‖ あらすじ
 「おれ、今井のことが好きなんだケド」
 突然告白してきたのは学校一の嘘つき男・加賀。
 どうせ嘘なんだろうと心のなかで「ダウト」するも、以前から加賀のことが好きだった今井は、淡い期待を込めて交際をスタートする。
 が、予想に反して加賀は今井に対し一生懸命で……?


‖ 本文サンプル

「おれ、今井のことが好きなんだケド」

 ぶっきらぼうにそう言って、目の前の男はにんまりと狐のように目を細めて笑った。
 放課後の校舎裏、春先には空を覆い尽くすようにして薄桃色の花が咲く桜の下、なんていうロマンチックなシチュエーション。でも、いまの季節は梅雨だ。すっかり葉ばかりとなってしまった桜の木じゃいまいち決まらない。
 昨日までのひどい雨のせいで地面もひどくぬかるんでいる。この春から二年目の付き合いになる、やや年季の入ってきたローファーを汚すばかりのそれに、今井篤志(いまいあつし)の心のなかは、頭上を覆うそれと同じく灰色の雲に埋め尽くされていく。
 それに、そもそも対峙しているのがどちらも学ラン姿の男ならなおさらだった。ロマンチックどころかどうにもしょっぱいものがある。
 そんな憂鬱な空気を一掃するように、さらり、と目の前の男の黒髪が流れた。男は視界を遮るそれを白い指先でよけて、耳の後ろにひっかける。ぱっつんぎみに揃えられた前髪の向こうでは切れ長な目が涼しげに瞬いていた。口元は相変わらず隙のない笑みを形作っている。

「だからさ、今井、おれと付き合ってくれない?」

 口にした内容とは裏腹な軽い口調と、緊張感の欠片もない様子。その二点から、いや、それだけじゃなくて、篤志は直観的に悟った。

(あ、嘘だ)

 好きだというのも、付き合って欲しいというのも、ぜんぶ嘘だ。推測というより、篤志のそれはもはや確信であった。
 なぜならば、今目の前に立つこの男、加賀翔一(かがしょういち)はうそつきだから、だ。



 加賀翔一の名前は、篤志の通うこの学校では有名である。
 とはいえ、それは彼のルックスが街中ででもすれ違おうものならつい足を止めて振り返ってしまうほどに整っていることとか、彼が入学以来他の追随を許さず定期テストで学年トップの座に君臨し続けていることとか、彼が全国大会常連になるほどの弓道の腕前を持っているからとか、そういった、彼にまつわる「良い情報」によるものではない。
――ただ一点。彼が「ものすごいうそつき」であることによって、である。

 加賀翔一は、とにかくやたらと嘘をつく。
 授業中に教師に「今日何日だ?」と聞かれれば当然のごとく昨日の日付を伝え、クラスメイトに宿題の答えを聞かれれば微妙に本来の答えとはズレた偽の答えを伝える。ほかにも、行事の開催日を一週間ほどずらして教えたり、部活の集合時間を二時間早めて伝えたり、テストの範囲をわざと間違えて連絡したり、といった具合である。
 それも驚くほど巧妙に、表情一つ変えず当たり前のようにうそをつくものだから、それが嘘だということになかなか気付けないというのがまた厄介であった。
 もっとも、彼が二年生にあがって彼がうそつきであることが学校全体に広まった今となっては、加賀に日付を聞く教師も宿題を聞くクラスメイトもいなくなったのだけれど。
 とにかく、そんなわけで加賀翔一はうそつきだ。だから、いま篤志に告げられた愛の告白だけが「ほんとう」だなんていう、そんな都合の良い出来事は起こるはずがない。
 単なる出来心か、篤志をからかっているのか、はたまた別の目的があるのか。どんな動機によるものかは不明だが、加賀が嘘をついていることだけは唯一明白で確かな真実であった。

