「……気をとり直して」
自分で乱した空気を自分で立て直して、いくらか冷静さをとり戻した彼女を振り返る。大事な所を、まだ聞いていない。
「今度は君の番っス。名前は?」
「……名前」
「そ、名前」
いつまでも『君』とか『貴女』では便利が悪い。何て言うの?とやさしく桃井に促されると、彼女は暫しの間俯いて、そのままゆるゆると首を横に振って答えた。
「え?」
「……忘れ、ました。分らないんです、私の名前」
「……え!?」
「…オイ」
忘れる筈がない。先程の(主に赤司っちの)推測が正しいのなら"設定"が有る彼女に、忘れると言う事が有るとは思えない。身を乗り出した直後、首に腕を回されグイっとうしろに引かれた。
「っ……何スか、緑間っち?」
「黄瀬。その女の名前…きめていたか?」
「え?勿ろ………あああ!!」
「!!」
小声で言われた質問に、大声を出てしまうと緑間に「耳元で叫ぶな!」とどなり返された。そんなのもお構い無しでノートの中身を必死に思い出してみると……無い、たしかに決めていない。
しまった、コレは最悪だ。ふるふると首を横に振ると緑間は呆れて、チラリと話を聞いていた皆も目を丸くした。そして、どうするんだとの問いを一斉に向けてくる。
「………」
唯一彼女だけが、どうして忘れてるんだろう?と純粋に首をひねって居た。違う、元から無いんだよ。なんてとても言えない。
「……多分、この世界に来た時の反動だろう」
……其所をフォローしてくれたのは、やはり赤司だった。
「それなら。君の面倒を見る涼太に、不束ながら君の名前をきめて貰おう」
「って、ええええ!?」
何を言ってくれているのだ。なあ?と振り向いて来た赤司に首を振って見せるも、目に「肯定しか受けとらない」と語られた。保護者になる以上、生みの親で在る以上。その言葉は妥当だけれども…。
一応、いくつも聞いて来た女の子の名前を脳内に並べて思い出してみる。否、その中からとった名前じゃ悪いか。この子には特別に…愛着が、有る。自分でひねり出した名前を付けてやりたい。
「……マジで、オレがきめてもいいんスか?」
「……、はい」
本当は自分の名前が有ると…思いこんでいる彼女に、この質問は難しいだろう。しかし名前が無いと不便であるのは理解して、間を置いて、ゆっくりと頷いてくれた。
「……っス。なら――」
――その後。今日の部活は休んで、オレ達は帝光中学校をあとにした。