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 店内はひどく混みあっていた。

 狭い店とはいえ、いつもならちょうど良い数のテーブルは全てが埋まり、そのどれもに所狭しと料理の皿が並んでいる。あちらこちらから聞こえる陽気な会話と、追加のオーダーを求める声。
 注文されるのはほとんどがアルコール類だった。そのあまりの多さに、うちは居酒屋じゃなくて中華料理屋なんですけど、とつい文句をつけたくなるが、まあ仕方ないだろう。
 今日は金曜日だ。うちだけじゃなく、どこの飲食店も大体こんな感じに違いない。

「すいまっせーん! こっち、ビール三つ追加で!」
「はい、ありがとうございます!」

 完全に呂律のまわっていない声で呼びかけられる。威勢よく返事をすると、空いたテーブルを片付けていた手を止めて電子端末を操作した。

「オーダー入りまーす!」

 数回の短い操作による入力ののちにキッチン方面へ叫べば、あいよーと気の抜けた返事が返ってくる。毎週末の夜の忙しさも、店長のこのやる気なさげな応答も、さすがに勤続三年目ともなれば慣れたものだった。



 ただ頭をからっぽにして、目の前に積まれた仕事だけを順番に、それでも迅速かつ確実に片付ける。それだけに熱中していると時間が経つのはあっという間で、気が付けば閉店時間を迎えていた。

「ありがとうございましたー!」

 最後の客を見送って、のれんを外しシャッターを下ろす。給料日直後なせいか、今日はいつも以上に忙しかった。コキコキと肩を鳴らしながらのれん片手に店内へ戻れば、テーブルの片づけをしていたバイト仲間が振り返った。

「おつかれー、良一(りょういち)」
「そっちもお疲れ」
「今日のまかない、店長が好きなもん作ってくれるって! いつも以上に忙しかったからーって」
「え、マジで?」

 がちゃがちゃと食器を重ねながら問い返せば、マジマジ、と頷く声が返ってくる。それに俺は、なににしようかと思わず手を止めてしまった。
 なぜかというと理由は簡単。店長の作る料理がおいしいから、だ。冗談や誇張なんかじゃなく、これが本当においしいのである。

 駅からちょっと距離がある上、駅前の他の店と比べるとやや平均価格が高いうちの店が、それでも今日のように繁盛するのは、ひとえにそのおかげだろうと納得できてしまうほどに。
 その店長が直々に、しかもリクエストを聞いてまかないを作ってくれると言うのだ。これが迷わないわけがないだろう。

「どうしよ。お前もう決めた?」
「決めた決めた。あんかけ焼きそば」
「あんかけ! あれうまいよな、麺がパリパリで」
「そうそう。そんで、あんが良い感じにトロトロで」

 さっきまですっかり忘れていたのに、話しているうちに空腹感が顔をのぞかせてきた。もうすでに、俺の胃袋はあんかけ焼きそばを受け入れる準備万端である。

「うわー、俺もあんかけにしよっかなー」

 でも、エビチリとか、他の料理もうまいんだよなあ。まさにそのエビチリがわずかに残された皿を手にしてうーんと唸る。

 こんなに迷う取捨選択を迫られたのはいつ以来だろうか。そんなことを考えて、真っ先に思い浮かんだのはセンター試験のマークシートだった。
 大学入試とまかないが同列かと、すぐに自分のあほさ加減に呆れを覚えたけれど。

「おい、酒井」

 がっくりと肩を落としたとき、キッチンカウンターの向こうから気だるげな声で呼びかけられた。振り返れば、袖を捲り上げた半袖Tシャツにエプロンといういつも通りの姿の店長がそこに立っている。
 頭に巻いていたタオルを取りながら手招きされて、素直に近くへ寄る。

「なんスか、店長」
「ロッカールーム、お前の携帯めっちゃ鳴ってんぞ」
「携帯?」

 オウム返しにすれば、「うるせぇから早く出てこい」とひどく嫌そうな表情で付け足された。
 閉店後とはいえ、まだ勤務時間中なのに携帯に出るってどうなんだ。そんな考えが一瞬脳裏をよぎる。それでも素直にエビチリの大皿を置いてロッカールームへ足を進めたのは、単に店長の機嫌を損ねてまかないの話が白紙になったら嫌だったからだった。我ながらひどい理由だ。

 バイト仲間たちに謝罪しつつロッカールームへ向かう。そして一歩足を踏み入れた途端、俺はゲッと顔をしかめた。
 てっきりバイブの振動音がうるさいという理由で文句をつけられたのだとばかり思っていたが、そうではなかった。壁際に並んだロッカーの一つからは、歌詞まで聞き取れそうなほどの音量でジャカジャカとパンクロックの曲が流れていたのである。
 マナーモードにし忘れてたらしい。慌ててロッカーの鍵を開けながら、こりゃあ店長が不機嫌になるはずだと申し訳なくなった。

 かちゃり。音を立てて鍵が開いたのとほぼ同時に着信音が鳴り止む。そのことにホッと安堵しつつも、それにしても随分長くなっていたなと不審に思った。
 一体誰だろう。内心で首を傾げながらスマートフォンを取り出しロックを解除して、液晶画面に現れた表示に俺は目を見開いた。

「――は?」

 受信メールが二十五件、不在着信が十三件。

 ここ数時間の間に一体何があったんだと不安にならざるを得ない数字に、背筋がざわざわした。まさか家族に何かがあって、実家から連絡でも来ていたのだろうか。
 焦りのせいでうまく動かない指を無理やり動かして着信履歴を見る。
 そして、

「……なんだ、吉澤かよ……」

 そこにずらりと並んでいた「吉澤旭(よしざわあきら)」の名前に、がっくりと肩を落とした。相手がこいつなら、必要以上の連絡数に焦る必要などないことを俺は知っている。

(どうせ、いつものアレだろ)

 スマートフォンをマナーモードに切り替えてから深く溜息をついた。またこの日が来たのかと思うと、どうにも気分が落ち込んでいく。
 溜まった未読メールを流し見る途中、せっかくの店長のまかないが今日はお預けになることに気付いて更に落ち込んだ。

 今日暇? っていうか暇だろ? お前は暇じゃなくとも俺は暇なんだ。だから飲みに行こう。シカトすんな。早く返事しろ。

 そんなようなことが一通ずつそれぞれに書かれているメールに、まとめて送ってこいよと嫌になる。
 最後に送られてきていたメールには、案の定というか「いつもの店で待ってる」と短く書かれていた。恐らく先程の電話はそれでも来ない俺に対する苦情だったのだろう。
 もう一度息を吐くと、俺はそれに「今から行く」とだけ返信した。そして、ロッカーを閉じると足早に店内へ戻る。

「悪い」
「おー、いいって。てか、電話なんだったの? 親?」

 ほとんど店内の片づけを終えてくれていたバイト仲間に改めて謝罪の声を掛けると、そんな問いが返ってきた。

「ウサギ」

 反射的にそう返してから、あのでっかくてうるさいのをウサギというのには少々無理があるな、と自分でもその発想に苦笑した。

「ある出来事の直後だけ、寂しくて一人でいたら死んじゃうっていうウサギみたいになるやつ」
「……なに? カノジョ?」
「ちげぇよ」

 表面上ではけらけら笑ってみせるものの、正直笑えない。

「ダチだよ、ダチ」

 カノジョだったらいいのにと、思う相手ではあるけれど。心の中でそう付け足したら、なんだかひどく切なくなった。

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