「ばかにするな」
「おれみたいな平凡をからかって楽しいか?」
「うそつきは泥棒の始まりだぞ」

 といった具合に、篤志には加賀にどう返事をするかの選択肢がたくさんあった。それこそ山のように積み重なるくらいには、加賀の嘘を暴くための言葉なんていくらでも思いつけたのである。
 けれど、気が付いたときには、

「……いいよ」

 付き合おう、と。篤志は馬鹿正直にそう頷き返していた。
 篤志の友人たちが聞いたら、きっと篤志の正気を疑ってかかることだろう。男と付き合うだなんて本気か? いや、男にしても、あの嘘つき男とだなんてありえない。落ち着いて考え直したらどうだ、とか。そんなふうに。

(けど、仕方ねーじゃんか)

 だってこれは、いわゆる、惚れた弱みというやつなのだから。空想上の友人たちをなだめるように、篤志は脱力したように微笑んだ。
 篤志の頭の隅っこへ消えていった友人たちの代わりに、「えっ」と声をあげたのは加賀だった。先ほどまでの余裕はどこへやら。夢かとばかりに驚いた様子で、いっそ篤志を疑うかのように目を見開いている。

「ソレ、ホントに?」
「んなことで嘘ついてどうすんだよ。お前じゃあるまいし」

 暗に「うそつき」で有名なことを揶揄するように篤志は言う。そのあけすけな物言いに、加賀は一瞬あっけに取られてから恥ずかしそうに頬を掻いた。

「なんだ今井、おれのこと知ってたわけ?」
「知らないわけないだろ。学校一の有名人だぞ」
「ハハ、それほどでも」
「……いや、べつに褒めてないからな」

 篤志と加賀は、二年連続で違うクラスだ。部活や委員会も違ければ、これまでに接点らしい接点もない。まともに話したのはこれが初めてだった。が、案外ふたりは相性が良いらしい。紡ぎだされる言葉のテンポは驚くほどに良かった。

「それじゃ、よろしくね、今井」
「ああ、こちらこそ、加賀」

 差し出された手を握り返してやれば、加賀は嬉しそうに、やっぱり狐みたいににんまりと笑った。色白な頬にほんのりと赤みが差しているのは気のせいだろうか。それすら嘘の一環、演出の一つだったとしても、篤志のなかには、うっかりそれを「かわいいな」なんて思ってしまっている自分がいた。
 本当、惚れた弱みというやつは恐ろしい。

――そう。今井篤志は、加賀翔一に惚れていた。

 今まで一度もまともに話したことがなくても、遠目にしか見たことが無くても、彼がものすごいうそつき男だと知っていても。ただなんとなく、加賀の雰囲気とかその周りの空気とか、あと、うそをつくときの言葉の発せられ方とかが好きだった。
 加賀が美形である、というのも理由の一つかもしれない。篤志には、自分が面食いだという自覚が大いにあった。
 加賀の外見に惚れたのが先で、そのあと他の部分も好きになっていったのか。あるいは他の部分を好きになったのが先で、そのあと外見に着目したのか。どちらが先だったのかということは、この際どうでもいい。唯一いま重要なのは、篤志が、加賀に告白される以前から加賀のことを好きだったということである。
 うそつきは泥棒の始まり、というのは本当かもしれないなと、篤志はいまさらながら思う。だって篤志は、うそつきな加賀にずっと心を奪われっぱなしだから……なんていうのは、ちょっとクサすぎるだろうか。
 なんにしても、そういうわけで篤志は加賀からの告白を断ることができなかった。例えそれがうそで、いつか「ざーんねん! うっそぴょーん」と嘲笑とともに終わりを告げられる関係だとわかっていても、加賀と、かりそめでもいいから恋人同士になってみたいと淡い期待を抱いてしまったのである。
 先に惚れたほうが負け、ということなのだろう。つまりは篤志の不戦敗だ。
 とにもかくにも、こんなふうにして、篤志と加賀の「おつきあい」はスタートしたのだった。


(中略)


 それにしてもと、篤志は隣を歩く友人をまじまじと眺める。金髪に、耳にはじゃらじゃらとピアス、おまけに舌にもピアス。ネクタイはまともにしていないし、スラックスも腰履き。どこからどう見ても不良系だ。よく言ってヤンチャ系。篤志の友人たちは、よーくんはじめみな大なり小なりこのような感じである。
 篤志自身も、ここまであからさまではないものの、どちらかというとはっちゃけている方に属する人間だ。ピアスこそあけていないものの、表向きにはパーマ・染髪禁止の学校でゆるくパーマのかかった茶髪をして、制服まで着崩しているとくれば、十分ヤンチャ系と言っていいだろう。そうじゃなくとも、隣にいるのがこのよーくんであれば周りがそういう風に見ることはわかりきっている。
 一方、昨日篤志に告白してきたあの加賀は、篤志たちのタイプと比べれば正反対。月とスッポン。不良と優等生。……そう、優等生。うそつきだというその点に関してだけは生活指導の先生をも困らせるほどの問題児だとしても、逆にその一点を除いてしまえば、加賀はびっくりするほどの優等生なのである。
 前述したとおり、加賀はこの高校に入学してからずっと学年トップの成績をキープし続けている。弓道部では全国大会常連になるほどの成績をおさめて、次期部長との噂も立っているほどだ。
 シャツのボタンはしっかり一番上まで留めるし、学校指定のネクタイを締め、やはり学校指定のセーターを着ている。髪は痛みなんて知ることのない漆黒のどストレートで、もちろんピアスもあいていない。なかみが優等生なら、そとみも優等生なのである。
 そんな加賀が、いったい全体どうして篤志のような人間に興味を持ったのか。自分のことながら篤志には理解できなかった。

(ま、加賀みたいな人間の考えることなんて、俺なんかにわかるわけねぇんだけど……っと、なんだ?)

 廊下の先がなにやら騒がしい。ただの昼休みのざわめきにしては少々過剰なくらいに。この角を曲がった先にあるのは、たしかA組やB組の教室ではなかっただろうか。と考えて、A組、という部分が篤志の足を止めた。

「あっくん? どーした」

 数歩先で同様に立ち止まったよーくんが、不思議そうに振り返る。ピアスをいくつもつけた不良のくせに、きょとんとした顔だけは年相応に幼いのがちょっとだけおかしかった。

(たしか、A組って……)

 加賀のクラスじゃなかっただろうか。思い当たったとき、噂をすれば影とばかりに加賀がひょっこりと曲がり角から顔をのぞかせた。と同時に、篤志の空腹がみるみる引っ込んでいく。

「あ、今井」

 きゃあっと上がる歓声をバックに、ちょうどよかった、と加賀は微笑む。やわらかく細められた目を見た途端、忘れかけていた「ネタばらし」への恐怖心が再び顔をのぞかせた。さっきまであれだけうるさかった篤志の腹の虫は、すっかり静かになっていた。

「加賀くんだぁ! こっちの廊下で見るの珍しいね」
「A組とB組、隔離されてるもんね」
「こんなに近くで見れるなんてラッキー!」

 突然の加賀の登場に、女子達は色めき立っている。

「げっ、加賀だぞ」
「あいつ、今度はどんな嘘つきに来たんだ?」
「知ってるか? あいつがこないだついたって嘘。相当えげつなかったらしいぞ」

 一方男子達は、関わりたくないとばかりに声を潜め距離を取り始める。
 篤志も、昨日までなら「珍しいなぁ」とか他人事のような感想を抱きつつ加賀の隣をすり抜けて、その他大勢の人混みにまぎれて、そのまま購買へ向かっていたことだろう。けれど今は、篤志を真正面に捉えた加賀の瞳が、篤志が通りすがりのその他大勢に加わることを阻んでいる。
 周囲のざわめきがひときわ大きくなるなかで、加賀がゆっくりと口を動かす。これだけあたりがうるさいにもかかわらず、篤志の耳には加賀の声がいやにはっきりと届いた。

