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それから吉澤は、飲んで愚痴って、愚痴って飲んで、また愚痴るという流れを繰り返した。
自分のどこらへんがナオミちゃんに「飽きた」と感じさせてしまったのかを問うても、がんばって直すからと縋ってもダメだった、ということから始まり、ナオミちゃんのどんなところが好きだったのかや、彼女とのデートの思い出まで。
始終片手にジョッキを抱え、後半はズビズビと鼻をすすりながら、吉澤は俺にナオミちゃんへの想いをぶちまけ続けた。
吉澤が元カノジョの名前を出す度に、俺のヒットポイントはガリガリと削られていく。吉澤の気分が少しずつ浮上してくるのと対照的に、俺の気分はどんどん沈んでいった。
嫌な時間だ。こうなることは最初からわかっていたのだから、だったら来なければ良かった、だなんて。同じことを今まで何度考えただろうか。
それでもまた、吉澤が真っ先に俺に連絡を寄越してくるのが嬉しくて、俺がずっと返事をしなくても他の誰かを呼んだりしないのが嬉しくて、同じ罠にいともたやすくハマってしまうのだから、本当にタチが悪い。
所詮恋愛ごとなんて、先に恋に落ちたほうが負けなのだ。
「あー、もう。マジ、なんかむしろムカついてきた」
ずずっと鼻水をすすると、吉澤はテーブルの端に放っていたシガレットケースを手に取った。レザーで出来たそれは、確か数代前の元カノが吉澤にプレゼントしたものだったと思う。
自然と思い出されたことに眉間に皺が寄った。
「そういやさァ。ナオミのやつ、最後の最後に『本当はアキラの煙草の匂いが服に移るのがいつも嫌だった』とか言い出してさァ」
だったらもっと早く言えっつうんだ、と吐き出して、ケースから一本取り出しくわえて、手早くライターで火を点ける吉澤。
「別にこっちだって、そう言ってくれたらキチンと気ィ遣うに決まってんじゃねーか! って感じじゃん?」
「……そうだな」
「だよなー」
同意を得られたことに満足したのか、そう言って吉澤は深く煙を吐き出した。
空調の関係なのか、それらは全て俺のほうへ漂ってくる。モロに顔面へ直撃したけむりの、独特の苦みを含んだほのかに甘い匂いにうっと顔をしかめそうになる。
吉澤は、爽やかかつ健全そうな容姿の反面、結構なヘビースモーカーだ。飲み会では一箱開けることもあるし、大学でだって講義の合間にしょっちゅう喫煙所へ足を運んでいる。
一緒に過ごすうちに慣れてはいたけれど、それでもやっぱり煙たいものは煙たかった。
既に数本短くなった吸い殻の入った灰皿をぼんやり眺める。うちの店は全席禁煙だから関係の無い話だが、こういうのを片付けるのはきっと大変なんだろう。同じ飲食店の店員として同情する。店長が大の煙草嫌いで良かった。
「ていうか、もう一杯ビール頼んでいい?」
「え、なんでわざわざ俺に聞くわけ」
別に好きに頼めばいいだろう。俺に許可を取る必要なんてどこにもないのに。素でそう思ってから、複雑そうな顔をしている吉澤に二時間ほど前のことを思い出した。
なるほど。吉澤は、俺のおごる発言に喜びながらも遠慮しているらしい。
(くっそ、愛いやつめ)
だらしなく緩みそうな口元を汚れでもぬぐうような素振りでさりげなく隠す。
「別に、いいよ」
改めて許可してから、どうしてナオミちゃんとやらはこんな吉澤を振ったんだろうかと、改めて疑問に思った。
「さんきゅ」
呟くと、吉澤は最後にもう一度煙草を吸って、深く細く煙を吐き出してから店員を呼んだ。
「すいまっせーぇん!」
隣席との間に割としっかりした仕切りがあるもののドアは無いという、半個室状態の席から身を乗り出した吉澤の声が店内に響き渡る。数時間前にバイト先で自分が呼び止められたときと同じような、呂律の回っていないその声に思わず吹き出しそうになった、そのとき。
「っ、げほッ!」
俺は、流れてきた煙を思い切り吸いこんで激しくむせた。咳が止まらず、上手く呼吸ができない。息が苦しい。段々顔が熱くなってきて、目尻に涙が滲む。
「え、ちょ、酒井?」
生中ひとつ、とちょうど店員に告げたところだった吉澤は、なかなか止まらない俺の咳にうろたえている。大丈夫かという声と共にそろそろと顔付近に手を伸ばされた。
(大丈夫かもなにも、お前のせいだよ、バカヤロウ)
決して告げない本音を心の内で吐き出しながら、俺はその手をがしりと掴む。酔っているせいだろうか。女のものとはまったく違う、がっしりとした骨格の吉澤の手は少し熱を持っていた。
「――っ、はあ……」
それからしばらくゲホゲホと繰り返したのち、咳はようやく落ち着いた。タイミング的に、吉澤の手を握ったから呼吸が落ち着いたかのようでなんだか釈然としない。
「なに、どしたの?」
「……お前の」
煙草の煙が、ではなく。
「お前の『すいません』の言い方が、なんかウケたから」
「ハア?」
「思わず吹き出しそうになって、気管にビール入った」
「なんだ、それ」
俺のせい? と吉澤は不満そうな顔をする。それに俺はそうだともそうじゃないとも言わず、へらりと笑ってみせることだけで答えた。
いつか煙草の煙が苦手なことを知られたら、俺もナオミちゃんのように「早く言え!」とキレられてしまうのだろうか。吉澤が灰皿に吸い殻を押し付ける様子を横目に「もしも」の未来を想像した。
先程の発言のことを顧みると、煙草の煙にむせたのだと本当のことを伝えた方がいい気もする。けれど、今まで散々黙ってきたことを思うとそういうわけにもいかなかった。
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