06
靴を履きかえて、昇降口から外に出る。その瞬間、無意識のうちに目の前の花壇に加賀の姿を探してしまっている自分に気づいて、篤志は自分の横面を思い切り叩きたくなった。
(加賀がいるわけねぇじゃん……ってか、そうしたのは自分だってのに)
あれだけひどいことを言って加賀を遠ざけておきながら、一体なにを期待しているのやら。どこまでも浅ましい自分の姿に、篤志はがっくりと肩を落とした。
「うそ」と「ほんとう」がゲシュタルト崩壊してしまったようなあの日の翌日から、加賀は完全に篤志に関わらなくなった。
昼休みや放課後に篤志を迎えに来なくなったのは当然として、それ以外にも、いままでだったら姿を見かけていたような廊下や購買、グラウンドといった場所からも、加賀の姿がきれいさっぱり消え去ったのである。聞いたところによると、ずっと購買派だった加賀がここ最近は毎日コンビニのサンドイッチを持参しているらしい。篤志のことを避けての行動であることは明らかだった。
加賀との関わりを断ち加賀の言動にいちいち振り回されずに済むようになった毎日は、篤志が望んだはずのものである。だというのに、篤志はなぜか日々の折々に加賀の幻影を追いかけてしまっている。姿さえ見えない加賀の存在に、いまだに心を乱され続けているのだ。
「あっくん、マジでどうしたの? アイツとケンカしたわけ?」
D組の教室の自分の席でひとり黙々と焼きそばパンを食べる篤志に、よーくんが問いかける。始めのうちは、二日連続ひとりで昼食をとる篤志をふしぎそうに眺めていたよーくんも、三日目からはあからさまに心配そうな視線を寄越すようになっていた。
篤志のことを慮った声色に、篤志は力なく首を横に振ることしかできない。ケンカとは少し違う気がするし、かと言って、よーくん相手に加賀との男同士での痴情のもつれについてあれこれ話すわけにもいかなかった。
ただひとつ言えることは、ふたりはそもそもケンカをするほどの仲でさえなかったらしい、ということである。
加賀との関わりがなくなったことで、篤志の日々のなかで、ここしばらくのあいだ加賀と過ごしていたぶんの時間が一気に宙ぶらりんになってしまった。簡潔に言えば、篤志は時間を持て余していたのである。一日のなかにところどころ虫食いのようにぽっかりと空いてしまった空白の時間を、加賀との「おつきあい」を始めるまでは一体なにをして潰していたのか、全く思い出せないのだ。
例えば昼休み、混雑した購買での順番待ちの時間は、どうやって過ごしていただろうか。どこで、だれと、どんな話をしながら昼食を取っていたのだろうか。放課後、委員会がないときには、なにをして過ごしていたのだったか。
篤志にはもう、加賀がいなかったときの生活が思い出せなかった。
それから篤志は、持て余した時間をひたすら勉強に注ぎ込むようになった。少しでも暇な時間ができたら、あの日の加賀の冷たくも優しい指先の温度を思い出してしまいそうで、加賀のことばかりを考えてしまいそうで怖かったのである。
現実問題として、テストはもうすぐ目の前だ。悩んだり落ち込んだりする時間なんてない。そう言い聞かせて、篤志は加賀とのことから目を背けた。
毎日毎日、勉強勉強、また勉強。そんなことを続けているうちに、よーくんはなにも言わなくなった。ただ時折、遅くまで教室に残ったり、図書館にこもったりして勉強する篤志のもとにふらりとやってきては、アメやらガムやらチョコやら、そういうものをばらまくように置いていった。
「あんま無理すんなよ。あっくん、俺といっしょでバカなんだから、勉強ばっかしてっとノーミソ溶けちまうぞぉ」
ケラケラ笑う声のひとつひとつに込められたささやかな気遣いが嬉しくて、でも、いまの篤志にはすこしだけ痛かった。
加賀が嘘をつかなくなった、と。そんな噂がD組にまで流れてきたのは、一日目のテストがすべて終わったころのことだった。