「今井、購買いくの? だったら一緒に行かない?」

 えっと声をあげたのは篤志じゃない。斜め前にいたよーくんだ。よーくんは加賀を振り返って、篤志をもう一度振り返って、さらに加賀を振り返ってから、篤志のもとへと慌てたように寄ってきた。

「えっ、ちょっ、あっくん?! あっくん、アイツと仲良かったっけ!?」

 「アイツ」の部分で思いっきり加賀を指差してしまうあたりが、よーくんがヤンチャ系である所以だろう。本人以上にわたわたとしているよーくんに、篤志は、ふるふると首を横に振って否定の意を示すことしかできなかった。
 だって、たぶん、この廊下にいる誰よりも一番、篤志自身が加賀からの誘いに驚いていた。



 そのあと、よーくんに「いつ知り合ったのか」「どこで知り合ったのか」「いつの間に仲良くなったのか」などと加賀との関係についてアレコレ聞かれたことは覚えている。けれどそれらの質問になんて答えたのかはあやふやなままに、篤志はなぜか購買に来ていた。それも加賀とふたりで、である。

(……視線が、痛い)

 ただ黄色いばんじゅうにどっさり積まれた惣菜パンを見ているだけだというのに、篤志の体には、四方八方からさまざまな視線が突き刺さっていた。隣に学校一の有名人・加賀がいるからというのも、無論大きな理由だろう。けれどそれ以上に、加賀の隣にいるのが篤志だからというのがその原因だろうと篤志は思っていた。
 事実として、購買に来る途中にすれ違った同学年の女子生徒たちは、軒並みふしぎそうな顔をしていた。

「なんで加賀くんとあいつが一緒にいるの?」

 と、きっとそんなところだろう。
 不良と優等生。クラスも部活も、委員会も違う。出身中学も違えば共通の友人もいない。それなのに加賀の隣に立っているということがあまりにも奇妙すぎて、篤志には踏みしめた床がなんだかぐにゃぐにゃしているように感じられた。

「……い、今井?」
「えっ」

 はっと我に返る。隣を見れば、カツサンドのパックを右手に持った加賀が、篤志の前でひらひらと左手を振っている。

「今井、いまぼーっとしてたデショ」
「あ、うん」
「おれと居るのにぼーっとしてるなんて、なかなかいい度胸してるじゃん」
「へ」

 それって、どういう意味だ。問うよりも先に、加賀はふっと小さく笑むと、カウンターの向こうにいるエプロンをしたおばちゃんにカツサンドを手渡した。

「これ、お願いします」
「はいはい、いつもありがとうね。二三〇円です」

 おばちゃんの声を受けて、加賀は財布を漁る。小銭を探す横顏を、篤志は、加賀がぴったり二三〇円を探し出すまで見つめ続けていた。

(……あ。加賀、泣きぼくろがある)

 加賀の左の目尻、向かって右の目尻の下にはちょんと小さなほくろがあった。加賀みたいに切れ長な目の下に泣きぼくろだなんて、ずるい。なにがずるいのかなんてわからないけれど、篤志はそう思った。

「はい、ちょうどね。じゃあこれ、カツサンド」
「――え? カツサンド?」

 突然、加賀が怪訝そうな声をあげる。カツサンドのパックを差し出していたおばちゃんも、ぴたりと笑顔を固まらせた。

「おれ、コロッケパン出しませんでしたっけ」

 どこまでもまじめくさった声と顔で、おばちゃんを疑うように目を眇める加賀。おばちゃんはわずかな焦りを表情ににじませたが、すぐに加賀の口元に浮かぶ緩やかなカーブに気付いたらしい。弱ったような呆れたような当惑したような、なんとも言えない苦笑を噛み殺した。

(――ダウト、)

