裏切者の真心


 目立ってイケメンな教師だった。その割にはウブみたいで、女子が冗談で、たまに半ば本気で告白すると真っ赤になった。そのくせ必死で大人の威厳を保って『先生は生徒と恋愛なんかしないから』と、建前そのまんまのセリフで撃沈させていた。とにかく固くて生真面目で、怒らせると鬼みたいに怖かったけど、そこがまた女子の人気を煽るのだった。
 俺はそんな正面攻撃はしなかった。土方の雑用を進んで引き受け、男子生徒だからと油断する土方につけ込み、滅多に生徒を入れない数学科準備室に入れてもらうことに成功した。ただ入室許可が出たくらいでいい気になることも控え、呼ばれない限りはその領域に立ち入らないスタンスを崩さなかった。それでさらに信頼を勝ち取り、とうとう土方がいなくても先に入室していいと言われた。土方の好みもしっかりリサーチし、ブラックコーヒー缶を差し入れたりして、好感度も抜かりなく上げた。
 土方がプリント作成を手伝って欲しいと言い出したとき、そろそろいいんじゃないかと思った。生徒にプリントを運ばせることはしても、作成を手伝わせるのは全校生徒多しといえど俺だけだった。だから、俺は土方にキスをした。告白なんてしなかった。ただ隙を見て、いきなり舌を絡める濃厚なキスを仕掛けた。そのまま床に押し倒し、身体もいただいた。男前な大人が俺の下で女のように喘ぎ、男ならそこしかない穴に俺のものを銜え込み、涙を堪えながら蹂躙される様を、俺はひとつ残さず目に焼き付けた。

 女子みたいに正攻法じゃ土方は落ちない。高杉とバカ話をしていて、そんな話題になっただけだ。俺ならもっとうまくやる、と言ったら高杉は、口だけならなんとでも言えらァとせせら嗤った。で、見事俺はやってのけたわけだ。高杉に報告すると、酷えことする野郎だと口では土方に同情していたけど完全に面白がっていた。
 あんなイケメンを手間暇掛けて俺のものにしたんだ。すぐに手放すつもりなどなかった。少なくとも在学中は、教師と生徒の、しかも同性同士のイケナイ関係を続けるつもりでいた。土方を言いくるめるために、俺は土方には『こういう行為は初めてだった』としおらしく言っておいた。責任感の強い土方なら、こう言えば俺を放り出すことはないだろうと踏んだからだ。
 実際は女も男も食いまくってたけど、そんなことはおくびにも出さない。思った通り、土方は怒りながらも俺を遠ざけはしなかった。逢瀬はいつしか数学科準備室から土方の自宅に変わった。休みのたびに俺は土方の部屋に入り浸り、土方を抱いた。セックスでは大人も子供もない。最初は普通のやり方をしていたが、慣れてくると冒険もしたくなり、土方を縛って目隠しした上で酷く犯したり、性具を秘所に仕込ませて外出したりもした。土方はマゾヒスティックな傾向があるらしく、言葉だけは教師らしく俺を諌めながら性器を硬く勃起させていた。
 澄ました顔して教壇に立ち、生徒からは鬼と恐れられながらも慕われる教師を、俺の言いなりにする。それは何よりの快感だった。たまに俺に告白してくる女子がいると、わざと土方の目に触れるようなルートを通って二人きりになった。土方は嫉妬を隠そうとして、必ず失敗した。
 告白を蹴って数学科準備室に行くと、土方は素知らぬ顔をするくせに俺を目で追う。告白されちゃった、と言うと、たちどころに表情が強張る。でも断ったよ、俺には先生がいるもの、と言ってやると、嬉しいくせに目を伏せて黙り込むのが常だった。そして帰り道には俺の横で綺麗に笑った。学校では見たことのない、見惚れるほど綺麗な笑顔だった。その日土方を抱くと、執拗に俺の背中を引き寄せようとする仕草をするのだった。この美しい教師の歓心を独占できたことに、俺は満足した。

