未来永劫


 それなりにでかい事故だったらしい。
 ウチは交通事故なんか扱わねえと却下したが、山崎がブツブツ言いながら事故処理の書類をひらひらさせているのでムカついて引ったくってやった。ハンコ捺しゃいいんだろ、と吐き捨ててろくに読みもせず返そうとしたのに、被害者の欄に目が行ってしまった。
 坂田銀時。
 眩暈がしたけれど山崎に悟られる訳にはいかない。俺と銀時がそういうつき合いをしている――そんなことは、俺たちしか知らないことだったから。


 二人のうちどちらかが命を落としたとき、真っ先に連絡が行くのはもちろんどちらでもなく、双方の関係者だ。そんなことは重々承知していた。きっと万事屋のガキどもや大家たちが大騒ぎしているだろう。だがそこに俺が呼ばれることはない。今回は軽症で済んだようだが、命に別状があろうとなかろうと見舞いに行くこともない。軽い気持ちでつき合いを重ねているのではない。それでも俺たちはそういう関係でしかなく、どちらかが消えた時点でこの関係はなかったことになるのだと、たった一通の報告書で俺は思い知る。
 とはいえ死んだわけでもなし、やたら頑丈なあの男のことだから、しばらくしたら元通り俺の部屋に忍び込んできて、酷い目に遭ったとヘラヘラ愚痴を垂れるのだろう、と漠然と俺は思っていた。
 それが。


「……またかよ」
「今度は一切合切忘れちゃった訳じゃないみたいで。ところどころ記憶が欠けてるんです」

 街を歩いてたら万事屋一向に出くわした。ぼやっとやる気のない目つきはいつも通りなのに、何かが違う。俺は怪訝な顔でもしたのだろう。メガネのガキがわざわざ俺に教えてきたところによると、バイクで事故を起こしたときに頭を打って、一部記憶喪失になったんだそうだ。

「で、俺に何の用だ」
「銀さんが何を忘れてるのか、今回はまずそこから調べなきゃいけないんです」

 メガネもうちの山崎と同じく報告が下手だと思う。結論から言え、結論から。だが話は見えた。知り合いに片っ端から会わせて、覚えているかいないか、覚えていない人物に法則性があるか、調査中ってとこだろう。
 銀時はメガネの後ろでチャイナと楽しげに喋りながら終わるのを待っている。今までも人前では互いに興味を示さないように振る舞っていたから大して変わりはないようにも思うのだが、

「終わった? 早く行こうぜ」
「銀さん」
「オタク話なら帰りにしてくんない、俺久々の甘味に飢えてんだけど」
「銀さんこの人は……」
「趣味の会話に俺を混ぜないでね、間違いなくオタクに知り合いはいないから」
「……おい、」

 まさか、という希望と、もしや、という疑念と。
 当然だ、という絶望。

 銀時は――万事屋は、平坦な目で俺を見た。いつもそこにあったほんの微かな目配せも、目が合えば一瞬だけ見せる暖かな愛情も、
 一切消えていた。


 消えたのではない。元からなかったのだ。
 もちろん以前の万事屋は愛情を持って俺に接していた。それは理解している。
 だが、万事屋がそれを忘れてしまい、全くなかったことになったのならそれはなかったのと同じだ。どちらかが消えた時点でこの関係はなかったことになる、と俺は思い込んでいたがこんなふうに万事屋が記憶を失くしてしまえば、結果は同じだ。今までの関係はなかったことになったのだ。
 生きているだけでいいとは思う。それは事実だ。けれど記憶がなければ、それは死とどう違うのだろうか。
 以前の関係だって、ある日あの男の気持ちが冷めて別れることもあっただろう。そうなれば心変わりを詰ることもできたはずだ。あいつも多少は罪悪感を持っただろう。そうやって俺は溜飲の下げようもあった。だが、すっかりなかったことになってしまったのでは責めても詰ってもあの男にとっては身に覚えのない言いがかりでしかない。俺は突然終わりが来たこの関係に泣き言さえ溢せないのだ。

「忘れたい記憶は忘れやすいらしいですよ、人間って」

 したり顔で講釈を垂れる山崎を怒鳴りつけて気を晴らすこともできない。忘れたいのか。忘れたかったのか、お前は。
 そうなのかもしれない。
 男同士の恋愛なんて、そんな程度かもしれない。周りに知らせるなと言ったのは俺だが、俺が言わなくともあの男も同感だったのではないか。

