「夫は悪事に手を染めたのではありません」

 料亭の中の奥まった一室。完全に人払いされたと確認したにもかかわらず、奥方はなかなか口を開こうとしなかった。近藤と土方が神経を研ぎ澄まし、決して誰もいないと請け合って、やっと囁くように話し出したのがそれだった。

「ご当主さまが犯罪に関わっているという報告は、我々も受けていません」

 近藤は軽い咳払いとともに嘘を吐いた。土方から見ればわざとらしいとしか言いようがないのだが、奥方は気づく様子もない。人の機微に疎いのか、それとも緊張のあまり他人の動向に気が行かないのか。後者だろうと土方は見た。

「本日はその件でしょうか。それならご安心を……」
「先日お越しいただいたのは、どうにかして真選組にお伝えしたかったからでございます」
「……ご子息の、ご生誕祝いの会ですね」
「けれど叶いませんでした。真選組を引き入れることに、あれが反対しましたので」
「あれ?」

 土方は近藤より退がった位置に控えている。立聞きされてはならない話である。神経を尖らせて、人の気配を探る。今のところ何もない。

「あれ、とはなんですか」
「あの者です。最近当家に出入りするようになった男でございます」

 この家の家老は代々決まった血筋の者だったが、半年ほど前に怪我をして一時休養に入った。本来なら代わりは将軍家から遣わされるはずで、天人襲来以来その辺りは曖昧になりはしたものの当然身元の明らかな者が勤めることになっている。しかし、

「新しくきた者はよく仕えてはくれましたが……実はどこの某とも知れない者だったのです」
「でも、紹介状の類は持っていたのでしょう」
「それが偽物だとわかった時にはもう、家中を一手に担っておりました」
「なんだってそんな迂闊なことを」
「幕府の印が確かにあったのです」

 あるとき家老代理が出張中に、まったく覚えのない業者が荷物を納品に来た。家老代理と連絡がつかないので、困った部下は紹介状にあった連絡先に問い合わせた。そもそも見廻組の局長がメール依存症になるこのご時世だ。家老に当たる者がケータイのひとつやふたつ持っていないはずがない。そのケータイが繋がらないというのはおかしい。何かあったのでは、という心配もあった。
 だが、紹介状の連絡先は虚偽であった。慌てて幕府の然るべき部署に問い合わせると、姓名だけは一致した。

「少なくとも実在の人物だったわけですね。しかし本人ではなかった、と」
「それも不明なのです」
「?」
「一時は、その者は既に登城しているという回答でした。しかし再度連絡があったときには、勘違いだった、登城はしておらぬ、と」
「……なるほど」
「すぐにあの者とは連絡がつきました。あの者から連絡があったのです」
「電話があったんですね」

 奥方は頷いた。
 後ろで土方は黙って聞いている。おそらく照会先の回答が本物、再度の連絡が偽物からで、幕府の印は偽造した物だろう。
 偽造するには真作を知っていなければならない。情報を漏らした者がいることになる。

「帰って来てから、少しずつ、日常が変わりました」

 まず、そのとき受け取った荷は当主の了承を得ない物だった。中身を問うた当主に、家老代理は『必要になったらお教えする』と答えたという。越権行為であるにも関わらず、当主はその意を飲んだ。

「奥方さまは中身をご覧になりましたか」
「いいえ。夫が見せてくれませぬ……でも、夫はもう知っているのです。それが何であるかを」
「まあ、よろしくないシロモノなんでしょうな」
「夫が知らないうちに、それは運び込まれてしまいました。そして日に日に増えるのです」

 武器だ。山崎がもたらした情報によれば、それは密輸による武器だ。弱味を握られ、脅されたというところか。おそらく家族の命を盾に取られたのだろう。
 近藤が身動ぎした。

