‖ あらすじ
ネットを中心とした音楽活動をしている鳥羽。ある日、絵師としてずっと活動を支えてきてくれていた「稲荷」が東京に引っ越してくることを知る。
ずっとネットでの通話を断られ続けていたこともあり、「絵と一緒でかわいい人なんだろうなあ」というほんのちょっとの下心と、いつもお世話になっているから、という感謝の気持ちから一緒に食事をする約束を取り付ける。
そうしていよいよ、約三年越しの対面を果たすこととなるが……。
‖ 本文サンプル
『動画を投稿しますか?』
ピコン、という音とともにポップアップウィンドウが開く。そこに表示されたどこか素っ気ない一文に、俺の心臓はどきりと大きく跳ねた。
たぶん、この緊張感にはいつまでも慣れることはないんだろう。だってもう十数回とニカニカ動画に投稿しているのにこれなんだから、あと何回繰り返したって改善される気はしない。
(まぁ、俺がドヘタレチキン野郎だから、ってのもあるかもだけど)
むしろその可能性のほうが高いなと、自分で考えておいてちょっとだけヘコむ。俺がこんな情けないやつだって知ったら、俺の動画の視聴者さんたちはどう思うんだろう。一気に再生数ガ落ちしたら笑えるな、なんて全然笑えないくせに思ってみたり。
……ああ、いや、そうじゃない。今問題なのは、俺はヘタレなのかどうかとかそんなことじゃない。動画―そうだ、動画。この動画を本当に投稿して大丈夫なのか。そこが問題なのだ。
(動画自体は間違って……ない。タイトルもこれでよし、投稿者コメントも、タグロックもこれでいい、はず)
過去の十数回でもやってきたのと同じように最終チェックをしてから、どきどきうるさい心臓をスウェットの上から押さえつける。
『動画を投稿しますか?』
相変わらず冷たい表情でそこにいる一文を、親の仇のようににらみつけた。震える指先でおそるおそるマウスを動かす。カーソルを「はい」のボタンに合わせて、クリック。カチリ、と小さな音がワンルームの部屋に響いた。
ページを読み込んでいることを示すサークルが、カーソルの位置でくるくると回る。やがてパッと画面が切り替わり、『動画を投稿しますか?』の代わりに『動画が投稿されました』の文字が俺の眼前に映し出された。
「はぁーっ……」
無意識のうちに呼吸を止めていたらしい。肺のなかに溜まった空気をすべて吐き出せば、なんとも情けない声が出た。デスクチェアに思い切り背を預ける。ぎしり、ときしんだ音がした。だらりと両腕から力を抜いて、天井を見上げる。
(つっ……かれたああああ)
これも、動画を投稿するたびに思うことだ。
曲を作ってる途中とか、投稿者コメントをどうしようかなんて考えてるときとかはまだ楽しい。けど、いざ投稿するとなるとすごく疲れるのだ。本当にこれで大丈夫かなと
か、全然再生数が伸びなかったらどうしようとか、一気に不安になってしまうから。
けど、それも『動画を投稿しますか?』とのにらめっこにさえ勝ってしまえば、もうなんてことはない。「なるようになれ!」と逆に開き直って、あとはその後の流れに身を任せるしかなくなるからだ。
「でも、ほんと、マジで疲れた……ここんとこ、大学のレポートとかテストとかすげぇ被ってたからなぁ……」
思えば長かったなぁなんて、ここ一ヶ月ほどのことを思い返して、ちょっとだけ遠い目になる。
独り言にしてはデカすぎる声でのつぶやきだったけど、誰もそれを気にする人はいない。なぜなら俺は、このワンルームマンションに一人暮らしをしているから。一人っていい、快適だなって、こういうときにすごく思う。
パソコンデスクからちょっと距離をとって、くるくるとチェアを回す。大学のテキストやプリントが押し込められた本棚、ぎっしりとCDの詰まったラック。大小様々なギターアンプに、タンス代わりのプラスチックケースと、数本のギターが立てかけられたスタンド。並んで置かれたシンセサイザーと録音用のマイク。