『なんで』
『なんでって……俺の関係者だと知られると、何かと厄介だし』
『そんなの。厄介事なんざ山ほど被さってくるっつーのに一個や二個や三個増えたって、大して変わんねーのに』
『四個や五個や六個かもしんねえだろ』
『百個でもいいよ。十四郎のなら』

 そんな馬鹿を言って笑い飛ばしていたけれど、あのときはそれが真実だったとしても時間が経つうちに面倒になったっておかしくない。そもそも俺の関係者だからなんだ。あの男なら確かにそんなもの軽々と跳ね返しただろう。そうではなく、根本的に、男が男の恋人を持つということに煩わしさを感じなかったとどうして言えるだろう。時を遡ることが不可能なように、今は真意を確かめることもできない。
 すべてを、本当に何もかもを、あの男は手放してしまったのだ。


 メガネとチャイナにはそれからもよく出会った。昔のように喧嘩でもしたら思い出すんじゃないか、と暗に請われたこともあった。そのすべてを俺は黙殺した。二人の後ろでぼんやりと、俺を見さえしない万事屋に目を向けるのが嫌だった。確かにあったはずの時間が俺以外の世界で消失し、俺だけが別世界にいる。俺だけが周囲と異なる記憶を持っている。そんな、馬鹿な。
 だったらあれは幻だったのだ。

 違う、現実だったと喚く自分に蓋をして過ごすようにした。相変わらず街では万事屋を見かける。退院当初は従業員の子供らが必ずついていたが、最近では元のように一人歩きをするようになった。傍目から見れば全く元通りだ。甘味屋の主人とは相変わらずツケるのツケないので言い争っているし、道行く人は声を掛ける。ぞんざいに答える様子も以前のままだ。だがあの男の頭の中で、周囲の人々は初対面なのか昔馴染みなのか。そんなことはわからない。一部は古い馴染みで、一部は新しく知り合った友人ということになるのだろうか。
 それなら俺は、せめて新しく知り合った側に入ればよかったのかもしれない。


 到底出来なかった。
 俺は万事屋を目に入れないふりをして過ごした。そうすれば万事屋のほうから俺に寄ってくることはなかった。彼は俺を知らないのだから当然だ。新しく知り合うことを避けて俺はひたすら無視した。お前が俺を忘れて、それが罪だとさえ知らないのなら、二度と『知り合い』などというカテゴリに入りたくない。あの男との関係が俺の記憶にしかないのなら、俺の記憶をすり減らしてしまえばいい。そうすれば万事屋と俺は赤の他人になる。誰に知られることもなく。
 顔を見ても反応しなければいい。その他大勢と同じ扱いをすればいい。胸の辺りが軋むのは気のせいだ。万事屋・坂田銀時は、俺にとっては犬猿の仲ですらなく、まったくの他人として振る舞う。いや、まったくの他人なのだ。
 万事屋のそぞろ歩きは元通りに見えた。だから俺が奴を偶然見かける頻度も、前と変わりなかった。俺の知っていた銀時はたまに偶然を装って俺を待っていたりしたものだったが、そういえばあれは本人申告だった。今も頻度が変わらないということは、あれも口から出まかせだったのだろう。記憶の彼方に向かって思わず舌打ちすると、

「え、なに。なんかした俺」

 驚くほど近くに万事屋がいた。思わず声の方を振り返ると、向こうも驚いている。

「テメェじゃねえ。なんでそこにいる」
「俺がどこにいようと俺の勝手だろ。ただ歩いてただけで舌打ちされるわ文句言われるわ、どんだけ偉ェのおめー」

 怠そうなわりに口だけはよく回るのは変わりない。昔の万事屋もこうだったな、とチラと考えたがそれを打ち消した。今も昔も、俺はこの男と関わりを持ったことはない、はずだ。

「なんだか知らねえがテメェの思い込みだ。別に呼び止めちゃいねえから、じゃあな」
「土方くん、だよな」
「……」
「真選組の。新八と神楽に聞いたんだけど俺とおめーは知り合いじゃなくもなかったんだって?」
「知り合いってほどのモンでもねえよ」
「聞いた話だとあんま仲良くはなかったらしいけど。むしろ嫌いなかんじなんだけど」

 確かにメガネやチャイナにはそう見えていただろう。うちの近藤さんや総悟だの山崎だの、あの辺に聞いても同じだ。『けど』なんて余地はないはずだ。嫌に動悸が早くなるのを隠して、黙って万事屋を見る。