 計算外だったのは、卒業式の日、別れを告げたら土方が驚愕したことだった。

『卒業しても続けるつもりだった』

 土方の生真面目さを嘗めていた。生徒と関係を持った以上、一生俺の面倒を見るつもりだったらしい。

『まさか。俺も青春の一ページにするから、先生も忘れて。さよなら』

 土方のその時の顔が、今でも夢に出てきて俺を悩ませる。



「お前、教職取ってんだろう」

 大学まで同じだった高杉が、ニヤつきながら俺に問う。

「教育実習どうすんだ。どのツラ下げて母校に戻る気だ」
「……このツラしかねえだろ」

 他校は断られた。母校にはまだ土方がいる。しかも俺の専門も、数学。下手したら土方に指導を受けることになる。

「諦めるんだな」
「何を」
「へえ。教職のほうじゃねえのかい。さすがだな」
「何が」
「ツラの皮の厚さ」

 高杉が俺と一緒に遊び歩いていたのは大学一年までで、途中で特定の恋人を作った。河上万斉という、これも男だったが珍しく長く続いていて、摘み食いもしなくなった。俺は相変わらず固定の相手を作らなかった。作れなかったとも言う。
 どうしても最後の土方の顔が忘れられない。
 今まで俺の傍で控えめながらも綺麗に笑ってくれた顔は、あのとき完全に凍りついていた。俺はそのとき初めて、俺のしたことは『裏切り』だっのだと朧げに理解した。
 土方は完全に俺を信頼していた。身体のごく個人的な部分まで晒し、繋がり合った仲だ。土方は完全なノンケだったのに、同性との交際に引きずり込んだのは他ならぬ俺だ。今までの相手のように、他に目移りしたから、と簡単に別れて終われる人ではなかった。土方は、終わらせるつもりなど微塵もなかったのだ。俺が裏切りさえしなければ。
 土方のあの顔を、どうにかしてまた元の笑顔に戻そうと俺は夢の中で必死で言葉を重ねる。だが夢の中の土方は、俺に何の言葉も寄越さない。ただあの冷え切った顔で俺を見つめる。俺の不誠実さを、無言で弾劾する。
 腹を立てたこともあった。もう俺の前にいもしないのに、いつまでも俺の中で俺を責める土方に。でも、すべては俺のせいだ。俺こそが土方のこころを切り裂き、笑顔どころかなんの表情もない顔に、させたのだ。なんと詫びればあの顔は、もう一度表情を取り戻すだろう。俺はそればかりを考え続けた。
 もう一度会えたら、なんと言えばいいだろう。それより、もう一度会うことが許されるのだろうか。
 俺の迷いをよそに、教育実習は非情にも我が母校に決定した。


「お久しぶりです。またお世話になります」

 挨拶に行くと、土方は特に変わりなく他の実習生と同じように俺にも挨拶を返した。それがかえって恐ろしかった。
 実習後の指導は、土方らしく各学生個別に呼び出して丁寧に行なった。そのとき気づいてしまった。

「坂田。四時から3Aで」

 他の学生は数学科準備室に呼ばれる。俺だけは空き教室にしか呼ばれない。しかも教室の扉は開けたまま、決して密室にならない状態で今日の授業の問題点を順序良く指摘していく。黙って聞かざるを得ない。何か質問はあるか、と土方は必ず最後に俺に問う。何も言えなかった。

「単位取るだけなら、まあ合格じゃねえか」

 最終日にまた個別に呼ばれ、土方はそう言ったきり口を閉ざした。
 どうせ本気で教師になるつもりなどあるまい。お前は教師になどなってはいけない。そう宣言されたも同然だ。遂に俺は重い口を開かざるを得なかった。

「教師に……なるつもりです」

 土方は書類から少しだけ目を上げた。そしてすぐに元に戻した。鼻で嗤ったような気がした。

「なれませんか。俺は」
「ならないほうが賢明だろう」

 土方は即答した。しばらくは書類にペンが走る音しかしなかった。唐突に土方はフ、と嘲笑を浮かべた。その冷ややかさにぞっと身が凍った。

「まあ、俺が教師続けてるんだから、お前を不合格にはできねえがな」

 そして、確認しろ、と書類を俺に向けた。

「これを大学に送っとく。単位は取れるだろう。その後お前がどうするか、それは俺には関係ない」
「……どういう、ことですか」
「お前の人生だからな。俺にはなんの関係も、ない――できれば異動先でばったり出くわしたくないが、それは俺の都合だ。お前には関係ない」
「……」
「好きにしろ」

