やんでれとめんへら


 クラスメイトの女の子が、傘を忘れて突然降り出した雨のなか困ったように立ち尽くしてた。俺はちょうどその日その子と一緒に日直当番で、帰るタイミングも一緒だった。そして彼女は傘を持ってなくて、俺は傘を持ってた。だから一緒に、俺の傘に二人で入って駅まで帰った。それだけ。
 同棲中の恋人にそれを目撃されて、誤解されたって説明すれば理解してもらえると思ってた。ああそうだったんだ、勘違いしちゃった、ごめんね。って。
 なのに、

「は? だから? だからなんだっていうの? それでもあの女とお前が相合傘したって事実は変わんないでしょ? お前は俺を裏切ったんだよ」

 わかる? と言って恋人はがじりと親指の爪を噛んだ。がじがじがじ、恋人が苛立たしげに眉間の皺を増やす度に爪は削られていく。さっきからすでに両手の指の爪をそれぞれ数ミリ×二回ずつ短くしていることに恋人は気付いているのだろうか。
――いや、気付いてないだろうな。
 きっと無意識の行動なんだろう。だって現に、深爪しすぎた親指からうっすらと血が滲み始めても、恋人は顔色ひとつ変えない。ずっと、ただ、俺とあのクラスメイトの女の子に対する憤りを浮かべたままでいる。

「お前言ったよな、俺と付き合い始める前に、俺のことずっと愛するって。あれ嘘だったわけ?」
「嘘じゃない、ほんとだよ」
「じゃあなんでそういうことすんの? なんで俺のこと不安にさせんの? 俺のこと無条件で愛してよって言ったじゃん、俺、愛してくんないと不安になるんだって言ったじゃん」

 なのになんでそういうことすんの? と繰り返して、恋人は齧りつく指を人差し指に変えた。その間、反対側の手は絶えずトントンと人差し指の先で机を叩いている。ひどく落ち着きが無い。目もキョロキョロと虚空を彷徨ってばかりで、焦点が定まっていなかった。俺の姿なんて見たくも無いらしい。

「ごめん、不安にさせて。でも信じてほしい、俺が好きなのはお前だけなんだって」
「信じろって、どうやって。無理でしょ。無条件で人を信じるなんて無理に決まってる。だって、そんなことして、裏切られたときにまた傷付くのは自分じゃん。俺はそんなのごめんだね。お前なんかのために自分の精神の安定を放り出したくなんてない」
「……三上、」

 たまらず恋人の名前を呼ぶと、恋人は血の滲んだ親指をそのままに、掌を振り上げてだんっと机の上に叩きつけた。痛みまくった金色の前髪のカーテンの向こうから、ぎょろりとした血走った目が俺を捉える。生気の感じられない、その癖誰よりも生きることに執着している目だった。

「俺はどうしたらいいんだよ。お前まで、唯一俺のこと愛してくれるって言ったお前まで俺のこと裏切って、あ、あい、あいして、くれなくなって。そしたら俺は、どうやって生きてけばいいんだよ。これからどうやって居場所作って呼吸して歩いて瞬きして生きてけばいいんだよ!? 満員電車の中で自分の吊革みつけることもできないまんま、他人の視線におびえながら生きてけってのかよ! お前は! 俺に!!!」

 だん、だん、と何度も机を叩きながら恋人は言う。ゼェゼェと息を切らしながら肩を大きく上下させながら恋人は言う。信じられないなんて言いながら、意識の深く深く深いところでは結局俺に依存しきっている恋人は言う。

――そんなにいきぐるしいならしんじゃえばいいのに。

 ちょっとだけそんなことを思った。口に出したらこの「可愛い恋人」は本当に死んでしまうだろうことは分かってたから、とてもじゃないけど言えなかったけど。

「なんだ、三上、ちゃんとわかってんじゃん」
「……え……?」

 呆気に取られる恋人に、俺はにんまりと笑顔を浮かべて見せる。学校で、クラスで、部活で。俺が「爽やか」なんて言われてる所以である人当たりの良さそうな笑み(今日日直当番が一緒だったクラスメイトの女の子いわく)を。
 俺が鏡ごしに見る限りには、近所の悪がきがなにかイイコト(大人にとってはワルイコト)を思いついたときに浮かべるようなのと大して変わらない、いやな笑顔を。

「無条件に誰かを信じたり愛したりするのなんて無理だって、三上、自分でちゃんとわかってんじゃん。じゃあ、なんで俺には無条件の愛を求めるの? 矛盾してない? 自分は傷つきたくないからって嫌だって言うくせに、俺には傷つくことを強制するの?」

 それってすっごくひどくない? 笑顔のまま小首をかしげて見せれば、恋人の表情がぴしりと固まった。図星。そんな表情だ。正論過ぎて何も言えないらしい恋人は、ただ困ったように視線をそらす。なんにもないところをゆらゆらと漂わせる。自分の都合が悪くなったら黙る、なにも言わなくなる。ごめんともなんとも言わない。ずるいなぁ、と思う。それと同時に、そんなところが、ほんとうに、かわいいと思う。

「ねぇ、三上」
「……」
「俺に愛されなくなるのが怖いんでしょう?」

 ねぇ、そうでしょう?
 無条件に愛してほしいんでしょう? お前はそのままでいいよって言って欲しいんでしょう? お前はいい子だねって褒めて欲しいんでしょう?

 お前を捨てて行った母親の代わりに。

「ならさ、俺が三上のことを無条件に愛して『あげる』条件としてさ、三上」

 お前は俺に、ずっと無条件に依存し続けててよ。
 ね? 俺たち、恋人なんだから。



topmain
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -