‖ あらすじ
 温室で始業式をさぼっていたら、知らない間に園芸部の鉢を割ってしまった早坂は、そのことを脅しのネタとして担任で書道部顧問の南雲に「字が汚いから」と顔も知らない相手と文通することを強制される。
 最初はいやいやだった文通が徐々に楽しくなっていく中、早坂は園芸部員の槙島と親しくなり「いつか鉢を割ってしまったことを話せたら」と温室に通い詰めるようになる。
 槙島と親しくなるにつれて強まる鉢のことへの罪悪感に悩んでいた早坂だが、ある日とあることに気付いてしまって……。


‖ 本文サンプル
(略)

「なんかコレ、読み直したらほとんど愚痴ばっかじゃん」

 放課後、南雲チャンに呼び出されて国語科準備室に向かいながら、自分で書いた手紙の中身を読み返して俺は気づいた。今更感はんぱないけど、ぶっちゃけちゃんと自己紹介してるのなんて最初のほうだけじゃん。家族構成話してるあたりまでがギリギリ自己紹介かなってくらいだ。

「ハジメマシテの相手にこんな手紙もらっても、相手も困っちゃうよねぇ〜」

 でも、まあ。それで「こんなやつと文通なんて嫌だ!」ってなって、文通しなくてよくなったらラッキーだし、別に書き直さなくてもいっか、って。そんなセコいことを考えてるうちにいつのまにか国語科準備室に到着した。ノックなんてしないでガラッとドアを開ける。

「南雲チャーン、来たよ〜」
「……早坂、お前な」

 ノックぐらいしろとか、チャンづけで呼ぶのはやめろとか。たぶんそんなことを言おうとしたんだろう南雲チャンは、でも結局なんも言わずにただおっきく溜め息をついた。そんな溜め息ばっかついてたら幸せが逃げちゃうぞーとか言ったら、誰のせいだよって怒られるんだろうなぁ、きっと。

「ま、入れよ」

 南雲チャンの言葉に従って、昨日ぶりの国語科準備室に入る。昨日と一緒で、南雲チャン以外には誰もいなかった。
 南雲チャンいわく、国語科のほかのセンセーたちはみんなベテラン教師だから、授業が終わったらサッサと帰っちゃうらしい。そんで、まだまだ若造な南雲チャンばっかりここに居残って残業することが多いんだとか。
 でも俺は、昼間もここに南雲チャン以外の人がいるとこを見たことが無い。なんていうか、南雲チャンも苦労してるんだろうなぁ。ちょっと同情しちゃいながら、テキトーに近くのイスを引っ張ってきて、背もたれを前にして座る。こうすると背もたれのとこにヒジつけるし寄りかかれるしで、わりと楽だったりする。
 南雲チャンは、くるくるイスをまわす俺を見て「ガキかよ」ってぼそっとつぶやいて立ち上がった。どこに行くのかなーとぼんやり見てると、南雲チャンは部屋のすみっこにあった小さいキッチンコーナーに立った。

(準備室にこんなのあったんだぁ)

 よくわかんないけど、ウチの学校儲かってんのかな。私立だもんね、卒業生からの寄付とかあるのかな、たぶんあるんだろうなぁ。あの温室も立派だったし。

「ホラ」

「え?」
 急に声をかけられて、ぼけーっとしてた意識を戻すと、いつのまにやら南雲チャンが俺の前まで戻ってきてた。どうしたのかと思って見ると、こうばしい香りのするコーヒーが注がれたマグカップを目の前に出される。

「わざわざいれてくれたの?」
「まあな」
「えー、でも俺、苦いのニガテなんだけど〜」

 どうせならジンジャーエール飲みたいなぁ、なんてふざけて続けたところで、南雲チャンのカオがだんだん怖くなってきた。

「早坂、お前な」

 頭からぶっかけんぞ、ってかなり本気っぽい声で言われて、慌ててマグカップを受け取る。

「あはは、うそうそ! 俺コーヒー大好き!」

 このままだとほんとにぶっかけられそうだ。だったら、ぶっかけられるものをなくしちゃえばいい。そう思って、まだ湯気が立ってて熱そうなコーヒーを俺は一気にずずずっとすすった。