 篤志が心のなかでつぶやくのと、おばちゃんがぷっと吹き出すのとはほぼ同時だった。

「やあね、加賀くんったら。おばさんをからかうのはやめてって、もう何回も言ってるじゃない」
「あーあ、なんだ、ばれちゃった?」
「そりゃあね、いい加減、物覚えの悪いおばさんにだってわかるわよ。いままであなたに何回嘘つかれてきたと思ってるの? はい、じゃあこれ、カツサンドね」

 おばちゃんは今度こそ加賀にカツサンドを手渡した。加賀も今度はすんなりと受け取る。

(加賀って、ほんとに嘘つきなんだな……)

 加賀の嘘にまつわる噂は、これまでにいくつも聞いてきた。けれど、本当に加賀が嘘をついているところを、篤志が直接リアルタイムで見るのはこれが初めてだ。呼吸をするかのようなそのなめらかさに、さっきカツサンドを持っているのをちゃんと見ていたはずなのに、一瞬本気で「あれ、コロッケパンだったっけ?」と自分の記憶を疑ってしまいそうになった。これじゃあ本当に、いつどんなタイミングでネタばらしをされるかわかったものじゃない。
 篤志が無意識のうちに背筋を伸ばしたとき、ふっとおばちゃんの目がこちらを向いた。

「きみは? 今日も焼きそばパン?」
「えっ、あ、ハイ」
「はい。それじゃあ一一〇円ね」

 慌ててスラックスのポケットに手をつっこみ、直に放り込まれじゃらじゃら音を立てている小銭を引っ掴む。数枚まとめて鷲掴みにしたてのひらを開けば、ちょうど百円玉と十円玉がそれぞれ混ざっている。それを一つずつつまんで差し出せば、おばちゃんは「はい、ちょうどね」とにっこり満面の笑顔をくれた。
 テストで百点を取った子を「いい子ね」と褒める小学校の先生とのそれと似た、あたたかくてやさしい笑顔に、篤志はなんだかいたたまれなくなる。こういうのはきっと、篤志のような人間よりも、加賀のような人間のほうが似合うだろうから。
 どう反応したらいいかわからないままに、篤志はばんじゅうのなかから焼きそばパンをひとつ掴み上げる。
 ぺこりと頭を下げて、そわそわした感情に急かされるがままに踵を返した。ぺたぺたと、踵を踏んだ上履きが間抜けな音を立てる。その後ろを、すたすたという小気味の良い加賀の足音が追いかけてきていた。

「今井、いつもそれなの?」

 篤志の手のなかの焼きそばパンを指差して、加賀は好きなのかと問うてくる。

「まあ、なんとなく。安いし」
「確かに、安いね」

 好きなのも嘘ではないが、わざわざそう口に出すのは今の篤志にはすこし憚られた。

「……加賀、は?」
「おれ?」
「加賀は、なにが好きなんだ?」

 聞くつもりなんてなかったことを聞いてしまったのは、ついうっかり以外のなにものでもなかった。
 相手は、購買のおばちゃん相手でもさらりと嘘をついていたような加賀だ。こんなことを聞いたところで、本当のことを答えてくれるかなんてわかりやしない。それどころか、嘘の答えを返される可能性のほうが高いだろう。だというのに、どうして聞いてしまったのだろう。
 どくん、どくん。篤志の心臓がどんどんとうるさくなっていく。いったいなんと返されるのか。どんな嘘が返ってくるのか。体を強張らせ、篤志は全神経を耳に集中させる。それをよそに、加賀は

「うーん、そうだなぁ」

 と、呑気にも顎に手を当てて考えている様子だった。答えを探すように、涼しげな視線が右へ左へ二転三転する。

「おれはやっぱりこれかな」

 思案の末に、加賀は「これ」と手にしていたカツサンドを持ち上げて見せた。さきほど嘘をついていたときの意地の悪いものとはちがう穏やかな横顔からは、それが嘘なのかどうかはわからなかった。