ちょっと異質な機材が混じった、それでも見慣れた自分の部屋の景色が右から左へとひゅんひゅん流れていった。カーペットなんていう洒落たものは敷いていない。キャスターとフローリングが擦れるガラガラという音が容赦なく響き渡っていた。
ちなみに今の時間は夜の十時だ。場合によっては、うるせえ! と左右もしくは下あたりの住人に壁ドン天井ドンされてもおかしくはない程度には、うるさい。けど、怒鳴り声と一緒にドンされることはないって俺は知ってる。知ってるから、気兼ねすることなくガラガラくるくると、自然にチェアが止まるまで回り続けた。
俺が住んでいるのは、都内の中心部からちょっと外れたところにあるワンルームのマンションだ。しかも、ミュージシャン向けのちょっと本格的な防音加工つきの。だから俺がどれだけデカい声で独り言をこぼしても、椅子をガラガラ回し続けても、真夜中にギターをかき鳴らしてリサイタルを始めても、誰にも迷惑がかからないのである。
一介の大学生である俺が、なんでこんな家賃の高そうな――実際にそれなりに高いマンションで一人暮らしをしているか、というと。
それは俺が、巷で十代から二十代の女性を中心に人気の、ボケロPだから、である。
「……あ、ツイッターで新曲の宣伝しなきゃ」
鳥羽武文、二十一歳大学生。ボケロP、やってます。
ボケロPとは。
ボーケロイド系のジャンルにおける、ニカニカ動画の動画製作者及び投稿者のこと。ボーケロイドなど歌唱合成ソフトを用いた楽曲の作者を示すこともある。
……以上、ニカニカ大百科より引用。
俺がボーケロイドの世界に足を踏み入れたのは、高校三年の秋のことだった。
当時の俺は、AO入試で周囲より一足先に大学受験を終えていた。けれど、周りは当然のことながらみんな受験勉強の真っ只中で、俺は完全に時間を持て余していた。端的に言うと、ヒマだったのだ。やることがなくて、ただでさえ友達が少ない俺につき合って遊んでくれる相手なんているはずもなかったから。
午前授業のみで終わったとある日に、たまたま家電量販店でボーケロイドソフトのパッケージを見かけたのがきっかけだった。
「ボケロかぁ……」
ボーケロイドとその楽曲の存在は、それよりも前から知っていた。ボーケロイドにどんなキャラクターがいるのかも、ボーケロイド楽曲の同人CDがあることも知っていた
し、そういったCDも何枚か持ってた。好きな曲や好きなボケロPを聞かれて、あれとかあの人とか、って言える程度には知識があった。
小さい頃からギターをかじっていた身として、いつかああいうので曲を作ってみたいな、なんて思ったときもあった。
(やってみるか、ボーケロイド)
ぶっちゃけてしまうと、友達が少なく一緒に音楽をやってくれる仲間なんていない俺としては「一人でも色んな音楽ができる」っていうのはすごく魅力的だった。
だって、リアルじゃ複数人いないとできないようなバンドサウンドのミュージックでも、パソコンや専用のソフトを使うことで一人で奏でられるんだぞ。そんなの、わくわくするなっていうほうが無理だ。
そんなこんなで、俺は高三の冬に初めてボーケロイドを使った曲をニカニカ動画に投稿した。
まだボケロの調教がうまく出来なくて、電子感丸出し機械感いっぱいの歌声に、つたないギターと打ち込みのドラム、へたくそなキーボードだけで構成された曲。
動画なんて、適当にとった雪だるまの写真に歌詞を入れただけのものだった。その上投稿者コメントには「冬っぽい曲です」の一言だったんだから、今思えばひどいもんだったなと思う。
そんな、後から色んな人に
「いくらなんでもそっけなさすぎるだろ」
と半笑いになりながら言われることとなった動画は、予想外なことにびっくりするほど伸びた。再生数が。……とは言っても、それは「処女作にしては」というレベルの話だけど。
それが三年経った今じゃ、百万再生楽曲をいくつも抱えた『人気ボケロP』だ。人生、なにどうなるかわかったもんじゃない。
けど、俺がここまでのボケロPになれたのは、ひとえに、俺専属の絵師さんをしてくれている『稲荷ナリ』さんの存在があるからこそだと、俺は思っている。