なんでも加賀は、試験監督の教員に試験開始時間を聞かれて「九時です」と本当の答えを返したらしい。本来なら加賀にそんな質問をすること自体がありえないことだが、一限目のA組の試験監督は普段一年の授業を受け持っている新任教員だったらしい。加賀の「うそつき」についてよく知らず、さして考えることもせずにたまたま一番前の席に座っていた加賀に聞いたところ、そういうことが起きてしまったらしい。
当然、教室じゅうが騒然とした。今度は一体どんな嘘が返ってくるものか、この哀れな新任教員はそれによってどんなひどい目にあってしまうのか。と、当初はA組の誰もが身構えていた。
それが、加賀が誰しもの予想を裏切って、平然と「ほんとう」のことを答えたから大変だ。さらにざわめきが大きくなったことは言うまでもない。試験監督が新任教師だったこともあり、騒ぎはなかなかおさまらなかった。結局、A組だけ一限目の試験開始時間が九時五分になってしまったらしい。
けれど、それだけで終わったのならば、そんな噂が篤志の教室にまで流れてくることはない。
はそのあと、昼休みのことだ。朝の出来事が信じられなかった何人かのクラスメイトが加賀のところへ行って、さまざまなことを問うたらしい。
今日の日付や天気といったスタンダードなことから、このあとの試験の範囲、簡単な暗記科目の答えまで、本当にさまざまだ。そうしてそれらの質問に、加賀はすべて「ほんとう」の答えを返したという。
こうなったらもう大変だ。あのうそつきの加賀は一体どうしてしまったのかと上を下への大騒ぎ。騒ぎが騒ぎを呼び、噂というかたちで篤志のもとにまで届いてきたのである。
(今度はいったいなんの気まぐれなんだよ……)
加賀がどんな意図からそんなことをし始めたのか、それが自分とのあの出来事に関わっているのか否か。そんなことを考え始めたら、どんどん自分がいやなやつになってしまいそうで、篤志は意図的にその騒ぎから目をそらした。
けれど、同じ学校にいる以上、加賀にまつわる噂はいやでも耳に入ってきてしまう。
テスト二日目には、弓道部の後輩に夏合宿の正しい日程を伝えていたとか。三日目には、担任にクラスメイトの居場所を聞かれ、口からでまかせを答えるのではなく素直に「知らない」と返していただとか。エトセトラ、エトセトラ。すっかり加賀に関する噂で学校中が持ちきりになっていた。
(俺には関係ない。俺には、なんの関係もない)
呪文のように繰り返し唱え、さらに勉強に没頭しテストに集中することで、篤志は加賀のことを忘れようとした。
――とはいえ、それはまるきり無駄な努力であったわけだが。
篤志がその加賀と久しぶりに会ったのは、それから数日後。テスト期間も終わり、夏休みがもう目の前に迫ってきたとある日の放課後のことであった。くしくもその日は、関東で梅雨明け宣言がされた日でもあった。
篤志はそのとき、一学期最後の委員会活動を終えたばかりであった。一仕事終えたことにほっと肩の荷が下りたような心持ちになりながら、靴を履きかえ外に出ると、すぐ目の前の花壇のところに加賀がしゃがみこんでいたのである。
その姿を視界に入れた途端、篤志の心臓はどくりと大きく跳ねた。ばくばくと、たちまち鼓動がうるさくなる。
それはもう見慣れた光景のような気もしたが、篤志にはひどく新鮮にも感じられた。花壇の紫陽花がすっかりしおれてしまっていたのも理由の一つかもしれない。
篤志の鞄には、返却されたばかりの、平均点を大きく上回った数学のテスト用紙が入っている。先ほどまでは多少浮かれていた気持ちも、いつもより心なしか軽く感じられた鞄も、一気に重く沈み込んだ気がした。
「はーっ……」
細く長く、深呼吸をひとつ。急速に早まった脈拍が落ち着いてきたところで、意を決して篤志は花壇に近づいた。
「……なにしてんの、加賀」
自分の上にかかった影を見て、ゆっくりと加賀が顔をあげる。うつむき顏を覆い隠していた濡羽色の髪がさらりと流れて、加賀の涼やかな目元が露わになる。向かって右の目尻の下にある泣きぼくろも、久方ぶりに篤志の視界に映った。緊張からかややこわばった篤志の顔を見とめると、加賀は力なく笑った。
