君色メランコリィ



小さな頃から大嫌いだった男がいる。

そいつはいつも、どんなに大変な状況でも「へーきへーき、なんとかなるって」と根拠のないことをへらへら笑いながら言って、しかも実際なんとななっちゃったりして。彼といると安心するから、彼の周りには人がたくさんいて。

私はそんな彼を、いつも5歩後ろから見ているだけなのであった。


『君色ランコリィ』



「………ッ、多々良ァ!!」

私は思わず、恨めしげにその名前を叫んだ。

幼なじみ――というより腐れ縁の十束多々良は、額と右腕に包帯をぐるぐると巻いて、さらには左手に松葉杖までついていた。

痛々しく、見ている方がつらいような格好。

しかし当の本人はいつも通りにへらへらと笑っているのだから、彼の身を心配する方の私としてはたまったものじゃない。

「渚は心配性だなぁ。大丈夫だよこのくらい」
「ッ、何が大丈夫だ馬鹿!!全身ボロボロじゃんふざけんな!!!」
「でももう相手とも和解したし俺としては……」
「私が大丈夫じゃない!!馬鹿!!多々良なんか大ッ嫌いだ!!」

私が怒鳴ると、後ろから草薙さんが現れて、
「玖珂ちゃん、言い過ぎや」
と言いながら、私の両肩に手を置き、
くるりと回れ右をさせられると、そのままバーの奥にまで連れていかれた。





「玖珂ちゃん、あいつはいつもへらへら笑ってるけどな、あんたに怒鳴られた後だけは、いつもヘコんでるんやで」
「……そんなこと、知りません…」
「玖珂ちゃんに嫌いや言われて、結構つらそうにしとるんやけど」
「……だって嫌いですもん…」
「ほんとに?」

草薙さんが私の顔を覗き込みながら言う。

「……ほんとです」
「玖珂ちゃんは意地っ張りやなぁ」

草薙さんが困ったように笑う。

「……なら、仲直りしなくてもええんよな?」
「それは……………やです」

私が小さくそう言うと、草薙さんは立ち上がって言った。


「ほんなら、あいつと玖珂ちゃんの仲直り作戦、いきましょか」







『まずは素直にごめんなさいて言うこと』

草薙さんの言葉を、頭の中で何回も唱える。

大丈夫、できる……
ただ多々良に謝ればいいだけなんだもん……

「多々良」

ソファの上で、小さく膝を折りたたんで丸くなっている多々良に声をかけると、多々良はパッと顔を上げた。

ほんとだ……ちょっと悲しそうな顔してる……

いつも多々良と喧嘩するときは、私が怒鳴って帰っちゃって、後日多々良が謝ってくるのが当たり前になっていたから気づかなかった…。

「……ごめん」

目を逸らしたい気持ちでいっぱいになりながらも、私は多々良の目をまっすぐ見て言った。

「言い過ぎた」

そう言うと、多々良は驚いたように目を見開いて、すぐにへにゃ、といつも通りの笑顔に戻る。

「渚から謝ってくるなんてめずらしいね」
「……文句ある?」
「全然。こっちこそ、心配かけさせちゃってごめん」

多々良が申し訳なさそうに言う。
そんな多々良の姿を見て、何故か私の胸がチクリ、と痛んだ。

「渚、さっき言ったこと、全部本当のこと?」

多々良が小首をかしげながら私に尋ねてくる。

「……何がよ」
「大嫌いってとこ。いつも俺のこと嫌いって言うけど、その割には心配してくれるなって」
「……当たり前でしょ。いくら嫌いなやつでもそんだけ大怪我してれば心配するのは普通で――」

「渚」

私の言葉を遮るように、多々良が言う。
まっすぐに真剣な目でこちらを見つめてくるから、私は思わず視線を逸らした。

「俺は、渚のこと好きだよ」
「……っ」

透き通った声で発せられたその言葉に、私は小さく舌打ちをした。

「あんたは、誰のことでも好きでしょ……」
「まぁそりゃそうだけどさ、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて何?いいじゃない、あんたはあんたのことを好きでいてくれる人にだけ愛想よく接してれば。好きとか、簡単に言わないで」

なんだこれ。
私、多々良と仲直りするつもりなんじゃなかったの…?

さっきから、今まで胸の中でモヤモヤしてたものが口から溢れ出しておさまらない。

これじゃあ、まるで私、多々良のこと……

「いつもそうだよ!多々良はいつも誰にでも優しくて、そんであんたの周りには人がいっぱいいて。私は多々良の中で、その中の一人程度にしか思われてないのが悔しくて…!」
「渚…?」
「嫌い!多々良なんか大――」
「嫌い?」

多々良の声に私はハッとなる。
やだ…私また多々良に……

多々良が少し悲しそうに微笑む。

「俺の中で渚は特別な女の子だよ」
「……」
「もっかい言うね。俺は渚のこと、好きだよ。友達としての好きじゃなくて、恋人になりたいって意味で」
「……嘘だ」

私がかすれ声でそう言うと、多々良は立ち上がって、指で私の涙をそっとぬぐった。
そこで私はようやく、自分が泣いていたことに気づく。

「泣かないでよ…」
「…泣いてない」
「ねぇ、さっきの言葉、俺には嫌いって言ってるようには聞こえなかったんだけど?

多々良が私の頬にそっと触れる。

「もし本当に俺のことが嫌いなら、今すぐこの手振り払って?そしたらもう俺、渚には極力関わらないように、頑張るから」

そんなこと……

「そんなこと、できるわけないじゃん……」

涙が溢れ出して止まらない。
本当は、自分でもどこかで気づいてたんだ。
私は多々良のこと、嫌いなんじゃなくて、大好きなんだって。

だからいつも、多々良の周りに素直に寄っていける人たちが羨ましくて、でも、自分はなかなか素直になれなくて……

「嫌いって何度も言ってごめんなさい。ほんとはね、違うの。反対なの」
「…ん」
「私、多々良がすき。大好き。世界で一番、ほんとは大好きなの…」

多々良が私をそっと抱きしめる。
多々良の細い腕が、私をそっと包み込んだ。

「ありがと。俺も好き」
「うっ、うわぁぁぁぁぁ」

頭の中が真っ白になって、
顔が真っ赤に染まって、
喉の奥から変な声が漏れて、
涙は一向に止まる気配がなくて、

それでも私を抱きしめる多々良の体が暖かくて、

私もそっと彼に腕を回したのだった。

何年も自分の中にあった気持ちに、
何年もかけて気づいて、
馬鹿みたいに遠回りしたけど、
やっとゴールに辿り着けた。

私の初めての、小さな恋。

「いつまで泣いてるのさ」

多々良はくすくすと笑うと、
泣きじゃくる私の額に小さくキスをした。

後ろで草薙さんが、
「めんどくさいカップルやなぁ」
と呆れた口調で言った気がした。


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