『とりっP@toritori-P:春っぽい曲です。よろしくです』
投稿したばかりの動画のURLと一緒に、短くそうツイートする。たちまち、ものすごい数のリツイートとリプライ通知が来た。
『!!!』
『うわあああああ、とりっぴーの新曲キタコレ!』
『これは聞かねば』
『待ってましたー!』
顔も名前も知らない誰かの、俺への反応。そのひとつひとつにゆっくりと目を通しながら、俺は、口元の筋肉がだらしなく緩んでいくのを感じた。だって仕方ない。こんな
風に自分の曲を待ち望んでいてくれた人が居るってわかって、嬉しくないわけがないだろう。
嬉しくなると同時に、ちょっとだけホッとしている自分も居た。
(とりあえず、首の皮一枚はつながった……か)
まだ今回はセーフだったのかと、いまだに飽きられないで済んだらしいことに胸を撫で下ろす。
ボケロ業界は、とにかく流行り廃りの入れ替わりが激しい。ちょっと前には人気だった曲が、一ヶ月もしたらもう見向きもされなくなっているなんてことはよくある。
それは、曲だけじゃなくボケロPに対しても同じことだ。今は俺もこうやってたくさんの反応を貰えているけど、そのうちきっと、宣伝ツイートをしたって見向きもされなくなるんだろう。そう思うと少しだけ寂しかった。
センチメンタルなことを考えている間も、俺のてのひらのなかでiPhoneはブーブーと通知音を鳴らし続ける。止まることのないそれに感謝の気持ちを抱きつつ、俺はiPhoneの通知をオフにした。
(ありがたいのはありがたいけど、やっぱ、ずっと鳴ってると鬱陶しいもんな)
それはそれ、これはこれ、というやつである。
いったんホーム画面に戻ったところで、次いで、俺はラインの緑色のアイコンをタップした。少ない「友だち」一覧のなかから選ぶのは「稲荷ナリ」というHNの狐面のアイコンのユーザーだ。
ちなみに俺のHNは「とりっP」。ボケロでのP名そのままである。俺はそもそものリアルでのあだ名が「とりっぴー」だったから、大学の知人友人達にも、特に怪しまれたことはなかった。
鳥羽、だからとりっぴー、なんていう単純すぎるあだ名に、このとき初めて感謝した。
『稲荷さーん!』
『はぁーい、どうしました?』
『予定通り新曲動画投稿してきました!ので、お知らせに!』
呼びかければすぐにレスポンスが来る。先ほどツイートしたのと同じURLつきでそう返せば、びっくりマークのスタンプが返ってきた。
『うわああああ、ついにですか!』
『投稿するの、めっちゃ緊張しました』
『ちょ、ちょっと、あの、せんでんツイしてきます!』
きりっとした顔文字付きで稲荷さんはそう言う。そう時間を置かないうちに、パソコン画面に映ったタイムラインのトップに稲荷さんのツイートが現れた。
『稲荷ナリ@fushimi-inari:とりっPさんのしんきょくのイラストかきました。ゆるふわせつなかわいい春のうたです』
『稲荷ナリ@fushimi-inari:こんかいどうがもがんばったのでよろしくです!』
二つ並んだ稲荷さんのツイートは、ほとんどひらがなばかりだ。前に聞いた所によると、ツイッターやラインはいつもスマートフォンからしていて、いつまで経ってもフリック入力に慣れることが出来ないから、っていうのがその理由らしい。
なんにしても、そんな稲荷さんのツイートを見て俺が思うことはひとつだけ。
「ゆるふわかわいいのはアンタだろ……ッ!」
もちろん、そのふたつのツイートは秒速でお気に入り登録した。
そして、信じがたいことに、このゆるふわかわいいツイートの主こそが、俺専属の絵師さんである稲荷ナリさんだったりする。こんなかわいい感じの人が?って、俺自身、今でも信じられないけれど。
さっきの俺のツイート同様、稲荷さんのツイートがどんどんリツイートされていく様子を眺めていると、またラインのほうにメッセージが来た。
『ふわー、すごいいきおいでのびてますねぇ』
『ほんと、ありがたいです。稲荷さんのお陰ですね』
