Kynidion




八田美咲はまるで子犬のようだ、と。そう言うと、十束さんと草薙さんは顔を見合わせて笑った。

「確かにな」
「けどそれ、八田が聞いたらきっと怒るよ〜?」

私はそんな十束さんの言葉で、子犬と言われて怒る八田ちゃんを想像する。……ふむ、悪くない。

「私、ちょっと八田ちゃんからかってきます」
「ほどほどにね〜」

十束さんの忠告に笑顔で会釈すると、私はバーカウンターから立ち上がり、八田ちゃんの元へと駆けて行った。





「……あ?」

八田ちゃんは遊んでいたゲーム機のコントローラーを手放し、私を思い切り睨みつける。

「いやだから、八田ちゃんって子犬みたいだよねって」
「おい渚…、お前、それは俺に対して喧嘩売ってんのか?」
「そうかも」

クスクスと笑いながら挑発的にそう言うと、八田ちゃんは立ち上がり私に顔をグイと近づけてきた。

「渚、お前な…あんま俺を舐めてると…」
「隙あり」

えい、と、そう言って私は自分から顔を更に八田ちゃんに近づけ、唇で彼の言葉を封じる。すると八田ちゃんの顔は面白いくらい真っ赤になった。

「おおおお前…!!」
「キスくらいでそんなに赤くならないでよ、どーてーくん?」
「なっ!!??」

私の言葉で八田ちゃんの顔はまた更に赤くなり、目尻にはうっすらと涙まで浮かんでいる。

……やっぱり、八田美咲は面白い。

そんなことを考えていたら、自然と顔がニヤけてしまった。そんな私を見て、八田ちゃんは怪訝そうな顔をする。

「…何ニヤけてんだよ」
「別に?八田ちゃんてやっぱ面白いなーって。子犬みたい」
「あ?だからなんで俺が子犬なんか…」
「しかもゴールデンレトリーバーとかじゃなくて、チワワとかの子犬ね」
「話を聞け!!」
「ヤタガラスじゃなくて、ヤタワンコに改名したら?」
「渚ーーー!!!」

八田ちゃんが涙目になりながら私を怒鳴るので、今にも笑い出したい気持ちを必死で堪えた。

はたして、私が今まで生きてきた19年間のうちに、ここまで喜怒哀楽がわかりやすい人間がいただろうか。恋人である八田美咲は、喜怒哀楽がわかりやすく、まるで子犬のように尻尾でも生えているかのように思えてきてしまうことさえある。私は、そんな彼をからかうのが楽しくて仕方がないのだ。

「だいたい渚はいつも…」
「はーい、二人とも、そこまでそこまで」

再び八田ちゃんの言葉が封じられた。今度は私じゃなくて、後ろから現れた――

「十束さん…!」

私と八田ちゃんが声を揃えて言う。
十束さんはそんな私たちを見てにっこりと微笑むと、私の額に軽くでこぴんをした。

「いっ…、十束さん!?」
「玖珂、少しやりすぎだよ?」
「……はぁーい」
「よし、いい子だね。じゃあ撤収撤収」

十束さんはそう言って私の腕を掴むと、バーカウンターまでずるずると引きずって行った。





「玖珂はさ、なんでそんなに八田をからかうの?」

十束さんがグラスに注がれたブラッドオレンジジュースをストローで啜りながら私に尋ねる。……確かそれ、アンナにって買ってきたやつじゃ…

「なんで、…と言われましても…」
「だってさ、恋人なら普通相手のこと、もっと大切にしない?」
「あぁ、それは……」

私がそこまで言いかけたところで、バーの扉がゆっくりと開いた。

「尊さん、おかえりなさい!!」

扉の前に立つ人物を見て、八田ちゃんはすぐに立ち上がり、嬉しそうに駆けていく。

「あれですよ…」

私はそんな八田ちゃんを指さしてそう言った。

「あれって、キング…?」
「そーです。八田ちゃんは尊さん一筋ですから…」

そう言いながら、私は八田ちゃんを眺める。尊さんに駆け寄っていく八田ちゃんの姿は、さながら、主人の帰りを喜ぶ子犬のようであった。嬉しそうに左右に振られる尻尾まで見えてきそうだ。

「ヤタワンコはご主人のことが大好きですから…、私なんか敵わないくらいには。…だからせめて、八田ちゃんが尊さんに向ける感情以外の感情は、全部私に向けてほしいなって」

だから彼を怒らせたり、泣かせたりして楽しんでるんですと、そう言うと十束さんは一瞬驚いたような顔をする。

「玖珂、それさー…」

すぐにニヤニヤした表情に変わった十束さんが、愉快そうに私に尋ねてきた。

「ヤキモチ?」
「……まぁ、そうかも…です…」

そう答えた瞬間、十束さんがお腹を抱えて笑い出す。

「ちょっ…玖珂最高…っ、あははっ、ねぇ八田も聞こえてたでしょー?」

十束さんの言葉に、私は驚き、慌てて八田ちゃんの方に首を向ける。

“八田も聞こえてた”…って、え!?この距離で、こんな小さな声で交わした会話が八田ちゃんに聞こえてるわけ……

「あー、はい…」

八田ちゃんは尊さんから顔をこちらに向け、気まずそうに目を逸らす。そんな彼を見て、私は思わず両手で顔を隠した。

「……最悪だ」
「ヤタワンコは耳もいいんだよー。知らなかった?」
「十束さん、あんたわかっててやってたでしょ!?」
「もっちろん」

笑顔で答える十束さんのことを涙目で睨みつけていると、いつの間にか八田ちゃんが私の目の前まで来ていた。

「お前さ……、馬鹿じゃねーの?」
「何が!」

ため息まじりに八田ちゃんがそう言うので、私は勢いよく顔を上げる。

「尊さんへの感情と、お前への感情は、全然別物だよ」
「……どういう意味?」

私が尋ねると、八田ちゃんはもどかしそうに呻きながら、頭を掻きむしる。

「〜〜っあーもー!言わなくてもわかれよ馬鹿!!」
「言ってくれなきゃわかんないよ!!」
「尊さんのことは一番尊敬してるけど、一番好きなのはお前だってこと!!」

ヤタワンコが涙目になりながら、顔を真っ赤に染めて叫んだ。そんな八田ちゃんを見て、私もつられて赤くなる。

「ばっ、馬鹿じゃないの!?なんで叫ぶの意味わかんない!!」
「っるせーよ!こんぐらいしなきゃお前みてーな鈍感野郎には伝わんねぇだろうが!!」
「わかるよ!!」

私がそう叫んだところで、「まぁまぁ」と十束さんと草薙さんの仲介が入った。

「二人とも、その辺にしとき」
「子犬同士がじゃれ合ってるのは見てて楽しいけど、あんまうるさくすると周りに迷惑だよ?」

十束さんのその言葉に、私と八田ちゃんが同時に食い付く。

「誰が子犬ですか!!」
「え?どっからどう見ても子犬だけど?ねぇ、草薙さん?」
「せやなー。二人とも、嬉しそうに振ってる尻尾を隠しきれてないで。どんだけお互いのことが好きなんや、自分ら」

草薙さんが笑いながらそう言うので、私と八田ちゃんの顔は更に赤く染まったのだった。


Kynidion
 (子犬)
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お題企画サイト『王冠』様提出作品。
―Kから始まる言葉―


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