「あっつ!」
「早坂お前、本気でバカだな」
「しかもにっが!」

 うえーっと舌を出してみせれば、南雲チャンはしょうがなさそうに机の引き出しからスティックシュガーを出してくれた。ありがたく受け取って濃い色をしたマグカップの中にざざざっと砂糖を流し込む。スティックシュガー二本分。南雲チャンが「お前それ、いくらなんでも入れ過ぎだろ」とか言ってすっごいビミョーそうなカオしてるのには、見ないフリする。

「そういえばよぉ、お前」
「ん〜? なにぃ?」

 今度はちゃんと冷ましてから飲もうと思って必死にフーフーしてると、デスクチェアに座って自分のマグカップを手に取った南雲チャンが話し始めた。

「今日、また仁志の数学でなんかやらかしたろ?」
「あー……」
「心あたり、あるんだな」

 心あたり。あるっていうか、むしろありまくりだ。絶対、どう考えてもあの内職してたことを言ってるに違いない。
 とりあえず、さっき仁志センセにしたみたいにてへっと笑ってみせたら、ブチリと南雲チャンのこめかみあたりからなにかが切れる音がした。たぶん、堪忍袋の緒とかそういうやつ。

「ヘラヘラしてんじゃねーよ! こっちはお前のせいで、またあいつにネチネチぐちぐち言われたんだぞ! あのやろう、昨日だって散々文句つけてきたくせに……そんなに言いたいことがあんなら、直接本人に言えっつーの! 俺に八つ当たりすんじゃねーよ!」

 一通り言い切ったら、ひとまず満足したみたいだ。南雲チャンはゼェゼェ肩で息しながらぐしゃぐしゃと前髪を掻き上げた。ハイハイごめんね〜なんて口では謝りながらも、だったら南雲チャンもその文句は直接仁志センセに言ってよ、なんて思ったり。
 なんにしても、早いとこ用済ましちゃったほうがよさそうだ。誰センセーのかもわからないデスクの上にぽいって置いてたルーズリーフを取って、南雲チャンに差し出す。

「なんだ、これ?」

 南雲チャンは、四つ折りのそれを見てふしぎそうに聞いてくる。……まさかこの人、自分で書いてこいって言って忘れたのんじゃないよね? 朝までは覚えてたのに?

「手紙だよ、てーがーみっ! もー、南雲チャンが文通しろって言ったんじゃん!」
「は? 手紙ぃ?」

 なに言ってんだお前、みたいなカオをして、南雲チャンは四つ折りルーズリーフを受け取った。それから、ちょっとクシャクシャになったそれを広げて、昨日の反省文よりはいくらかマシな字で書かれた「手紙」を見て、「えっ」と声を上げる。

「ハア!? お前、まじでこれに手紙書いてきたわけ?」
「もー、だからそうだって言ってんじゃんっ!」

 どんだけ俺信用ないわけ? とスネてみせると「いや、お前な」とあきれたように南雲チャン。

「文通だぞ? 手紙だぞ? いくらなんでも、ルーズリーフは無ぇだろうが」
「えー、でも俺、レターセットなんて持ってないもん」

 しかも、書かなきゃって思い出したの学校に来てからだし。持ってたとしても、学校にまでわざわざ持ってきてるないじゃん。

「ちゃんと書いてきただけまだマシでしょ?」
「……ま、それもそうか」

 これ以上なんか言われたら、もう文通なんか絶対やらないって言ってやる。そんな気持ちで抗議したら、南雲チャンはようやく納得してくれた。納得、っていうか妥協ってやつかもだけど。

「んじゃ、お預かりします、っと」

 ルーズリーフを元通り四つ折りにすると、南雲チャンはそれをクリアファイルに挟んで机の引き出しに入れた。「ちゃんと渡しとくな」って続けられて、ふっと疑問が浮かぶ。

(そういえば、俺の文通相手って誰なんだろ?)