「それも、嘘なのか?」

 懲りずに追及してしまうあたり、篤志には学習能力というやつがない。

「さあ?」

 切れ長の目をいっそう細く鋭くさせた加賀が、わざとらしく首を傾げてみせる。頬にかかっていた毛束がさらりと流れて、白いうなじがあらわになった。演技がかったそんな一連の仕草で、たちまち、狐の面で顔を覆い隠したかのように加賀の考えが読めなくなる。本心を悟らせたくないのか、そんな深いところまでは関わるなという拒絶を示しているのか。どうなのだろう。

「今井はどっちだと思う? 嘘か、本当か」
「俺は……」

 どちらだと思っているのだろう。嘘と本当、どちらならいいと篤志は願っているのだろう。
 考えあぐねているうちに、二人は二年の教室がある階まで戻ってきていた。この角を左に進めば加賀の教室のほうへ、右へ進めば篤志の教室のほうへと出る。いわゆる分かれ道だ。

「残念、時間切れだね」

 篤志の答えを聞かぬうちに、加賀は、迷いのない足取りで左側の道へと踏み出した。肩越しに篤志を振り返って、買ったばかりのカツサンドを持ったままにひらひらと手を振ってみせる。

「それじゃあ、またね、今井」
「あ、ああ……またな」

 つられて篤志も手を振り返した。あまりにもあっさりとした別れかたに、あっけに取られてしまう。
 完全に、加賀に振り回されている。わかっていても、あの意味深な笑みと緩やかなカーブを描く唇、涼やかな目元を見ていたら、それも悪くないななんて篤志は思い始めていた。ベタ惚れだ。そんな自分が情けなくなって、意味もなく耳の裏を掻く。
 教室に戻ったら、またよーくんからの事情聴取が始まるのだろうか。答えられない問いをいくつも投げかけられることを思うと憂鬱だが、いつまでもここに突っ立っているわけにもいかない。このままでは貴重な昼休みが終わってしまう。重い足を引きずるようにして、篤志は廊下の右側のほうへ歩き出した。一歩、二歩、三歩。四歩目を踏み出したところで、妙な違和感に足を止める。

「……『またね』ってなんだよ、『またね』って」

 また、というのはたぶん、次があるから出てくる言葉だろう。ということは、加賀のなかではまだ次があるということなのだろうか。特に深く考えることもなく同じ言葉を返してしまった数分前の自分を、篤志は思い切り殴りつけたくなった。
 そういえば「うそだよ」のネタばらしがなかったなと気づいたのは、教室に戻って焼きそばパンを食べ終え、空になった包みをゴミ箱に捨てるときのことだった。



 加賀が言った「またね」の意味はすぐにわかった。
 放課後、空が黄昏色を深め始めたころ。委員会の仕事を終えた篤志が靴を履きかえて外に出ると、そこに加賀がいたのである。
 昇降口のすぐ目の前に設置された花壇には紫陽花の花が咲いている。淡い紫色をした八重咲きの額紫陽花だ。まだ満開にはすこし早い梅雨の名物の傍らで、制服のすそが土で汚れるのを気にする様子もなく、加賀は煉瓦の花壇に腰掛けていた。
 ぼんやりとコンバースのつま先を眺めている加賀を、あえて無視して通り過ぎるのもどうかと思い、篤志は渋々ながらも歩み寄った。

「加賀」

 ぱっと加賀が顔をあげる。自分にかかった影の主を見とめると、ふわりと、花のように笑顔がこぼれた。

「なにやってんの、お前」
「べつに。ちょうど部活終わったとこなだけだケド」

 ダウト、と篤志は心のなかですばやく唱える。
 今日、加賀の属する弓道部は道場に清掃業者が入る関係でもっと早い時間に終わったはずだ。それ以前に、こんな風に花壇に座っていて「ちょうど終わったところ」なんてわざとらしすぎる。
 疑念の視線を投げかけるも、加賀がそれを気に止めることはない。すくっと立ち上がると、足元に置いていたリュックをひょいと持ち上げた。