「いくらなんでも無愛想すぎるっつか。顔合わせてもほとんど他人じゃねーの」
「余計な情報を仕入れたモンだ。せっかく忘れてるみてえだからこの際テメェとは知り合いでもなんでもなかったことにしてえだけだ」
「そんなに嫌いなのかよ!? マジで?」
「覚えてねえようだが当然の帰結だ。テメェの行いのせいだから」
「……それはさ、前の俺だろ。おめーの気に触ることしたのは」
「……」
「ちょっとよく覚えてねえんだけど。そんで、前のことに責任持たねえっつーのもアレだけど知らねえモンは責任取りようもねえし」
「……」
「でさ。前のことは置いといて、俺とつき合わねえ。突き合うっつーかできれば俺が一方的に突くほうがいいんだけど、そういうの込みで」
「……は?」
「うん、そうなるよな。けどひと目惚れっつーか。前の俺がどうのこうのは一旦置いといてさ、今の俺とつき合わない」
「……置いとくなよ」

「この先思い出すこともあるかもしんねえけど、ないかもしんないらしいよ。だから俺は今を正直に生きようと思いマス。というわけで前がどうだったか知らねえけど今の俺はおめーに惚れてるし、大事にするし、意地悪しようって気にもなんねえ。いきなり過ぎて困るだろうから、よく考えて今度返事くれたらいいから」


 ペラペラと、よく次から次へと淀みなく言葉が出てくるものだ。
 撥ね付けても良かったのだが、俺は万事屋を受け入れた。その代わり、もう銀時ではなくなったこの男とは体の関係は結ばなかった。万事屋は焦れて、よく手を伸ばして来たしそれこそ見廻り中に路地裏に引き込まれたこともあった。俺はその度に言って聞かせた。男と男は性的関係は結ばないのが常識だ、たとえ気持ちが友情ではなく恋情だったとしても、男は男と寝られないのだ、と。少なくとも俺がそう信じ込んでいるふりをすれば、今の万事屋は俺の意向を無視して無理に俺を抱こうとはしない。
 銀時なら上手く言いくるめただろうし、言いくるめられなければ強硬手段に出ただろう。そうして俺に手痛い反撃を食らっても、俺が心の奥ではさして嫌がっていないと知っていたのだ、銀時は。今の万事屋はそんなことを知らない。知らないから、俺が拒絶すれば俺を傷つけないために無理はしない。焦れて文句を言うことはあっても実行はしない。それでいい。俺はこの万事屋を愛せない。万事屋が他の誰かを愛することも許せない。だからこれでいい。
 万事屋が女に手を出したのは当然のなりゆきだろう。日常生活に近い女はまずいとでも思ったのか、俺の知らない女だった。俺の知るところとなったのは偶然だが、俺はいずれそうなるだろうと思っていた。わかっていたからこそ万事屋が恋愛感情を吐露したときに受け入れたし、体の関係は拒んだのだ。これで目の前の万事屋を憎んで過ごせる。大手を振って憎しみをぶつけられる。銀時が戻ってこない以上、現存する万事屋に負の感情を向けることで、銀時に向け損ねた苛立ちを消化できる。
 斬る、と言い捨てたときの万事屋の、なんとも言えない顔を俺は心地よくさえ思いながら見下ろした。

「……悪かった」

 と万事屋は歯切れも悪く言った。

「それで済むと思ったか。あり得ねえ」
「うん……済まねえのはわかってるけど。ただ別れるじゃダメか」
「ダメだな。そんなら端から始めなきゃいい」
「……そうなんだけど。思ってたのと違うっつーか」
「何をどう思ってたのか知らねえが、テメェの思い通りになってたまるか」
「土方さ、なんで俺とつき合ってもいいって思ったの」
「……」
「俺のことそれほど好きじゃねえだろ。斬るって、まあ俺が言えた義理じゃねえけど俺がおめーの思い通りになんねえから消し去るって? なんつうか……お前、俺にどうして欲しかったの」

 確かに、つき合って欲しいと言われてからこのかた、万事屋は俺の思い通りに動いた。今こうして俺の前に座り、斬られようとするところまで完全に俺の思い描いた通りだ。俺の意図するままに動いたから、俺はこの男を消す。消すまでが、俺が描いた青写真のうちなのだから。どうして欲しかっただと?