 まだ顔どころか名前もわかんない相手のことが、ちょっとだけ気になった。でも、その興味が続いたのはほんの一瞬だけ。
 だって、昨日よりマシって言ってもほとんど殴り書きみたいな、しかも愚痴ばっかの手紙だよ? よっぽどのお人よしじゃなきゃ、あんな手紙に返事なんてくれないでしょ、フツー。だったら、関わる予定もない人のコト知ったってしょうがないじゃんね?

「それじゃ俺、もう帰っていーい?」

 今日は遅刻しなかったし、授業だって一個もサボらなかった。しかもちゃんと起きてたし。……まあ、授業はあんまし聞いてなかったけど。
 とにかく、そんなワケですでにかなり眠かったりする。仁志センセに出された宿題も、休み時間とかにもやったけどまだ終わってないし。だから、できれば早く帰りたいなー、なんて。
 どうかなぁ、って南雲チャンの顔を覗き込む。

「ハァ……もう好きにしろ。ただし、明日もちゃんと来いよな」
「わーかってるってばぁ!」
「いいか? 遅刻せずに、だぞ!」
「もーっ、わかってるって言ってんじゃん!」

 しつこい南雲チャンにちょっとイラッとしたけど、ガマンガマン。ぬるくなった残りのコーヒーを一気に飲みほして、からっぽになったマグカップを突き返す。

「ごちそーサマでしたっ!」
「お粗末様デシタ」
「そんじゃ、またねー。南雲チャン」

 たっとイスから飛び降りて、早足にドアへと向かう。国語科準備室を出るとき、振り返ってひらひらっと手を振ったら、南雲チャンは「さっさと帰れ」って、俺のこと追いやるみたいにシッシッと手を動かした。ひどい。

 廊下に出ると、一気にじめっとした空気が俺の体にまとわりついてきた。なんか段々湿度あがってきてる気がする。近いうちに雨でも降るのかなぁ。

「うえ、なんかベタってする〜」

 湿気のせいかシャツが肌にくっつのが気持ち悪かった。襟元を引っぱってシャツと肌のあいだにすきまを作る。手をパタパタさせて風を送ったら、ちょっとだけマシになったかもしんない。ほんと、ちょっとだけ。
 カバンを取りに教室に戻る。当然といえばそうなんだけど、放課後になってからなんだかんだ結構時間たってるからか、教室には誰もいなかった。いつもは四十人近くギュウギュウにつめこまれてるからすっごい狭く見えるのに、今は真逆。むしろ、広すぎてなんかソワソワするくらいだった。

「のど、渇いたなぁ」

 コーヒー苦かったし、この蒸し厚いのにホットだったし。駅の近くのコンビニでジンジャーエール買って帰ろうかな。

「うん、そうしよ」

 一人でうなずいて、机の横にかかってた薄っぺらいカバンをひっつかむ。まだ一年しか履いてないのに底がすり減ってきた上履きをぺったんぺったん鳴らしながら廊下に出た。国語科準備室があるほうを背にして昇降口まで歩いてく。その途中誰にも会わなかったのは、この時間ならフツーのことなのかな。いつもは授業終わったらソッコー帰るからわかんないや。
 やっぱりシーンとした下駄箱でスニーカーに履きかえて、玄関をくぐる。そのまままっすぐ校門を目指そうとして、俺は、一歩踏み出したあとすぐに足を止めた。理由は、玄関すぐそばの花壇が目に入ったから。
 昨日の帰りも今日の朝も。もっと言えば俺が入学したときから、花壇はずっとそこにあったはず。なのになんで、今にかぎって花壇が気になるんだろう。おかしな話だけど、俺は花壇から目が離せなかった。
 花壇には、細長い小さな葉っぱをたくさんつけた苗が等間隔に植えられてる。くもった空に向かってまっすぐのびた茎の先には、ふくらんだつぼみがくっついてた。先端がちょっとだけピンク色になってる。もしかしたら、もうすぐピンクの花が咲くのかも。

