3
朝のホームルーム開始のチャイムと共に教室の前のドアがガラリと開いて、二木せんせーが姿を現した。
今日もボサボサの赤毛としわくちゃのシャツ、極めつけはやる気なさげな表情。口元にタバコをくわえさせて「あーダリィ」とでも呟かせたら完璧なダメ人間だ。
――とか何とか考えていると、不意にその二木せんせーが俺を見た。偶然かと思いパチクリと瞬きをすれば、意味深な視線とぶつかる。どうやら偶然ではないらしい。
なんだろう。内心首を傾げる俺だったが、なにかが起こりそうな予感とは裏腹にせんせーはごく普通にホームルームを始めた。
職員会議で伝達されたのだろう連絡事項に、提出日が近い課題の話とか行事予定とか。毎日繰り返されるのとそう変わりない内容のホームルームは五分とかからず終わった。一限の授業の準備を始める生徒たちに合わせて、二木せんせーも教卓上の荷物をまとめだす。
いつもなら、「そんじゃ、今日も一日がんばれよ」とか言って教室を出ていく場面――なのだけれど。
「――さて、ところで、だな」
今日はそうじゃあなかった。
「今日は九月九日だが、誰か、何の日か解るか?」
ぐるりと教室内を見渡した視線に、すぐさまいくつかの手が素早く上がる。その殆どが二木せんせーファンの可愛らしい男子生徒ばかりな中で、なぜかニヤニヤしている西崎とシュウも手を上げていた。
二木せんせーは、逡巡の末にキャラメル色の髪をしたクラスメイトを指名する。女の子のよう、とまではいかないけれど、かわいらしい顔つきの子だ。
「ちょっ、重陽の節句です!」
「ハイ正解。そう、今日、九月九日は重陽の節句だ」
良く出来たな、とキャラメル色の彼に「ご褒美」を上げたのち、せんせーはおもむろに黒板に向き直ると、白いチョークをそこへ滑らせた。カツカツカツ、と乾いた音が響く。チョークの粉が舞い散る中で現れたのは「重陽」の二文字だった。
「重陽の節句は五節句の一つで、昔の陰陽思想で陽の強い数字とされた九が重なることから起こった祝い事だ。菊が咲く頃であることから『菊の節句』だとか『重九』とも呼ばれたりする。宮中では詩歌を献上して、菊酒……菊の花をひたした日本酒で長寿を祈ったんだ――が、」
ほうほうとみんなが重陽に関するうんちくを聞いている中、せんせーは突如そこで言葉を切るとパン! と手を叩いた。突然の大きな音にびくりと肩をはねさせる。
「まあ、今はそんなことは置いておいてだな」
古典教師が「そんなこと」とか言っていいのか。呆れ半分そんなことを思う俺をよそに、チラとこちらへ視線を向けてくる二木せんせー。なんだか意味深な視線、その2。にいやりとゆっくり弧を描く口元に、さっき感じた嫌な予感が確信へと姿を変えた。
「今日は重陽の節句であると同時に、八木の誕生日でもあるな。八木ィ、誕生日おめでとさん」
「えっ、ちょっ」
このタイミングでそれ言う?! しかもホームルームで!?
前代未聞の展開に言葉を失う俺。 だが、2年A組のクラスメイトたちは存外こういったことには柔軟らしい。たちまち、教室内のあちこちからわっと歓声が上がった。
「めーちゃん、おめっとさーん!」
「ハル、おめでとう」
「おめでとうなのな、八木!」
西崎、シュウ、本日二度目のスーザン。それ以外にも、あんまり話したことがないようなクラスメイト達からも口々に祝いの言葉を投げかけられる。
まさかの事態に、なんだかどうしたらいいのか解らなくなってしまって、俺は。
「あ、……あざます……」
自分の席で身を縮こまらせて、消え入りそうな声でそう呟いた。
というか、嬉し恥ずかしくて本当に消えてしまいたい。
挙手をしたときの西崎たちのニヤニヤ笑いは俺の誕生日を知っていたからのことだったのだと気付いたのは、一限目の授業が始まってようやく心臓が落ち着いてきたころのことだった。
- 3 -
[*前] | [次#]