『えぇーっ! そんなことないですよ〜とりっぴーさんの
じつりょくってやつですよ!』
稲荷さんは、謙遜なのかなんなのかそんなことを言う。俺の曲がここまで評価されるようになったのは、確実に稲荷さんのお陰なのに。
だって、俺の初投稿作品は処女作にしては再生数が伸びたほうだけど、それでも殿堂入りには満たないくらいだった。それが、稲荷さんとの初コラボでもある二作目ではいきなりミリオン突破である。
いくら「せっかくイラストを描いてもらえるなら」って気合い入れて処女作よりもがんばって作った曲だからって、それだけでそこまで急に伸びたりはしないことを、俺はよくわかってる。だから、俺がこんな風になれたのはすべて、稲荷さんのお陰だ。それ以上でも以下でもない。
どれだけ色んな人にファンだって言ってもらえても、初めて刷った同人CDがイベント開始一時間もしないうちに完売しても、商業のコンピレーションアルバムに声をかけてもらえても。自分の身の程くらいわきまえている、つもりだ。
稲荷さんの絵はどれも、水彩のやさしく淡い色遣いが特徴だ。やわらかく繊細なタッチの線画と、光が溢れるような透明感のある作品の数々に、俺も何度も目を奪われ呼吸を止められ、心臓をわしづかみにされてきた。
稲荷さんの作品はよく、パソコンの画面の向こうに吸い込まれるようだとか、情緒豊かだとか言われているのを聞く。
そんな稲荷さんのイラストと、生ギターのアルペジオが特徴の、ちょっとセンチメンタリズな俺の曲は、びっくりするほどフィットした……らしかった。俺と稲荷さんの初コラボとなったその動画を見てくれた人曰く。
俺は、フィットどころか「こんなにすてきな稲荷さんの作品の後ろで流れているのが俺なんかのこんな曲で良いのか?」という疑問と不安しか抱いていないから、どうにもピンと来ないけれど。世間一般的な意見としては、そういうことらしかった。
そんなこんなで、新人にしては驚異すぎるスピードで二作目の動画が殿堂入りして以来、俺はずっと、稲荷さんと一緒に動画を作ってきた。
時には細かく描き込みのされた独特の世界観を持った一枚絵を、曲に合わせて描きおろしてもらったり。また時には、実写まじりのハイセンスすぎる動画までつけてくれたり。あるときには、どうしても歌詞の思いつかなかった曲を稲荷さんに丸投げして、作曲をしてもらったこともあった。
今回だって、俺は「春っぽい曲です」と、相変わらず適当な説明しかせずに曲と歌詞のデータを送ったというのに、稲荷さんは、一ヶ月もしないうちに俺がイメージしていたそのままの動画を送り返してくれた。
「もしきになるところがあったらいってください! いくらでもなおしますので!」
なんて稲荷さんは言ってくれたけど、気になるところなんてあるはずもない。あったとしても、「なんで俺がこういうイメージで作ってた、ってわかったんですか?」とかそういうのくらいだ。それくらい、稲荷さんの仕事は完璧すぎた。
本当、稲荷さんには頭が上がらない。どうして俺以外の人からのイラストや動画の依頼はすべて断って「俺専属」なんて形で活動しているのかだけは、未だに謎だけれど。
『でもほんと、はやく春になってほしいですよね〜』
『あー、ですねー』
『もうさんがつなのに、まいにちさむくてさむくてたまらないです』
続けざまに困った顔のスタンプを送られる。なんだかかわいらしいそれを見て(あ、そっか)と俺は以前聞いたことを思い出した。
『そういえば稲荷さん、北海道でしたっけ』
『ですー』
『やっぱりそっちは寒いですか?』
『はいー。いまだに雪がひどくて、おうちからでたくないです』
今もこたつむりなうですよ、と稲荷さんは教えてくれた。こたつむりって、なんだそれ、かわいい。こたつ布団にすっぽり肩まで埋まった状態で、床に寝転びながらスマフォをいじってい稲荷さんの姿を想像する。ぷっ、と思わず笑いがこぼれた。
『あっでもでも、こんどひっこすんですよ〜』
『え、どこにですか?』
『それが、なんと!