「テメェがこの世にいた痕跡も消し去りてえ」
「……最初っからだよな」

 万事屋は目を伏せながら、ぽつりと溢した。

「死ぬのはしょうがねえや。おめーは怒ってるし、俺があの子と寝たのは間違いねえからな」
「……」
「嫌ですとは今更言わねえよ。けどなんで好きでもねえ俺が他の女に走ったからって斬るよ。それくらい教えてくれても良くね」
「……」
「土方。俺が嫌いだろ。最初っから今まで、好きだったことなんてないよな」

 その通りだ。お前の知る限り、俺はお前を愛したことはない。二人きりで飲みに行くことさえ嫌だった。並びに座りたがる万事屋を突き放し、卓を挟んで差し向かいになるのが精々だ。見廻りの最中に何かとつきまとう男をいなし、ときには怒鳴り上げて放置した。銀時と過ごしたときのように、合間を縫っては慌ただしく触れ合うことなどしようとも思わなかった。

「普通は男が男に惚れたりしねえんだよ。つき合ってやっただけマシだろうが」

 本心からそう思うのに、胸が軋む。この痛みはこの男のためではない。この男によく似た、俺の知らないうちに何も言わずに居なくなってしまった、あの男への恨みと、渇望。

「んなことわかってんよ。だからよく考えてって言ったのに、なんで好きでもねえのにオッケーしたの」

 お前の知らないお前を、俺は愛していた。二度と誰かにあんな想いを傾けられないほどに好きだった。お前はそれほどでもなかったから忘れてしまったのだ。苦情を言う暇もなく、お前はいなくなってしまった。
 銀時と似て非なるお前は、その責を負って然るべきだ。そうでなければ俺は前に進めない。お前がお前の姿をして俺のそばにいる限り、俺はお前に期待してしまう。前のままの銀時が、いつか俺の前に帰ってくることを。
 そんな曖昧で女々しい感情を切り捨てるために、お前は都合のいい存在だったのだ。

「……好きになるかもしんねえだろう。長く一緒にいれば」

 そうなる可能性はこれっぽっちもないとわかっていた。一縷の望みを持たなかったわけではないが、まずあり得ないと知っていた。
 万事屋は何やら納得したようだった。ならしゃあねえな、と苦く笑って、木刀を腰から外した。斬れよ、と。
 無抵抗の人間を斬るのは躊躇いがある。手を出しあぐねていると、急に万事屋は顔を上げた。

「そだ。冥土の土産はもらってこっと」

 そう独りごちると、急に立ち上がって無造作に近づいてきた。刀を抜く隙もあらばこそ。
 唇に、人の体温と柔らかい感触が触れた。

 咄嗟に男を突き飛ばし、唇を擦る。擦っても擦っても、触れられた感触が消えない。
 今までの神妙な態度は跡形もなく、ニッとふざけた笑いを浮かべてみせる男の姿に、全身の血が沸々と煮え繰り返るのを感じた。
 上等だ。斬る。斬ってやる。大義名分はできた。刀を抜くと、くす、と万事屋は笑った。

「それでこそ鬼の副長」

 真正面から首を取りに行ったのに、初太刀は外れ、左肩を斬り下げただけで俺は退いた。万事屋が軽く身を躱して木刀を拾ったのが見えた。肩の傷は浅くないはずなのに、顔色ひとつ変えない。それどころか、楽しげに笑みさえ貼り付けて。
 もう一度踏み込むと、万事屋は退かずに太刀の下を掻い潜るようにあっという間に距離を詰めてきた。そして、

「ごめんな、」

 木刀の軌跡を見失った。斬られる、と思ったとき、衝撃はなく、代わりに暖かい体温と血の匂いが体を包み込み、


「ごめん。十四郎……まだ死にたくねえ。一緒にいたい」 


 懐かしい呼び方が耳に、全身に染み渡る。
 刺してしまえばいいと思いながら刀は手を離れた。万事屋が――銀時が力一杯俺を抱き寄せ、啜り泣きながらもう一度唇を近づける。腹立たしいことは山ほどあるし、どれから罵倒すればいいかわからない。許してやる気には当分なれないのはわかっている。だが何より、この銀時は俺がその実すぐに許してしまうことを知っているのが悔しい。悔しくて目の奥が熱くなるというのに、俺はされるがままにそれを受け入れた。
 胸につかえていたものが溶けていくのが腹立たしかったけれど、文句は目の前の男に言ってやろう。一生かけても言い尽くせないな、と霞む頭でぼんやり考える。
 銀時の背にそっと手を回した。銀時は、しっかりと抱き返してくれた。


 ――今日のところはこれで勘弁してやろう




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いち様リクエスト
「銀さんが、記憶喪失になり
土方さんと付き合ってた事を忘れてしまい、
このまま別れてしまった方が良いかもと、
思って身を引こうとしてしまう土方さん」

一生文句言って気が済んだら捨てるからな!
一生?あれ?捨てる暇なくね?

リクエストありがとうございました!





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