「今井のこと、待ってた」
いつだったかと同じシチュエーション。違うのは、加賀の言葉だけだ。以前と比べると、いまの加賀の言葉のほうがよっぽど嘘のように聞こえる。だが今の篤志には、それを「ダウト」と切り捨てることができなかった。加賀がもはや「学校一のうそつき男」でなくなってしまった今、何がうそで何がほんとうなのか、篤志には判別がつかないのである。
「ちょっと、話があるんだケド」
加賀の視線に促されるかたちで、篤志は校舎裏にやってきた。放課後の校舎裏にある桜の木は相変わらず葉ばかりで、そればかりか、長い梅雨の影響でいくらか葉が落ちてしまってすらいた。わずかな救いといえば、その向こうの空がきれいな青色に晴れ渡っていることくらいだろうか。もうすっかり夏なのだなと、高く立ち上った白い雲を見上げて、篤志はいまさらのように思う。
歩数でいえば三、四歩といったところだろうか。遠くはないが、かといってさほど近くもない。微妙すぎる距離を挟んで、篤志と加賀ははじまりのあの日のように対峙していた。今日も今日とて、ふたりの間に流れる空気にはロマンのかけらもない。もとより、篤志はロマンチックさを求めることはとうの昔に諦めていた。
ふたりの間を沈黙が支配する。気まずい空気に耐え切れずに、先に口火を切ったのは篤志のほうだった。
「お前さ、なに考えてんの? わけわかんねーよ。あのあとから急にうそつかなくなったとかマジでなんなわけ? なにがほんとうでなにがうそなのか、もう俺、本気でわかんねぇよ」
まともに視線を合わせることができなくて、篤志は自身のローファーを睨みつける。ざり、とスニーカーの底と地面とが擦れる音がした。加賀が身じろぎしたのがわかる。はあというため息までもが次いで聞こえてきた。
「おれさ、今井にはうそついたことないつもりなんだけど」
「ンなこと言われたって、信じられるわけねーじゃん。信用ならねぇんだよ、そう言われても」
嘘をついていないつもりというのならば、あのときのあの言葉はどうなんだ。あの時のあれは。ああそれから、あのときのだって。次々に疑問が浮かんでは消える。それに、例え本当に嘘をついていなかったとして、だからなんだというのか。
「お前さ、ほんとうはなに考えてんの? お前にとっての『ほんとう』ってなんなんだよ」
どこに、加賀にとっての「ほんとう」はあるのかと、絞り出すように問いかけたそのとき、ざりりとひときわ大きな足音がした。突如、地面に縫い止められていた篤志の視界に、見慣れたコンバースーのスニーカーが現れる。
「――だから!」
苦しそうな声が篤志のすぐ目の前でした。にゅっと伸びてきた白く細い指が、篤志のシャツの襟ぐりを掴んで引き寄せる。強制的に顔をあげさせられた先では、ぎゅっと眉間にシワを寄せた加賀がすがりつくようにして篤志を見ていた。
「だから、最初から言ってるだろ! おれは、うそでもなんでもなく、ほんとうに、今井のことが好きなんだよ……ッ!」
そのあまりの剣幕さに篤志はぎょっとする。いつもの加賀が纏っているどこか飄々としたような落ち着いた雰囲気は、どこかに吹っ飛んでしまったようだ。これでは普段の加賀とまるで正反対である。
篤志のシャツを握る指先には、おどろくほど強い力が込められていた。指先から爪の先から、力の込めすぎで真っ白になってしまっている。篤志のことが好きなのだと訴えかける声も、加賀の白い頬に色濃く影を落とす黒々としたまつげの先も、見ていてかわいそうになるくらいにか細く震えていた。
「頼むから……お願いだから、ちゃんと今井のことが好きだって言わせてよ……」
加賀の姿が、一瞬、あの日屋上前で加賀に告白していたあの女子生徒の姿に重なった。篤志には、すがりつくようなその声に嘘が混じっているとは到底思えなかった。必死そのものの表情で、執拗なまでに篤志にこだわるその姿に、篤志のなかで新たな感情が芽生える。
(少しだけ……もう一度だけ。ちょっとくらい、加賀の言うこと信じてみてもいいんじゃねえの……?)