じゃじゃーん、とーきょーでーす!』
「……え、まじで」
知らず知らずのうちにそう声を漏らしていた。部屋の壁に反響して戻ってきた自分の声を聞いてハッと我に返る。うっかり取りこぼしそうになったiPhoneを、慌てて構えなおした。
『まじでさか』
――あ、誤字った。
『まじですか』
『とりっぴーさんあわてすぎです。そんでもって、まじです!』
こんどからボマスいけるんですよ〜!という稲荷さんの文からは嬉しさからにじみ出ていた。
ボマスというのは、ボーケロイド系の同人CDや同人誌の即売イベントのことだ。会場はいつも東京だから、北海道在住で滅多に東京まで出て来れない稲荷さんは、開催が近づくたびにツッターで「うらめしやー」なんてつぶやいていたっけ。
稲荷さんにジャケットイラストを担当してもらった俺のCDとかも、送りますよって言っても「なんだかまけたきがするから」って、断られたくらいだし。直接参加できるまでとっておいてください、って稲荷さんは言っていた。
そういえば、俺が稲荷さんが北海道住みだってことを知ったのも、ボマス関連の話をしてたときのことだった。あのときは、俺がはじめてボマスにサークル参加してみることにしたっていう報告をして、「とりっぴーさんのきねんすべきさーくる初参加なのにいけないなんて!」って、ずいぶん悔しがられた。
あれももう二年以上前のことになるのか。なんだか懐かしい。
しみじみと昔を思い出したところで、俺はふと気付く。
(もしかして、稲荷さん東京に引っ越してくるってことは、稲荷さんに会える、ってことか……?)
そう考えると、最初はどこか遠い出来事のようだった「稲荷さんの引っ越し」という出来事が一気に身近なものになってくる。と同時に、ずっと俺のなかで二次元のアニメキャラクターみたいにぼんやりとした存在だった稲荷さんという人が、急にはっきりとした輪郭を持ち始めた。
(稲荷さん、どんな人なんだろ)
絵の感じと、ツイッターやラインでやりとりしているときの雰囲気からして、たぶん女性なんだろうとは思う。イメージ的には、ふわふわとしたウェーブのかかったロングヘアーに、花のモチーフのついたヘアピンとかが似合いそうな、そんな女性だ。完全なる妄想だけど。
ちょっとだけ照れくさそうに「初めまして、稲荷ナリです」なんて風に俺に微笑んでくれる稲荷さんを想像したら、うっかりドキリとしてしまった。
(ぜったいかわいい、間違いなくかわいい)
こんなこと言ったら「童貞乙」とか言われるに違いないけど、あんなにかわいくてすてきな絵を描く人が、かわいくてすてきな人じゃないわけがない。
会ってみたいな、とこれまで考えもしなかった欲求が沸き上がる。今まではそもそも会えるわけがないのだと思っていたから「会いたい」なんて考えなかったけど、いざ会える距離になるのだと思ったら、どうしても一度だけでも会ってみたい気持ちでいっぱいになった。
(出会い厨っぽいかな……いや、出会ってからもう三年くらい経ってるし、出会い厨ではないよな?)