 卒業式の日、俺を切り捨てて出て行ったのはお前だと、土方は言外に宣告していた。だから今後の人生に互いが関わることもない。お前など、関係ないのだと。


「すみませんでした」


 自然とその言葉が出ていた。そんな陳腐な言葉であの時の俺の罪が許される訳もないのに。
 土方は無表情に、何がだ、と言った。

「本気じゃなかった。高杉と、ゲームみたいにあんたを落とせるかどうかって。賭けこそしなかったけど」
「実習に関係のない話は、するつもりはない」
「落として自慢したし! その後もっ……真面目な土方とどんだけ長く続くかって、意地になってて、」
「だから? 良かったな、お前にとっては最長記録だった訳だ」

 土方は机の上で書類をトントン、と揃え、指導は終了だから帰れ、と言った。ぴくりとも動かない顔で。

「先生。土方先生。俺が悪かった――許してなんて言えねえけど、」
「そうだな。言っても無駄だから言うな」
「ずっと、忘れられなかった」

 じろり、と土方は俺に目をくれた。
 初めて俺そのものに目を向けた。

「それで? 今度は誰と賭けてんだ。ああそういやお前、高杉と同じ大学だったな」
「違う……ッ、高杉は、止めたんだ! 教育実習諦めろって」
「また俺が誑かされるといけねえしな。高杉の負けが込むだろう」
「そうじゃな、」
「もう、たくさんだ」

 土方の頬が引き攣る。

「失せろ。二度と現れんな」
「土方せん、」
「気安く呼ぶな! これ書き終わったら俺はテメェの指導教員なんぞお役ご免なんだよッ、なんでこんな仕事、」

 あんなに笑ってくれた顔が、憎しみ一色に塗り潰される。夢の中の冷ややかさなんて、所詮俺の都合のいい夢でしかなかった。本物の土方は、はっきりと俺に憎悪を突きつけていた。

「忘れられなかった? 何がだ。俺の間抜け様がか。さぞ楽しかっただろうよ、いい大人がガキの手のひらで転がされて! 責任取るだって、笑えらァ。肚決めて、仕事投げ打ってでもテメェといる未来を取ろうなんて考えて! 馬鹿だよ、嗤えよ、お前の言う通りだ! これで満足か」
「先生、生徒に聞こえるから」
「テメェが心配するこっちゃねえッ! テメェの人生に、俺は」

 ほろり、と溢れた涙。

「俺はいない」


 俺は教室の扉を閉めた。生徒はもうまばらだ。たとえ切れ切れにこの会話を聞いた生徒がいても、まだなんのことかわかるまい。
 土方はビクリと身体を戦慄かせた。

「先生。何にもしない。できねえよ」
「嘘つき。テメェの言葉なんぞ、何ひとつ信じない」
「先生。今でも好きだ――あのときだって、ちゃんと好きだった!」
「嘘だッ! 全部嘘だテメェは!」
「そう言われてもしょうがない。じゃあ、これはほんとだ」

 俺は、四年間。
 あなたを忘れたことはなかった。
 どんな女と寝ても。どんな男を抱いても。
 あなたと比べなかったことはなかった。

「全部、ぜんぶ――相手が、先生だったら、もっと幸せだったのに、って」
「嘘は聞き飽きた。出てけ」
「夢の中で先生にッ!笑ってほしくて! 俺の中の先生は、最後のあの時の顔のままだ。今だって! 二週間もいたのに、一度も笑わない!」
「当たり前だ。テメェのツラなんざ見ただけで吐き気がする」
「笑ってくれよ。俺じゃダメなら俺じゃなくてもいい。先生、あれから一度も笑ったことないみたいな顔してるもの!」

 土方は涙をぐい、と腕で拭った。

「その通りだ。あれから何見ても面白くもなんともねえ。うっかり笑ったらまた馬鹿見そうで。誰かが俺を嗤ってんじゃねえかって、テメェがどっかで俺の馬鹿さ加減を嗤ってんじゃねえかって……! もう、疲れた。ヘトヘトなんだよこっちは! これ以上俺に近寄るなッ、もう、ほっといてくれよ……」
「ほっといたら先生は幸せになんのかよ!? そんならいくらでもほっとくよ、でもなんねえんだろ! だって先生、あれから四年も経ってんのに、まだ俺のこと」