「今井、電車通学だっけ」
「そうだけど」
「じゃあ、駅まで一緒に行こ」

 おれもそっちなんだ、と平坦な声で篤志を誘う加賀だが。

(それも、ダウト)

 加賀はいつも徒歩通学のはずだ。加賀ファンの女子達が、いつだったか、加賀の通学手段について得意げに話しているのを聞いたことがある。事実として篤志は、この高校の唯一の最寄駅で一度も加賀の姿を見たことがない。

(そんなうそついてどうすんだろ、加賀)

 すぐに嘘だとばれてしまうような嘘をついたところで、一体なにになるのだろう。篤志にはわからなかった。代わりに、昼間の出来事といまのことと。今日一日を通して、加賀が間違いなくうそつきなのだということだけははっきりわかった。

(なら、やっぱり昨日の告白だってうそに決まってる)

 期待するだけ無駄だと言い聞かせるように、ダウト、と篤志は繰り返す。一方で、加賀の誘いに対し「いいけど」と条件反射のように頷き返してしまうのどうしてだろうか。
 やった、と少しも嬉しくなさそうな声でつぶやいて、リュックを背負った加賀が歩き出す。

(うそでも、べつに、一緒に駅まで帰るくらい)

 それくらいならいいんじゃないだろうか。誰が困るわけでも、傷つくわけでもないのだから。徐々に自分のなかで大きくなる「ダウト」の声に言い訳しながら、篤志はその隣を歩き始めた。
 篤志よりもやや背の高い加賀は、その分だけ手足も長い。足を繰り出すテンポは篤志と同じはずなのに、一歩一歩が大きいせいで、篤志はいつもよりもすこし大股で早足に歩かなければならなかった。
 駅までの道中は静かの一言に尽きた。一緒に帰ろうと誘ったのは加賀だったが、当の本人はとくに篤志に話しかけたりはしてこなかったからだ。時々、目に入ったものについて一言二言意見をかわしたり、思い出したように何事か問うてきたり。せいぜい、その程度の会話しかしなかった。
 けれどそのなかでも、篤志は加賀の姿勢が存外きれいなこととか、弓道部は毎週月曜が休みらしいこととか、加賀のリュックにかわいいひよこのキーホルダーがついていることとか、そのひよこが駅前のドラッグストアのマスコットキャラだということとか、加賀が猫よりも犬派で、とくに小型犬には弱いらしいことなんかを知った。
 反対に、篤志は加賀に、一年の春先によーくんの気まぐれで美化委員にさせられたことや、美化委員の担当教師がひどく人使いが荒いこと、自分は犬よりも猫派なことなどを話した。
 とはいえ、所詮は学校から駅までのほんの短い距離だ。十分するかしないうちに終わりがきてしまう。急に人の増えた夕方の駅前で、篤志と加賀は、どちらからともなく「それじゃあ」と手をあげた。

「また明日、加賀」
「……おう」
「昼に教室迎えに行くから。明日は、一緒に昼ご飯食べよう」

 さりげなく次の約束を取り付けてから、加賀は結局、改札を越えることなく手前でUターンしていった。だんだんと遠ざかり、人混みにかき消されていくまっすぐに伸びた背中を見送りながら、やっぱりうそじゃん、と篤志は唇を尖らせる。
 けれど、たった今加賀がくれた「また明日」という言葉だけは、簡単にダウトすることができなかった。どうせまた嘘なのだろうと思う一方で、本当であったらいのにと期待してしまう自分が、篤志の心のなかの、ほんとうに隅っこのほうに、確かにいたから。





(R18サンプル)