ネットでのつながりだけっていっても、三年間ももうつかず離れずの距離ながらも関係を持ち続けてるんだ。出会ったきっかけがネットとは言え、ふつうに友人・知人の関係だ。だったら、会ってみたいって思うのはふつうのことだろう。……うん、そうに違いない。
自分にそう言い聞かせて、それでも、きっとかわいい女の人なんだろう稲荷さんに対して下心的なものが含まれているのは否めないまま、俺は、おそるおそる指を動かした。
『じゃあ、今度会いませんか?』
あ、これ、出会い厨感はんぱない。
自分で打ち出しておきながら、ラインの画面に表示された自分の発言に内心で軽く引く。吹き出しの横に「既読」の文字が表示されたのを見て、慌てて再び文字を入力した。
『あの、今までのお礼もしたいですし。メシでも行きましょうよ』
おごるんで、とも付け加える。これはお礼、これはお礼だ。お礼以外になにもやましい気持ちはない。ぐるぐるぐるぐる、初めての感覚に沸騰しそうな脳内で繰り返す。お礼の二文字がどこか白々しいのはご愛嬌、といったところだ。
今度の発言にも、すぐに既読マークがついた。けれど、稲荷さんからのレスポンスはない。入力があんまり早くはなくて、変換もミスが多いから苦手だという稲荷さんだけど、大抵の場合スタンプだったりびっくりマークだけだったり、どんな形でもすぐに反応してくれていたのに。
(そういえばいつも「フリック入力苦手なら通話しませんか」って言っても、絶対断られてたっけか……)
もしかして稲荷さん、身バレとかすごい気にする人なんじゃないだろうか。そうじゃなかったら、やっぱり俺の下心が隠しきれてなくてドン引きしてるとか?
どちらにしても不安要素しかない。妙な空白に、もはや断られる未来しか見えなくて、やぱり変な勇気を振り絞って誘ったりなんかしなければよかった、と数分前のことを盛大に後悔し始めたとき。
ピコン! と通知音が鳴って、てのひらのなかでiPhoneが震えた。ハッとしてちいさな液晶にかじりつけば、トーク画面の一番下に、新たな発言が追加されているのが目に入る。
『いいですねぇ〜ぜひぜひ!』
俺のここ数十秒間での葛藤はなんだったのか、と拍子抜けするほどの軽い了承の返事。
「……よ、よかったぁ〜」
あたりに響き渡った情けない安堵の声に、一人暮らして良かった、と俺はどこか的外れなことを思ったのだった。
〜中略〜
(以下R18サンプル・本編ネタバレ?あり)
「んッあっ、あぁっ!……ッうぁ、ひゃっ、やあっ!」
もう、どれだけこうしているのだろう。それすらわからなくなってしまうほど長いあいだ、俺は匠司さんに乳首をいじられ続けていた。
初めは、親指と人指し指を使ってクリクリとつままれた。時折ぎゅっと力を入れられて、はじめは痛いだけだったそれが徐々に背筋がしびれるような甘さに変わっていった。
男のくせに男に乳首いじられて感じているってことにスゲー自己嫌悪した。
次に、触れるか触れないかのきわどいところを太い指の腹で撫でられた。つままれ続けて真っ赤に腫れあがった乳首の先っちょを、ペンだこのできた固い皮膚が何度も掠めていく。直接的な快感にはなかなかつながらないもどかしい刺激に、俺の乳首は完全に勃起した。
立ち上がりしっかりと自己主張する二つの乳首が、あえて焦らしてくる匠司さんに「もっと!」とせがんでいるようで、俺は目を覆いたくなった。
さらに匠司さんは、ぷっくりとしたそれを人指し指でピンッと弾いてきた。たまに中心の割れ目みたいなところを爪でひっかいてきたりもした。そのあたりから、もはやジンジンするとかそういうレベルを通り越して、俺の乳首は感覚をなくし始めてきた。
