの話は実際にあったことなのだろう。そこに疑いはない。ないけれども、 「その感覚が理解できねえ」 「うっそ。カメハメ波は置いといて、B'◯でも? ラ◯ュタは?」 「わからんでもない。ないっつーか、」 自分一人だと思った彼らがまずやったこと。 まるで共感できないわけではない。むしろよくわかる。 ただし、それは日常生活の中での話だ。 たとえば屯所に誰もいなくて、当分誰も帰ってこないと間違いなく決まっていたら、俺もどれか一つはやってみたいと思う。この際カメハメ波でもいい。そりゃあ出せたらすごいよな。 「でも違うだろ、テメーはほんとの竜宮城に行ったんだろ」 「うん。信じらんねえだろうけど……」 「そうじゃねえよ、信じらんねえのは竜宮城じゃなくてテメーらだ」 「?」 「なんでそんなに普通なんだよ、竜宮城だぞ」 「だって。流されたときはそこが竜宮城だって知らなかったし」 「竜宮じゃなくたって! 遭難中だろうが!」 「でも、特に怪我もねえし。慌てるこたねえだろ」 「……それが信じらんねえっつってんだ」 「?」 もっと言うと、『「非常事態に呑気に構えていることが信じられない」という意見に首を傾げる感覚』も信じられない。 なんでそんなに普通なんだ、と問うと万事屋は困った顔になった。 「フツーってのがよくわかんねえな」 と万事屋は言うのだ。 「非常事態? うんまあ、確かに……でも、この程度いつものことだし。俺に言わせりゃこれだってある意味『普通』なんだよ」 「……」 言葉も出なかった。 異常事態に直面したことを認めたくなくて、『異常』に目を瞑って『普通』ばかり拾い上げようとすることは、誰もが多かれ少なかれ経験することだと思う。だから俺は思ったのだ。こいつらは遭難という非常事態から目を背けるべく、敢えて日常的な「カメハメ波」やら某バンドのヒット曲やらに気が向いたのではないかと。 だが、違った。 少なくともこの男は違った。 この男は、異常事態に慣れ過ぎていた。 無人島に流された程度、この男にとっては『日常から別の日常への移動』程度でしかなかった。 そのことに俺は総毛立つ。ゾッとする。全身の違和感に叫び出しそうになる。 この男は非常事態に足を突っ込んだときに、それに気づく能力が少しイカれているのだ。 そんなことでは、気付いたときには取り返しのつかないことになるではないか。 呑気に死んだ魚の眼なんぞしていたら生命の危機に陥っていた、なんてことになったらどうするつもりだ。今まで生還してきた、という事実は何の安心材料にもならない。次は死ぬかもしれない。 そうなったら、俺はどうすればいい。 万事屋がいない世界を、俺は想像したことがなかった。 もともと俺の世界にいなかった男なのに。 後から現れて、その他大勢の一人だったはずなのにいつの間にか『俺の人生にいて当たり前』の人物になっていた。 図々しいにも程がある。いつの間にそんな大きな存在感醸し出してんだお前は。どうしてくれるんだ。今となってはこのバカ無しにどうすれば『俺の普通』を保てるのか、俺には見当もつかない。そんなことに今さら気づいて総毛立っている。 「少しは驚け。とんでもねえ事態に巻き込まれたって、非常事態なんだって認識しろ」 俺は想像しただけで非常事態だ。お前も少しくらいこの不安を味わえ。 「お前が驚かねえなら」 事前に心配しろとまでは言わない。せめて非日常が訪れたらでいいから。 「ピンと来ねえなら、俺が代わりに驚いてやる。いいか、」 普通はお伽話の竜宮城になんぞ行かねえんだ。無人島に流されたりもしねえ。もし仮にそんなところに飛ばされたら、慌てふためくモンだ。 慌てふためいて、なんとか元の世界に帰りたいと願うものなのだ。普通は。それが普通の、はずだ。 異常事態だとさえ思わないのでは、そこから帰ってこようとも思わないのではないのか。 「わかってらァ……って言いてえとこだけど」 意外にも万事屋は笑い飛ばすこともなく、神妙に答えた。 「おめーから見るとわかってねえってことか。俺は」 「そういうことだ」 「まあ、確かに『そういうこともあるかな』くれえにしか思わねえな」 「ああ」 「どれがフツーか、実はよくわかんねえし」 「そうか」 「こうやって暮らしてんのがフツーなんだろうけど、どっかしっくり来てねえっつか」 「……ああ、そういうことか」 「フツーってなに。どれがフツーなの」 「慣れろ。こっちが『普通』だ」 実は、少しわかる。 若かりし頃、喧嘩に明け暮れていた。人と争わない日はなかった。争うのが通常だった。ところが近藤さんの道場に居着いた途端、争いのない日ができた。あると言えば総悟が突っかかってくる程度で、互いに徹底的に潰し合うような戦いは無くなった。争いが日常だった俺にとっては、それは非日常だった。非日常だから俺はまごつき、戸惑った。 今にして思えば幼かった。当時の俺なりの矜持があったとはいえ、あれは子供の意地、ガキの喧嘩だった。だが幼く拙い意地とはいえ、身に染み付いた習慣は我ながら頑固で、穏やかな日常のほうが通常なのだと認識するまでにずいぶん時間が掛かった。 ましてや戦場を日常としていたこの男だ。今この時間を『普通』だと感じるまでに、どれだけの時間が必要なのだろう。 だが困るのだ。慣れてくれなければ。俺たちと過ごすこの時間のほうが普通なのだと、肌で感じてくれなければ困るのだ。 この男はうっかり異常事態に飲み込まれて、悪気なくこちらの世界を放り出しかねない。放り出された俺たちが困惑することに、一片の共感も持たずに。 「テメーがわかってねえのは『普通』のほうじゃねえ。『異常』だ」 普通を知らないのではなく。 異常を異常と認識する感覚に疎いだけ。 たとえば明日、誰かが居なくなったら。 「まず驚け。嘆いてもいい。いつもと違うことが起きたと認識しろ――なんとかするのは今まで通りだとしても。まず事態を把握しろ」 もし、俺が消えたら、お前は、 「世界はいつもと変わらない、なんでフリするな」 「――そうか。そうだな」 万事屋は少し笑った。いつものこいつらしくない、自信のなさそうな笑みだった。 ああ、あの日の俺はなんと無邪気で傲慢だったのだろう。 江戸に一時的な平和が訪れた。 そして万事屋は居なくなった。 俺にとっての日常は跡形もなく消えた。 ――坂田銀時のいる、日常が。 (驚いたし、腹も立てた) 万事屋。俺にとっては、これは非常事態だ。改めるべき異常だ。 そう認識したから、俺は日常を取り戻す。多少の遠回りは厭わない。諦めてたまるか。 俺にできることが、まだあるうちは。 というわけで村塾跡地へ出向したに違いない (今頃そこ!?) 目次TOPへ TOPへ |