身は離れゆくとも 夢を見ている自覚はあった。 目を覚ませばいいのもわかっていて、どうすれば目覚めるか、その方法もわかっていたがもう少しだけこのままでいたかった。『あと五分』という奴だ。あと五分、この生暖かく緩やかな世界に浸っていたい。 夢の中では近藤さんがまだ真選組の局長で、俺は副長だった。総悟も終も山崎もいて、昔の隊服を着て屯所で何か話し込んでいた。ああ近藤さんは何にも着てなかったな。 いきなり場面が変わって江戸の市中になった。総悟が隣でなんか言ってる。どうせロクなことじゃねえに決まってる。それにしても江戸はこんなに人が多かっただろうか。足元がふわふわするのは夢の中だからに違いないが、どうもどこか頼りなくて困る。 何かが足りない。 何だろう。 何が足りないんだったか。 とても懐かしい匂いがした。 日向のような、そしてかすかに甘い、柔らかな匂い。 何だったっけ。 これはよく知ってるのに。 「……ッ!?」 「あ……悪ィ」 目を開けると匂いの元が上から覗き込み、気まずそうに手を引っ込めるところだった。 二年経ってもあまり変わりはなく、相変わらずふわふわと捉えどころのないように見えるその男は、引っ込めた手を後ろ頭に持っていって頭を掻いた。その癖も変わりなかった。 でも、その目だけは違った。 紅い目は、昔のように死んではいなかった。 出ねえか、と男は呟いた。 私邸といっても小さな部屋だから、入り込もうと思えば簡単に侵入できたのだろう。いや、侵入するだろうと思って入口を開けておいたのだ。かつてこの男の住処に、鍵が掛かっていなかったように。 明け方にはまだ時間がある。外はまだ薄暗かった。俺は黙って刀を腰に差し、男と並んで外に出た。 江戸と違って自然には事欠かない。武州に似ていなくもない。少し足を伸ばせば舗装もされていない畦道に出るし、川の流れる音が聞こえてくる。 誘い出したわりに男は何も言わない。黙ったまま、二人分の足音だけが密かに鳴る。 やがて男は立ち止まった。そして俺のほうに振り返る。 手が伸びてきて――そのまま戻った。 男の唇が動いて、音にならないまま止まった。 馬鹿な奴だ。 ビクビクしやがって、阿呆くせえ。 「どうしてるか知りてえなら、さっさと終わらせて戻ってきやがれ」 お前が何をしようとしているか、薄々はわかっているつもりだ。だからこそ俺がここに遣わされた。他でもない、この俺が。 俺には俺の役目がある。警察庁長官となった今井信女から言い含められて俺はここにいる。吉田松陽のもう一人の弟子、名前のなかった女。 あの女の思惑通りに動くつもりはない。俺は俺の意志でここに来ることを決め、俺の目的を果たすべく機が熟すのを待っている。実を言うと案外楽しい。新しいことが始まる、そのいちばん先頭に俺はいるのではないかと思う。真選組もなく総悟もいない今、俺が先陣を切っていいのだと思うと腹の底がムズムズするほど愉快でならない。 だから今は、お前と並ぶことはできない。 「なんだかんだで、平和だったんだな」 江戸で二人、恋を温め合って。 むず痒い時間を、大切にしていた。 今はそんな暇がない。 男は目を細めて、口許を緩めた。 元通りにはなれない。 だが、進んだ先にはきっと、新しい世界がある。 そのときまで、互いに生きていたら。 「またな――銀時」 男は先に進み、俺は引き返した。 きっとまた会える。 今度はお前のほうがいつ死ぬかわかんねえ身になったけれど、お前は死なないだろうし俺も死ぬつもりはない。 だから、またな。 しばしの別れ。 目次TOPへ TOPへ |