けど、そのくせして快感だけはしっかりと拾ってくれてしまうものだから厄介である。「きもちいい」という感覚だけは麻痺せずに、それどころか、どんどん強くなって俺の体の熱を高めていく。
(ほんと、もう、いっそ殺してくれ)
キュッとかなり強めに乳首つままれるのが気持ちいいこととか、匠司さんの皮膚のざらざらした感触が案外気持ちいいこととか、爪でえぐられるようにされるとたまらないということとか。そんなの、一生知りたくはなかった。最悪だ。
けど、もっと最悪なことがある。
「鳥羽くん、すごいね。先走りダラダラじゃん」
ちょーエロイ、と匠司さんは軽い口調で言って、またピンッと俺の乳首を弾いた。
「やっあ、あっあぁん!しょーじさっ、しょうじ、さんっ。も、やぁ……」
「ははは。あー、もう。超たまんね。ほんと鳥羽くんかわいい」
「ッ、ひあっ!?あぁっ、ああぁぁ……」
俺の体に宿った熱は、最初は、いわば種火みたいな小さなものだった。それがいつの間にらじわじわと下腹部を中心に全身へと広がっていって、今はもう、全身が火照っていた。熱でも出たのかと思うくらいにあつくてあつくて仕方ない。頭だって、インフルエンザのときのようにぼんやりと靄がかり始めていた。
そんな中で、一度も肝心のちんこに触れられないままに絶妙な快楽を与えられ続けてみろ。勃起するに決まってんだろ。むしろ、しないわけがないだろ。結局、相手が男だろうとこれが無理矢理の行為だろうと、気持ち良けりゃ勃つんだ。これが現実ってやつである。
すっかりフル勃起状態で、おもらしでもしたんじゃないかっていうくらいに先走りで濡れた俺のものを見ながら、匠司さんは何度も「かわいい、かわいい」と繰り返す。
正直、ちんこを見てかわいいって言われるのってスゲー複雑だ。小さいって言われてみるみたいで。
(や、そういう問題じゃないんだけど)
なんていうか、あまりにイレギュラーかつ非日常的な出来事が続きすぎて、俺のほうまでいろいろと麻痺してきてしまった。
「しょうじ、さん」
涙に潤んだ瞳で、頭上の匠司さんを見上げる。あられもない姿となっている俺とは対照的に、匠司さんは未だにきっちりと服を着込んでいた。着込んでいる、といっても、ジャケットを脱いだVネックシャツ一枚の姿だけれど。
「なあに?」
「もう、かんべんしてください……」
「なんで? きもちくない?」
ほとんど泣きそうになりながら懇願するも、きょとんとした表情で聞かれて、うっと言葉に詰まる。嘘でも「きもちわるいです」とは答えられない俺に、匠司さんはにんまりと唇をゆがめた。そして、今までずっと頑なに乳首だけを責め続けていた手を、俺の下腹部へと伸ばす。
「こんだけぐしょぐしょにしといて、きもちくないわけないよね」
「ぅあっ! あ、あ、ああぁぁ〜……」
語尾に音符でもつきそうな口調で言って、匠司さんはぐちゅぐちゅと俺のものをしごいた。ずっと待ち望んでいた直接的な刺激に、漏れる喘ぎが大きくなる。びくびくと体が跳ねた。それに合わせて、またギシギシとベッドが軋む。ギシアンってこういうことか、なんて、現実逃避のように思う。
俺がギシアンの言葉の意味を身をもって理解しているあいだも、匠司さんの手の動きは止まらない。ぬちゅぬちゅ、ずちゅっ、ぐぷぐぷ。卑猥な音を立てながら、匠司さんのてのひらが俺のちんこを擦り上げる。
居酒屋で見たあの大きな手を思い出す。ちまちまとした動きでiPhoneを操作していた、あの少しごつごつとした男らしいてのひらを。
いつもは絵筆を操り、いくつもの鮮やかな色で繊細ながらも力のある作品を生み出す手が、今は俺の、俺なんかのちんこを擦ってる。そう考えたら頭がおかしくなりそうだった。
〜略〜