(なんの花なんだろ)

 ぼーっと突っ立ったまま、花の名前なんて全然わかんないのに考える。

(アサガオは、いま朝じゃないしぃ。ヒマワリは夏だし。バラも、なんか違う気がする)

 っていうか、そもそもバラってこんな風に土から生えてくるものなのかな。無い知識を必死に引っ張りだして、あーでもないこーでもないって一人で考える。いくら考えたって、わからないものがわかるわけないっていう当たり前のことに気づいたのは、だいぶ後になってからだった。
 ほんと、俺ってこういうとこバカだよねぇ。はぁ、と溜め息ひとつ。南雲チャンのが移ったなって、なんとなくそう思ったとき。

「――松葉牡丹だ」
「うえっ?!」

 後ろから急に声をかけられた。びっくりしすぎて変な声が出る。

(ま、まつ……なに?)

 っていうか、誰? ばくばくうるさい心臓のあたりをおさえながら振り返る。

(うわ、でっか……!)

 そこに立ってた男を見た俺の一番最初の感想は、そんなのだった。いや、だって、ほんとにデカいんだもん。俺だって結構身長高いほうだけど、この人、それよりも五センチは確実に高いんだよ?
 俺と違ってきっちりネクタイまでしてるけど、制服だから、一応同じ生徒なんだろうけど。体格もわりとがっちりしてるからかなり年上っぽく見える。でも、ワイシャツの襟につけられたピンバッジの色が俺と一緒だった。二年生をあらわすブルー。だから同い年なんだろう。パッと見じゃそうは見えないけど。

(てか、いつのまに……ぜんぜん気づかなかった)

 俺がぼーっとしてたのもあるかもだけど、にしても、こんだけ近くに立たれても気づかないってどうなんだろ。

「ごめん、えっとぉ……まつ、何?」
「松葉牡丹、だ」
「マツバボタン?」

 静かな声でくり返されたそれを、とりあえずオウムみたいになぞってみる。けど、それがなんなのかはわかんないまま。

(マツバボタンって、なんだろ?)

 いまいちよくわかんなかったのが伝わったのか、その男はスッと視線をよそに移した。追いかけてみれば、さっきまで俺が見てた花壇にたどり着く。

「その花」
「花がどうしかしたのぉ?」
「気になるんじゃないのか」

 図星すぎる男の言葉に、えっと驚いた声が口から落ちた。

「……なんでわかったの?」
「ずっと見ていただろう」

 っていうことは、逆に言うと、俺ずっと見られてたの? そう考えたらちょっとはずかしくなる。なんて返したらいいのか口をぱくぱくさせながら必死に考えてると、その人はふっとちいさく微笑んだ。
 かと思えば、そのまま俺の隣を通り過ぎてく。えっと思ってまた花壇に向き直ると、ちょうどその人がでっかい体をちいさく折り畳んでしゃがみ込んでるところだった。見ると、手には水がたっぷり入ったジョウロがある。彼がなにをしようとしてたのかに気づいたとき、さあああっと音がして、ジョウロの先から花壇に向かって水が注がれはじめた。
 花壇に水やりを始めたその人は、なんだか優しい目で花壇のつぼみを見つめてる。その視線に、俺はようやく「マツバボタン」っていうのがそのピンク色のつぼみの花の名前だっていうことを知った。

(ていうか、もしかして)

 花壇の花がなんて名前か知ってる。しかも花壇に水あげてる。この二つに当てはまりそうな人って、もしかして、もしかしなくても。

「……園芸、部?」

 おっかなびっくり問いかけた声はみっともなく震えてた。俺って、バカなだけじゃなくチキンでもあるらしい。

「ああ、そうだが」

 「それがどうかしたか」って、その人はイエスと答えた。やっぱり園芸部なのか。ってことは、この人って。

(俺が壊しちゃった鉢の、持ち主?)