ほんの少しならば、たとえあとから裏切られることになったとしても、そこまで深い傷にはならないだろう。それならばと、篤志は一歩前に踏み出した。未だにシャツを握り続ける加賀の手に自分のものを重ね、そっと拳を解く。
「……今日、」
「え?」
きょとん、と加賀が篤志を見上げる。切れ長の目がまんまるくなって、ぱちくりとまばたきした。濡れた瞳と、向かって右の目尻の泣きぼくろとが合わさって、早くも篤志の心はぐらりと揺れる。
加賀のこの目はだめだ、卑怯だ。ただでさえ加賀に弱い篤志は、この目を見ていたら簡単にほだされそうになってしまう。負けてたまるかとばかりにぐっと見つめ返して、篤志は問うた。
「今日は、何月何日、何曜日だ?」
加賀の瞳がさらに丸くなる。夜空にぽっかりと浮かんだ満月を丸ごと盗んできてはめ込んだかのような瞳の奥に、戸惑いの気配が混じった。早くと篤志が急かせば、加賀はおずおずと口を開いた。
「七月十五日、すいようび……」
そうだ。今日は七月十五日の水曜日である。
「じゃあ、お前の今日の五限の授業は?」
「数Bだったケド」
今日篤志は、昼休みにA組の友人から数Bの教科書を持っていないかと聞かれた。五限目が数Bの授業なのだが、忘れてしまったから貸してくれないか、と。
「なら、今日の朝礼でまっちゃんはなんて言ってた?」
「松島先生? ……たしか、明後日の大掃除のときのごみの分別についてじゃなかったっけ」
「俺がいつも購買で買うものは?」
「焼きそばパン」
「購買のカツサンドの値段」
「二三〇円。ちなみに、焼きそばパンは一一〇円」
ちゃんと覚えているよと、加賀はわずかに口角を持ち上げる。
それからも加賀は、篤志が次々に投げかける質問すべてによどみなく答えてみせた。それらは全部「ほんとう」の答えばかりである。一見どうでもよさそうな、嘘をついたところでなんら支障のなさそうな質問に対しても、加賀は一度も嘘をつかなかった。
最後にと、篤志は好奇心からこんな質問をした。
「じゃあ、お前の誕生日は?」
「十月十八日」
即答してから、ちなみに、と加賀はスラックスのポケットから生徒手帳を取り出す。
「本当だからね」
篤志の目の前に、加賀の生徒手帳が突きつけられる。無表情に前を見据える、今より少し幼い顔立ちをした加賀の顔写真が貼られたそれは、生年月日の欄にしっかりと十月十八日生まれであることが記されていた。なるほどと呟く篤志に、加賀はドヤ顔気味になって生徒手帳をしまう。
「おれがほんとうに今井にはうそついたことないって、信じてくれた?」
言われて、篤志は今までの加賀との出来事を思い返してみた。昼休みの購買でのこと、屋上の扉前でのこと。放課後の駅までの道でのこと、加賀の家でのこと……。ほんとうにさまざまな場面が思い浮かんでくる。だが、その場面場面での加賀の言葉で、絶対に嘘だと言えるものは思いつかなかった。
篤志が一方的に「どうせうそだろう」とダウトしたものは数あれど、それが本当に嘘だと確証を持って言えるものは、一つもなかったのである。
――しかし、
「だったら、あれはなんだったんだよ」
「『あれ』……?」
「加賀が俺のこと迎えに来なかったときの昼休み。お前、あのとき阿部さんの告白に、なんて答えたんだよ」
篤志が加賀を信じきれないのは、嘘のことだけが原因ではないのだ。あのときの女子生徒へのあの対応も、篤志のなかの加賀への不信感を募らせた一因である。どうなんだと鋭い視線で射抜けば、加賀は驚いた風にわずかに目を見開き、それからやや気まずげに視線を逸らした。
「今井、あれ見てたの」
「たまたまな」
「うそつき。おれのこと探してくれてたんデショ、ほんとうは」
図星をつかれた篤志は言葉に詰まる。
「もしかして今井、そのせいであのあと急に機嫌悪くなったの」
