2 誰が、何のために。 それすらわからない。 被害者に共通点はなかった。 行きずりの、まるでひと昔前に武家階級が特権を持っていた頃の、試し斬りのようだと土方は思った。一時期人斬り似蔵が世間を騒がせたが、人を選ばず斬るという点ではあれに通じるものがある。 「岡田似蔵が生き返った、とか」 「死体は上がってませんからねィ。だがヤツは居合いの遣い手と聞いてます。撲殺は難しいんじゃねーですか。確か、目が見えねえとか」 「盲目でも人斬りは出来たぞ」 「だがねえ。あン時の傷たァ、やり口が違いまさ。と、思いやせんか」 その通りだ。あの時の辻斬り騒ぎは、真選組になぜか声が掛からなかった。奉行所が殺人現場を取り仕切っている時に、一般人の振りをして遠目に遺体を見ただけだが、確かに沖田の言う通り、今回のは別人だろう。 「でもまあ、また高杉辺りが変人を唆して殺らせてるって筋も、ありっちゃありでしょうけど」 証拠も何にもありませんや、と沖田は言って、次の軽食を頼むために手を挙げた。 際限ない沖田の夜食タイムを切り上げさせるのにまた揉めたが、いい加減満腹になった沖田が折れて、見廻りを再開した。 「静かですねィ」 腹が満ち足りて更に上機嫌な沖田は、呑気に辺りを見回した。 「やっぱり土方さんだろィ犯人は。試しに俺、どっか行ってみよっかなぁ」 「構わねーぞ」 「うわあ。殺る気満々ですか。あっ、そんでなんも食わなかったとか」 「何とでも言え」 「でもなあ。さすがに近藤さんに頼まれてンのに放り出すのは気が引けるなあ。いっそ土方さん斬っちまえば解決、」 「しねえよ。ふざけんな」 「その後も事件が起きたら、死後に名誉回復できていいじゃ……」 「シッ、」 「わかってますけど、ありゃ旦那ですよ」 咎められて沖田は膨れてみせた。だが声を落としたところを見ると、口とは違って一応土方の言うことを聞く気はあるらしい。 話し声が聞こえたのだ。それも、密談ふうに潜められた声が。確かに坂田の声だった。路上ではないようだ。近くの長屋には空き部屋が多いから、その一室かもしれない。 二人は何気なく傍へ寄った。 相手が坂田だから、気配を読まれる恐れがある。目で互いに確認して、この辺りで留まることにする。距離はかなりあるが、悟られるよりいい。 そのせいで声がハッキリ聞き取れない。が、二人の目的はそこを出た後の坂田を尾行することだ。ここで良しとする、と土方が目で合図をすると、沖田もそこで足を止めた。 「……は、どうだって? ……ね払っ……ら、そこん……」 「焦……きんも………こちらも……のだ。しかも……が噛ん…………ぞ」 「ならあいつは? なんであいつが濡れ衣着せられてんだ」 沖田が思わずというように土方を振り返った。それくらい、坂田のその言葉だけははっきり聞こえた。声を荒げたのだろう。 誰のことか、肝心のところが聞き取れない。 「………ぬことだ。もう少……たら、また」 「この声、桂だ。間違いねえ」 沖田が囁く。 土方は頷いた。 「踏み込むぞ」 すでに場所の特定は互いに済んでいる。 かァァつらァァア、と沖田が叫んだのは、いつもの癖か、それとも坂田への遠慮だったか。 その場にいたのは、坂田一人だった。 「人違いデース。夜遅いんだから静かにしてクダサイ」 いかにも重たそうな瞼。ぼんやりとした表情。 「……飲んでやすね、旦那」 「沖田くんじゃん。ダメだよー子供は早く寝ないと。背ェ伸びねーよ」 「俺も寝たいんですが、どうも最近物騒でね。何してんです、こんなとこで」 「隠し芸の練習」 「旦那ァ。困りまさ。真面目に答えてくんねーと」 「真面目な話ねぇ、さっきまで飲んでたんだよねー。ちょっと飲みすぎちゃって、気がついたらココで寝てた」 「一応、御用改めなんで。どこで飲んでたんです」 「えっとね、今日はハシゴはしてねーと思うんだよね。たぶん。だから……」 土方を見ようともしない。 沖田と軽口を叩き合う坂田は、ほんのりと顔を赤くしている。飲んで来たのは嘘ではなさそうだ。 「確認に行きますが、悪く思わねーでくだせェ。仕事なんでね」 「どーぞ。そういや最近団子食いに行かねーの?」 「行きてーのは山々なんですがね。つか、旦那は? 行ってます、例の甘味屋」 「あそこの親父病気なんだってさー。しばらく休業。でにぃずの甘味って続けて行くと飽きるんだよね」 「俺ァまだ飽きてやせん。今度新作デザート出ますぜ、イチゴのなんたらってヤツ」 「マジで。行くわ」 「オイ」 堪らず、土方は割って入った。 