 ハッキリとそのことに気づいた瞬間、俺は無意識のうちに一歩後ずさってた。スニーカーの底と地面がこすれて、じゃりっと小さな音がする。園芸部の男は俺と違って気配とかに敏感みたいで、ほんとに小さなその音にも反応した。まじめそうというか意思が強そうというか、そんな感じの黒い目が二つ、じいっと俺を見つめる。視線で穴があきそうってこういうことなんだなぁって、はじめて知った。

「……どうかしたか?」
「え、あ、いや……えっと」

 ごめんなさい、って今謝っちゃえば楽かもしれない。そんなズルい考えが一瞬浮かぶ。でもそれ以上に、俺を見つめる男の目が怖くて、口が開かなかった。代わりに、なんでもない、なんていう便利な言葉とへらっとした笑顔で返事をごまかす。

「あー、えっと。花の名前、教えてくれてありがとね」
「別に。それくらい良い」

 ちょっとだけぶっきらぼうなその言葉は、たぶんうわべだけじゃないはず。きっと、この園芸部クンはいい人なんだろうなって思う。俺とは、正反対だ。

「そのー、あー、……俺、もう帰んなきゃ」

 一体なんの宣言だ、名前も知らない初対面のひと相手に。セルフツッコミしながら、おもしろくもないのに「あはは」と笑った。全然笑うとこじゃないのに笑っちゃうの、俺の悪いクセだよなって思う。仁志センセにも南雲チャンにも怒られたし。

「それじゃ、ね」

 最後だけちょっと慌ただしく言って、俺はひらひら手を振った。そしてそのまま、園芸部員の彼の反応を見ないまま歩き出す。校門を目指す足はさっきまでよりも早かった。もう、一秒でも早くここからいなくなっちゃいたい。そんな一心で足を動かす。
 園芸部クンの後ろを通り過ぎるとき、「おい?」ってふしぎそうな声が俺を呼び止めようとした。けど、それに振り返る勇気なんてあるわけない。
 ゆうき、って名前なのにね。超ダサすぎて笑える。



(中略)



 ちいさな物音と、人の気配に俺は目を覚ました。まだ視界はぼやけててハッキリしない。でも、ちょっと離れたとこに誰かが居ることだけはわかった。

(なんか、あの背中……見覚えがあるよーな……?)

 眉間に力を入れてピントを合わせる。薄目でじっとその背中を眺めてると、その男がスッと立ち上がった。思ってたよりその人がでっかくて、ちょっとびっくりする。

(すごい、姿勢いいなぁ)

 なんだかデジャヴな感想を持ったとこで、男がこっちを振り返った。その時「あ」って声を上げたのは俺じゃない。相手のほうだった。でも、振り返ったその人と目があったことと、彼の正体がわかったことに「あ」って思ったのは俺も同じ。

「起きたんだな」

 ぽつりとつぶやいた男は、昨日の放課後と今日の朝に花壇の前で会った園芸部員だった。

「は、え、ちょっ……いま何時?」

 俺、放課後になる前に帰れば大丈夫でしょ〜とか考えてなかったっけ? 慌ててスマフォの画面を見ると、もうとっくに午後の授業が終わってる時間だった。

(そういえば、アラーム設定すんの忘れたんだっけ……)

 睡魔に負けた俺のバカ! って自己嫌悪。どおりで背骨が痛いわけだよねぇ。こないだもそうだったけど、やっぱりベンチに横になって寝るってのはちょっと無理がある。首とか肩とかを回したら、バキバキいった。

「大丈夫か?」

 うう〜とうめき声あげる俺の顔を、園芸部クンが覗き込んでくる。思った以上にキョリが近くてびっくりする。反射的に顔を引いたら、今度はゴツン! ってベンチに後頭部をぶつけた。
 なんていうか、踏んだり蹴ったりって感じだ。