「で、ご当主さまはどうにかして我々にそれを見せようとなさった、と」
「そうです。それがあの日だったのです」
「我々が伺った日ですね」

 しかし真選組を引き入れる作戦は当然のことながら露見した。当日になって警護計画が骨抜きになったのはそういう訳だ。隊士は屋敷内を歩き回ることを禁じられ、決まった部屋に押し込まれた。つまり、密輸品を見得ない部屋だ。

「どうか夫を助けてください。あの人は何もしていないのです」
「では、そのご家老代理の名を」
「……」

 奥方は目に見えて挙動不審になった。辺りを見回し、何度も確かめて、そっと近藤に向かって紙を押しやってきた。盗み聞かれるのを恐れ、読めということだ。
 どうせ偽名だ。いや、名は実在するらしいが、それを知ったからといって何の役にも立たない。いかに真選組といえど、幕府の内部に手を回すのは容易ではない。真相を探るには時間がかかるだろう。

「昨今巷を騒がせる辻斬りを、ご存知ですか」

 近藤も諦め気味に一応訊いているようだ。奥方は今度は曖昧に頷いた。呑気なものだ。お屋敷の奥深くに住まう身分とあって、市中の野蛮な事件など関係ないに違いない。
 土方が呆れて内心投げやりになったとき、奥方は意外なことを口にした。

「あの、お亡くなりになった方で、このような方はいらっしゃいますか」

 それは、死んだ商人の名だった。



「どういうこった」
「ここではマズイ。屯所で話そう」
「でもよ! 何だって大名サンの奥さんがガイシャの名を、」
「やめろ。人に聞かれたら奥方サンが殺られる」

 奥方を先に帰し、近藤と土方は時間差を作って料亭を出た。二人きりになった途端、近藤が興奮気味に話し出すのを土方は必死で止める。

「帰路は隊士を護衛に付けた。だが大々的にやったらかえって危ねえ。なんとか無事に屋敷に着くことを祈ろう」
「裏に居んのはなんだ」
「……なんだろうな。高杉辺りならやりやすかったんだが」
「最近だって言ってた。出入りしてたのは。新しい家老が来てからだって」
「そうだな、検証は後にしようぜ。ここでは、」
「なあ、もっと考えろよ。コイツはデカイぞ」
「敵がデカかろうが、知ったこっちゃねえ」
「そうじゃなくて。デカい糸口だって言いてえの、俺は」

 近藤がじっと土方を見つめる。

「おめーが犯人じゃねえって証拠をさ。掴める糸口だろ? もう少し考えよう。絶対モノにしよう」
「……あー、」

 すっかり忘れていた。
 土方はまだ疑われたままだった。事件の解明にばかり頭がいって、自分のことなのに忘れていた。当人がこの有様だというのに、親友は土方を案じて先を焦っているのだった。
 有り難くていたたまれない。土方が考えていたのは、

(坂田。もう少しで、お前の嫌疑が晴れるから)

 そんなことは近藤に言えない。黙り込む土方の肩を叩いて、近藤は少し笑った。

「よかった。トシが犯人なんて、二度と言わせねえ」
「言いたいヤツには言わしとけよ」
「俺が落ち着かねーんだよ、おめーが疑われてると。ちょっと安心したわ」
「ああ……すまねえな」
「トシが悪いわけじゃないだろ? でも安心したからさ、ちょっとだけ、お妙さんのとこ行っていい?」
「やめとけ。巻き込みたくねえだろう」
「うーん……巻き込むかなあ」
「用心に越したこたねえよ、車呼ぶか」
「そうだな、歩きながら話せる話でもねえしな」

 辺りはもうすっかり暮れていた。土方が携帯を取り出すために、ほんの僅か周りから目を離した。その間も近藤がお妙に会えないことを呑気に嘆き、まあまあと宥めながら屯所の応答を待っていたところまでは、ごく普通の時間だったのに。


 銃声は、二発。


 すぐ横にいた近藤が視界から消え、地面に崩れ落ちるまでのわずか数秒が、永遠に思えた。



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