・宮木さん×重陽
・ふたりが付き合っててもだもだしてます
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春になると、花屋の店先が華やかな色で溢れかえる。
そのことに気付いたのは、ほんの数分前。駅前で宮木さんを待っていたときのことだった。
改札前の雑多なスペースにこじんまりと設けられた花屋には様々な花が置かれていた。チューリップ、ガーベラ、スイートピー。桜や桃のちいさな植木もある。
もちろん他にもたくさんの花があったけれど、俺にはそれがなんていう花なのか解らなかった。
なんていうんだろう、あれ。
黄色の周りに濃いピンクの細い花びらがたくさんついた花を眺めながら首を傾げた。それから宮木さんが来るまでのしばらくのあいだ考え、観察を続けたけれど、結局俺はその花の名前を知ることはできなかった。
特に目的があるわけでもなく、宮木さんと二人ふらふらとあちこちを歩き回って。疲れた末に入った喫茶店でその花を見つけたとき「あ」と声を上げてしまったのは、だからだと思う。
「宮木さん、あれ」
突如声を上げた俺に、不思議そうな顔をしている宮木さんなら、あの花の名前を知っているかもしれない。そう思って俺は窓際の植木を指差した。
「あの黄色とピンクの花、なんていう花か知ってますか?」
「……ああ、デイジーですね」
早口にまくし立てた俺の人差し指の先を目で追って、宮木さんはぼそりと呟いた。
「キク科の花で、和名は雛菊です」
デイジー。そう言われてもいまいちピンと来ずにいると、こっちなら聞き覚えがあるのでは? と付け足される。なるほど、雛菊。確かにその名前ならどこかで聞いたことがある。
「好きなんですか? デイジー」
出会った当初に比べればやや柔らかくなったものの、恋人に対するそれにしては未だにいささか硬い口調で宮木さんは問うてくる。
「あー、いや好きというか……さっき、花屋で見かけまして」
「駅前のですか?」
「そうです。値札に名前が書いてなかったんで、何かなーって、なんとなく気になっちゃって……あと、チューリップとかガーベラとかありましたよ」
「……春らしいですね」
「そうですね。カラフルで、」
いいですよね、と何の気なしに呟けば、妙な間を挟んでからそうですねと一言だけ返ってきた。俺の言葉に同調するその声は、言葉の体面上とは正反対にどこか沈んでいる。
なにか、返す言葉を間違えただろうか? きゅっと、無意識のうちにテーブルの下で拳を握りしめる。
未だにこの年上の恋人との距離の測り方に慣れない俺は、宮木さんの発したただ一言だけで一気に不安になった。その真意を問おうと口を開きかけるも、店員が水とおしぼりを運んできて、それは遮られる。
ああ、なんてタイミングが悪い。思わず舌打ちしそうになった。
あたたかいおしぼりで手を拭ってから、氷の浮いたグラスに唇をつける。レモンの香りが移った水は、少しだけ俺の気持ちを落ち着かせた。
宮木さん、とテーブルを挟んだ向かいの彼に呼びかけて、俺は先程の意味深な声色の意味を問いただそうとした。けれど、それより先に、彼の方がこう言う。
「……苦手なんです」
「え?」
「苦手なんです、春。というか、むしろ嫌いなんです」
春が、嫌い。
基本的に、どういう意味合いからであれ春を好む人の方が多いだろうこの国において、あまり耳にしない否定意見に俺はぱちくりと目を瞬かせた。
知り合いに「花粉症だから」という理由で、春という季節を親の仇のように憎んでいるやつもいるけれど。考えるまでもなく、宮木さんのこれはそれとは違うものだろう。
――じゃあ、どうして?
そんな俺の疑問が伝わったのか。宮木さんは、水で唇を潤すと困ったように笑った。
「おかしいですよね、春が嫌いだなんて」
「別に、おかしくは」
「いいんです。自分でも自覚していますから」
それでも、と彼は続ける。
「どうしても、嫌いなんです――たくさんの色が、ありすぎて」
「色?」
「はい」
色です。
オウム返しにした俺に更に繰り返す宮木さん。色。もう一度胸の内で繰り返しても、その意味はいまいち上手く伝わってこなかった。
「春は、色鮮やかでしょう? あの花を始めに、色んな花が咲きますから」
今度はすんなり頷く。俺があの花屋に目を止めて一番に思ったのもそれだった。
春は、色彩が豊かで鮮やかで、華やかだ。冬の彩度の低い景色ばかりを見続けていたから余計にそう思うのかもしれないけれど、そうじゃなくても、四季の中で一番カラフルな季節はと問われたら大体の人が真っ先に春と答えるだろう。
でも、どうしてそれが春が嫌いになる理由になるのだろう。水のグラスを意味もなく揺らす。中で氷がぶつかってからからと涼やかな音を立てた。
からから、からから。氷が回る。けれど答えは見つからない。
降参だとばかりに視線を上げれば、いつも通りの――仕事中によく見せる、「よそ行き」の表情を取り繕った宮木さんと目があった。
あ。この顔、嫌いだ。
理由もなくそう思う。
「目移り、しちゃうんです」
「目移り?」
「はい。色んな色がありすぎて、どこに目を向けたらいいか解らないんです」
それで、気疲れしてしまう。
その疲れを吐き出すかのように細く息を吐く宮木さん。よく手入れの行き届いた綺麗な手がまたグラスへ伸びるのを視界の端で認めて、俺は反射的にそれを止めた。
「重陽、様?」
突然の行動に、戸惑ったような声があがる。それにさえ俺は、正体不明の腹立たしさを覚えた
「…………その呼び方、やめませんか」
「え?」
「重陽様、っていうの。やめてくださいよ。仕事中とかならともかく、今はただの恋人同士でしょ」
恋人同士というフレーズが耳に入ったのか、宮木さんの後ろのテーブルのカップルが目を見開いた。けれど、今それを気に掛けている余裕はない。公共の場で堂々と「恋人」という言葉を用いるのにためらいが無いわけではなかったけれど、ここはきちんと言わなければいけないような、そんな気がしたのだ。
「――それから」
重陽様、と恐らくは言おうとしたのだろう。開きかけた宮木さんの唇を制するように言葉を繋げる。ちらと視線を移して確認するも、店員が来る気配はない。大丈夫だ、今度は邪魔されることはない。
「カラフルすぎて目移りしちゃう、って言うんなら」
聞き耳を立てるカップルには聞こえないよう、ぐっと顔を近付けて声のトーンを落とす。わずかに見開かれた宮木さんの瞳の中には、すねた子どものような表情を浮かべた自分の顔が映っていた。
「目移りする暇もないくらい、俺のことだけ見てれば、いいんじゃない……です、かね」
照れくささから最後のほうがとぎれとぎれになってしまったのは、ご愛嬌、ということで、ひとまずどうだろう。
「……ええ、そうですね。そうすることにします」
「もちろん、春だけじゃなくてもいいんですよ」
「はい。言われずとも」
重陽、とくすぐったそうに宮木さんが呼んでくれたから、たぶん、この試合は引き分けだ。
春も夏も秋も冬も、
(そしてその先もずっと、花の咲く町で、あなたと)
おしまい
20130419