「本当に大丈夫か? いま、すごい音がしたが」
「あっ、うん大丈夫……」

 っていうか、そうじゃなくって。

「ごめん! 勝手に入って」

 すぐ出てくからって言って、慌ててベンチの下からペットボトルとサンドイッチを拾い上げる。そのまま勢いよく立ち上がったとこで、クラリと視界がゆがんだ。たちくらみ。
 立ってらんなくなってその場にしゃがみ込んだら、園芸部クンが焦ったように口を開いた。

「いや、別に立ち入り禁止というわけではないから。無理して出ていかなくて大丈夫だぞ」
「や、でも……」
「いいから」

 大丈夫だ、って少し強めにもう一回くり返される。

(そこまで言われちゃうと、逆に出て行きづらくなっちゃうんだけどなぁ)

 うーん、どうしたものか。とりあえずお言葉に甘えてベンチに逆戻りする。すとんって腰を下ろすと、ちょうどこっちを見下ろす形になる園芸部クンと目が合った。気まずい。にへらっと笑ってみせたものの、俺の笑顔は間違いなく苦笑いになってたと思う。
 やっぱ来るんじゃなかった、って昼間のことを後悔したとき、ぐぎゅるるるる、とものすごい音があたりに響いた。音の発生源は俺のお腹。つまり、

「腹、減ってるのか」

 ……そういうコト、です。
 このキョリにいるんだから聞こえないわけないんだけど、腹の虫のド派手な鳴き声を思いっきり聞かれちゃったことにはずかしくなる。かあっと耳のあたりが熱くなった。

「えへへ〜、実はまだお昼食べてなくってさぁ〜」

 へらへらした笑顔と一緒に「食べ損ねちゃった」と手に持ったサンドイッチを揺らしてみせる。園芸部クンは一瞬「ああ」って納得したカオしてから「ん?」とすぐさましかめっ面になった。

「なら、昼休みからいたのか、お前」
「うん〜。ご飯食べようとしてたんだけど、途中で眠くなっちゃってねぇ」
「授業は?」
「サボっちゃったねぇ」

 あー、こういうこと言ったら嫌がられちゃうかなぁ。この園芸部クン、まじめそうだし。授業サボるやつとかキライそうなイメージだ。

(って、それ以前に勝手に温室入って鉢植え割っちゃったな俺相手に、嫌うもなにもないかぁ)

 ナチュラルに自分勝手で自己チューなこと考えてるとか、ほんと俺って救えない。これ以上ここにいたらボロが出ちゃいそうだ。

「……やっぱり、俺帰るね」

 そう言って、今度こそ温室を出て行こうとしたそのとき、それより先に、園芸部クンが口を開いた。

「花が好きなのか」
「えっ、なに?」

 出鼻をくじかれて思わず聞き返す。花?

「好きなのか、花。だからここにいたのか? 昨日も、花壇の花を見ていただろう」
「そりゃ、キライじゃないけどねぇ」

 っていうか、花がキライな人とかいんのかな。キレイだしいい匂いするし、嫌う要素なんてないと思うんだけど。

「でも俺、花の名前とか全然わかんないし。アサガオとかヒマワリとかくらいしか……そんなんが温室いたら、メーワクでしょ?」
「迷惑なわけない」
「けど」
「俺が教える」

 テキトーな理由つけようと思った俺の声を、園芸部クンの強い声がさえぎった。反論なんて許さない、って感じの声と痛いくらいに俺を見下ろしてくる視線に、なんにも言えなくなっちゃう。

「花の名前くらい、俺がいくらでも教えてやる」

 「どの花の名前が知りたい?」なんて言って、園芸部クンは俺に背を向けた。色とりどりな温室のなかを見渡してるのを見ると、どうやら本気で俺に花の名前を教えようとしてくれてるっぽい。

(別に、花の名前が知りたいわけじゃないんだけどなぁ)