 どういう感情か、それはわからない。でも四年間、土方の中にまだ俺はいたのだ。
 土方は黙った。黙って俺を睨み続けた。睨み過ぎて、涙が幾筋も流れた。

「お願いします。土方先生を、もう一度、笑わせてください……俺にッ、俺が! 先生に、また! 綺麗に笑ってほしいっ」

 望むのは、それだけ。
 もう一度あの愛情を注いでほしいとは言えない。この人は昔、俺に無防備な笑顔を見せてくれた。俺は確かに愛されていた。守られていた。今俺が教室の扉を閉めたように。あの頃何も考えていなかった俺を、土方は確かに守ってくれていたはずなのだ。男と関係を持った高校生の行く末を案じ、関係を持った自分を責め、悩み、苦しんだはずだ。土方の言う馬鹿さ加減とはそういうことだ。俺の口車にまんまと乗せられたことではない。生徒の道を誤らせた自分を、馬鹿だと責め続けたのだ。
 俺に見えないところで。
 なんと深く愛されていたのだろう。そして俺はその愛を、なんと手酷く傷つけただろう。今、やっとわかった。土方の本物の顔を見てやっとわかった。俺は、許されないのだ。

「俺は、いないほうがいい、んだな」

 ここに来てはいけなかった。教職など、取ろうと思ってもいけなかった。もう一度会いたいと思うことさえ、俺には許されないことだった。

「でも、誰の横でもいいから。いつかまた笑って。俺より酷え奴なんか滅多にいねえから、安心して」
「……」
「さようなら。今まで、ありが……ッ」

 あのときあっさりとこの口から出た別れの言葉。土方がどんな気持ちでそれを聞いたか、今ならわかる。別れたくない。もう会えないなんて、信じたくない。
 でもそうしたのは俺だ。だから俺は、俺のできることをしなければならない。
 二度とこの人の前に現れないと、誓わなければ。


「なんで、テメェが泣くんだよ」


 土方が呟いた。

「テメェこそ笑えよ。男だか女だか知らねえが、誰かの横で笑え。そんで忘れろ」
「……笑ってたよ。相手の顔なんか見てなかったけど」
「……」
「誰一人、あんたみたいに綺麗に笑う奴はいなかった。ずっと見てたいって思える奴はいなかった。そういうもんだと思ってた」
「……」
「今、あんたの顔見て思い出した。隣にいるヤツが笑ってる顔見て、俺も幸せになれたことがあったって。そんで、俺がどんだけ酷くそれをぶっ壊したかって」
「……」
「もう、来ない。教師になんのも止める。だからあんたは、安心して……センセイ、続けて、くれよ」
「……」
「あんたは何にも悪くない。悪いのは俺だ。ガキだったからなんて言い訳にもならねえ。あんたはずっと」

 これだけは、願ってもいいだろうか。

「ずっと、あのときのままの土方先生でいてくれよ」


 土方は、長い長いため息を吐いた。震えるため息が、俺の聞く土方の、最後の声になるのだろう。


「そんでまた小狡い生徒に騙されろってのか。冗談じゃねえ」


 一歩。ほんの一歩だけれど、土方は自分から俺に近づいた。


「騙されんのァ、テメェにだけでたくさんだ」


 教員採用試験に受かったら連絡しろ。


 そう言って土方は教室を出て行った。
 その言葉の意味を考え過ぎて、後を追うのが遅れた。俺が教室を出たときには、土方はもう何処にもいなかった。
 俺に会わないように気をつけるためかもしれない。俺と同じ職場にならないためだけかもしれない。
 そうだとしても、俺はまだあと一回、土方と会える。電話で済ませる気はない。合格したら、もちろん会いに行く。土方だってその可能性を考えなかったはずはないのに、止めなかったのだから。

 わずかな希望は残された。今度こそ、俺はあの人に恥じない人間になろう。そしてもう一度、あの人の前に立つ。
 土方先生、そのときは笑ってください。
 綺麗に、綺麗に笑ってください。
 今はまだ、あなたの後を追えないけれど。

 立ち止まっている暇はないようだ。俺は急いで帰路に着く。
 覚束ない一歩を。もしかしたらあるかもしれない未来に向かって。




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教師になるには教育実習で
概ね母校に帰るらしいので(拍手3Z時調べ)、
教師になるとこまで
いきませんでしたすみません。

M様リクエスト
「Z3→w教師。本気で坂田が好きで
卒業後も付き合うつもりだった土方先生と、
遊びで付き合ってて
卒業の時に振った生徒坂田が
卒業してからも土が忘れられなくて
先生になって戻ってきて
必死で許して貰おうとする。
そして傷心土方先生が
もう一度信じてみようとするまで」

リクエストありがとうございました!
やり直し請求承りますm(_ _)m




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