「どれくらい飲んだ。どうせ店に確認するんだ、有り体に吐け」 「……」 坂田の目付きが変わった。相変わらず土方には目もくれないが、今までの眠そうな目が、不機嫌に細められた。 「総一郎くん。今なんか聞こえたよーな気がしねえでもねーんだけど、もっかい言ってくれる」 「総悟です、旦那。どんくらい飲みました、一合ですか一升ですか、店出るとき歩けましたか腰抜けてて親父に捨てられましたか」 「歩いて出たとこまでは覚えてんだよね。途中ちょーっと記憶途切れてるけど、吐いてねー……と思うし。でも眠くてさぁ。ウチついたつもりだったんだけどねー」 「住居侵入罪でさぁ。都合良く空き家で良かったですねィ」 「……そだね」 沖田の嫌味を坂田はサラリと躱した。依然、土方はその場にいない者扱いだ。 「万事屋まで送りやすから、立っ……立てます? 歩けますね。じゃあ来てくだせえ」 沖田の言葉に、坂田は素直に立ち上がった。沖田の横に立つ土方には目もくれない。土方の前を通ったとき、わずかに酒の匂いがした。 こうなったら沖田も土方を無視することはわかっていた。だが沖田を離れるわけにいかない土方は、黙って二人の後をついていくしかない。自分の存在を全く認めない二人と行動を共にするのは、さすがに気が重かった。 「さっき旦那、桂としゃべってませんでした? てっきり桂の声だと思ったんですよ」 「ヅラなんか喋りたくもねーよ、ウザいもん」 「喋ったことあるって白状してますが」 「そんくらいオタクらも把握してんだろ? あ、でも俺無実だから。攘夷とか面倒くせえことしてねえから」 「言うのはタダですからねィ」 「攘夷もタダだろ。万事屋銀ちゃんは金貰わねーと指一本動かさねーから。マジ面倒くさいから」 どうして沖田だとこうもペラペラと口が回るのだろう。楽しそうだ。酒も回っていい気分なのかもしれないが。 ――触るな。 同じ人物の口から、これほど楽しげな言葉が次から次へと出て、しまいには沖田に笑いかけるに至って、土方は目を背けた。足は重くなり、二人の背中が遠くなる。 万事屋が見えてきて、上がってく?などと沖田を誘うのが聞こえ、土方はその場に足を止めた。 「総悟。先に帰る」 「なに言ってんでィ」 「!」 「もちろんそうしてくだせえ」 「……」 坂田と沖田は万事屋の中に消えた。 帰るとは言ったものの、足は動かない。 久しぶりに訪れる万事屋を、下から見上げた。遠い国のように見えた。自分が招き入れられたときは、坂田は不機嫌の極致だった。証拠品を自分から探して土方に突き出し、用が済んだらとっとと帰れと言わんばかりに追い出した。 沖田は、歓迎されているのだろうか。 携帯が鈍く振動する。 『その辺にいるでしょうね……って』 「目の前ですかィ。旦那に嫌われてやんの、ざまあ」 沖田は土方を見つけるとすぐ携帯から耳を離して直接悪態を吐いた。 そして珍しく駆け寄ってきて(沖田が進んで土方に寄ってくるなど滅多にないか、あってもろくでもないことだった)、涼しい顔で横を歩き出した。仕方なく土方も歩みを進める。 「チャイナが、いません」 と、沖田は世間話の続きのように言った。 「デカ犬もいやせんでした」 「恒道館かなんかに泊まりに行ったんだろ」 「部屋ン中がとっ散らかってました。メガネも来てねーんですかね」 「こないだテメェが踏み込んだときはいただろう」 「そうですけどね。ジャンプはあっちこっちに転がってるわ、ゴミは袋にゃ入ってるけど部屋に置きっぱなしだわ、ひでえモンです」 「だから?」 「だからなんだって訳じゃねえ。気になっただけです」 「……」 「ザッと見た限りじゃ、二本目の木刀は見当たりやせんでした。あっても隠すでしょうけどね。今俺ァ旦那の寝室まで入ったんですが、しょっちゅう使うモンならその辺に放り出しててもおかしくねえかなって思って」 「そこまで迂闊じゃねえだろう」 「チャイナがいねえんなら、隠す必要もねえでしょ」 総悟の顔をしげしげと見直した。 なにも読み取れなかったが、沖田は沖田で坂田について思うところがあるのだと、土方は理解した。 少なくとも自分のように、偏った見方ではない。疑いも信頼も、等しく持ちながら坂田を観察してきたのだと。 坂田への想いは消えない。 だからと言って不必要に庇うのは間違っている。 しかし、同じように不必要に非情に徹することもないのではないか。 ほんの少し、肩が軽くなったような気がした。 章一覧へ TOPへ |