 でもハッキリとそう言うのはなんかアレな気がする。だからって、名前が知りたい花なんて……

「あっ!」

 ないしなぁって思ったとき、急に頭のなかに今の俺が一番名前を知りたい「花」が浮かんできた。頭のなかからぼんやりしたそのイメージが消える前にって、俺は慌ててベンチから飛び降りる。
 実物を見せたほうが早いんだろうけど、残念ながら今の俺は実物を持ってない。教室の鞄の中に置いてきちゃった。なら、ってことで近くに転がってた折れた木の枝を拾う。

「えっと、あのさ。超アイマイでごめんなんだけど、こんな花知らない?」

 ざりざりと地面を削って描いてくのは、あのアユミちゃんからもらった手紙に描かれてた青や紫の花だ。

「四角い花びらが四つくっついたみたいな花してて、それがいっぱい集まってて、葉っぱはこんな感じ。結構おっきくて周りがギザギザしててぇ。あ、花の色は青とか紫とかなんだけど……どーぉ? わかる?」

 大体描き終わったとこで園芸部クンを振り返ると、すぐさま答えが返ってきた。

「紫陽花か」
「アジサイ?」
「こういう字を書く」

 貸してくれ、って手を差し出されて木の枝を渡す。園芸部クンは、俺みたいにしゃがみ込んでざりざり地面を削った。長くてごつごつした、でもきれいな白い園芸部クンの指が土で汚れる。もったいないなぁなんて思ってるうちに、地面には「紫陽花」の三文字があらわれてた。流れるみたいな、キレイな字。それを見て俺は「なるほど」って納得する。たしかにあの便せんの花、紫のもあったもんね。

「アジサイかぁ、なんか聞いたことある気がする」
「梅雨の季節を代表する花だからな。耳にする機会も多いと思う」

 さらっとアジサイの説明をしたかと思うと、ついでに、って園芸部クンはまたざりざりなにか書き始めた。今度は四文字で「松葉牡丹」。なんて読むんだろ、これ。

「まつ……は? おす……」
「マツバボタン、だ」
「あっ」

 昨日の花かぁってそこでやっと気づく俺は、確実に鈍ちん。園芸部クンも、俺の「まつはおすなんちゃら」っていう当てずっぽうな読み方がおかしかったのか、明らかに笑いをこらえてた。

「へぇー、こういう字書くんだぁ!」

 なんか、ちょっとだけ頭よくなった気がする。

「そういえば、実物も見るか?」
「なんのぉー?」
「紫陽花」

 あっちにあるぞ、って温室の入り口のほうを指差される。

「うっそ、あるの? アジサイ」
「ああ」
「見たいっ、超見たい! どこどこ?」

 ばっと立ち上がって園芸部クンを急かす。

(どんななんだろ、本物のアジサイ)

 ワクワクする俺を見て、園芸部クンは今度こそおかしそうに笑った。子どもみたいとか思われたのかもしれない。でも今は、そんなのどうでもよかった。ゆっくり立ち上がって、膝についた土をぱんぱん払い落としてる園芸部クンがじれったいくらい。

「こっちだ」

 そんな言葉と一緒に、すっと手を取られた。そしてそのまま、園芸部クンに手を引かれたまんま歩いてく。温室の入り口の方を目指して、一歩ずつ。

(……あれ?)

 数歩進んだとこで、ふっと首を傾げた。

(すっごい自然に手繋がれちゃったけど、これってなんかおかしくない?)

 男同士で手つなぐのってどうなんだろう。けど今更手ぇ放そうとしたら、それはそれでおかしいかなぁ? なんて、そんなことを考えているうちにパッと向こうから手を放される。
 あれっと思ったとき、急に目の前で園芸部クンが立ち止まった。広い背中に顔からぶつかりそうになって、慌てて足を止める。

(も〜、急になにぃ?)

