第二話
あの後、影山は電話にもメールにも反応しなかった。
こっぴどく澤村に怒られた日向は、翌日、謝る機会を見付けられないまま放課後を迎えた。3組の前を通るともう解散していて、影山の姿は見当らない。正直ホッとしたが、どうせ部活で会うなら同じ事である。西谷と田中は部活が始まる前に謝ると言っていたから、同行させてもらおう。一人は心細い。
「……あんなに怒るとは、思わなかったし」
日向にしてみたら、いつもの仕返しにからかってやるだけのつもりだった。彼女じゃなくても、彼女に近い存在として話題の一つのつもりだった。影山の反応も、暴力を振ってくるとか照れ隠しに怒鳴り散らしてくるもんだと、思っていた。
正直に言ってしまうと、今でもあの反応は納得出来ない。大好きなバレー中に日向が下手なプレイをしても、あそこまでの怒り方はしなかった。自分はあそこまで仲の良い女子は居ない(あえて言うなら妹だ)から、どれだけ腹が立つ事かも分からない。だから、どう言って謝ったらいいのか分からない。「気に障る事を言って悪かった」で、許してもらえる物なのだろうか。
「じゃあなー、日向!」
「んー」
靴を履いて学校を出ていくクラスメイトに手を振りながら、日向はぼんやりとその場に立ち尽くす。
…ここでうじうじしていても仕方がない。部活をしたいなら謝らないといけない。意を決してヨシ!と一声上げて、強張る頬を両手で叩いた。
――♪
その時、軽快な機械音が聞こえてくる。振り向いてみると、女子生徒が校内での使用が禁止されている(と言っても使っている生徒がほとんどだが)携帯を開き、通話相手と話しながら靴を履き替えようとしていた。
「分かった、いつもの所で待ってる。うん…じゃあ」
そのようす…正確には、その姿が気になる。下駄箱に片手を付いて踵を入れる、そのカーディガンを羽織った後ろ姿が、日向には見覚えがあった。どうにか顔が見えないかとじっと目を凝らしていると、機会が巡ってくる。上靴を直そうと振り返った相手は正しく
「あ!!!!」
「!?!?」
「影山の…っ」
――影山のカノジョ、と続けようとした口をとっさに押さえた。これでは二の舞になってしまうかもしれない。
彼女は驚いた顔で、上靴を持ったまま固まっていた。知らない生徒に声を掛けられたら、それもそうだろう。
「あ…ご免、ビックリさせて」
「……」
「おれ、日向翔陽!その、影山の……友達、だよね?」
一言一言、言葉を選びながら問い掛ける。それでも彼女はなかなか反応を示さなかったが、突然パァッと、輝いた笑みを浮かべた。
「日向君?ああ、あなたが日向君!」
知っていますよ、とばかりに名前を繰り返され、今度は日向が驚いてしまう。影山と仲が良いなら知っていてもおかしくないが、どんなふうに話されているんだろうと思うと少し居たたまれなかった。こんにちはと頭を下げる彼女につられて、こんにちはと頭を下げ返す。
「今から帰り?…影山は?」
「もう部活に行ったと思うよ。放課後は会わないから、分からない」
「そっか。……あ、あのさ」
「?」
「その、影山……機嫌悪かったり、した?」
彼女はブラウンの髪を揺らして、不思議そうに首を傾げた。やがてゆっくりと左右に振られた首が意外で、日向の口から間抜けな声が零れる。思い詰め過ぎていたのだろうか。思っていたよりも、影山は怒っていないのかもしれない。
「……喧嘩でもした?」
「…うん、ちょっと。気に触る事、言っちゃったみたいで」
「そっか。…大丈夫だよ。普通に話し掛けたら、きっと」
「そうかな」
君の事で、なんてとても言えなくて、日向はがりがりと頭を掻く。
「えと、君と…影山は、いつも保健室でごはん食べてるの?」
「え?」
「いいよね、静かに食べられそうだし」
「……」
「……ん?」
「そっか、話してないんだ」
急に黙り込んだかと思うと、納得した彼女に首を傾げた。どういう事かと日向が疑問符を飛ばすと、彼女はずり落ちたカーディガンを羽織り直しながら何でもないように口を開く。
「私、体弱くて。学校に来ても、保健室で過ごしてるの」
「!」
反射的に、しまったと思った。こういう事は触れてはいけないと思っているからかもしれない。何て答えるべきか迷って慌てている日向に、彼女はおかしそうに笑いながらひらひらと手を振った。
「いいのいいの、気にしないで。言って何が起こるわけじゃないし」
「……、うん」
「じゃあ、待ち合わせしてるから行くね。またね、日向君」
「え、あ、うん。また!」
今度こそ上靴を下駄箱に入れて、彼女は学校の外に走り出していく。日向が返事をした時はもう、振り返る事はなかった。
今の情報からするに、影山は保健室に通っている事になる。そんなマメな事、やっぱり特別な理由があるとしか思えなかった。…単に影山が、賑やかな所から抜け出したかっただけかもしれないが。
もしかして、彼女の身体の事を隠したくて、影山はあんなに怒ったのだろうか。だがいまひとつ決め手に欠けている気がして、日向はぐぬぬと首を捻る。
「……って、あれ」
そこでふと、気が付いた。
さっきまで彼女が立っていた所まで走る。細かい位置まで見ていなかったから名前は確認出来ないが、重要なのはそこではなかった。日向は、最上段に貼り付けられているプレートを茫然と読み上げる。
「……1年、1組…」
ーーおれと同じクラスじゃん。
20151206