恋愛カタルシス
あぁ、イライラする……
いつも、誰に対しても無防備な笑顔を向け、愛想よく振るまい、幸せそうに笑っているくせに……
俺に対してだけは全くなびかないあいつが。
いつからだろう、その笑顔も全部全部壊して、俺の物にしてしまいたいと思うようになったのは――――
『恋愛カタルシス』
「渚」
俺は渚の5歩後ろから彼女の名前を呼ぶ。
渚はこちらを一瞥すると、すぐにすたすたと歩き出してしまった。
「渚」
もう一度名前を呼ぶ。
今度は完全に無視だった。
さすがにイラッときて小さく舌打ちをすると、彼女に気づかれないよう足音と気配を消して近づく。
「渚」
3度目は耳元でそっと名前を呼んでみた。
「っ、〜〜〜〜!?」
渚の体がびくり、と小さく震える。
なるほど、耳が弱いのか。
今度ばかりは無視できなかったのだろう、渚は耳まで真っ赤に顔を染めて、こちらを睨んできた。
「〜っ変態!!!」
「人のこと無視するのが悪いんだろ?」
「だからって何も…〜〜っ」
「何も?」
「〜〜〜〜っ、死ね!!」
…やっぱりコイツはおもしろい。
思わず破顔しそうになるのを堪えて、俺は渚を見据える。
渚は俺と目が合うと慌てて目線を逸らし、そのまま無言で走り去ろうとする。
そうはさせるか、と俺は走り去ろうとする渚の右手首を掴み、そのまま壁に、ドン、と乱暴に押し付けた。右手首は掴んだまま、もう片腕は渚の顔のすぐ横につき、逃がさないように捕まえる体勢になる。
「逃がすと思った?」
「……っ」
渚は悔しそうに俺を睨みつける。
その表情を見ていると、今すぐに泣かせてその顔を崩したい、という欲望が、ふつふつと沸き上がった。
「ていうかさ、なんであんたは俺にだけそんな態度なわけ?俺あんたに何かした?」
「……人を嫌いになるのに、理由が必要なわけ?」
「必須だね」
苦笑しながら、渚の手首を握る力をほんの少しだけ強くする。
苦痛に、渚の顔がわずかに歪んだ。
もっと見たい――
このままめちゃくちゃにして、無理矢理にでも俺のものにしてしまえば――
そんな甘い誘惑を押さえて、俺はさらに話を続ける。
「ムカつくんだよ、お前」
「…猿比古もね」
「俺以外のやつにはへらへらしやがってさ、…ちょっとは俺にもなびけよ」
「はん、何それ、ヤキモチ?」
「違うね」
俺はそう言って、自分の唇と渚の唇を重ね合わせた。
「独占欲、だよ」
瞬間、渚の空いている左手が、俺に平手打ちをしようと振りかぶったが、俺はその手も掴み、壁に押さえ付ける。
そのまま手首に加える力をさらに強くした。
渚は「ぅっ…」と小さく呻く。
渚は嫌悪と憎悪、それから羞恥に苦痛の入り混じった、何とも言えない表情をしていた。見ると、目尻には涙もたまっている。
――これだから渚はたまらない。
ゾクゾクと膨れる興奮を抑えても、頬の筋肉は上手く制御できず、どうしてもニヤけてしまう。
「猿比古なんか、大ッ嫌い」
そんな俺を睨みつけながら、渚はそう言った。
目尻に涙をためた、その表情で――
「逆効果だよ、渚」
もう我慢できなかった。
俺はもう一度渚にキスすると、今度は彼女の口内に自分の舌を侵入させる。
びくり、と彼女の体が震えた。
俺の手を振り払おうと暴れるが、所詮女の力では男の俺には敵わない。
渚の抵抗もむなしく、俺はさらにに深く彼女にキスをする。
力で敵わないとわかった瞬間、渚は勢いよくと俺の舌に噛み付いた。
突然の痛みに、俺は渚の唇から自分の唇を離す。
予想していなかったわけではない、むしろ期待していたほどだ。
口の中に、ぬるりと不快な感覚が広がり、鉄の味が口いっぱいになる。
俺は口にたまった血を吹き出すと、ボロボロと涙をこぼす渚を見た。
「なぁ渚、俺はね、」
そのまま渚の耳元まで顔を寄せ、俺は小声で言った。
「手に入りにくい物ほど欲しくなるんだ」
俺はそう言って満足げに微笑んだ。
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