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「おっせェよォ、酒井〜」
閉店作業が全て終わるなり、店長の激ウマ手料理を断ってまで全速力で駆け付けた俺への第一声はそんなものだった。
「しょうがないだろ。バイトだったんだよ」
「だからってよォ、もうちっと早く来てくれてもよくねぇ?」
俺めっちゃメールしたんだけどォ、と無駄に語尾を伸ばして言う吉澤はもうすっかり出来上がってしまっているらしい。頬杖を突き、半ばテーブルに突っ伏すようにして枝豆をいじっていた。他にも俺への文句をあれこれ口にするその頬は真っ赤になっている。
素面なら素面でまた面倒なのは知っているが、それでも、初っ端からこれは勘弁してくれという気になる。ただでさえバイトあがりで疲れているというのに酔っ払いの相手だなんて、いつも以上につらい。
管を巻く吉澤をなんとかなだめ、俺は出されたおしぼりで顔を拭きながら、零れ落ちそうな溜息と一緒に憂鬱感を奥歯で噛み殺した。
「いつもの店」と吉澤に指定された大学の最寄駅すぐ近くのこの居酒屋も、花の金曜日効果で混みあっている。それでもピーク時のうちの店ほどじゃない。数秒の観察の末に結論づけて、着ていたパーカーを脱いだ。
五月も終わりに近付いて日中は随分と暖かくなってきたけれど、半袖一枚で過ごすには夕方以降は少々肌寒いだろう。薄手のパーカーはそんな考えから出がけに持って来たものだったが、バイト先から駅まで、電車移動ののちに更に駅からここまでの距離を早歩きしてきたせいで熱を持った体には余計なものでしかなかった。
「あ、すいません。生中ひとつ」
「はーい、ありがとォございまーァす!」
未だぐちぐち言っている吉澤を横目に、タオルをハチマキのように巻いた店員を捕まえてオーダーを入れる。空っぽなままの可哀想な胃袋のためにつまみ類やご飯ものも付け足せば、その度にタオルハチマキの店員は妙なイントネーションで「ありがとォございまーァす!」と口にした。
(……あんな店員、居たっけか)
以前、今日と同じように吉澤に呼び出されて来店したときのことを振り返るも、答えはわからなかった。
「――で?」
間を置かずに生ビールのジョッキが運ばれてきたところで、それに一口もつけないうちに俺は吉澤に問いかけた。何を言われるかはわかりきっているのに、改めて本人の口から聞かなければならないだなんて、面倒極まりないが。
「フラれた」
やっぱり。思わずそう返しそうになって、俺は慌ててジョッキを煽った。
「なんてったっけ、今のカノジョ」
「もう今のじゃねぇよ」
「じゃあ元カノ」
「ナオミ」
ああそうだ、そんな名前だった。ちょっと前に喫茶店へ呼び出されて、ニコニコとご機嫌そうな吉澤に「彼女できた」と報告され今と同じように名前を聞いたとき、なんとなくプライドの高そうな名前だなと思ったことを思い出す。
「で、原因は?」
「飽きた、だとよォ」
「へえ。飽きた」
男を振る理由までプライドが高そうだ。名は体を表すとはまさにこのことだろうか。
そんな感想を抱いていると、ふと向かいの吉澤がこちらをじっと見つめてきた。
「なんだよ」
「……お前、もうちょっとなんかねぇの?」
「は? なんかってなんだよ」
「だっから! ナオミに『飽きた』の一言でフラれた俺に対して、慰めの言葉とか、そういうの! ねぇの?!」
半ばキレ気味に言われて、ようやく吉澤が俺の「へえ」という反応に不満を抱いていることに気付く。だが、しかし。
「今更だろ」
大学に入学して、入学式の会場で席が隣だったことをきっかけに友人になってから丸二年とちょっと。それだけの間に、俺が何度吉澤のヤケ酒に付き合っていると思っているのだろうか。
当初こそ失恋に落ち込む吉澤を前に必死になって慰めたものだったけれど、さすがに三年目にもなるとそのバリエーションも尽きてくる。
そんなことをオブラートに包んで伝えると、吉澤は手にしていたジョッキをだんとテーブルに叩きつけて胡乱な目をこちらに向けた。なんだと見返せば、ビシリと俺に指先を突き付けて、一言。
「酒井! お前、デリカシー無さすぎ!」
「はぁ?」
「そんなんだからお前、彼女できねぇんだろ! イケメンのくせに!」
イケメンのくせに! と吉澤はもう一度繰り返す。別に顔は関係ないだろうと思うものの、吉澤にとってはそういう問題でもないんだろう。
「つうか、その理論で言ったらさ。そこそこイケメンでデリカシーがあるらしいお前は、なんでそうしょっちゅうフラれてばっかいんだよ」
「……お前、マジでデリカシーねぇな」
「そんなん無くなってそれなりに生きてけんだよ」
ばーか、と舌を出して、ちょうど運ばれてきた焼き鳥の串に手を伸ばす。まだ熱いつくねに、添えられていた卵黄をくずして絡めてから口に運んだ。
つくねをしっかりと歯で噛み、串だけを引き抜いてから「大体」と俺は無音で呟く。
(大体、自分に片思いをしている相手に元カノへの未練を愚痴るとか、さぁ)
デリカシーが無いのはどっちのほうだ。吉澤は俺の気持ちを知らないのだから仕方ないとはわかっていても、多少の苛立ちを覚えてしまう。
沈黙したまま、ただもしゃもしゃと口を動かした。吉澤はそんな俺を拗ねたような顔でじっと睨んでいる。ジョッキを両手で大事そうに包んで、緩いウェーブを描く前髪の下で眉毛を八の字にして。
そんな顔をしたって可愛いだけだぞ、と言いたいのは山々だが、そういうわけにもいかない。代わりに俺は口内のつくねを飲み込むと、たれのついた指をおしぼりで拭ってから吉澤の頭へ手を伸ばした。天然パーマの柔らかい茶髪を、容赦なくぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
「悪かった」
ぼそりと呟けば、わかりゃあいいんだよ、と強気な台詞がか細い声で返ってきた。こういうところだけはやっぱりウサギっぽいよなぁと一人納得しながら、最後に一撫でして手を離す。
「今日はおごってやるよ」
「え、マジで。いいの?」
「こないだ給料日だったから」
目に見えて表情が明るくなる吉澤に、単純だなあと呆れを覚える。けれど、笑う吉澤を見てこちらまで嬉しくなってしまっているあたり、単純なのは俺も一緒らしかった。
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