「うっ、く……っひ、あ、あぁっ……!」

 加賀のにおいで満たされた部屋に、性のにおいが色濃く充満し始める。耳馴染みのない、艶の混じった甘ったるい声は篤志のものだった。鼻にかかった媚びるような声が、半開きのまま閉じることのできない自分の唇から発せられるたび、篤志は羞恥から耳を覆いたくなる。
 だが今の篤志にはそんな気力すらなかった。否、全身を強すぎる快感に支配されているせいで、指先一つすら思うように動かせないのである。
 ぐちゅり、ぐちゅ、ずちゅ。きれいに整理整頓されたこの部屋に不釣り合いな粘ついた水音は、ほぼ全裸の状態でベッドに背を預けた篤志の、大きく開かれた足の間からしていた。そこには加賀が跪き、開脚した足が閉じないようにと篤志の太ももを押さえつけている。そうして加賀は篤志の硬くなったものをぱくりとくわえ、赤く色づいた唇で、舌で、喉で、ただひたすらに愛撫していた。
 ぐちゅぐちゅと音を立てながら顔を動かすたびに、加賀の髪がはらはらと乱れていく。視界をさえぎるそれが鬱陶しかったのだろうか。白い指先がさらりと前髪を掻き上げ後ろに流した。その一連の動作の流れのなかで、ふと加賀の目が篤志を捉える。角度の関係からか、ちょうど見上げるようなかたちになった。加賀の涼やかな目元がほのかに赤らみ、劣情をたたえて上目遣い気味に篤志を窺う。前髪のカーテンが取り払われた事により露わになった目元の泣きぼくろも相まって、その破壊力は抜群だ。存外自分は思っていた以上に加賀の顔が好きだったのかもしれないなと、篤志が自己認識を改めるのもつかの間。ぞわりとしたものが篤志の背筋を駆け上り、こらえる暇もなく、どくりと加賀の口内に熱を放った。
 突然のことに、加賀は口元を抑えて盛大にむせる。さあっと篤志の顔から血の気が引いた。

「げほっ! っ、はあ、ごほっ」
「わっ、悪い! 大丈夫か、加賀」
「や、まあ大丈夫だケド……」

 中途半端に切られた言葉に意味深な視線。加賀は白濁で濡れた唇をぐいと親指で拭うと、口元をにんまりと歪めた。

「今井、思ってたより早かったなって。案外、こういうの慣れてなかったりするわけ?」
「なっ……!」

 青くなったばかりの顔が、今度はかあっと真っ赤になる。篤志の表情筋は大忙しだ。

「あれ、もしかして図星?」
「図星って、なにがだよっ」
「今井、もしかしてこういう経験なかったの? って」

 暗に童貞なのかと問うてくる加賀に、篤志はぱくぱくと口を開閉させる。どうにかごまかしたいところだったがうまい言葉が浮かんでこない。篤志がああでもないこうでもないと言葉を探しているあいだじゅう、加賀はずっとにまにまと笑い続けていた。そのうち、篤志はようやく悟る。学年トップの頭脳を持つ加賀相手に、それも、元「学校一のうそつき男」相手に嘘をつこうだなんてはなから無理なのだと。
 諦めのため息とともに、篤志はばつが悪そうに視線をそらす。

「だったらなんか悪ィのかよ……」
「まさか」

 悪くないよと、加賀はあっさりと否定する。

「むしろおれは嬉しいケドね。今井のハジメテがおれで」

 にっこり。花のような笑みを咲かせると、加賀はちゅっと篤志の唇をついばんだ。ハジメテがどうのこうのと言われるのは複雑だし、いやだ。いやだけれど、加賀がこうも喜んでしまっていたら、篤志はもうなにも言えなくなってしまう。

(加賀が嬉しいなら、まあいいか)

 柄にもなく、篤志はそんなことを考えた。
 と同時に妙な既視感を抱く。なんだか以前にも、加賀と同じようなやり取りをしたような気がしたのだ。はて、一体いつのことだろう。記憶を遡ろうにも、熱に浮かされたこの状態で脳がまともに働くはずもない。まあいいかと早々に諦めると、篤志は思考を手放したのだった。





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