 あとちょっとでぶつかるとこだったじゃん! 心の中で文句を言いながら、ちょっと高い位置にある園芸部クンの顔を見上げたら、ほとんど同じタイミングで園芸部クンも俺を振り返った。

「これが紫陽花だ」

 そう言って、園芸部クンは温室を出てすぐの、入り口わきにある花壇を指差した。そこには結構背が高くて立派な木が植わってる。
 太い幹からはえた、大きくて周りがギザギザした葉。枝の先に葉っぱに乗っかるようにしてうす紫や青の花が咲いてる。俺がさっき説明した通りの、ちっちゃい正方形が四つくっついたみたいな花がたくさん。

――まちがいない。アユミちゃんからの手紙に描かれてたあの花だった。

 あの便せんの花の名前を知るのと同時に、俺はどうして「どっかで見たような」気がしたのかもわかった。だって、俺は前にここに来てる。きっとそのときにここのを見て、なんとなくこの葉っぱの形とかを覚えてたんだろう。

「これがアジサイ、かぁ……」

 雨がかからないギリギリのところまでアジサイに近づいてく。ぐっと顔を近づけたら、同じ青の花でもちょっとずつ色の濃さが違ってることがわかった。なんでなんだろ?

「ねね、園芸部クン。これ、なんで色が違うの?」

 個性みたいなもんなのかな? アジサイに向かったまんま、ちょいちょいと手だけ後ろに向けて聞いてみる。園芸部クンは「たしかに園芸部だけど、な……」とかなんとか言いながら、俺のすぐ隣まで来てくれた。

「アジサイの花の色は、土の酸性度によって変わるんだ」
「酸性度ぉ?」
「ああ。一般的には土が酸性だと青、アルカリ性だと赤になると言われている」
「へぇ〜! なにそれ、すごーい!」
「もちろん、それだけで花の色が決まるわけじゃないがな」
「なんか、アレみたいだねぇ。なんて名前かわすれちゃったけど、理科の実験でさ、酸性かアルカリ性か調べるやつなかったっけ?」
「リトマス試験紙のことか」
「そうそう、それそれぇ!」

 自然のものでそういうのがわかるのって、なんかすごいなって思う。ふんふんと話を聞いてると、花の話を聞いてもらえるのが嬉しかったのか、園芸部クンは更に話してくれた。

「ちなみに、アジサイの花言葉は『移り気』や『高慢』、『冷淡』とかがある」
「うげぇ、ヤな感じだねぇ」

 恋人にはプレゼントできないタイプの花じゃん。花はこんなにキレイなのに、なんかもったいない。やっぱりベタだけどバラとかが無難なのかなって思ってると、園芸部クンがまた口を開いた。

「その一方で『忍耐強い愛』なんて花言葉もあるそうだぞ」
「……それって、なんかムジュンしてない?」

 浮気と、忍耐強い愛。完全に正反対だ。

「確かに矛盾しているな。だが俺は、そういうところも花の面白いところだと思うぞ」
「そうかなぁ?」
「ああ」
「ふーん?」

 なんかビミョーに納得いかない。でも、そういうもんなのかな。ほんとに花が好きな人にとっては。

「……ねえ、園芸部クン」
「なんだ」
「他にもさ、花の名前、俺に教えてくれる?」

 最初は花なんてそんなに興味なかった。けど、こうやって名前を知って特徴を知って。ついでに花言葉まで知っちゃったりすると、案外花も奥深いなあ、なんてガラにもなく思っちゃったりしたりして。
 どうかな? と園芸部クンを振り返る。どうどう? ねえ、どう? ってしつこいくらい目で聞く俺に、園芸部クンはちょっと困ったように笑ったあと、言った。

「もちろん。花の名前くらいいくらでも教える。だが、」
「うん?」
「……その前に、俺の名前を知ってくれないか?」

 確かに俺は園芸部だけど、園芸部クンって名前なわけじゃない。
 くそまじめな表情でそう言った園芸部クン――改め、槙島クンっていうらしい園芸部の彼と顔を見合わせて、俺は思わずぷっと噴き出した。





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