「ばっ! べつに、機嫌悪くなんかなってねぇし」
「ダウト。嫉妬してくれてたんでしょ、おれが他の女子に告白されてるから」
「嫉妬なんてしてない」
「それも、ダウト。……ていうかさ、今井、さっきから顔赤くなってるの気づいてる?」
「は? 顔!?」
奇妙なことに、いつのまにか篤志の方が「ダウト」される側になっている。さらに続けて想定外のことを指摘され、嘘だろう、と篤志は慌てて両手を頬に当てた。
すると確かに、両の頬が風邪でもひいているかのように熱を持っていた。きっと、鏡を覗き込めばリンゴのような頬をした自分自身がそこに写り込んでいることだろう。これではごまかしようがない。急にあたふたし始めた篤志を見て、加賀はくすりと笑みをこぼす。
「今井、トランプのダウトとか向いてなさそうだよね。すぐ顔に出るじゃん」
「うっ……」
「それに、おれのことも、どれがうそでどれがほんとうかって、ちゃんと見抜けてなかったみたいだし」
けらけらと加賀本人に笑われてしまえば、篤志はもう何も言えなかった。
「ていうか今井、あの日どこで聞いてたわけ」
「踊り場のとこで……」
「どこまで聞いてたの」
「どこって、えっと……加賀があの女子の名前わざと間違えて答えて、そのあと、ほんとうのこと言ってよって、阿部さんが泣き始めたあたりまでかな……けど、それがどうかしたのか?」
篤志が首を傾げてみせれば、加賀は額に手を当てて「はーっ」と嘆くように息を吐いた。
「よりによってそこかぁ……それは、今井もあんな反応になるわけだよね」
よりによって、とはどういう意味だろう。まったく話が読めない篤志に、
「あのね、今井。よく聞いて」
と、加賀は語りかける。
「あの女子――阿部さんには、あれが本気の告白だってわかってからちゃんとごめんなさいしたから。おれにはべつに好きな人がいて、その人と付き合ってるからって。あと、うそついてからかってごめんとも言ったよ」
「えっ、そうだったの?」
「あたり前デショ。さすがに、本気の告白にまでうそついたりうそでごまかしたりしないから」
そう答える加賀はどこまでも真剣そのもので、篤志は疑ってばかりいた自分が恥ずかしくなった。ずるずるとその場にしゃがみこむ。抱え込んだ膝にぐりぐりと額を押し当てて、あーとかうーとか言葉にならない呻き声をあげた。
そんな篤志につられるようにして、加賀もしゃがみこむ。苦笑をこらえながら腕を伸ばし篤志の髪をくしゃりとかき混ぜた。くすぐったさに身悶えつつ顔をあげた篤志に、ぐっと顔を近づけると、加賀はふわりと微笑んだ。
「そういうことだからさ、ね、今井。今度こそ、ちゃんと聞いてくれる?」
加賀は、いまさらのようにやや歪んでいたネクタイの結び目を直して襟を正した。篤志もそれに倣って、加賀の手で乱されたシャツや髪を整える。
ふわりと爽やかな初夏の風が吹いて、加賀の黒髪をなびかせた。加賀は視界を遮るそれを白い指先でよけて、耳の後ろにひっかける。ぱっつんぎみに揃えられた前髪の向こうでは切れ長の目が涼しげに瞬いていた。が、その目尻のあたりはほんのり赤らんでいる。
以前は隙のない笑みを浮かべていた加賀は、今は照れくさそうに、どこか困ったようにへにゃりと眉尻を下げて、情けない笑みを浮かべていた。
「おれ、今井のことが好きなんだケド」
だから付き合ってくれませんか、という加賀からの二度目の告白が、校舎裏の陰鬱な空気を一掃する。大気を揺らし、篤志の鼓膜を震わせ、そうして、かたくなだった篤志の心までをも大きく揺れ動かした。
「俺も――俺も、好きだ。加賀のことが好きだ。だから、」
喜んで、とさらに続けようとした愛の言葉は、重ねられた唇の向こうに吸い込まれて、二人ぶんの体温に溶けて消えていった。
- 6 -
[*前] | [次#]